100-001:クレヨン(乾海) 疲れた体を足を、ひきずるようにゆっくり歩く。 ふたりならんで、ゆったり話す。 たとえばオレのは、力任せに描いていたせいで半ばで折れているものが殆どだったし、色の好き嫌いも激しかったから、昔大好きだった群青やオレンジは指のさきで挟むようにしなけりゃ持てなかった。最初に入っていた通りにしまったことなんかも、一度もなかったし。 その点、お前のは綺麗だっんだろうと思うよ。部屋も綺麗だし、なんたって真面目だし。ベタベタの芯を素手で握って両手をぐちゃぐちゃにしてた、なんてこと、絶対なさそう。 穏やかに笑いながらそう言った、ひとつ上の先輩の横顔を、海堂は静かに見上げた。そうして小さいころの話を楽しげに続ける乾をぼんやりと見やりながら、ああ、このヒトに兄弟はいないのだっけ、と、染み渡るように思う。 オレはその辺のもの写生―ってもま、ガキの絵だったんだろうけど―するのが好きで、いっつもグイグイ描いてたらしいよ。んで、そこら中に画用紙散らばして。あんまり覚えていないけど、母親に怒られてたのだけば覚えてるんだ。 むかしっから、ホントのものが好きだったんだ、と今の自分を確かめるように呟くデータマニアは、その画材や絵を理不尽に壊されたり捨てられたり引き裂かれたりしたことは、なかったのだろう。世界は絶対の法則のもとにあると、小さなことから、信じて、これたのだろう。 それはとても幸福なことだ。 海堂は、ときおりコチラを見下ろしては「お前は?」と聞きたがる乾が、ひどく子供っぽいことに最近、ようやく気付いた。同じようなものッス、と適当に答えて話の先を促すたび、乾は少し物足りなさそうにしたが、それでもじっと話を聞いてやっていると彼はとても楽しそうだ。そのようすに、海堂もじんわりとする。海堂自身よく分かってはいないが、楽しいという、幸せなのだということだろう。 実際、海堂には三つ下の弟がいるから、乾のように道理だけを覚える幼少時代はおくってこなかった。ある日突然母が未知の物体に掛かりきりになったことをキッカケに、大切なものは壊される、とられる、それに怒れば叱られる、という世を拗ねたくなるような現実に直面した。幼稚園年中のある日幼い弟が熱をだして母がつきっきりとなり、園までの15分の道程をひとりで行かねばならなかった。その時の恐怖を14の今でも、海堂ははっきりと思い出すことが出来るのだ。根性がすべて、という彼の信念が生まれたのも、この4つの時の経験からかもしれない。 オレのは、居間に放っておいた間に葉末が全て折ってしまったからいつも使うのがとても骨だったし、オレの好きな色に限って葉末は掴んで放さなかったから、嫌いな色ばかりが箱のなかに残っていたんです。 使ったものをすぐ片付けるクセがついたのは葉末に触らせないため、両手をぐちゃぐちゃにしたことがないのは汚れた手で弟に触ると母がヒステリックに怒ったため。 幸せな自覚のない幸せな幼少時の思い出を語る乾を見上げて、海堂は無表情のまま、すこうし苛々すしていた。幼い自分が幼いなりに悩んでいたころ、彼が無頓着に幸せだったことは何となく面白くない―今、自分が彼に頼り切っていることを考えるとさらに。乾が自分に何か言葉を求めているのを知っていても、何も言わないのは、だから、ささやかな意趣返しだ。 しかし、それでも。 それでも今の海堂は、今の乾が好きなのだ、認めるのは悔しいが。好きだから、小さい頃の乾が幸せなのは、嬉しいと思う。理詰めの彼を子供だと思っても、それが好きなのだから救われないと海堂は下を向いて笑った。 「なに?海堂」 「いいえ」 群青の画用紙に、オレンジのクレヨンを力任せに擦り付けたような。 冬の6時の帰り道。 100題にチャレンジ一作目。 全部乾海に出来たら、いいなあ(ムリっぽ…)。 20030218*ナヴァル鋼 |
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hound[100]red
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