1996年・JFL
JFLデビューと同時に今ではすっかり生活の一部となった川崎や等々力のデビューとなったこの年。初年度はいきなり8試合も観戦していました。しかも、初観戦試合から6試合目までは全てVゴールと、内容の濃い試合ばかり見ていました。 |
JFLは福岡と京都がJリーグに昇格し、新しく大分FC(現大分トリニータ)と日本電装(96シーズン途中からデンソーに改名)の2チームが加わり開催された。 |
5月5日、札幌
vs コスモ四日市 (町田市立陸上競技場) 東芝が札幌に移転した初年度、野球の日本ハムが旧ホームスタジアム東京ドームで数試合公式戦を開催をした様に、移転1年目には札幌も関東でホームゲームを2試合開催した(それまで東芝は川崎がホームだった=等々力もよく使っていた)。 試合結果: 札幌 1(Vゴール)2 四日市 |
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6月13日、富士通川崎
vs ブランメル仙台 (等々力陸上競技場) 私の川崎デビュー戦(&等々力デビュー戦)。この時期は平日にサッカーに行くという意識は全くなかったのですが、有名な選手のいるチーム(札幌、神戸、鳥栖)との対戦は終わってしまっていて最後に残った仙台(リトバルスキー)もこの日に開催ということで行く事に決めた試合(当時は富士通川崎に興味がなく、他の有名選手を見たかったというミーハー的思考でスタジアムに行きたいと思っていたため)でした。こういう状況でなければ、この試合が等々力デビュー戦でもなければ、フロンターレファンにもなっていなかったかもしれない。 試合結果: 富士通川崎 3(Vゴール)2 B仙台 |
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6月23日、富士通川崎
vs 福島FC (等々力陸上競技場) 当時のサッカー観戦目的であった有名選手はいませんでしたが(厳密に言えば、富士通のパウス(元磐田)と福島の鋤柄(元V川崎&アデランスCM出演)の二人がいた)、日曜日だったので行った試合でした。でも、こういう注目度の低い試合に行ってしまうと、いろいろなJFLのチームと試合を見てみたくなるものです。そう考えるとJFLに興味が湧き始めたきっかけとなった試合だったのかもしれません。 試合結果: 富士通川崎 1(Vゴール)0 福島FC |
6月30日、東京ガス
vs ヴィッセル神戸 (町田市立陸上競技場) 神戸が町田に来る!ということで行きました。さすがに注目度も高く、公園の回りは警備員がたくさんいて、車もスムーズに通れないような状況でした。その影響で、キックオフ時間には間に合わず、試合途中からの観戦。 試合結果: 東京ガス 2(Vゴール)3 神戸 |
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8月18日、富士通川崎
vs 甲府 (等々力陸上競技場) はじめてバックスタンドで観戦。この頃はスポンサー看板がなく、見やすかったことを覚えています。そして、初めて自分がオーロラビジョンに映るという経験をしました。 試合結果: 富士通川崎 3(Vゴール)2 甲府 |
9月29日、富士通川崎
vs NTT関東 (町田市立陸上競技場) 行ったことある人はわかると思いますが、町田の競技場は山の中にある上、非常に交通の便が悪い。しかし、なぜかサッカーの試合には比較的よく使われる。この年もJFL3試合目(全てホームチームが違う、国立の様な異例の競技場)。懲りずに私も全て参戦。 富士通サポーターがメインスタンドにいたため、初めて応援歌を間近で聞いた試合でした。相手のオフサイドをとった時の応援歌(?)は印象的で、今も覚えています。 試合結果: 富士通川崎 2(Vゴール)1 NTT関東 |
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10月11日、富士通川崎
vs コスモ四日市 (等々力陸上競技場) 富士通の等々力ホーム最終戦。メインスタンドでパウス選手が夫婦で観戦していたことを覚えていたくらいで、この試合について、インパクトのあることもなくコメントが全く思いつきません…。 試合結果: 富士通川崎 2−1 コスモ四日市 |
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10月20日、富士通川崎
vs 本田技研 (駒沢陸上競技場) この日は高校の2学期中間テスト際中の試合だったんですけど、首位を行く本田技研が見られるということで教科書を持って見に行った試合でした。記録によると後に日本代表にもなった呂比須ワグナーが出場しており、決勝のPKも決めていました。そんなことは気にもとめていなかったので、覚えていませんでしたが、目の前にそんな選手がいたということは実におもしろいです。そこで、私の写真を見返して見ると、ありました。一枚だけロペスが写っている写真(右写真)…。この写真じゃわかりづらいかもしれませんが、原本ではロペスだと確認できます。 試合結果: 富士通川崎 1−2 本田技研 |
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96年JFL、関係記事
朝日新聞、1996年10月28日朝刊
神戸Jリーグ昇格&JFL最終順位