午前零時20020511

 カチ・カチ・カチ・カチ・カチ・カチ・カチ。
 秒針が十二を回りちょうど十一時五十分。
 カチ・カチ・カチ・カチ・カチ・カチ・カチ・カチ・カチ・カチ。
 一度気につくと神経に障ってしかたない音が延々続く。ソレは至極当たり前のコト、時間が進んでいるのだから。分かっていてもイライラとするのは自分のせいだと、海堂は分かっていた。そしてイラつく理由も。
 『海堂』
 あの人が。
 人の誕生日なんか聞いてきたりするからいけない。
『いちばんに、オメデトウと言うから』
 そんな期待させるようなコトを言うからいけない。
 ニコリと微笑んであの人が言う言葉は冗談か本気か区別がつかないから。
 カチ・カチ・カチ・カチ……がち・ガチ…ぼす。
 神経を逆撫でし続ける音に耐えかねて、海堂は布団から腕を伸ばして枕元の目覚まし時計の電池を抜いてしまう。
 明日も朝錬はあるけれど、いつも目覚ましより早くに起きているから本当は大丈夫なのだ。コレは、ただの保険。そう、保険ふぜいで人の睡眠のジャマをするのがいけない。御役御免決定。
 すこし気持ちが軽くなって再び布団に潜り込む。母親が毎日きちんと干しておいてくれる(休みの日は自分でもやるが)おかげでふかふかと気持ちいい。寝室の障子を閉めたらもう眠気が襲ってくるのが何時もで。十一時には家族全員休んでいるのが普通で。普通なのに。
 時計を止めた室内は静まりかえっている。家のなかも、物音一つしない。
 それなのに海堂は酷く目が冴えている。
 枕元に置いたケータイの振動を、待っている。
 まっくらな寝室で、布団のなかで、まんじりともしないで。




 まばたきをひとつ。




 小刻みな振動。


「……っ!!?」
 くらいてんじょう。
 海堂はひゅ、と息を吸い込んで布団を剥ぎ取った。
 布団越しに感じる振動を探して枕の横をバタバタと探った、が、見つからない。
「っくしょ……っ!」
 右手においてあるナイトランプを付けようと焦るがこんな時に限ってみつからないスイッチ。その間にも震え続けるケータイに、こんなコトならマナーモードにしておくのじゃなかったと海堂は真剣に後悔した。コンセントを手繰ってようやく灯りを点ける。ぽ、と燈される照明でオレンジに照る布団。
 なかば殺気立って小さな機械の姿に目を凝らす。床に就く前に置いたのは、枕の隣。ない。けれども続く振動。
「切れるっつんだよ…っっ!!」
 立ち上がってガバ、と敷布団を捲り上げる。と、畳の上に落ちる鉛色のケータイ。海堂はぐしゃぐしゃになった寝室には目もくれずソレに飛びつく。フラップをあけるのに爪が滑る。カシ、という嫌な音がした。
「はいっ…!!!」
『海堂?こんばんは。ごめんね寝てたかな?』
 時々聞き取れないくらいの低い声。耳元で聴くと耳殻に響く。どくん、と体が鳴る感じがして海堂は生乾きの髪が首筋に張り付いているのを意識した。一度にわっときた言葉の対処に酷く慌てているのに頭の何処かが惚けている――冗談じゃなかったんだと思うとぼうっとしてしまう。
『海堂?』
「あ…だ、大丈夫っす。起きてました」
『そう?よかったよ。…息、上がってるね?』
 どうした?と柔らかく尋ねてくる乾に海堂は自分が浅い息を繰り返していたコトに気付いた。今さっきの一人大騒ぎが知られたようで頬がカッとなる。余計に息が上がりそうだ、と思った。
「そ…んなコト、ないっス。つか、何の用ですか?」
 海堂は自分の動揺を知られないように急いで言葉を返す。それに乾はちょっとの間の後苦笑したようだった。ふ、と漏れた息が海堂の耳に入る。海堂はぴくり、と体を竦ませた――本当に息が掛かったように感じて。どくどくどく、と心臓の音を嫌になる程大きく聞く。
『ちょっとヒドイくないかな、海堂』
「なにがっスか」
『つれない』
「…用が無いんなら、切りますよ」
 本当は自分から切るつもりなんかは、全くないが。電波ごしの乾の声は何故かいつもよりずっと生々しく聴こえる。静まり返ってるのがいけないんだ、と海堂はやつあたりのように夜の早い家族を憎々しく思う。あんまりに静かすぎるから、相手の声に全てが行ってしまうのだと。要点をはぐらかした下らない会話を続けていたいと思ってしまうのだと(明日も朝錬があるのに)。
『ホント、つれないなあ海堂は』
 呼ばれる自分の名前と笑う気配。故意になんだか違うんだか、海堂は感情をなぶられているようで唇が乾いてきた。電話が拾わないように静かに吐いた息がやけに熱いのはもう今更。本当に勘弁してほしい、と思いながら乾の次の言葉を待った。彼が一番に言うというから、悔しい事に期待してしまった言葉。
『海堂』
「……っス」
『14歳、おめでとう』
 おめでとう、ともう一度繰り返した乾の声に海堂は泣きそうになった。別に誕生日なんて、今まで大した意味を持つわけでもないと思っていたのに。駄目押しのように重ねられた声に息が詰まって目元が異様に熱くなった。ふ、と詰めた声が漏れてしまった。
『海堂?』
 乾が自分を呼ぶ声。だから勘弁してくれって、と海堂はケータイを強く耳に押し付けながら死にそうに思う。心臓が爆発しそう、とガラにもないことを考えた。それでも乾のいぶかしむ声を受けて必死に返事をする。
「アリガトウ、ゴザイマス」
 自分の今の顔なんて、本当に死んだって見せられないと思いながら。海堂は乱れに乱れた布団の上に倒れこんだ――相手に見えるはずもないのだが、熱い、きっと赤い自分の顔を晒していたくはなかった。また、乾の笑う気配。

『じゃあ…また、朝に』

 
 


 ぱたん、とケータイを閉じた。海堂はソレを両手に持ったまま。ぐしゃぐしゃの布団の上にらしくなくだらしなく寝っ転がって目を閉じた。
 ディスプレイの表示した時間は、午前零時五分。
 たかだか五分で死ねるんだオレ、と可笑しく思った。 

海堂薫お誕生日おめでとう。
もうソレダケだ。
ナヴァル鋼。
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