岡 村 |
昨日の放送で、富司純子さんの“堪忍え〜”というポーズが凄くキュートだという話をさせて頂いたんですが、やっばり、映画って観客が登場人物の事を好きにならないとダメですね。僕は、この映画は恋愛映画だと思ってるんです。 |
津 川 |
いや、僕もそう思って作っていますからね。やっぱり、感情移入してもらうっていう事が何より一番のポイントですね。それを外したらダメですね。 |
岡 村 |
富司純子さんに惚れちゃう映画。
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津 川 |
アハハハ…。そっちの方の恋愛?
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岡 村 |
いつも思っているんです。良い映画は、観客自身が、出ている俳優・女優に惚れないとダメだって。 富司さんって、こんなにキュートな人だったのかなって。 |
津 川 |
いやもうね、純子ちゃんはとってもキュートです。特にあのマキノ調のね、マキノ雅弘が育てた女優ですから、そのマキノ・イズムってのを良く知っていて、粋だっていう事に関して、お芝居で良く判っている。 |
岡 村 |
男性がいっぱい出て来る作品なんですが、僕はこの映画の大黒柱は、富司純子さんだと思っています。 |
津 川 |
ああ、そう思って頂けると嬉しいですね。
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岡 村 |
長門裕之さんが演じる関西の落語家の大御所が亡くなるという所から映画が始まり、いろんなクセのある人達、濃い〜人たちが、次から次へと現れる。
その中で、落語作家・石田太郎さんが弔問に訪れて、“この度は…”って頭を下げる。その頭が禿げている。パッとカットが変わると、パッと顔上げて、“アッハッハッハ!”って笑っている。ここ、僕が2回目に“持って行かれた”所です。
お通夜なんですよ。ああ、人間って、こういうもんだなぁっと思ったな。 |
津 川 |
岡村さんは、とても監督泣かせの事を言いますね。
僕は、純ちゃんに、あの木村佳乃ちゃんとすれ違う時の“お願いね”っていう芝居とか、太郎さんの禿げ繋ぎで弔問の悲しい顔とわあっと笑う顔の、これがね…。やっぱり、この映画のニュアンスなんですよ。こういう風にお客さん観て下さい、みたいな、最初に出しているジャブなんだけど、それをちゃんと受け止めてもらえているっていうのが嬉しいですね。
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岡 村 |
僕なんか、ヒネくれてんですよ、性格が。特に邦画を観ると、コンチクショーとか思ったりするんですよ。またワンパターンで撮っているなとか、いつもの芝居してやがるな、また自己模倣だなとか、まあ非常にネガティブに観ているんです。
だから、この「寝ずの番」を観る時も、何処かにイヤらし〜い自分がいて、コンチクショーと思いながら観ていた。
でも、石田太郎さんが笑って顔を上げた時に、もう全部忘れてね、“今、俺もこの通夜に、このお祭りに参加しているんだ”って思ってしまいました。 |
津 川 |
マキノ雅弘さん自身がね、やっぱり、映画というのは、お祭りだと言っている。
遊び心から発祥した文化が、お祭りであり、映画でもあるんです。
マキノさんが映画を撮る時は、 “ワッショイ、ワッショイ!”って掛け声が聞こえるほど面白く、皆で撮るんです。凄いチームワーク。
で、このお神輿を担がせているのは、役者であり、スタッフなんですね。
この感覚、あのリズミカルな撮影のスタジオそのもの、現場そのものが、“ワッショイ、ワッショイ!”なんです。今回も、中井貴一ちゃんがお祭りの先頭に立ってくれて、“ワッショイ、ワッショイ!”って大きな扇で煽ってくれて、皆で担いでもらって、それこそ石田太郎さんも、猿若清三郎って死体の振り付けした人も、皆が良いアイデアを出してくれた。
それで、映画が本当に新藤兼人さんがおっしゃるような“集団創造”になった。僕は、“総合芸術”という言葉が好きじゃなくてね。
映画は娯楽なのにね、芸術というのは人が言ってくれるんでね。自分から言う野暮はいないって思っているんですが、“集団創造”って言葉は好きですね。
やっぱり、映画はお祭り騒ぎで作らないと。
そういう現場の雰囲気が、ちゃんと映画に出て来るものなんですよね。
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岡 村 |
では、ここで、“嶋田豪の映画「寝ずの番」のここが大ッ嫌いだコーナー!!”です。 |
津 川 |
ああ、いいですねぇ。
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岡 村 |
嶋田くん。なんか、目つきが凄く怖いね。
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嶋 田 |
いや、僕は今日、自分の人生を賭けてこれやります。
さっき、岡村さんが富司純子さんに感情移入したと言っていましたが、僕はそういう事はなかったんですね。誰にもスポットが当っていない、イコール、皆に当っていたという事が素晴らしかったです。以上です。
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津川 |
えっ、嫌いな所じゃないの?
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岡 村 |
嫌いな所を言うコーナーじゃないの? まさか… 津川さんの次回作に出たいとか思ってんじゃないだろうな? 厚かましいなぁ。はい、どうぞ! |
嶋田 |
あのね、この映画、下ネタなんですよ。下ネタを、これだけ粋に撮れる、カッコ良く撮って、しかも面白く、イヤらしくないという事は… このお方は相当、あの、そちらの方が素晴らしいんだろうなっていう事をね、痛感したんですよ。 |
津 川 |
相当スケベなんだろうとおっしゃりたいんでしょ?
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岡 村 |
失礼だなぁ、ちょっと、今の発言はどうかなあ。
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嶋 田 |
でも、相当、遊んでないと…。
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岡 村 |
遊んでる? 日本の名優をつかまえて!
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津 川 |
いや、いや、いや。それはね、僕は、褒め言葉に受け取りますよ。
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嶋 田 |
ありがとうございます。いや、でも、本当にそう思いました。
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岡 村 |
津川さん、目が笑ってないよ。
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津 川 |
例えば、撮影現場で、木村佳乃ちゃんが跨って“おそそ”を見せるシーンを撮っている時に、長門裕之が、“おい、雅彦。佳乃ちゃん、しゃがまないのか?”って言ったんです。しゃがむっていうのは、僕の発想になくってね。
“何で? ”って訊いたら、“いやね、メガネが曇りたい”って言う訳ね。 |
岡 村 |
うわぁ、凄い話だな。皆さん、想像して下さい。
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津 川 |
それはね、“あそこも息するだろう? 下の口なんだから、息するだろう”と言うんです。僕、役者の発想としたら素晴らしい発想だと思うんだけど、これ、長門裕之にしか出来ない下品な発想ですよ。
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岡 村 |
凄いなぁ…。
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津 川 |
“長門さん、すみませんが、僕にはそういう下品な発想はありません”と言いました。この映画は、そういう風には面白くしたくないんだと。面白さも色々あるけれども、そういう面白さを追求して行ったらね、もう、どんどん下品になって行って、面白いんだけど、下品になっちゃう。
下品を“芸品”で、粋にしてもらいたいなぁ、という思いがあったんです。 |
岡 村 |
長門さんって、凄いですね。
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津 川 |
面白いよぉ。兄貴は、そういう発想が天才的ですね。
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岡 村 |
池波正太郎のエッセイの中に、こういう文章があります。
“男というものは、つまり、旨いものを食って、旨い酒を飲み、時に芳しい女性の香り包まれる…。男というものは、それ以上でも、以下でもない”
僕、すごく好きな言葉なんですが、観終わって、これを思い出しましたね。
人間は、何故生まれるのかというと、パパとママが何かをしたからなんですね。
それで、人間である以上、食べなきゃいけない、絶対トイレにも行く訳ですよ。
そして、いつかは死ぬ。
「寝ずの番」は、人間が絶対にする幾つかの事が全部含まれている、珍しい映画です。 |
津 川 |
この間、北海道の旭山動物園のドラマをやったんです。
その時に、野生動物として生きる根源というのは、セックスと食う事だって聞いた。この二つがなくなったら野生じゃなくなるっていうんだよね。
だけど、動物園だからどうしてもセックスは与えなきゃなんない。
そうするとね、結局、食う事に苦労をさせないと、野生が保てないらしいんです。
人間もこれ。
最近の子は、お金にも苦労しない、という事は、女にもあんまり苦労しない。
それで、食べる事にももちろん苦労しない。
そうするとね、動物本来の逞しさみたいなものが、どんどん失われて行く…。
セックスとか食べるとか、そういう事って、実は人間が生きる根源なんですよ。大事な事なんです。大切なパワーなんですよ。
おろそかにしちゃいけない事なんですよね。特に、セックスは。
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岡 村 |
“英雄、色を好む”っていう言葉がありますが、あれは脳医学的に証明出来るらしいですね。本当の凄い英雄というのは全て、そっちの方も凄いんだっていう…。 エネルギーの基ですもんね。 |
津 川 |
役者もね、あの仕事嫌、この仕事嫌って言っている人は伸びないんですよね。
脇役をやっている人でも、“何でもやります!”っていう人が伸びていますよ。
僕も仕事がなくて苦労した時代に、“お前、悪役やれ”って勧めてくれる監督がいてね。それでやり出したんだけど、やっぱり、悪役って一番わかりやすい。
脇役って、作品全体に対して、“お前は、こういう所に貢献しろ”というのがはっきりしてますから、主役と違って、解りやすくやり良いんですよ。
で、その悪役に、ちょっとした人間っぽさ、強い奴に弱い所とか、弱い奴にある種の強さとか、そういうものを混ぜる事によって、その役に立体感が出て来る。
僕は、悪役をやる事によって、随分と学びました。
まあ、信長をやっていたのと同じ事なんですけどね。
信長って逆転の発想だし、悪役って結局、自分の欠点が全部曝け出て、悪役になる。みんな欲が自分を食っちゃう訳だから…。
そういう意味で、悪役をやると、人間の弱さが見えて来て、凄くやり良いんです。
皆、大抵は、良く思われたいとか、有名になりたいから役者をやる訳ですが、僕が悪役をやっていた頃に、こんな事がありました。
御手洗いのお掃除のオバさんが、僕がオシッコしている後姿を指差してね、“こいつ嫌いやねん、大ッ嫌いやねん!”って、言ったんです。
その時、“やったぁ!”と思いましたね。ざまあ見ろって…。
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岡 村 |
いつだったか、伊丹十三監督が、“戦後の日本には、まだ父親というのが発明されていない。戦前には天皇という名の父親がいた。戦後の日本には、信仰がない。あえて言えば、お金という神様を皆、信じている。で、「マルサの女」という映画を作った”と、言っていました。自分の事で恐縮ですが、自分にとって父親といえるものは、ちょっとキザだけど、映画だったかもしれないなと、僕個人は思うんですよ。いつも、映画から何かを教えて貰っていたなと思います。 |
津 川 |
僕、“サンクスの会”というのを作ったんです。俺達役者は、ハリウッドに教えて貰ったろっていうね。だから、アメリカに“ありがとう”って言おうよっていう。あの石原慎太郎さんが「NOと言える日本」なんて言った時に、ハリウッドにサンクスって言ったんだけど。うん。そういう意味では、やっぱり映画は父ですね。 |
岡 村 |
そうですね。一番、新しいお父さんが「寝ずの番」です。
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津 川 |
このお父さん、なかなか粋でね、いろんな事、教えてくれる。
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岡 村 |
いろんな事…。エッチな事から、エッチな事まで。
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津 川 |
開けていますから。
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岡 村 |
監督、次回作が観たいです。
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津 川 |
今の日本映画は、プロデューサー達がダメで、あの周防正行を10年間遊ばせましたからね。ヒットしたからって、いい映画を作ったからといって、次があるとは限らないんです。プロデューサーが、もう少し大人にならなきゃダメですね。 |
岡 村 |
まず、これを当てて頂いて、4代目・マキノ真由子監督に繋いで頂きたいなと思います。 |
津 川 |
なるほど、真由子監督…。それ、初めての発言だな。
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岡 村 |
「寝ずの番」、いろんな要素がありますが、“Don’t worry Be happy”って映画ですね。“楽しく行こうよ!”っていう映画です。
昨日と今日は、映画「寝ずの番」特集、マキノ雅彦監督=津川雅彦さんに来て頂きました。本当に、時間の経つのが早かったですね。 |
津 川 |
楽しかったです。ありがとうございました。
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岡 村 |
また、是非。ありがとうございました。
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