東急の軌道線の車輛

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デハ200型更新デハ300型

東急の軌道線について(Feb 9, 2008.)

現存する東急の軌道線は三軒茶屋(さんげんぢゃや)=下高井戸(しもたかいど)間の世田谷線のみで、この路線はかつての玉川線の支線です。玉川線と言うのは元来、天現寺橋(てんげんじばし)=渋谷(しぶや)=三軒茶屋(さんげんぢゃや)=二子玉川(ふたこたまがわ)=溝の口(みぞのくち)、と言う路線でしたが、天現寺橋=渋谷は東京市に売却し、二子玉川=溝の口は戦時中に大井町線に編入しています。結局は最後に残った渋谷=三軒茶屋=二子玉川の本線と、二子玉川=砧本村(きぬたほんむら)間の支線、三軒茶屋=下高井戸間の支線の3路線体制で営業を続けますが、東京オリンピックに伴う首都高速道路の建設や、道路渋滞に伴う乗客離れなどとの兼ね合いもあって、三軒茶屋=下高井戸間の支線を残して幕を閉じます。

支線区の二子玉川=砧本村間と、三軒茶屋=下高井戸間はどちらも専用軌道を持っていますが、盲腸線とも言うべき二子玉川=砧本村間は、それ単独では営業を維持できるだけの規模が無いからなのか、この路線は玉川線本体と運命を共にします。砧本村が終点でなくて小田急線の喜多見や和泉多摩川付近まで路線があれば残存した可能性もあったのでしょうが、僅か2.6kmの路線では如何ともしがたい処でしょう。ましてや、二子玉川で接続する大井町線・田園都市線は1067mmゲージ・1500Vであるのに、たった2.6kmの砧支線だけが1372mmゲージ・600Vでは余りにも厄介です。いずれにしても溝の口を経由して横浜市内へ向かう線路を建設する段階まで来てしまっては、砧支線を改軌・昇圧して大井町線・田園都市線に接続する、と言う可能性は最初から無かったも同然だと思われます。

もう一方の三軒茶屋=下高井戸間の支線は路線延長が5km程あり、世田谷線と名を変えて現在に至ります。路面電車を散々廃止し続けていった挙げ句に、残ったのは専用軌道を持つ路線だけで、それも併走するバス路線が無い区間のみだったと言う点では、都電荒川線と状況は良く似ています。道路が狭くて有名な世田谷区内で5kmも路線があって、併行するバス路線が無くて、両端を含め3駅で別の鉄道への乗換駅を持っていれば、営業的にはそこそこの処まで行けて当たり前です。

実は現在、玉川線が運転されていた当時とほぼ同じ路線を走る東急のバスが運行されています。地下を走る田園都市線と比較すると定時性や速達性と言う点では全く適いませんが、その反面、単なる路線バスなのでバス停間隔は相当に密です。行き先によっては田園都市線に乗るよりも、玉川線の後身とも言うべき路線バスに乗った方が遥かに便利な場合は幾らもあります。ましてや、東急バスの定期券は1枚買えばどの路線でも乗ることができます。例えば、田園都市線の駅に出るための東急バスの定期券を買えば、同じ定期券でそのまま田園都市線に併走する別のバス路線に乗車することが出来ますから、実質はタダで乗車できるとも言えます。

そのような事情もあって、渋谷駅から東急バスに乗って田園都市線の駅(の最寄りバス停)で降車する乗客と言うのは幾らもいます。例えば渋谷始発の東急バスに乗ると、池尻大橋駅や駒澤大学駅の最寄りのバス停で下車する乗客がかなりいます。ちょっと位田園都市線の方が早かろうがなんだろうが、あの混雑と、地下鉄特有の乗り降りの不便さを考えると余分に時間が掛かるにしても路線バスを選ぶ乗客がいるのは当然のことです。何よりも、渋谷駅から夕方下りの田園都市線に乗ろうとしても着席することはほぼ絶望的ですが、バスの方は渋谷駅始発なので1本見送れば確実に座れます。何を好きこのんで、電車なんかに乗るものか(笑)。

車輛は一貫して、やや大振りの軌道線タイプ、と言いますか、路面電車の延長線上のものでしかありません。個々の車輛を見ると中型ボギー車中心ですが、玉川線の末期以降はボギー車2輛連結・2車体連接車で「連結二人乗り」をやっていますので、大雑把に普通の路面電車の2倍の輸送量があります。「連結二人乗り」と言うのは、「2輛“連結”して運行していて、乗務員が“2人乗”っている」と言うことです。乗務員の人数なんか殊更明示しなくても良さそうなものですが、連接車のデハ200型デハ300型以外は全て非貫通車なので「どっちの車輛にも乗務員が乗ってます」と言う程度の意味合いなのかも知れません。

デハ30型:10輛製造され全車廃車(July 3, 2000.)

旧・二子玉川園に保存されていた頃のデハ34。1970年(昭和45年)頃撮影。

この車輛は30型としては二代目です。初代は玉川電気軌道の木造2扉車で後に鋼体化されて70型を名乗り、さらに改番されデハ60となります。この二代目デハ30は昭和2/1927年製の軌道線用2扉車で、玉川電気軌道としては最初の鋼製車のようです。後に車体を延長し3扉に改造された為に、1段下降窓である点を除けば外観は後継のデハ40型に良く似ています。この写真は二子玉川園で保存されている車輛を撮影したものですが、廃車の時期が比較的早かったのでビューゲル装備のままで保存されています。

デハ60型:5輛製造され全車廃車(Apr 29, 2001.)

東京急行デハ63。1970年(昭和45年)頃、東急砧線二子玉川園(ふたごたまがわえん)駅にて撮影。

1925年(大正14年)に日本車輛と田中車輛で製造された、玉川電気軌道の31〜35が前身で、最後の木造車です。この車輛は2扉ですが、同じ年に製造された36〜45の10輛は3扉で、こちらは後に更新され80型となります。60型になった方の31〜35ですが、1939年(昭和14年)に川崎車輛で半鋼製車体を新造、後に台車をデハ40型のものと交換したものです。

デハ60になった直後の車体形状はデハ70型の更新前と良く似ていますが、デハ60の方は前後の扉が2枚引き戸になったりしたために、類似性は薄くなりました。砧線廃止の際に花電車として走ったのもデハ60型です。

この写真では自連側が写っていますが、反対側はラッシュ時のみ同型車を増結するように密連が取り付けられています(砧線は混雑時2連、閑散時は単行でした)。

デハ70型:全8輛製造され全車廃車(Feb 7, 2004.)

東京急行デハ78+デハ77の2連の写真、手前が三軒茶屋寄りのデハ78です。1999年(平成11年)1月撮影。

1942年(昭和17年)頃から製造された車輛で、当初はデハ60型と良く似た外観で、正面は3枚窓の両運転台車でしたが、後に車体更新を受けた際にデハ80型に良く似た変則正面4枚窓の片運転台車となりました。

それでもデハ70型は乗降扉が1枚引き戸のままでしたので、側面を見る限りは60型よりは原形を保っていました。

固定編成では無い筈ですが、世田谷線では奇数車が下高井戸寄り、偶数車が三軒茶屋寄りの2連編成を組み、全車輛ともにパンタグラフは下高井戸寄りでした。路線がほぼ東西に敷設している関係上、前パンの勇ましい写真を撮ろうとすると、午前中は必ず逆光になってくれる嬉しい?路線です。

東京急行デハ75。1999年(平成11年)1月、東急世田谷線上町(かみまち)駅にて撮影。

連結面側から見たデハ75。ご覧の通り、非貫通・2枚窓です。ちょっと見るとデハ150を古くした?ような外観ですが、連接車のデハ200デハ300以外には、中間が貫通している車輛はありません。

交換済みの東京急行デハ76の台車。1999年(平成11年)1月、東急世田谷線上町(かみまち)駅にて撮影。

最末期には右の写真のような台車に交換されカルダン駆動となります。戦前製の半鋼製車に随分と思い切った台車を履かせたものですが、その台車はデハ300系に転用することが前提であったようです。

デハ80型:全28輛が製造され全車廃車(Feb 9, 2008.)

上町駅付近を走行中の旧玉電色に復元された東京急行デハ81+デハ82。手前がデハ82。

1949年(昭和24年)に6輛新造し、後に木造3扉車のデハ20型の車体更新などで増備されました。その内の4輛は江ノ島電鉄に譲渡されて600型となりましたがこちらも全車廃車、1輛のみ出戻ってきて宮坂(みやのさか)駅横に展示されています。元々は3扉の内の前後2扉はステップ付き、中央扉は折り畳み式ステップでした。結果として、江の電から出戻ってきた車輛が一番原形に近いと言うことになります。

デハ70同様にカルダン駆動化に伴い台車が交換されましたが、元々は汽車会社製のブリル型台車を履いていました。カルダン駆動化は70型・80型自体の改造と言うよりは、300型製造の前倒しと見た方が宜しいでしょう。わずか数年のことなのに、何故そのような手間の掛かることをしたのかは定かではありませんが。

旧塗装時代の東京急行デハ104の下り側です。1970年(昭和45年)頃、東急玉川線二子玉川園(ふたごたまがわえん)駅にて撮影。 旧塗装時代の東京急行デハ85の上り側です。1970年(昭和45年)頃、東急玉川線二子玉川園(ふたごたまがわえん)駅にて撮影。

元来デハ80型は連結運転可能でありながら単行運転前提の両運転台車でしたが、連結2人乗り化に伴い大部分の車輛は片運転台化されました。「連結2人乗り」とは、2輛連結編成で、運転士さんと車掌さんが1人(=合計2人)乗務していると言う意味です。要は、ワンマンではない普通の2輛編成で2人乗務と言うことです。

上の2枚の写真のうち、ジャンパが賑やかなデハ104は下り側正面。少々こざっぱりしているデハ85の写真は上り側正面です。世田谷線では増結用・予備用として両運転台のままだったデハ85とデハ86を除けば全部の車輛が固定編成的な片運転台クモハを背中合わせにした2輛編成の運用しかなく、中間連結面以外にジャンパ栓は不要と言えるわけですが、玉川線時代には全部の車輛が両運転台クモハだったようで分割・併合のために賑やかにジャンパ線が取り付けてあります。

江ノ島電鉄601(=東京急行デハ104)。2008年(平成20年)2月、東急世田谷線宮坂(みやのさか)駅にて撮影 

上の写真の車輛は江ノ島電鉄601(=東京急行デハ104)。2008年(平成20年)2月、東急世田谷線宮坂(みやのさか)駅にて撮影 

上の写真のデハ104、元来は玉川電気軌道が最末期に製造した45号と言う木造車で、東京横浜電鉄への吸収合併に伴いデハ29となります。後に車体更新をしてデハ104になったと言うことです。後にデハ87と改番され、更に仲間3輛を含む合計4輛が江ノ島電鉄に譲渡され601号を名乗ります。その後、江ノ島電鉄に2000型が導入されると廃車され、デハ104のみは601号と言う番号のままで宮坂(みやのさか)駅横の世田谷区の施設内に静態保存されることとなりました。保存状態は、屋根がある割には余り良くないですが、一番重要なことは、世田谷線に所縁のある場所に保存されていると言うこと、これに尽きます。

江ノ島電鉄601(=東京急行デハ104)の車内。2008年(平成20年)2月、東急世田谷線宮坂(みやのさか)駅にて撮影 

上の写真の車輛は江ノ島電鉄601(=東京急行デハ104)。2008年(平成20年)2月、東急世田谷線宮坂(みやのさか)駅にて撮影 

江ノ島電鉄601(=東京急行デハ104)の車内。内部はご覧の通り、平凡な3扉ロングシートです。元来は、前後の扉はステップ付きで併用軌道用、中央の扉はステップ無しで高いホームのある専用軌道用でした。世田谷線時代は専用軌道しか走っていませんが、世田谷線は専用軌道であってもホームが路面電車並に低かったので全部の扉がステップ付きで使用されていました。

江ノ島電鉄601(=東京急行デハ104)の車内。2008年(平成20年)2月、東急世田谷線宮坂(みやのさか)駅にて撮影 

デハ104の運転台。マスコン、ブレーキハンドル、圧力計しかないごく簡素なものです。古い電車だと、この程度の装備だけしか取り付けていないものは幾らでもありますね、

江ノ島電鉄601(=東京急行デハ104)の台車。2008年(平成20年)2月、東急世田谷線宮坂(みやのさか)駅にて撮影 

台車はご覧の通り、輸入品コピー台車です。それでもこうして、リベットだらけの台車を拝むことができるのはうれしいことです。80型の中でもコピー台車ではなくて、本物の舶来台車を履いた車輛も以前は居たようです。ボールドゥイン風と言うのか、この種の台車はかなり大量に出回っていまして東京都交通局(都電)の6000型なども同じ台車を使っています。なによりも、東京都交通局にはこの台車に対するD-10と言う制式型番があるくらいです。

東京急行デハ85。1999年(平成11年)1月、東急世田谷線上町(かみまち)駅にて撮影。

80型をはじめとする世田谷線の車輛は原則は連結2人乗りですが、右の写真のデハ85とデハ86は最末期まで検査入場の代替車輛としても使われていたので、両運転台のままでした。左端にちょっとだけ見えているのが、相棒のデハ86です。

デハ150型:全4輛製造され全車廃車(Feb 7, 2004.)

東京急行デハ151+デハ152の2連。1999年(平成11年)1月、東急世田谷線山下(やました)駅にて撮影。

1964年(昭和39年)に4輛新造された軌道線用の車輛。同時期に製造された鉄道線用の7000系の影響を受け、普通鋼製車体でありながら、車体側板にコルゲート板の補強板を貼るなど、独特な外観をしています。

末期には片運転台化改造され「連結2人乗り」仕様となりました。「連結2人乗り」と言うのは2輛連結運転をして、それぞれの車輛に運転手さんと車掌さんが1人づつ(=合計2人乗り)乗務していると言う意味です。

デハ200型300型を除けば軌道線の車輛の車掌台は最後部の運転台と兼用ですから、その関係もあって途中駅での乗車は最前部と最後部、降車はそれ以外の扉からとなります。起終点の三軒茶屋と下高井戸は駅自体に改札がありますから、全ての扉から一斉に乗降が可能です。全車輛が東急車輛製です。

デハ200型:全6編成が製造され全車廃車(Jan 7, 2006.)

「電車とバスの博物館」で保存中の東京急行デハ204。

1955年(昭和30年)に東急車輛で6編成が新造された低床連接車です。両端の台車は普通の2軸台車ですが、連接部に1軸台車を使う奇抜な構造でした。その外観から「ペコちゃん電車」として親しまれましたが、玉川線廃止と共に全車廃車されました。

現在ではデハ204のみ宮崎台駅高架下の「電車とバスの博物館」で保存されています。但し保存されているのは車体外側だけで、内部は殆どもぬけの殻、と言うか団体待合室?のような用途に使用されています。全車輛が東急車輛製です。

デハ300型:全10編成在籍(Feb 9, 2008.)

1999年(平成11年)から製造された、軌道線最新の車輛です。但し、主要電装品は廃車となったデハ70型デハ80型から流用された模様です。もっとも、廃車になる時点で既にデハ70型とデハ80型は台車などは更新されていましたので、実質的には新車と言っても過言はありません。元来、デハ70とデハ80の台車更新は廃車直前になって行われているので、新台車は当初よりデハ300への転用を前提としていたと考えても宜しいでしょう。

200型以来、久々の2車体連接貫通構造車で、軌道線としては初の冷房装備車輛です。編成により塗装色が異なります。全車輛が東急車輛製です。当初はホームが低いままで使用されていたためにステップ付でしたが、後にホーム嵩上げに伴いステップ無しの仕様に変更されています(ステップ付だった初期車もこれに伴い若干改装されています)。軌道線でありながら、車輛を低床化せずにバリアフリー化を図ったと言う点では都電荒川線と同様ですが、軌道線でありながら併用軌道の少ない路線ならではの手法です。

2車体3台車の連接車で、車番は2車体とも同じ。但し、形式そのものは下高井戸(しもたかいど)寄り車体はデハ300A、三軒茶屋(さんげんぢゃや)寄り車体はデハ300B、と区別されます。当然冷暖房装備、更に一方向き固定クロスシートで快適ではありますが、2輛連結の旧型車だった時代よりは連接車になったデハ300の方が車体が短く、クロスシート化の結果座席定員が減っているようです。座席定員が減ることはサービス低下につながると思うのですが、それでも冷房付き新車の効果は絶大だったようで、世田谷線全体の乗客数減少に歯止めが掛かっただけではなく、乗客増加に転じてきたようです。

乗降用のドアは全て両開きのプラグドアです。いわゆる「連結二人乗り」仕様で、乗車は乗務員氏の陣地?の在る最前部と最後部の扉からで、降車は中間部の扉からです。2輛連結して、乗務員氏が運転士さんと車掌さんの合計2人乗っているから「連結二人乗り」なんですね。扉が閉まる時期は乗車用と降車用で微妙に変えてあるみたいで、私が見た車輛は全て降車用が先にしまって、ほんの僅か遅れて乗車用扉が閉まりました。戸閉め装置がそのように設定してあるのか、車掌さんなり運転士さんなりがそのような扉操作をするように社内規定があるのか、その辺りは定かではありません。

デハ301A+デハ301Bデハ303A+デハ303Bデハ304A+デハ304B
デハ305A+デハ305Bデハ306A+デハ306Bデハ307A+デハ307B
デハ308A+デハ308Bデハ309A+デハ309B

デハ301A+デハ301B

東急デハ301F。2008年(平成20年)2月、東急世田谷線宮の坂(みやのさか)駅にて撮影 

上の写真の車輛は東急デハ301F。2008年(平成20年)2月、東急世田谷線宮の坂(みやのさか)駅にて撮影 

玉川線時代の車両の塗装を模した塗装の301F、、、と言うよりは、デハ200風の塗装です。デハ200以外の車輛の正面の塗り分けは、単純な金太郎塗りです。車体側面にT.K.K.の文字が入っていることにご注目ください。T.K.K.とは「とっても、混んで、殺される、」と言う意味の略号で「東京急行」の略号ではありません(ウソ)。

デハ303A+デハ303B(Sept 23, 2008.)

東京急行デハ303F。2008年(平成20年)9月、東急世田谷線宮の坂(みやのさか)駅にて撮影 

上の写真の車輛は東京急行デハ303F。2008年(平成20年)9月、東急世田谷線宮の坂(みやのさか)駅にて撮影 

東急東京メトロパスの広告ラッピングを施された車輛です。自社広告の一種と言えなくもないですね。「東急東京メトロパス」と言うのは東急線の最寄り駅から東京メトロとの接続駅までの往復切符と、東京メトロの1日乗車券がセットになっているものです。東急だけでなく、各社向けに似たような企画乗車券が販売されています。東京空港交通のリムジンバスとのセット売り、なんてのもあります。但し、生憎ですが「東急東京メトロパス」では世田谷線には乗車できなかったと思います。

デハ304A+デハ304B

東京急行デハ304F。2000年(平成12年)1月、東急世田谷線下高井戸(しもたかいど)=松原(まつばら)間にて撮影。ミノルタα303i+タムロン185D28mm〜300mm。東急世田谷線山下(やました)駅付近にて撮影。

上の写真の車輛は東京急行デハ304F。2000年(平成12年)1月、東急世田谷線下高井戸(しもたかいど)=松原(まつばら)間にて撮影。ミノルタα303i+タムロン185D28mm〜300mm。

広告ラッピングされていた頃の304Fです。スポンサーはキリン(生茶)です。

デハ305A+デハ305B

東急デハ305F。2008年(平成20年)2月、東急世田谷線宮の坂(みやのさか)駅にて撮影 

上の写真の車輛は東急デハ305F。2008年(平成20年)2月、東急世田谷線宮の坂(みやのさか)駅にて撮影 右端に見える緑色の物体は、デハ80型の保存車(と言うか江ノ電601号)です。

デハ306A+デハ306B(Sept 23, 2008.)

東京急行デハ306F。2008年(平成20年)9月、東急世田谷線宮の坂(みやのさか)駅にて撮影 

上の写真の車輛は東急デハ306F。2008年(平成20年)9月、東急世田谷線宮の坂(みやのさか)駅にて撮影 

この車輛とは相性がよいのか悪いのか、広告ラッピングを施していない状態でしかお目に掛かった記憶がありません。

デハ307A+デハ307B

東京急行デハ307F。2005年(平成17年)7月、東急世田谷線下高井戸(しもたかいど)=松原(まつばら)間にて撮影。

上の写真の車輛は東京急行デハ307F。2005年(平成11年)7月、東急世田谷線下高井戸(しもたかいど)=松原(まつばら)間にて撮影。

デハ308A+デハ308B

東京急行デハ308F。2005年(平成17年)7月、東急世田谷線下高井戸(しもたかいど)=松原(まつばら)間にて撮影。

上の写真の車輛は東京急行デハ308F。2005年(平成11年)7月、東急世田谷線下高井戸(しもたかいど)=松原(まつばら)間にて撮影。

デハ309A+デハ309B

東急デハ309F。2008年(平成20年)2月、東急世田谷線宮の坂(みやのさか)駅にて撮影。

上の写真の車輛は東急デハ309F。2008年(平成20年)2月、東急世田谷線宮の坂(みやのさか)駅にて撮影。

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