南アルプス 鳳凰三山登山記 (2003.8.23


昨年のゴールデンウィークに、八ヶ岳(硫黄山、天狗岳)に登り山に魅せられて以来、丹沢縦走、今年の6月には奥秩父の甲武信ヶ岳(2475m)に登り、次第に未だ見ぬ北アルプスや南アルプスが気になり始めていた。 甲武信が岳には、西沢渓谷から通常一泊二日のコースを未明より登頂し、一気に雁坂峠を下った。約12時間、標高差1400mをさして問題もなく走破でき、次は穂高連峰か南アルプスの北岳もしくは鳳凰山に挑戦と思っていた。

8月は、ハワイや帰省でろくな運動もしていなかったが、8月最後の週末に私の登山指南役のB氏と鳳凰山に登った。 山好きでも一生にそう何度も出会わないような快晴で、頂上からの眺望は最高であった。眼前に聳える北岳。それに連なる白根三山を始めとする南アルプス。 振り返れば、八ヶ岳とその東には秩父連峰。西には遥か北アルプスを一望することができた。 しかし、標高差1740mを一気に登り降りるのは、体力の限界を超えていたようである。  


薬師岳頂上より白峰三山を望む
(向かって右から北岳、間ノ岳、農鳥岳)
金曜日の夜、9時前にB氏の自宅より出発。 甲府昭和でICを下り、小武川林道の未舗装路を13キロ程進み、登山口の青木鉱泉についたのは、ちょうど午前零時。 子一時間仮眠をとり、夜中の1時過ぎ、満天の星空を仰ぎながら、ヘッドライトの明かりをたよりに薬師岳に到る中道を登りはじめる。 体が思うように動かず全くペースはあがらない。 初めて使うヘッドランプの性能は素晴らしく、キセノンライトのような白光が視界を照らしてくれるが、なにせ辺りは真っ暗で、どの程度の勾配を登っているかもよくわからない。 頭上の木々が開けたところに座り込んで、星を眺める。 
秩父連峰の朝焼け
休み休み行き、午前4時をしばらく回る頃、かすかに東の空が明るみ始めた。 3週間前にマウイ島のハレアカラの頂上で見たと同じように、白い雲海の彼方に少しずつ明かりがさしてくる。 世界の始まりのような仄かな明かりが、わずかずつ強まり、東の空の秩父連峰と、その左手に位置する八ヶ岳の姿を黒く形どる。 明かりはすこしずつ強まり、東の空の雲を白っぽく、やがてオレンジ色にゆっくりと染め上げていく。 東の空は、底辺部が白っぽく、その上部の雲はオレンジ、それに連なる上空は淡いブルーからコバルトになんとも言えぬ色合いを見せる。その神秘的な美しさに、自分をこの自然に融合させたいと思う。 この瞬間が、毎日、永遠に繰り返されるという事実に思わず愕然とする。 
薬師岳登山道「中道」8合目付近でのご来光
やがて、周りの木々や地面がほんの少しだけ見えてくる。 天空が明るみ始めたその最初の時からほぼ1時間は経った頃、ついに東の雲に燐光のような白い光が差しはじめ、あたりの雲が黄色い光を放つ。 そして、ついにこれまでとはまったく別次元の強烈な燭光を放って太陽が姿を現す。姿といってもその太陽に輪郭はない。ただ眩い光が世界を照らし出す。 それは、夜の静寂と黒の帳に安息していた世界に、目覚めよ、と告げるようだ。 夜は明けた。5時12分。 鳥が鳴き、周りの木々の葉が呼吸を始める。 自分の体の細胞も目覚めたように活気づく。

そうそう、富士をわすれていた。 東南に黎明の光を背に受けた富士山のシルエットが美しく在る。 いつもと同じ紡錘上の三角形の稜線にかたどられた姿は、決して威圧的ではないが、山脈ほどのマッスがたった一山ですっくと在る。その空間だけは、スケールが違っているかのようだ。 頂上の平らな部分の両端が少しつまんだように上がっている。

雲海のかなたに聳える富士山

ご来光を拝んだあたりから、岩が露出した道になり勾配も増した。 もう200mくらいで頂上か、と話しているところに、地図にも出ている御座(みくら)石が出現しがっくりする。深田久弥の「日本百名山」によると、奈良時代に孝謙上皇がこの近くに地に引退した住み、鳳凰山に登ったとう言い伝えがあるらしい。 そのため、この地には、御座石や南御室小屋などの地名が残っているという。 「鳳凰」も「法皇」から来ているとか。 それはさておき、まだ500m近く登らなければならない。 薬師岳にいたる最後の急勾配は、花崗岩が風化して白砂になった砂礫の道だ。 午前7時前についに巨岩の群れた薬師岳(2780m)の頂上に立った。 いきなり眼前に聳える北岳。 写真では何度も見たが、実物の存在感は圧倒的である。 間の岳、農鳥岳の南アルプス白峰三山に連なるのびやかな稜線。手前の前衛峰から南アルプス林道の走る眼下の沢に落ちる尾根が、ちょうど着物の長い袖を手前に振ったような懐の深さを見せる。 頂上から真下に、雪渓の残る谷筋が走り、北岳登山基地の広河原に至る斜面はやはり険しい。 


向かって右の稜線を辿りながら、西に視線を移すと、南アルプスの女王といわれる仙丈ケ岳の優美な姿が目に入る。 


日本第二位の標高(3192m)を誇る北岳。


仙丈ケ岳(地蔵岳より)
頂上には、秋のそれとも思える冷たい風が北岳の方から吹き上げてくる。 気温は恐らく8度前後、強風のせいで体感温度が低く、慌てて持参したウインドブレカーを羽織る。 振り返ると、八ヶ岳や秩父連峰が一望でき、その向うに浅間山や榛名山であろう山塊も目に入る。 眼近に望む赤岳と阿弥陀岳が、この方角からだと疣のような突起状に見えユーモラスだ。 


八ヶ岳(観音岳頂上より)とB氏
360度のパノラマの西方には、鳳凰山の最高峰、観音岳(2840m)の岩稜が続く。 そこに至れば、有名な岩のオベリスクが突き立った地蔵岳と、その先に甲斐駒ヶ岳の峻険な姿があるのである。 さらに遥か向うには、槍ヶ岳や穂高など北アルプスの山々が顔を覘かせる。 槍が岳は、時折雲の切れ間からその、矢尻のようなギザギザの三角をみせたが、穂高連峰はついに雲に覆われ、その全容を見せなかった。
左奥が甲斐駒ヶ岳(その後方は、北アルプスの峰峰。 右手前に地蔵岳のオベリスクが見える。)
18mもあるオベリスクを筆頭に巨岩がクラスターした地蔵岳の頂上には9時頃到着した。 鳳凰三山の頂上は、いずれも花崗岩や玄武岩の巨岩とその風化した白い砂礫がなんとも美しい。 粒の粗い白砂の中に石英の結晶がキラキラと光る。 風化途中の花崗岩のざらざらした岩肌の表面を素手でつかみながら、オベリスクの直下までよじ登った。 日本アルプス登山を最初に見出し、日本の登山の父と言われるウエストンが明治時代に初めててっぺんまで登ったというオベリスクには、今は二本のザイルがかけてある。 山慣れした風の若いカップルが、抱き合わせたような二つの巨岩の隙間に入りこむと、果敢にも攀じ登り、岩上に立った。 強風に女性のTシャツの胸がはためく。 天気は相変わらず快晴だが、さすがに水蒸気の濃度が高まったのか、眼下の八ヶ岳高原、甲府盆地の方は、薄く靄がかかったように見える。 
地蔵岳山頂(鳳凰小屋へ下山はじめた地点より)

11時前には、地蔵岳から、出発点の青木鉱泉に向けて下山を始めたが、この下りでは、徹底的に痛めつけられる羽目になった。400mほど下の鳳凰小屋までは、順調に30分ほどで降りた。 そこで刺すように冷たい、南アルプスの天然水でのども潤した。 しかし、それから先の通称「ドンドコ沢」の下りは、長く辛い道のりとなった。 青木鉱泉(1100m)から最高峰の観音岳(2840m)まで1800m近い標高差は、これまで未知のものであったし、ここ最近歩く機会が少なかったこともある。 既に力を使い切った脚の右ひざの筋肉がまず悲鳴を上げ始めた。そのうち、左右の足の親指が異常に痛くなった。 下りなのでどうしてもつま先に体重がかかるが、一歩踏みしめるごとに親指が痛み出す。 

ドンドコ沢には、五色の滝、白糸の滝など、結構な名曝があるが、それを鑑賞するゆとりなど全くなくなった。 沢に下りる急勾配を一歩一歩、痛む足への負担を最小にすべく足場を選び、両手で木の枝や岩をつかんで、おそるおそる降りた。 と思うと道はまた登りになる。 始めは、「ドンドコ沢」じゃなくて「ドンゾコ沢」だ、などという軽口をたたいてはいたが、疲労と足の痛みのために一言も発する元気もなくなった。 最後には、カニ歩きや後ろ歩きをしながら、結局、
4時間半のコースタイムのところを、6時間以上もかかって青木鉱泉にたどりついた時は、5時になっていた。(この間、よた足で下山する私にB氏は辛抱強く付き合ってくれた。) 

ところで、深田久弥の「日本百名山」には、昭和の始めに、同氏が小林秀雄と今日出美を伴って、このドンドコ沢から鳳凰山に登ったとある。 初の本格登山だった今日出美は、この登りに悲鳴を上げ、「初っ端なからとんでもねえ所に連れて行きやがった」と長年こぼしていたそうである。


薬師岳と富士山

地蔵岳頂上付近の花と紺碧の空

関東では、本当に久しぶりの青空で、案の定、帰りの高速は渋滞であった。 時間潰しに、韮崎の町営温泉(概観はちんまりとしたプレハブだが、浴槽は大きく500円とリーズナブル)で汗をながし、夕食をとって7時半頃、勝沼から高速に乗った。 ここからはB氏に運転を交代。 渋滞通過に一時間余を要し、サターン号が新百合のB氏宅に着いたのが、10時半。 自宅に帰着したのは11時前であった。 帰りの車中で、子一時間眠ったが、金曜の朝から40時間ほど起きっぱなしであったから、そのまま、ばったりと布団に倒れ落ち眠りについた。

今回の登山は、初めての夜間登山、超ド級の大展望、体力の限界を超えた苦行と, 正に、天国と地獄を見た一日だった。容易に忘れ得ぬ経験となるだろう。


五色の滝(ドンドコ沢)
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