Kinejun Criticue  話題の新作紹介

ブラッド・イン ブラッド・アウト
「愛と青春の旅立ち」の監督が描く
チカーノへの想いと心地良い裏切り

   
 ここ数年のアメリカ映画について気に入らない点が二つある。一つは何でもかんでも "家族が一番、家庭が大切"主義が幅をきかせている事。確かに世の中不景気でホームドラマは基本的に金 がかからない。けれどそれはアイデアに詰まって来た事への逃げにはなっていないだろうか。もう一つは、 あまりにもラストでズドン!と一発、人を殺すことで映画を終わらせるパターンが多すぎることだ。最近 では「失踪」のラスト。あの時、犯人は全く無力だった。僕は映画の中では何をやってもいいと思ってい るし、西部劇の時代以来のアメリカとアメリカ映画の伝統も知っているつもりだけれど、もういい加減に せい!と言いたい。この事が誰もが簡単に銃を持ち、簡単に命を落としてしまう現実の犯罪社会アメリカ に全く影響していないと誰が言えるだろうか。「ブラッド・イン ブラッド・アウト」は「血族・非血族」 と捉えるとぴったり来るだろうか。このタイトル、そして"「ボーイズン・ザ・フッド」と「ゴッドファー ザー」をミックスしたような刺激的作品"(ヴァラエティ紙)という批評、上映時間3時間、と聞いてはじ め試写室へ行くのが少々気が重かった。しかし僕の気の重さよりもテイラー・ハックフォード監督が画面 に客を引っ張りこむ力の方が、はるかに上だった。

   フィルムに写ると夕陽の様なカリフォルニア独特の光線の中、チカーノ(メキシコ系 アメリカ人)の街に青い目、白い肌の若者ミクロが帰ってきた。1972年のイースト・ロサンゼルスだ。

   あと6日で18歳、保護観察も終わる。ミクロを迎えるのは、同世代の従兄弟で元4回戦 ボーイだったパコと、チカーノ文化をモチーフとした絵画に才能を発揮しつつあるクルスだった。この三人 の若者の1983年に至る12年間の物語。血の気の多いパコは、ストリートギャング"バトス"のリーダー格。 "バトス"は敵対する"ブントス"と抗争を続けていた。チカーノと白人の混血であるミクロは、二人の従兄弟 に白い肌をからかわれ、なかなか仲間に入れてもらえないが、ある夜、侵入してきた敵を痛めつけて、晴れ て"兄弟の契り"である刺青を人差し指と親指の間に彫ることを許される。
「これからは永遠に兄弟だ。バトスの血の契りは永遠だ!」強い意志で見詰め合う三人。しかし敵は当然 復讐にやってくる。報復合戦。このあたり「ボーイズン・ザ・フッド」の様だ。結局、ミクロは収監され、 クルスは車椅子の身になり、懲役を逃れてパコは海兵隊へ入ることになってしまう。

   ははあ、ここから三人三様の人生がスタートして、ミクロは暗黒街の顔役に、クルスは 芸術家に、パコは実業家として成功し……と勝手に「ワンス・アポン・ア・タイム・バイ・チカーノ」を 先走って考えていた僕は、心地良く裏切られてしまった。ここから刑務所の中の話になってゆくのだ。 この映画の半分は、その所内で展開する。
   カリフォルニア最大最古の刑務所、サン・クェンティンでミクロを待っていたのは、 チカーノ系、白人系、黒人系の三つのプリズン・ギャングの対立だ。チカーノ系のボスに信任を得たい ミクロは、所内の賭博を牛耳る白人コックを暗殺し、そして次第に所内でのし上がってゆく。このあたり、 「ゴッドファーザー」のアル・パチーノがイタリアン・レストランで警官を殺したシーンを思い出させる。 この刑務所内のロケがすごくリアリティーあるな、と感心していたら、何とメインの俳優8人以外の エキストラ350人は、すべて本物の囚人を使ったという。

 「人種問題ではなく、ワーキングクラスをとりまく日常を描こうとした」と監督は言っているが、刑務所が 社会の縮図であり、塀の外である社会でもまた人種問題という壁が待っている二重構造は、どうしようも なく存在する。
そういえば、「マルコムX」の中の刑務所のシーンで"外へ出たって同じ事だけど"というセリフがあったっけ。 「マルコムX」は思い入れたっぷりの力作だけれど、ラスト近くでマンデラ氏が出てくるあたり、アジテイ ションに近くなってしまったのが、すごく惜しかった。おい、おい、僕は物語を観に来たんだけどな、と 思ってしまった。

 その点、この監督は彼自身白人であることも関係しているだろうが、チカーノとチカーノ文化を愛しながら、 実にクールだ。 '70年代を描きながら、無理に時代背景を出そうとしないで、登場人物の髪型や服装、 ちょっとしたセリフでそれを語るあたり、三人三様の人生を時間配分して描く定番を避け、途中から徹底的 にミクロを中心にしていく点(他の二人の分も撮って編集でかなり切ったような気もするが)、そして何 より女性とのロマンスというのを全く描いていない所が、荒削りな印象を与えてはいるが、実に思い切りが 良い。あれもこれもあらゆる要素を入れてしまってダメになった映画がいかに多い事か。三人の俳優の無名 性もいい。特にミクロを演じるダミアン・チャパはこれがデビュー作で、つまらない小芝居を全くしない所 に好感が持てる。

"作家の映画"と"サラダ・ボウル"
   ここしばらく不景気のせいか、客の映画が増えている気がする。マーケティングリサーチ が先行している映画。もう一方は主演俳優のための映画。例えばジャック・ニコルソンの最近の出演作は、 他の誰よりも演じているニコルソンの快感が優先しているのではないか。ちょっと誰か、少し押さえてやれ よ、と言いたくなってくる。それに比べてこの映画は、何より作家の映画になっている。監督のコントロール と冒険が隅々に感じられる。

   時代は'80年代に移り、パコはLAの麻薬捜査官になり、クルスは薬に溺れる日々を送って いた。ミクロはやっとの事で仮出所し、更正しようと小さな鉄工所に勤める。この辺から僕はミクロに感情 移入してしまい、何度も心の中で彼に叫んでいた。鉄工所のボスの前科者への差別。気にするな、ミクロ、 つかこうへい氏の名言をプレゼントしよう。

    「二流の奴ほど、いばりたがる。」
お前は一流のチカーノじゃないのか? そんな社会の罠にはまらないでくれ。しかし、ミクロは現金輸送車 強奪計画に加わってゆく。必死で止めるクルス。しかしミクロは言う。「ほっといてくれ!これが俺なんだ。 」誰もが自分に対する言い訳を探している。それは生ぬるい'90年代の日本にいる僕も同じ事。だけど、だめ だ、ミクロ。今が人生の分かれ目だぞ。また監獄に戻りたいのか? チカーノの神はそれを望んでいるのか?

   現在のロス市の人口約350万人の民族別内訳は、白人51%、ヒスパニック25%、黒人15%、 アジア系8%。これは2050年の全米人口比率とほぼ一致するという。アメリカ人の4人に1人はスペイン系 になり、道は二つに分かれるだろう。一つは、カリフォルニアがアメリカの第三世界になる道。もう一つは、 多様な文化により活気あふれる国際都市が形成されるというもの。クリントン大統領は、後者の"人種の サラダ・ボウル論"を尊重しているらしい。

   良くも悪くもアメリカ化してきた日本もこの問題と無縁ではない。80万人といわれる 在日韓国・朝鮮の人たちへの納税の義務と多くの差別。代々木公園を追い出されたイラン人たち。日本も アメリカも人の意識や社会の空気が簡単に変わるとは思えないけれど、映画は銃よりも有効だろうし、 それは人々が「人種」という概念がただの虚構だと感じられる日まで作り続けられるだろう。 
(キネマ旬報・1993年11月上旬号掲載)

DATA
Blood In Blood Out
●1993年・アメリカ カラー・3時間
●監督/テイラー・ハックフォード 原案/ロス・トーマス 脚本/ジミー・サンティアゴ・バカ、ジェレ ミー・アイアコーン、フロイド・マトラックス 製作/テイラー・ハックフォード、ジェリー・ガーシュ イン、 製作総指揮/ジミー・サンティアゴ・バカ、ストラットン・レオポルド 共同制作総指揮/レネ・ シェリダン、撮影/ガブリエル・ベリスタイン、美術/ブルーノ・ルぺオ、作曲・指揮/ビル・コンティ、 編集/フレデリック・ステインキャンプ、出演/ダミアン・チャパ、ジェス・ボレッゴ、ベンジャミン・ ブラット、エンリケ・カスティロ