自己責任論議について
イラクで拘束、釈放された5人について、実費を請求するなどのいわゆる「自己責任」を問う論調が主体的になったと思えば、帰国した3人のあまりに焦燥した姿に同情的な雰囲気に変貌したり、相変わらず日本の世論は振幅が激しいようです。
しかし、政府が自衛隊派遣問題と人質問題を切り離し、万一3人に被害が及んでも政治的責任を回避しようとして「自己責任」を言い出したことと、多くの国民が3人の行動を自分勝手と非難したのは、基本的に別の問題と思えます。
政府が「自己責任」論に問題のすり替えを図っていることには、異議を唱えたいと思いますが、より気になるのは、国民の中から多く上がった非難の声の理由は何なのか、という方です。
「自己満足のボランティア活動、名声狙いのジャーナリスト活動、共産党かぶれの青年活動家」とレッテルを貼る心理は何なのでしょう。
「自己責任」という言葉は、自分と対象を都合よく切り離してしまいます。 イラクで人が死んだり苦しんだりしている、その事に対して行動を起こした5人に対する共感と義務感から自分を解放してくれます。 また、自己の生命の危険を顧みず、ボランティアもしくは取材活動をする人の意志と勇気への嫉妬と羨望が歪んだ形で表れているのかもしれません。
「自己責任」という言葉は、個人の行動や居住の自由の問題と、国家の役割と責任の問題も浮き彫りにします。「居住、移転、職業選択の自由」は、憲法でも基本的人権として認められており(第22条) 国は、いかにイラクが危険であろうとも、国民がイラクに入国することを禁止することは出来ません。 退避勧告を出すことができるのみです。 同じく「個人の生命、自由、幸福の追求に関する国民の権利は、国政の上で最大の尊重を必要とする(13条)」とあり、今回のような事態で国が拘束された5人を救うのは当然のことです。税金を無駄遣いしたとして、費用負担の発言が政府関係者の口から出てくるとはどういうことでしょうか。 韓国では、7人の人が拘束され、解放されましたが、非難や費用請求などの世論は全く出てこなかったようです。
先週、3人が帰国した際の非難がましい雰囲気も、フランスの「ルモンド」が「日本にもこうしたボランティア精神や市民意識が育ってきた」ことを賞賛したり、アメリカのパウエル国務長官が、3人の活動を讃えたりしたこともあって沈静化してきたようです。 政府は、20回以上退避勧告を出していたといっても、ジャーナリストはバクダッドから毎日TV中継を送ってくるし、ファルージャでの掃討戦がなければ人質拘束事件も起こっていなかったはず。 それを捕まったからといって、5人の行動をにわかに非難することが、日本からこの5人を見ている同じ国民の態度としていいのかどうか。 他人に迷惑をかけないように気を使う国民性として、反対に他人から迷惑をかけられることを極端に嫌う気持ちがあるといえばそうでしょう。 一部メディアは、「自己責任」論を社説などで勝手に吹聴しているが、国民には3人の活動をサポートしている人達も沢山いるはずです。 イラク戦争支持や自衛隊派遣問題で、政治的主張をある明瞭にしてきた一部マスコミの論調に振り回されるばかりではいけません。
いずれにしても、今回の拘束事件について、5人を向こう見ずだ、迷惑だと片付けるそういう人間が政治の中心に少なからずいることは嘆かわしいし、このような拘束事件を起こした背景にあるイラク戦争支持と自衛隊派遣の問題に関する政府の責任を見逃してはいけないはずです。 (4.23)