ルソーの「人間不平等起源論」

 

3月に初めてジュネーブに行くからというので、このスイスの町が18世紀に生んだ有名な思想家Jean Jacque Rouseauxの本を手にとった。 ルソーといっても、昔、教科書で「人間は生まれながらにして鉄鎖に繋がれている」とか「自然に還れ」とか言った啓蒙思想家というくらいしか知らなかったとまず白状するが、「人間不平等起源論」を読んで、その考えの深さと今日的な示唆に富んでいる内容に驚き、いたく感動してしまった。

著者の原注を除けば文庫で130ページほどだから長くはない。文章も平易といえる。フランスのDijonのアカデミーが募集した懸賞論文で、「人々の間における不平等の起源はなんであるか、それは自然法によって是認されるか」という論題に応えて書かれたものだ。ルソーの主張は「人間は、本来自然状態においては平等であるが、それが社会の発展の中で不平等が拡大した」というものであり、「不平等は自然法に由来する」とする趣旨を期待していたアカデミーの懸賞からは落選したが、ルソーはそれを見越していたそうだ。

「まず第一に人間そのものを知らなければどうして人間の不平等の起源を知りえようか」として、ルソーは人間の「自然状態」をまず独創的に考察する。 それは、ホップスの言うような「人間は、本来大胆で、攻撃し、戦うこと以外もとめない(万人の万人に対する戦い)」といったものではなく、反対に「自然状態における人間ほど臆病なものはいない」と定義する。 人間には原初的に付与されている「自己保存」の欲求はあるが、戦って他人を傷つけたり、支配したりする欲求は本来ない。 むしろ、同胞が苦しむことを嫌う「憐れみ−pitie 」の感情を持っている。 しかし、やがて人間が集団で生活するようになり、それぞれの差異を認め、優劣を認識するようになるところから、「自尊心 − amour de proper」が生じる。 つまり「人々が、互いに評価しあうことをはじめ、尊敬という観念がかれらの精神のなかに形成されるやいなや、だれもが尊敬をうける権利を主張」しはじめるのである。  「自尊心を生むものは理性であり、それを強めるものは反省である」わけだし、その理性を与えたものは、言葉の習得であったことは言うまでもない。 ここで読者は「人間の最初の言語は、自然の叫び声である」というルソーの言語起源論にも触れることになる。 (「ことば(parole)」と「言語(langue)」という20世紀にソシュールが体系化したと思っていた言語学の基本的な定義が、ルソーに起因していたことを知った。)

論文の第二部で、ルソーは自然状態が、社会化によって不平等を生じる過程をみていく。 鉄と農業の発明によって、原始の狩猟、採集の生活は、生産と分業の社会に移行する。 そこに土地の所有と収穫の分配が生まれ、富の不平等が発生する。 さらに人間の隷属(奴隷)も起こり、支配するもとと支配される者の区別と権力が生じる。 そして社会は、法律と所有権の設立から、為政者の職の設定、最後は、合法的な権力から専制的な権力へと移行するとされる。  

ルソーが現代人の不平等の起源を明らかにすることによって間接的に批判したのは、当時のフランスの絶対王政であり、それに支配される不自由で隷属的な人間であった。 未開人、自然人の持つ安寧と自由に対して、現代の社会人は、何と隷属にならされ、不自由であることか。以下は、末尾に近い部分からの引用である。

「これ(自然人)に反して、社会人は、常に活動的で汗を流し、動き回り、なおいっそう骨の折れる仕事を求めて絶えず心を労する。彼は死ぬまで働き、生きることのできるようになるためには、死に急ぐこともあり、あるいは不朽の名声を獲んがために現世を放棄する。 彼は、自分の憎んでいる権力者や軽蔑している金持ちたちにへつらい、彼らに奉仕する光栄をえんがためにはどんなことでもいとわない。 彼は自分の卑しさと彼らの保護とを得々と自慢する。 そして自分の奴隷状態を誇り、それにあずかる名誉を持たない人たちのことを侮蔑して語るのである。」
「社会に生きる人は、常に自分の外にあり、他人の意見の中にしか生きられない。そしていわばただ他人の判断だけから、彼は自分の感情を引き出しているのである。」
「われわれはどうしてわれわれは何であるかという問いを始終他人に向かって問い続け、決して自分自身の中には問おうとしないで、欺瞞的で軽薄な外面、つまり徳なき名誉、知恵なき理性、幸福なき快楽だけを持つことになったのか。」

ルソーがこの論文で発した人間社会批判は、当時のジュネーブ共和国の為政者階級にとって、市民の不安をあおるものとして冷遇されたようだ。 しかし、時代はフランス革命も遠からぬ1755年であった。 ルソーの思想は、自由、平等、博愛といった革命の思想の原点になっただけでなく、19世紀のロマン主義の源流になった。 また、近代人の直面する問題を、個人と自然と社会といった関係の中で論じたその思想は、産業革命を経て帝国主義と植民地時代の19世紀、そして冷戦と核兵器の恐怖の20世紀を生き抜いてきた21世紀の我々にとってもなんと活き活きと迫るものであることか。 もちろん、当時でさえ、人間は未開人のような生活に戻れるわけではなかった。 だだ、ルソーの明らかにした人間の状態の虚無と欺瞞はまったく現代に生きる私達にも同じ問題として捉えられはしないか。 人間が自由で幸福に社会な中で生きることは、その後の「社会契約論」や「エミール」といった著作の中でより具体的に考察されていく。(2004.2.15

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