シネマ大全 た行・ト

 東京の宿  1935年 日本

小学生の子供二人を連れた父・喜八が、仕事を探して毎日歩き回っている。が、雇い手がない。
子供たちは野犬を捕まえてお金(40銭)に代えて飯代を作っている。彼等が泊まっているのは木賃宿。
そこには、小さな女の子を連れた綺麗な母親(岡田嘉子)がいる。喜八とその子供たちは、この母子と仲良くなる。喜八はこの母にほのかな想いを寄せる。
偶然、飯を食いに入った食堂の女性経営者(おかやん、と呼ばれる。飯田蝶子)が喜八の昔の知り合いで、彼女のおかげで喜八は職にありつき、やっと安定した生活を営むことが出来るようになる。
喜八が飲み屋で酔っ払っていると、例の母親が酌婦(ある種の売春婦)として現れる。事情を聞くと、娘が疫痢にかかり、お金が必要で酌婦になったという。喜八は、金は心配するな、というのだが…。

下町に生きる人々の姿を人情味豊かに描いた“喜八もの”の一つ。カット、カットがどれも素晴らしい構図だ。私の好きな中国映画「こころの湯」の監督が、小津安二郎監督の影響を強く受けているのは間違いない。
そして、小津独特の映画の中の隠された迷路たち…。
映画の前半で、お金が全くなくて空腹になったこの父子が、空き地で、パントマイムで酒を注いで飲むシーンが、とてもいい。豊かなシーンだ。大金がなくても優れた映画が出来る良い例でもある。 何にもなくても、何かある。
そして、三十数年後の“寅さんシリーズ”の原型が、間違いなくここにある。

つまり、寅次郎の父は、喜八(坂本武)だという事になる。坂本武は元々旅回りの役者だったらしいが、実に味のある俳優だ。こういう、生々しく“生きている”という実感のある、ゴツゴツとしたムードを持った俳優が、豊かになった今の日本では見つけにくくなった気がする。
韓国には、少なくとも一人いる。映画「殺人の追憶」のソン・ガンホだ。

(2004.3.13)