100-002:階段 僕らはガラスの階段を登る 強く 優しく 守ってくれる あたたかい靴など とうになく 弱い 柔い 足裏で 一段 足を踏み出すごとに もろいガラスは ピシリと割れて 僕らの皮膚を つきやぶる 赤い 赤い 血のしずく 空をポタリと 垂れていく 痛みをおして 駆け登る そして突然 ガラスは消えて 僕らは地上へまっさかさま みんな、分かってるのさ 「……なに?海堂」 始まったばかりの放課後。不二が掃除当番の英二を捨てて、いつもより早めにきた部室には、すでに先客アリだった。一番遅くに帰るのは知っていたけど、一番早くに来ているとは知らなかったなあ。と、短く目礼する後輩に声を掛け、あとはお互い無関心に着替えやら雑事やらをこなしていた時だった。 タタタタタンタンタータターン、タタタタ、タタタタタータ… ふたりきりではスペースのあまる室内に機械仕掛けのメロディが鳴り響く。グリップを巻き直していた不二はその音に、バックの底からケータイを引き摺りだす。手馴れた仕草でプラスチックのフリップを開き、軽く笑ってまた直ぐ閉じた。 たったそれだけの行為、そのこと自体は何の意味も含みもないことだ。しかし、不二は手元に、強い視線を感じた。そして静かに振り返る。しまいかけたケータイを示すように振ってみせ、無自覚にだろうじっと見つめてくる海堂に笑いかけた。 「何か、気になるかな」 「あ、や、……スイマセン」 うろたえシドロモドロになって、海堂は頭をさげる。普段は呆れるほど強気なのに、時々この子はとても幼いから面白い。不二は笑いかけるのとは違う、滲み出る笑顔で海堂を見あげた。自己表現が上手く出来ない子供はそんな自分が恥ずかしいのか、俯いたまま耳の後ろを赤くしていた。 本当は。本当は、海堂が何を思って着信音に反応したのかなんて、不二にはよく分かっていた。だから。 「すこし、ほだされてあげようか?」 「え?」 下げていた視線を少し戻し、上目遣いに相手と目をあわせて聞き返す。かみ締めていたのか海堂の下唇は赤くなっていて、不二には可愛いとも情けないともつかなくてただ笑った――つい最近ようやく関係を修復した、弟を思い出す。 「いまのメールは、姉さんからだから、違うんだけどね。 手塚はね、みんなのこと信頼してるよ」 「……」 海堂が気にしていたのは、不在の部長。海堂、というよりむしろ部員の誰もが気にしていることだ。治療のため突然戦列を離れた手塚の空白は、部全体に強い違和感を与えている。そのため、三年の主だったところ、つまり手塚と個人的な連絡を取ることが出来る面々は、何かにつけて彼の近況を部員たちに知らせるようにしている。軸を失った部員たちが、不安になることのないように、だ。 「でも、傍にいられないことを、残念がってる」 「……そッスか」 「うん。 それに手塚は、このまま部を引退することになるかもしれないね」 「え…」 不二は、笑う。 手塚が残念がっている、という言葉を聞いて、いっそう自身を鼓舞した海堂の、ほのかな笑顔を叩き潰すような言葉を言いながら、不二は笑った。一瞬で血の気が引いたような、青い少年の頬を見やって、不二は笑顔で続ける。 「本当はもう、テニスが続けられるような状態じゃあないのかもしれない。直ぐにでも何とかしなけりゃ、いけない状態なのかもしれない――手塚は、何も、言わないけれど。そうだとしたら、僕らはこれから僕らだけで全国を這い上がらなければいけないんだ」 手塚不在の強い違和感。それは今、かえって部内によい緊張を生んでいる。手塚が帰ってきた時に恥を晒したくないと、誰もが思うことで、いつになく引き締まった状況が保たれている。海堂も例外ではない。それが分かっていながら、不二は海堂の緊張をプツリと切るような言葉を言ってみた。 不二の思惑通り、海堂は眉をしかめる。キシ、と嫌な音がするぐらいに唇が引き結ばれる。それだけ見ればひどく怒っているようにしか見えない表情も、不安を押し隠すためのものだと不二は分かっていた。だから不二は穏やかに笑い続ける。憤怒形と菩薩形の、しばしの沈黙。 「今のは、本当なんスか」 「知らない」 感情を押し殺したように低く平坦な、それだけに悲痛な響きさえあった海堂の問い。それを不二はアッサリ返した。 「僕はそんなこと、知らないよ」 「…………じゃ、なんで」 「知らないけど、ありうることだからだよ」 なんでそんなことを言った。当然肯定されるものと思っていた海堂が拍子抜けして力なく聞き返した、その言葉を奪うように不二は言った。海堂の目を正面から見つめる。口元は、笑ったままだ。 「手塚は戻るかもしれないし、戻らないかもしれない。誰にも分からないんだ。それを海堂に分かっておいてほしい」 不二はいったん言葉を切る。そして、困惑しながらも、何か大事なことを言われているのだと、おぼろに感じるらしい海堂を、上から下まで眺めやる。苦笑するように微笑まれ、海堂は、自分よりも小さな先輩に、ずっと上から見下ろされている感覚を味わった。 「もし手塚がもう部に戻らないとしたら、僕らは手塚に同情するよりも早く、戦力面での痛手を嘆かなければいけない。今まで手塚がどれだけ凄かったか、とか、どれだけ部のために頑張ったか、とか、そんなことは関係なくなってしまうんだ。分かるよね?」 「……ッス」 「それは、海堂だって、僕だって、同じなんだ。いつ、どんな事態が起こるかなんて、誰にも分からないし、何か起こっても、誰にも哀れんだりはしてもらえないんだ。 ……そのことをね、分かっておいて欲しいんだよ」 いつか来るその時に、きみが泣き叫んだりしないように。 僕らはガラスの階段を登る ただひたすらに 自分の意志で 流れる血も 痛みも 苦しみも 地上に叩きつけられるその瞬間も ただ全ては 自分の選択 高みを望んだ 自らが作った ガラスの階段 100題2つ目。 さっそく苦しいなあ。 ちなみに不二の着メロは 「おとなの階段のーぼるー きみはまだー シンデレラ さ」。ネタバレ。電影少女の影響もちょっと。 20030219*ナヴァル鋼 |
配布元:Project SIGN[ef]F
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配布場所:Project hound[100]red
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