【脚注】 |
注1
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フォークタイム
名古屋の老舗、アマチュアのフォークソング・サークル。’73年春、活動開始。 ’70年代の後半、岡村洋一は、ここの会長を務めていた。 |
注2
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大はしたつ屋・名人
フォークタイムの創立者、大橋達也氏の事。1954年11月12日名古屋市生まれ。独身。自らのレーベルから、CDを十数枚、リリースしている。15歳の時のこの人との出逢いが、その後の岡村洋一の人生を大きく歪め、いや、変えた。知らないうちに、岡村のファン・サイトを作ってくれていた。
いつも、ありがと、なも! 岡村は、彼の事を古くから敬意を込めて、“名人”と呼んでいる。
顔はデカいけど、いい人ョ。
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注3 |
泉谷しげる
シンガー・ソングライター&俳優。 1948年5月11日、東京都生まれ。’70年代の日本のフォークソング・ブームの立役者の一人。代表曲は、「春夏秋冬」、「春のからっ風」、「眠れない夜」、「デトロイト・ポーカー」ほか。思春期の岡村洋一が最も影響を受けた人物。
後に、CBCラジオ「お前ら、聴け!」などで共演、現在も交流を続ける。
口は悪いけど、いい人ョ。
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注4 |
1972年の春
よしだたくろうの「結婚しようよ」、「旅の宿」、泉谷しげるの「春夏秋冬」、古井戸の「さなえちゃん」などが、大ヒットし、日本中にフォークソング・ブームが巻き起こった。
当時の総理大臣は、故・田中角栄。
高校に入ったばかりの岡村洋一は、夏休みに鉄工所でアルバイトし、ヤマハの2万円のギターを手にし、自ら、高校内に“フォーク・ソングクラブ”を創設。ギターの腕前と反比例して、学校の成績は、低下する一方だった。
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注5 |
県立尾北高校
愛知県立尾北高校の事。 江南市・布袋地区にある、岡村洋一の卒業校。普通科のみ。1年生の時のみ、学校から徒歩8分くらいの所にある自宅から通うが2年生から、名古屋へ引っ越したため、一時間以上かけて通う事になる。1972年10月17日、体育の授業時間中、右大腿骨を骨折、2ヶ月半の入院生活を強いられる。
ギリギリで留年は免れたものの、成績はさらに低下の一途をたどり、怪我の後遺症は現在も残っている。 |
注6 |
水越さん
岡村洋一にとって、唯一人のギターの師匠。何故か、いつもガムを噛んでいる人で、「ガム、ちょう(ガム、おくれ)」と言うと、「にゃあよ!(ないよ)」と即座に答えるのが“お約束”だった。
この人から、“スリー・フィンガー奏法”を徹底的に叩き込まれた。 |
注7 |
名古屋市中川区
岡村洋一の実家がある。
父と母が苦労して建てた家で、自らの部屋にはデカいステレオもあるが、岡村がここに住んだのは、わずか11年間だった。
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注8 |
簑島さん(きいちゃ)
’70年代の後半、フォークタイムの代表的女性シンガーだった。「誕生日」は、17歳で亡くなった友人の事を歌った名曲。最近、カムバックして、またステージに立っている。
ジェームス・テイラーばりのギター・テクニックと、ハスキーだが安定したヴォーカルは、今も健在。再び、多くのファンを獲得している。
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注9 |
長屋吉彦くん (1958〜2004)
ギタリスト。 母親は、長唄の師匠だった。’80年代、岡村洋一と最も多くセッションを組んだミュージシャン。
岡村は、“全くリズム感が悪い!基礎がなってない!”と、いつも怒られて喧嘩しては、また仲直りしていた。よくお互いの家も行き来した。彼のバンド“クルーザー”のために、岡村が作詞、彼が作曲した「Love in the fall」は、2005年5月2日(彼の命日)、かわさきFM「岡村洋一のシネマストリート」で、放送された。
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注10 |
山名敏晴さん
名古屋のシンガー・ソングライターの草分け的存在。1951年4月1日生まれ。代表曲「忘れな草」「コーラが少し」「空港」等。
現在も、ヴォーカル・スクールを運営しながら、名古屋を中心に活動を続けている。
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注11 |
岡本さん
’79年から、山名敏晴さんと共に、シンガーとしての岡村洋一のプロデュースをする。同時に、地元のラジオ局の番組ディレクターもしていたため、岡村も次第にDJをする様になって行った。現在の消息は不明。
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注12 |
ワンステップ・コンサート
フォークタイムで、当時、毎月の様に行われていた定期コンサート。主に、名古屋市内の区役所のホールを利用した。
大学生だった岡村洋一が会長になってから、各大学の音楽サークル等を訪問して交流、観客数を増やす事に力を入れるが、100人以上の時もあれば、たった3人の事もあり、大いに気分が落ち込んだりした。
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注13 |
山平和彦さん (1952〜2004)
秋田県出身のシンガー・ソングライター。
’70年代中ごろ、東海ラジオの深夜放送「ミッドナイト東海」で、中部地区での人気者となる。代表曲は、「放送禁止歌」、「月経」、「明日は、水たまり」、「どうやら私は街が好きらしい」、「玉ねぎ」他。
2004年10月12日夜、東京都内でひき逃げ事故に遭遇し、死去。享年52。加害者は’05年1月に検挙された。
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注14 |
河島英五さん (1952〜2001)
シンガーソングライター&俳優。大阪府出身。代表曲は「酒と泪と男と女」、「野風増」、「時代おくれ」、「生きてりゃいいさ」、「どんまい、どんまい」など。
岡村洋一が’80年代に担当していた岐阜ラジオのアナーキーな人気番組「ジャスト・ヴァイブレーション」で、“英五のどんまいプラネット”というコーナーを持っていた。
2001年4月、長女の結婚式に参列後、肝臓疾患のため急逝。49歳の誕生日の一週間前だった。
岡村が大阪に住んでいた小学校時代、2人はとても近所に住んでいた事が最近、わかった。
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注15 |
高田渡さん (1948〜2005)
伝説のシンガー・ソングライター。代表曲は、「自転車にのって」、「自衛隊に入ろう」、「生活の柄」、「値上げ」ほか。
2005年4月16日未明、北海道での公演中に心不全で倒れ、釧路市内の病院で逝去した。享年56。
岡林信康らと共に、日本のフォーク界を代表する存在だった。
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注16 |
やっとかめだなも
名古屋弁(この場合は、正確に言うと尾張弁)で、“久しぶりだなぁ”の意。しかし、中部地区の若い衆が、日常でこういう言い方をする事は、まずない。
ついでに言うと、名古屋人だからといって、“エビフライ”や“きしめん”や“天むす”等を日々食べている訳ではない。その点、香川県の讃岐うどんや大阪のたこ焼きとは、大いに違っている。
20年程前、「日本は、世界の名古屋だ」と言ったのは、坂本龍一だったが、万博の後、ちょっと空白が出来て、その後、名古屋は、本当に変化していく気がする。
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(2005年7月16日)
フォークタイムの公式サイト http://www.d1.dion.ne.jp/~folktime/index.htm
まあ、何でもええで、いっぺん、来たってちょ!
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