100-006:ポラロイドカメラ 手塚は、機内持ち込みにした荷物を上にあげてしまってから、いちばん窓際の座席に腰を下ろした。座席に深く沈みこみ、ガイダンス通りにきっちりシートベルトを閉めてからそして、撮ったばかりの写真をジャケットから取り出す。画面が隠れたままのそれから、丁寧にフィルムを剥がした。 現れたのは、今はまだ暗い画面。その中から、ジワジワと浮かび上がってくるのは緩い弧をえがく口元、細くたわませ笑った目。すこし長めの髪、白いカッターシャツ。背景には、今手塚自身が乗る、この機体。 彼の特徴ある、いってしまえば少女めいた容姿が少しずつ現れてくるのを、手塚は嬉しいような、切ないような気分で眺める。 『本日は当機にご搭乗頂きましてありがとうございます、当機は羽田発宮崎行き、離陸予定時刻は17:50です。皆様ご着席のまま、もうしばらくお待ちくださいませ』 手塚の手のひらで徐々にクリアになっていく彼のすがた、笑顔。 この顔で今、この機体を見上げているのだろうかと、手塚は傍目には解らないくらいほんの少し、綺麗な顔を歪ませた。 それは、僕にも、誰にも、見せないで。 君だけが見る、君だけの世界なのだから。 ―その、君の世界の中の僕を、忘れないで? 「や。」 「…………………………なんだ」 「あー、ヤダな手塚。 少しは驚いてくれなくちゃ」 つまらないよ。不二はそう言って、とても楽しげに笑う。しかしつまらない、と言われた手塚にしてみれば、その時この上なく驚いていたのだ。それはもう、左右に慌てて目を走らせ、自分のいる場所を確認してみたほどに。もっともその行動も、他人には分からない程度の小さな動作だった。 しかしそれでも、不二は分かっている。だから彼はとても楽しげに。 「『なんでオマエがここにいるんだっ!?』って言ってみてよ手塚」 「…なんでオマエがここにいるんだ」 「ホント言うし。 でもさ、感嘆符と疑問符が足りないよ手塚」 「性格だ」 「へえ、自覚はあるんだね手塚。 知らなかった」 ニコニコ、笑いながら。不二は搭乗ゲードの直ぐ脇にある、待合場のソファに座っていた。手塚は航空券を持っていることを確認され手荷物と身体の検査を受け、それからこの搭乗ゲートまで歩いてきた。不二と見送りの皆とは先ほど、チケットカウンターの前で別れた。不二もなかなか感動的な台詞を言っていたように、手塚は思う。 それゆえに、混乱したし、はぐらかすような不二の言葉に少し苛々する。それを腹の内にぐっと堪えて、手塚は言った。 「……何をしに、ここまで来たんだ、不二」 「やっと名前を呼んだね、手塚」 冷めて淡々とした声。しかし、それをものともぜずに不二は笑う。今までよりもずっとにっこりと、本当に嬉しそうにだ。不二はいつも笑っているが、感情をあらわにして笑うことは珍しい。もちろん手塚がそんなことを分かっていた訳ではなかったが、幼くさえある不二の笑顔に毒気を抜かれ、どうしたら良いのか分からなくなる。 「手塚、座らないの?」 「搭乗、しなければ」 「搭乗手続き、始まってないよ。 それに、ファーストクラスの客から乗り込ませるから、まだ結構時間あるんだよ手塚」 全面ガラス張りのバックを背に、逆光を受けながら不二は向かいのソファを指し示す。手塚がおとなしくそこに腰を下ろすと不二は、はい、と、銀色の、重い、手塚の両手にちょうどくらいの機械のようなものを手渡した。今まで不二が膝の上に乗せていたのがその固まりに体温を移していたためか、手塚は訳が分からないながらもそのメタリックな物体に温もりを感じる。これは、と手塚はレンズ越しの目で問いかける。不二はいつもの感情を窺わせない笑顔に戻っていた。 「それはねえ手塚、ロボコップ。似ているだろ?」 「知らん」 「ポラロイドカメラなんだ。なんか、懐かしい感じでしょ? ねえ手塚、それで、手塚が僕を撮ってよ」 不二がすっと手を伸ばし、手塚が持つカメラを弄る。カシャン、と軽い音がしてレンズがストロボが現れた。 「で、手塚。撮って」 「オマエはこのために、ここまで来たのか?」 「そうじゃないけど、そうとも言えるのかな。 とにかくさ、撮ってよ手塚」 笑っているのに、切羽詰ったような、余裕がないような。いつもの不二とは少し違った様子に、手塚は面食らった。そして、こういう不二は見ていたくないな、と思う。だから手塚は不二の言葉に従った。何も言わないで、カメラを構える。 レンズ越しの不二は、ほっと笑ってくれていた。それに、手塚もほっとした。 鋭い作動音。パアと、光が走る。 「この中には、いま君が見た僕がいるよ、手塚。 君しかしらない僕の時間が、この中に縫いとめられているんだ」 不二は写真が好きだ。手塚はそのことは知っていたが、不二がどう思って写真を好んでいたのかは知らなかった。不二は手塚からカメラ本体を受け取って、今度は出てきた写真を手塚に手渡す。 「これは、これだけしかないんだ。 ネガもデータもない、これだけのものなんだ。 だから、君に持っていてほしいんだ、手塚」 機械を通って暖かい長方形の紙。これに不二がいるのか、と、手塚は紙片を見つけた。 「ねえ手塚。 僕はこれだけ何度も君の名前を呼んでも、不安なんだ。 君が居なくなることは、とても不安だ、試合のことも、それ以外でも」 不二はそこで一度、言葉を切った。あいかわらず笑ったまま、手塚を見上げる。手塚は不二が何を思っているのか分からなかったが、渡された写真はとても大切だと思う。 「だからさ、手塚、僕を忘れないでよ」 「ああ」 手塚は、不二の不安が分からなかったけれど。 それで不二がちゃんと笑うなら、自分だけがこの写真をもっていようと思った。 100題六つ目。 カメラといえば不二。不二といえば手塚。手塚といえば旅立。 不二が搭乗口に居れるのは由美子さんがアテンダントだから(マイ設定)。 20030301*ナヴァル鋼 |
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