100-008:パチンコ





 パシン、と軽い音をたてて赤い空き缶は凹み、そしてバランスを崩してコンクリートの土手から川原に落ちる。敷き詰められた小石にぶつかり赤い缶がカツと鳴った、その音だけを聞く。カツカツカツ。
「あ、上手い」
「だろ♪」
「なーんでこんな小さいの当てられるんだー?」
 テニスボールならオレのが全然上手にコントロール出来るんだけど。深司は汗で額に張り付いた髪をかきあげながら、ボソボソと呟く。いい加減慣れたはしたけれど、一々癇に障る彼の言葉。一瞬ムカッとして後ろを振り向けば、長い髪の影から見える頬には派手な治療のあと。いささか暗めだが落ち着いた容姿の深司に不似合いの大きな絆創膏に、アキラはニシャっと笑ってしまう。その拍子、切れた口の端が痛んだ。
「った……」
「なにやってんの」
 冷ややかに馬鹿にした声。こんな時にばかりハッキリ聞こえて、神経を逆撫でることこの上ない――それにいちいち怒るから、深司が面白がるのだということにも気付かずに、アキラはじとりと深司を睨みつける。
「…同情してくれたっていーじゃんよ」
「自業自得でしょ。自分で自分の傷口ひろげたんでしょ。アキラ、マゾ?」
「ハァ!?っ、……………………いたい……」
  あんまりな言葉に思わずアキラは声を張り上げた。三年に頬を殴られて切れた―深司と違い上手く体を引いたので、腫れあがりはしなかったのだが―傷は、こんな調子で昨日からちっとも良くなっていなかった。同じ三年の拳をまともに食らってしまった深司はしかし、日ごろの鉄扉面が幸いしてか、頬の腫れは昨日よりずっと引いているように見えた。アキラはそれが、嬉しいのだか悔しいのだか分からない。
 アキラは悔し紛れに手の中の、二股の木の棒に輪ゴムをくくりつけた簡単な玩具をもてあそぶ。桜か何かの節の立ったこの枝を拾ったのは深司だ。学校を抜け出してなんとなしに二人、連なるように歩いていた時、いつのまにか深司はこれを持っていた。輪ゴムをつけて即席のパチンコにしたのはアキラだったが。そのまま川辺にたどり着き、今に至るという訳だ。アキラはゴムに指を通してぐるぐるとそれを回した。深司はどこを見ているのか、突っ立ったまま川のむこうを向いていた。お互い無言だった。
 遠くから、断片的なチャイムの音が聞こえた。五時間目が終わったのか。自分から言い出したことなのだが、初めて授業をサボったアキラはびくりとする。昼休み、深司とふたりで昼食をとっていた。購買のパンをかじっていたら、殴られた口が痛んで、それが昨日の騒ぎを思い出させて、これから部活はどうなるのだろうとアキラはひどく不安になった。それまで元気に悪態を吐いていたアキラがふと押し黙ったのを、深司は隣で眺めていた。昼休みが終わる直前、『どこか行きたい』と言ってアキラが立ち上がったのを、深司は止めなかった。
「それ、貸して」
「え」
 アキラがぐるぐると回し続けていたパチンコを、深司は、ス、とすくい取った。上半身を折って適当に石を拾うと、先ほどから眺めていた川のむこう岸に向かって、そのちゃちなパチンコを構える。ゴムが切れるのでは、とアキラが思った程に引きしぼってから指を離した。小さな石はそれなりに勢いを持って飛んでいき、しかし向こう岸には到底届くかず川の真ん中あたりでポチャンと音をたてた。良いとも悪いとも言うまえに持って行かれてしまったアキラはぽかんとしてそれを見る。こんなもんか、という深司のボヤキが聞こえた。
「なにを狙ったんだ?」
「べつに」
 訳が分からなくて尋ねるアキラに、深司はパチンコを彼の手の返しながらつれなく応えた。そのあとで、ただ、とポツリと続ける。
「あっちに届いたらいいなあって、思っただけ」
 深司はなにも示さずにあっち、と言った。一義的には川の向こうを指すはずのその言葉は、アキラには何か違うことを指しているように思えた。そしておそらく、この考えは間違っていないだろうという妙な確信があった。しかし深司はいつものように顔を伏せていたので、確認することは出来なかった。
「そっか」
 その言葉を軽く受けて、アキラは学校の方向へ足を向けた。ゆっくりと歩きはじめても、深司は何も言わなかった。ただ後ろについて歩きはじめた。
「五時間目、何だったっけな」
「音楽だよ。でも先生の都合で休みって、先週言ってたでしょ」
「マジで!?知らなかった」
「オレがアキラなんかに付き合って授業さぼってあげる訳ないじゃない」
「うるっせーな!え、でも、六時間目は?」
「代数。走れば間に合うでしょ。オレは行くから、アキラは好きにしたら?」
 言うなり深司はサッとアキラを追い抜いた。長めの髪と白いガーゼがアキラの目の端を通り過ぎる。とっさにアキラは訳が分からず、学生服の後ろ姿が二十メートルほど先をいった所で我に返って追いかけた。追いついて抜かしかけようとした時、手のひらにあったはずのパチンコは何処かにいってしまっていたのだが、アキラはそれに気付かなかった。深司だけが、チラリとそれを確認して笑った。終礼がおわったら橘さんの所に行こう、と上がった息で喋るアキラに頷く。
 アスファルトの歩道を走りながら、さっきまでの妙な暗さはもう二人にはなかった。



かなり放置していた100題をひさびさに。
不動峰伊武・神尾一年クーデター直後の設定。なんかこっぱずかしい。20030613

配布元:Project SIGN[ef]F
http://plaza22.mbn.or.jp/~SignF/
配布場所:Project hound[100]red
http://plaza22.mbn.or.jp/~SignF/100tex/frame_ss.htm


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