>>>子供達に夢を!

         

社会を見る一つの物差しとして『次世代の生活をいかに安定したモノにして行くか?』と言う要素は大きい。大きいと言うより詰まるところ、人間に限らずすべての生物はその為に生きてると言っても過言ではない。種族保存のため自分の命を犠牲にしてもいとわないと言う生物もかなりいる。
『個』と言う存在を考えても、『個』自体も親という『個』の存在がなければ当然成り立たないものであるし、祖先の一人でも欠けたら、あなたも僕もこの世に存在しないのは明白な事実であろう。
我々東アジアに住む民族も『儒教』的考えによって、長くその『道徳観』は守られていた。
僕の知る範囲で恐縮なのだが、キリスト教しかり、イスラム教しかり、ユダヤ教、ヒンズー教、仏教、また多くの哲学は解釈のしようにも依るが 、人に生きていく指針を説いたモノである。その中に正しいか間違ってるか等という基準は無い。

人間一人が、生きる時間なんて短いモノだ。しかし、その間に前に進むか後ろに進むか、右か左か?多くの決断を迫られるのも人生である。その為の指針として補佐的に先人の考えを取り入れるのも必要なことだ。

僕自身も多くの日本人同様無宗教である。ただ、誰に教わった訳でもないと自分では思っているのだが、自分の軸足だけは持っている。しかし、よく考えてみると、いろんな人が生き方の手本を見せてくれたのだ。小学校の時の柔道の師範。学校の先生など、親は言うに及ばずだ。皆、決して口うるさく自分の生き方を押しつけるわけではなかった。
その方々の多くは『自らの生き方 』を背中で見せ僕に教えてくれた方々だ。
そして今、立場は『自らの生き方』を見せる立場となった。
僕は年輩の方々との付き合いを大事にしている。確かに玉石混同の感はいとえないが、捉え方によっては、大いに参考になる。
僕自身は印刷学問や暗記学問は大嫌いだ。いや、正確には学問とは実践して、それをいかに体得するものであり、その補佐的役割の為に印刷学問が存在すると思っている。

現代は、僕の考え自体が古いものであると思う人も多いであろう。僕自身も手段としての方法論は、柔軟であるつもりだ。しかし、目的は至って単純。実践を通じて次世代に夢を与えること。それは言葉に置き換える事は出来ないモノだ。そこに崇高なモノがあると信じている。僕は自分の子供と人の子供を区別しない。悪いことをすれば他人の子供もきっちり叱る。もちろん世界中の子供も僕にとってそして、我々にとって共有の財産だ!何よりも大事な存在である。

子供達に『夢』を与える為には自身の『夢』を具現化する作業である。それを避けてはいけないのだ。大人とは自由の権利と引き替えに多くの義務があることを次世代に見せるのが大事である。ツケを彼らに回すなどもっての他だ!

 

 

  

 
 
 
 
これは最近の僕のフォトシリーズ
【好奇心】
ただ子供達にレンズを覗いて貰うだけなのだが、【どうなっているんだろう?】彼らにとってはまるで謎の世界を覗くように見つめる。子供のピュアな感性に僕の方が驚くことも、しばしば!子供から学ぶべきモノは多い!
                           

>>>友よ静かに眠らせない!

         
あれは2年前のクリスマスだったね。君に頼まれて日本では東京にしか置いていない、クリスマスプレゼントの腕時計を地元の友人の為に、何本か六本木に買いに行ったのは。あまりに本数が多いんで、スイスの在庫を急遽輸入して貰うことになったんだよね。クリスマスも間近に迫った頃、君に頼まれてた本数が全部揃って『送ろうか?』と電話したら『お前の顔を見たいから東京へ今から行くよ!』と中央高速を飛ばして、いつものホテルのBARで落ち合ったのは。『たんげにも一本プレゼントするよ』と言われ『僕の趣味じゃないし、貰うゆえんもないからいいよ』と言った僕にニヤリと微笑んで『お前はそう言うと思ってた』と言いながら『お前にはこれが似合うと思ってサザビーで競り落とした』と言ってくれたのが、日本には一本しかないハミルトンのアンティークの腕時計。『こんな高価なモノ貰う筋合いはない』と言った僕に『友達の証だ!受け取れ、その代わりお前の描いた絵を店に飾りたい。ゆくゆくはお前の絵で店を埋めたいと思ってる』と言った君。結局一作しか描けないで他界してしまったね。

君が他界してから仲間はみんな変わったよ。キリスト教徒でもないのに毎日曜教会に行ったりする友人もいる。改めて君の存在の大きさに驚かされる。
僕は変わらない。それが君との約束だし、僕は僕でしかない。

『ダンディズムとは精神的貴族を指す』そして、僕の精神は変わらない。

天国でハラハラしながら、これからの僕を見守ってくれ!迷ったときは助言してくれ!君の肉体は今年5月に天に召された。しかし、僕の中では君は生き続けている。まだ、君に静かに眠って貰うわけには行かない。

君も『安らかにお眠り下さい』などという社交辞令を、僕の口から聞きたくないはずだから!
 
 
 
 
         
         
         
         
       

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