overconfident

『俺とダブルス組んでみるか?』

 何時ものように、アルカイックに笑って乾先輩は言った。でも差し出された指先は、僅かに震えているように見えた。ああ、冗談じゃないんだな、と、どこか麻痺した頭でぼんやり思った。

 顔が熱くなって、呼吸が早くなって、指先が冷えた。

 本当は、今月のレギュラーが確定してから、薄々考えていた。

 関東大会では、俺が、ダブルス2に出るのかな、と。

 手塚先輩と不二先輩は間違いなくシングルスで勝ちを狙いにいくだろうし、菊丸先輩と大石先輩もダブルス確定だ。残るシングルスは、実力からして越前か乾先輩。俺は河村先輩とダブルスか、と。勿論シングルスに出たいが、現実問題として自分が出るのは難しいのは分かっていたから――桃城とのダブルスは不本意ながら好成績を残したし、なにより現時点で俺は越前と乾先輩よりも弱い。認めたくはないが、事実だ。

 そう、思っていたら。

 この人は、シングルスよりもダブルスを選ぶのか。

 しかも、俺を選ぶのか。

 たっぷりと水を含んだ手ぬぐいが、妙に重く感じた。

 乾先輩は相変わらず笑ったまま、そのくせ指先を震わせたまま。差し出した腕で、返事を促してくる。

 背筋を正して、何時の間にか乾いていた唇を舌で湿らせる。視線を合わせようとしても上手くいかないレンズ越しの目は感情が見えなくてイライラするけれど。今は、この人も自信なんてないんだと震える指先が教えてくれている。それでも、尋ねてみたいと思う。この人を、試しておきたい。

「全国で、勝てますか。」

 勝負は、必ずしも実力だけで決まるものじゃない。分かっていても、訊いておきたい。乾先輩の口から、聞いておきたい。この人が、「勝てる」と言うのを。

 落ち着いたポーズ――格好だけなのはもう分かっているのに、乾先輩は絶対崩そうとしない。いかにもこの人らしくて、内心少し笑える。予想外だったろう質問に、片眉をひょいと上げて笑みを深くした。余裕なんて、装わなくていい。何時か言えるだろうか――尤も、ギリギリな姿なんて見たくはないが。

「……お前が、オーケーしてくれたらね。」

 関東でも、全国でも、勝つよ?

 疑問形で断言した後、データの裏付けが欲しい?とからかってくる。でも知ってる。乾先輩がこの一言を言うのが、怖かったこと。一瞬裏返った声で分かった。不安なんだ。不安。絶対の自信なんて、持ってる人じゃない。常に常に常に、自分に不安を感じてる。多分、そういう人なんだ。自分で逃げ場を奪ってくような。震える指先。追い詰めるのは自身。

 それなら、いい。そうであれば、いいと思う。

 だから。

「お願い、します。」

 水滴で体温を奪われた右手を、同じく差し出した。


 本当は、海堂が俺とダブルスを組む事を了承するのは初めから解っていた。

 部屋に入り、下着とバスタオルを取り出しながら思う。ジャージが体に張り付いて、少し不快だ。

 彼は、俺が作ったようなモノだし。自惚れでなくそう思う。俺は、誰よりも彼のプレイを見て知っている。その長所も欠点も。でもそれは海堂にとっても同じで、彼は俺のプレイをきっとレギュラーの誰よりも解っている――知っている、というのとはちょっと違うが。

 バスに行くため部屋を出る、その前に本棚の海堂用ファイルが目に入った。手にとってみると、笑える程に薄汚れている。雨に濡れたのか、中の紙はどれも微妙に波打っていた。棚に並ぶ学内用ファイルの中で同じ位汚れているのは、手塚と不二のファイルくらいなもので。三年、掛かってる。

 ファイルをベットの上に投げ、部屋を出る。何だか笑ってしまう。自分はどれだけあの子を見ていたのだろうか、と。あの子があっさりとダブルスを了承した、あの自分の勝ちに拘る子が――そりゃそうだ、これだけ見てればイヤガオウでも気付いていたんだろう、俺がダブルスを申し出るのを。もう自分が可笑しくて、クツクツ笑ってしまう。風呂場に響いて大きく聞こえる。親に心配されそうだ。

 待ってて、くれたのかな?

 湯気に浮かされて変な事まで考える。強めのシャワーが心地よい。筋肉を解しながらつらうらと思い返してみる。海堂の様子はどうだっけ?ブーメランスネイクの鍵を見つけるため、一心不乱に練習していた姿は焼き付いている。俺の事さえ忘れてるように打ち込む姿は、いかにも彼らしいと思って――それから?俺は何を言ったんだっけ。そうだ、『俺とダブルスを組んでみるか』と。

「・・・・・・もちょっと、上手に言いたかったかなあ。」

 思わず、溜め息が漏れる。だって、我ながらなんて卑怯な台詞。本当は自分が組みたいくせに、相手の意思しまかせるような言い方をして。挙句、海堂にはどうやら見抜かれた。試すような、言葉を向けられた。彼はあんまり鋭い子ではないのに。思い返すに自分が恥ずかしい。悔し紛れにがーっとシャンプーを泡立ててみる。母好みの柑橘系の香りが、海堂の制汗剤を思い出させた。

 キツイのに、どっか甘いよな。

 自分の思考に砂を吐きそうになる。手早く体を洗って、湯船に浸かる。ますます頭に血が上りそうだ。でも、確かに、海堂は甘くて。自分の目的を明確に表すのを嫌がるから、結果的に周りに流されがちだ――本人に言ったら激怒しそうだが。育ちがイイって事なんだろうけど、絶対、損してる。

 熱の篭った頭の綴る内容はどんどん方向が定まらなくなっていく。海堂のプレイじゃなくて彼そのものにばかり考えがむいてしまう。どうにも手の付けようのない状態。ざっと湯船を上がった。頭を一振りして脱衣所にでる。自分らしくなく混乱したアタマノナカを整理したかった。

 なんか、無理っぽいかなー、とは自覚しながらも。

 でも。きっと、どうでもいい事なんだ。

 要は、勝てばいい。

 きっと、それだけでいい。


2002年一月下旬作

2002年2月4日アップ

初のテニスSS。やっちゃいましたね。

G-120その後です。G-121が出る前に書いたので違う所は

見逃してください。テーマは思い込み勘違い。恋愛の基本です。

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