グアバジュース3

 お互いに強い感情が消えるた後、さっきまで行動がどうにも恥ずかしく感じられたのはほんの一瞬で。乾は帰りかけに水を差されて、これからどうしようか戸惑っている様子の海堂から、テニスバックを横からすくい取る。試合帰りなのにけっこうズッシリとした重さが乾には意外だった。
「あ…」
「ん?」
 海堂のとまどったような声に、乾は真正面から覗き込むようにニコと笑いかけた。あからさまにバッと赤くなる不機嫌な顔。とても、かわいいと思う――もーちょっと素直ならなあ、と思わないでもないが。でも、それでは海堂と付き合う楽しみはきっと三割引だと考えなおした。
「まだ帰らないでしょ」
 っていうか今日は帰らないでしょ。奪った彼のバックを肩にかけ、わざとらしく顔を寄せて耳元で囁く。と。海堂はいきなりザザッと体を離した。両手で自分の右耳を押さえて、赤い顔をますます赤くしている。毛を逆立てた猫のようで、やっぱりかわいい。乾は思わずふきだした。
「…っ!……へや、行くんだろ、とっとと行けよバカ!!」
 き、と笑う無駄に長身の先輩をにらみつけ、海堂は彼を追い越して再び廊下を戻った。そしてにらまれた当の本人は。真っ赤な顔で下から見上げられたところで何のことはない、ひたすら笑いをかみ殺しながら、海堂の荷物を持ってその後をついていった。


 成長期の、ひどくアンバランスな体に自分のゴツイ手が這う。
 乾には何時も、ソレがあんまりグロテスクなように思えて仕方なかった。それでも自分が触れていたい欲求のほうがずっと強くて――ときどき乾は、自分が海堂のコトが好きなのか自分自身が好きなのか分からなくなるような気がする。彼の姿がどこか可哀相に思えても、自分を止めることが出来ないから。
 止められないまま、抱き締めて、口付けて。海堂の、普段から高めの体温がさらに熱くなっていくのに益々歯止めが利かなくなる。煽られる。組み敷いた、まだ少年の心と体が痛々しく思えても。
「んっ…」
 わずかに詰まった声が、海堂から発せられる。ちょうど、乾の唇が耳の後ろを辿ったトコロ。声と連鎖して、海堂は掴んでいた乾のシャツを引っ張るように腕を引きつらせる。顔を傾け眉を寄せ、堪えるように唇をかみ締めた海堂を、乾は横目で見つめながら唇はさらに下へと進めていく。浮き出た首のスジをたどって鎖骨まで。薄い白い皮膚が覆った骨を一度、甘噛みしてから今度はソレをたどって肩先を軽く舐めあげた。そのたびに息をつまらせる海堂の反応が楽しくて、密かに笑いながら乾は薄い筋肉の付いた腕へと唇を移していこうとした、が。
「も、やめっ…センパイ、しつこい。」
 はあ、と大きく息をつきながら海堂は乾の手に自分の手を重ねてその動きを止めた。乾が不服を隠さずに彼の顔を見ると、海堂は腕を伸ばして乾の顔に添えるてきた――まっすぐに、乾の目を見つめてくる。そのまま海堂は乾の眼鏡を両手でそっと取り去った。視界がブレる一瞬に瞑った目を開けて乾は、眼鏡が無くてもハッキリと見えるくらい近くに寄せられた意志の強い目にゾクリとした後、その目がどんな風に溶けるのかを思い出す。そのどちらも自分のモノにしておきたいと思う。だからこそ、乾から奪った眼鏡をどこに置こうかと戸惑う海堂が、乾には可愛いし安心する――僅か一歳のリードを、出来るだけ長く確保しておきたいから。
「海堂…」
 眼鏡に気を取られる海堂の意識を取り戻すべく、乾は耳元で名前を呼ぶ。空いた手で彼の長い前髪をかきあげて、涼しげ、というのにピッタリな額に口付けた。びくり、とする体と微かに零れた声。乾は意識の反れた彼の手元から眼鏡を取り上げサイドボードに放ってしまってから、改めて海堂に口付けた。今度は、深く、唇に。深く舌を差し入れても拒まれないコトは分かっていたが、首に巻きついてきた長い腕は乾の予想外だった。上顎の骨をなぞりあげながら、乾は薄く目を開く。真っ赤な顔としかめた眉はそのままに、海堂はぴったりと体を寄せてきていた。
(これは…データになかったな)
 乾はクスリと笑う。といっても唇はお互いで一杯になっているから、こぼれるのは鼻から抜ける短い息だけ。それでも海堂は何かを感づいたらしく、同じく薄く目を開けて、乾とごく至近から視線を合わせる――正しくは、にらみつける。眉間によったシワと真っ赤な顔と潤んだ目のコントラストがどうにも扇情的に乾を煽った。やさしく、やさしくしたいはずなのに、苛めて、泣かせたくなってしまう。我ながら歪んでいる、と乾は内心苦笑した。
 自覚なんてまるでナシに煽ってくれる濡れた黒目に目で笑いかけて、思い切り舌を吸い上げた。海堂の、フ、と貫ける声に満足して唇を放す――厚めの唇につたった唾液を派手になめとってから。荒い息をつく海堂の、少し湿った髪をなで上げて、自分の息も整わないまま乾は海堂を抱き締める。乾の重さをそのまま受け取って、海堂は再び息を詰めるが拒まなかった。恋人の重さをそのまま受け止めて、海堂は安らぐように目を閉じる。乾の首に回された腕と手は故意か無意識か、固めの髪を撫でるように動いて、耳の裏を掠める指先が乾を静かに煽った。
「…ね、海堂?」
 意識して作った、吐息混じりの弱い声。海堂が好む声だ――少しの沈黙の後のソレが、彼の思考を溶かしてくれるのはほぼ確か。乾の鎖骨の辺りにうずめられていた顔が赤くなったように見えるのは気のせいではないはずだった。そろそろ持て余す程のお互いの熱を意識して、海堂は彼の首に回した腕を一層キツクする。
「ん?……もう、イイ?」
 嬉しそうに少し笑った乾の息が耳にかかって、海堂はますます顔を赤する。乾は薄い背を抱き締めた手の平で、そのままシャツ越しに背筋をなぞり下ろした。もうそれだけで、ピクリと揺れる体。幼いのか敏感なのか、乾はもう一度笑って、下ろした手をそのまま制服のパンツに潜らせた。素肌の高い体温に自分の熱を煽られる。
「……も!……じらすなって、言ってんだろ…」
 うわずった声と、無意識にすりよせられる体。首筋にかかる海堂の言葉が乾をひどく喜ばせる――好意を持ってくれていても、恋人はいつもセックスにはどこか消極的だったから。今の言葉といいさっきからの様子といい、今日は妙に積極的で乾を煽ってくれる。
「どうしたの…?」
 熱が求めるまま海堂の体に手を這わせながら、乾は彼を柔らかく問う。二人の体の間でカッターシャツのボタンをひとつひとつ外していく指に惹きつけられていた海堂は、体を通して響いた声に驚いてパッと顔を上げた。眼鏡越しでない乾の目と真っ直ぐにかち合う。相変わらず笑ったままの乾に体がカッとなった――彼の余裕が悔しいのか間近で見た素顔にヤラれたのか、海堂は自分でも分からなかったが。
 血が昇りきって飽和した頭に耐えかねて、海堂は自分から相手に口付ける。目の前にある首筋にそのまま唇を寄せ、僅かに浮いた汗を舐めとった。じんわりと口の中に広がる塩気に何か感じるトコロがあって、海堂はそのまま舌を止めない。
「う……わ、海堂…」
 うめくように乾がつぶやく。喉元で柔らかく動く濡れた感触とか、舌の辿ったあとに掛かる熱い息とか、自然に耳につく『ぴちゃり』の音とか。そんなものが海堂から生まれているというコトに乾は酷く翻弄される気分だ。彼からのアクションが唐突でとても読みづらいのはいつもだけれど、どうしようもなく自分を煽ってくれる――一挙手一投足に目が離せない。まるで試合中のような緊張感が肌の重なる柔らかさにチリリと交じって、乾にはどうしようもない刺激になる。
「キモチイイ、けど……そんな煽ると知らないよ?」
「言ってろ、遅漏」
 直ぐ下から上目使いに見上げられてズキときた。乾はあんまりな言葉に言葉を返すコトすら浮かばない。真っ直ぐな欲に彩られた海堂はあんまりにアカラサマで、その言葉は何であれ誘い文句だ。はやく、とねだっているのは乾の喉元を動く舌と唇。
 最後の虚勢に唇で笑ってから。
 半ばまで空いた海堂のカッターシャツに乾は、武骨な手を滑りこませた。


 あさぼらけ。
 そんな単語が浮かんだのは、つい先日海堂が質問してきた古文ワークのせいだと乾は思う。
 朝の、ずいぶん早い時間に目が覚めてしまって、何となく間の悪さを感じた。ばりばりっ、と起き抜けの頭を掻いてから、隣で眠るヒトを起こさないように注意して眼鏡を取る。体を起こさずに腕だけ伸ばす無精をしたら、体中アチコチでバキポキと音がした。直ぐ近くの騒音に眉をしかめはしたものの、海堂は起きる様子もなかった。
 乾は輪郭のおぼろげな視界で辛うじて起こしていないコトだけ確認してから、昨日海堂に取り上げられたソレを適当に装着する。まだ大分呆けた頭とクリアに見える海堂の顔がアンバランスでおもしろい。伸ばした腕でそのまま枕に肘をつき、ぼけっと彼のプロフィールを眺めた。鋭いラインの横顔はしかし、唇だけがぽってりと曲線を描いている。少し開いた隙間から、小さく寝息が聞こえていた。落ち着いた一定のリズムが空気をまったりとしたものに換えていく。
 折角の部活のない日曜日、特にどこへ行く予定があるわけではない。昨日の疲れが大分残っているのも本当。窓の外はそこそこ明るいようだが、厚めカーテンをきっちりと閉めれば光は届かない。町もまだ生活音は聞こえてこない――スズメ、ではなくてカラスの声だけが控えめに聞こえる程度。
 乾は、くわぁ、と大きくアクビをして肘を外した。再びもそもそ布団に潜る。自分ともうひとりの体温が篭るその中は、朝のまだ少し冷える室内に晒された乾の両肩に暖かかった。
 目蓋がもとめるまま目を閉じる。但し眼鏡は装着したまま――次に起きた時は、最初からクリアな視界が欲しかったから。目を開けてすぐに恋人を確認できるのはとてもステキだと思った。

時間/設定的には表の「グアバジュース」の続き。
いちゃこらしてるお二人さんが書きたかったんですよ。
裏に回す必要があったのかは謎ですな。

20020701

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