桐野夏生「グロテスク」 文芸春秋刊 2003.8.22
桐野夏生の最新刊「グロテスク」を読んだ。娼婦に転落し殺される2人の女性の物語は、凄まじく、絶望的で、読後しばらく暗澹とさせられた。数年前、「柔らかな頬」に出会って以来、「OUT」やその他の作品に触れ、今の日本に生きる人間の生を、凄惨なまでのリアリティーを持って描く稀有な作家として、私にとっては単に女流として高村や宮部よりも面白いだけでなく、現役中、最も倫理的な作家の一人として興味を持っている。 文芸評論家の福田和也も、雑誌の書評で「グロテスク」を「読者を置き去りにしまうほどに徹底的に突き進む勇気は尊敬に値する」と賞賛している。 高度な教育を受け、自己実現を願う自我と自意識に苛まれながら、結局、孤独と迷いの中で自壊し「怪物」となってしまう現代女性の生を、一切の虚飾なく、(悪意を感じるほどに)かくも徹底的に描いた小説。桐野の世界には、誤魔化しや空想への逃避は一切禁じられている。 おそるべき気迫を持って、作者は読者に語りかける。「もっと全力で戦え」と。しかし、余りに凄惨な和恵やユリ子の運命を直視できる勇気を持つ人がどれだけいるのか。この徹底性は、男性読者に畏怖の念を起こさせる。 女性が仕事でキャリアを実現することと、結婚や子育てを両立させることが、日本ではまだ容易ではない。それは、社会的なインフラ(不満足な住宅環境やデイケアサポートなどの不足)とともに、日本の伝統的な育児の価値観による拘束、親子間の甘えの構造などが、女性を子育てと家事に依然として縛りつけている環境が存在する。 そうした中で、和恵のような自立を志したハイミスの女性が、最も苦しい環境におかれている。 そして、女性にとっては、頭脳よりも、生まれた家柄よりも、外見の美しさが最大の価値であるという厳然たる事実。 しかし、それは男の評価軸であり、そのような「他人のものさしで自分を見ている」うちは、決して女性の真の自立と解放はあり得ないと作者は言いたいのか。 救いを、解答を与えず、読者は突き放される。作者はその困難を乗り越えた人であるから厳しいのか。 しかし、この苦難を乗り越えて、自分の生の自律性を見出す主人公を書き、読者に勇気を与えるような小説を、いずれ作者は書くようになるのであろうか。 |
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