地ひらく

-石原莞爾と昭和の夢-  

福田和也著


正直に言って衝撃を受けた。 

第二次世界大戦に至る日本の東アジア政策や歴史について自分が如何に紋切り型の「侵略戦争史観」しか持っていなかったかを痛感した。 日本の学校では、せいぜい満州事変から日華事変、大東亜戦争にいたる日本の戦争と敗北の歴史を、陸軍を中心とする軍部の専横的な政治支配と、無謀な拡大戦争に帰することしか習わない。 しかし、実際は、日露戦争によって朝鮮半島から満州にいたる地域に進出していき、1910年に朝鮮併合、1931年の満州事変(翌年満州国を建国)、その後対中戦に足を踏み入れ、最終的には英米と戦って敗戦に至るまでには40年の時間が流れており、その過程で、日本が東アジアで独自の国家戦略を持とうとしたことはほとんど学んでいなかった。 東京裁判以降の戦後史観からは、「侵略戦争」という文脈からしか語られないが、「五族協和」や「東亜同盟」といった言葉のうちに、真剣な汎アジア主義、民族協調主義の思想もあったことを今回知った。 

敗戦により平和憲法を持ち、日米安保体制の中で経済繁栄に邁進した戦後史を肯定する教育を受けてきた戦後世代の自分達は、戦前の日本の歴史をいとも簡単に否定することを当然としてきた。 その史観が、戦後教育の一種洗脳に近い忘却と簡略化を経て形成されたものかもしれない。 日本が日露戦争や第一次大戦を通して朝鮮半島や満州に伸張していったのは、決して帝国主義的、植民地主義的な動機にすべてが帰趨されるものではなく、ロシアの南下、中国革命の趨勢、満州での軍閥の支配といった当時の複雑な世界情勢の下での国家行動であったとも言える。 欧米は第一次大戦の惨禍の反省のもとに、ベルサイユ条約を結びその後のいわゆるパリ不戦条約で武力戦争による国際紛争の解決を放棄することを誓い、戦争は犯罪という認識が徐々に形勢されていったが、それまでは、戦争は国権の発動として当然の事として受け入れられていたのだった。 満州国を批准しない欧米列強も自らの植民地の権益は全く手放す用意はなかったのが当時の情勢だった。  

この作品の主人公たる石原莞爾は、満州事変の際、関東軍の参謀で、事変の実質的な首謀者であり、誤解を恐れずにいえば、満州国を東アジアの「アメリカ合衆国」ともいうべき、日、満、朝、漢、蒙などの民族が協和し地域の発展に寄与する新天地として思い描いたとされる。それがどこまで本当なのか、著者の肩入れがやや過ぎて美化されているかもしれない。 しかし、明治維新から50年余の歳月をかけて、世界の強国になり上がっていった日本が、当時の世界情勢の中で朝鮮半島から満州にかけての地に、日本の発展とアジアの共栄の夢を見たというのは、全くの嘘ではあるまい。 それは、敗戦から復興、高度成長期を経て、世界に冠する技術力、経済力を持つ先進国として今日の地位を築いた戦後日本がたどった歴史と重なって見える。そして今、アメリカ主導の自由主義、市場経済、世界平和の理念と均衡が、自国の国益丸出しのイラク戦争で綻びをみせる一方、驚異的な中国経済の発展とそれに伴う先進国の中国への経済進出は、あたかも19世紀末の中国に群がった欧米による植民地化と権益争いとダブって見える。 日本は、いまや完全にアメリカの同盟国(衛星国?)になり、その安全保障体制と相互経済依存のうちにあるが、拉致問題やイラク派兵の議論から、国民のうちには日本の安全保障上の自立を求める声が高まり、また、韓国や中国との経済的文化的結びつきが強まるにつれ、アメリカ一辺倒からアジアへの目を向ける心理が加速している。 そうした時期だからこそ、中立した「満州国」に託した石原莞爾の夢をたどる本書は大変興味深く読めた。 福田和也は、平成6年からこの連載を「諸君」に足掛け6年間行った。 同じ年に生まれた著者の思考の奇跡を10年も遅れてたどったことになるが、そう遠くないうちに、朝鮮半島から満州にかけて、「昭和の夢」を辿る旅をしたいと強く思わせる力作である。

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