マキノ(津川)雅彦監督との対話

映画「寝ずの番」によせて(1)


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かわさきFM「岡村洋一のシネマストリート」 2006年4月3日(月曜) 生放送より再構成   アシスタント・島岡美延

  

        

岡 村 僕が初めて津川雅彦さんにお会いしたのは、1990年の「天と地と」という映画の名古屋キャンペーンでした。その時は武田信玄の役をやっていらっしゃったんですが、何故か、織田信長の話になったんですね。「僕は、織田信長という、比叡山の焼き討ちみたいな、ああいう、メチャクチャな事をする革命児が大好きで、以前、信長の役をやってから、ちょっと役者の目が開けたんだ」っておっしゃっていたのをすごく良く覚えています。
津 川

信長という人は、逆転の発想の人でね。“人のやらない事をやる”というのが、表現というものの核心なんで、“銭の取れる表現”っていうのは、人のやらない事をやる事なんです。そういう意味で、名優・長門裕之を兄に持つとね、弟としては、もう一生懸命、逆転の発想をするしかないんです。そういう意味で、信長の“人の居ない所へ攻める” “守ると思わせておいて、攻める”というね、あの攻め方が実に役者としての攻め方と似ているんです。
それで、織田信長を役者の師とするのはおかしな話ですが、信長のやり方を真似て、一所懸命、芝居をするようになったんですね。

島 岡

お兄さんとは、幾つ違うんですか? 

津 川

6つ違いです。 年の差っていうより、やっぱり素質の差ですね。
長門裕之っていう役者は、天才ですよ。
でも、天才の欠点っていうのは、努力をしない事なんですよね。

だから、僕は努力で頑張ろうと、まあそういうところでね、今は、何とか頑張って、兄貴には対抗出来ていますけどね。そりゃあもう、天才には敵わないですよ。

岡 村

信長を演じられて、どうでしたか?

津 川 僕、初めて信長を演じた頃、いつも“兄貴に比べて、こんな大根いない”って言われていたのが、生まれて初めて褒められたんです。
褒められるっていうのが、こんなに嬉しい事なんだって…。今から40年くらい前ですね。その時、初めて開眼したというか、褒められる面白さを味わったんですね。 今も、信長は僕の師ですね。
岡 村 前に、この番組に高橋克典くんが来てくれて、津川さんの話をしたんですよ。
「テレビっていうのは、押し出す芝居をしないと分かり難いんだよ」って言われました、と言っていた。 それはどういう事でしょうか?
津 川

テレビは、どうしてもね、茶の間でね。一番、観客の雰囲気が悪いんですよ。
受け手の態度がデカイっていうか、ながら視聴とかね。
だから、テレビでの芝居は、迫力がないと流されちゃうんですね。
どこかで流れるのを止めなきゃいけない。それから、迫力を持って観ている人に対しての印象付けを濃くしなきゃいけない。それが大事なんですね。
やっぱり、カットカットで、印象付けをキチッとしておかないと、カットが割られる事によって、芝居が薄まっちゃうんです。
すぐにカットを割って、アップに寄って来ますからね。
すると、カット割りに負けない芝居にしなきゃいけないんですよね。

岡 村

それが、強く押し出すという…。

津 川 そうですね。逆に言えば、アップに寄った時には何も芝居しなくていいって事があるんですが、ロングの時はちょっとオーバー目な芝居をする。同時に、また流されない様に気を付けなきゃいけない。テレビって、非常にやりにくいです。
岡 村

それと比べて、映画はどうでしょうか?

津 川 僕が好きな映画の演出家は、俳優の芝居を実に上手く汲み取る様に、アングルもカット割りもして来ます。なるべくナチュラルにやっていれば、それが生きる様になるはずなんです。ところが、どうしてもテレビの場合は、悪く言えばマンガチックにしないと上手く目立たないというか、相手に伝わらない。心に届かない。
岡 村 でも、本当に大切なのは、その人の存在自体がどうなのかって事だと思うんです。芝居を強く押し出すかどうかって事以前に。
津 川 “銭が取れる”のは存在感で、その存在感を作るのは毎日をどう生きているか。まあ、例えば今日、こうして喋っているとする。どう、お互いが本音を喋るか。自分の生き様を貫く様な放送形態にするとか、僕は一つ一つにやっぱり、自分のプライドをかけて喋るっていうつもりでやる。そうしないと、一瞬、一秒を疎かにすると、何か細胞がガタガタして来る様な感じがしますね。
島 岡 こういう、生で喋る仕事というのはいかがですか?
津 川 大好きですね。特に、ラジオって良いですね。
テレビだと、映像を撮っていて、いつも時間がなくてね。
こういう風に、ラジオでのんびり話が出来る。深い話が出来るのは嬉しいですね。

      一見メチャクチャなのを最後にひっくり返す「寝ずの番」

岡 村 さて、今回、津川さんが初監督された映画「寝ずの番」について話しましょう。ブレイク・エドワーズ監督のピーター・セラーズもの、ウディ・アレンのエスプリの効いた感じ、それから、ちょっとフェリーニっぽい、イタリア映画の、本当であって本当で無いような感じ…。そんな、いろんな要素を感じました。よく一緒に仕事をされていた伊丹十三監督の影響というのは、いかがでしょうか?
津 川 作っている内に、僕のテイストと伊丹さんのテイストが実によく似ている事に気付きました。それは、逆転の発想、“捻(ねじ)り切る”という事です。
この… 捻って捻って捻って、捻り切った上で、元に戻すっていう所がね。
今度の場合は、人のお通夜で人の死を冒涜する。そこを嗤(わら)う。そこに卑猥な言葉をいっぱい連発するっていう様な、不謹慎な事で、捻る訳ですね。
死を尊ばない方に、どんどん捻って行って、もう、最後は死体まで担ぎ出して踊らせるみたいな無礼をする訳です。
岡 村 メチャクチャですよね。
津 川 その捻り切ったのを、最後の最後に、ドーンとひっくり返す。
映画の中で、“これは愛です”なんて事を喋っちゃ、元も子もない。粋にならない。
だから、その無礼を無礼しっ放しにしておいて、それが実は愛情なんですよって。 “あの春歌は、本当は御詠歌なんです”、みたいな事が、観客が映画館を出て来るその背中で感じてもらえればいいなって思っています。 
岡 村 ナット・キング・コールで「キサス・キサス・キサス」を聴いて頂いております。今日、曲をお掛けする時間が短いのはどうしてかというと、曲になった瞬間に、すごく面白い話が飛び出して来て、「津川さん、今の話をON  AIRで言っても良いですか?」となってしまうからなんです。何と今、凄い発言が出て来まして…。

津川さん、俳優業が嫌いだというのは、本当ですか?
津 川

大嫌いですね。台詞を覚えるのが嫌いで、それを言うために肉体訓練しなきゃ
ならないでしょ。滑舌も含めて、体の調整が必要でしょ。
体調も整えなきゃなんないし、緩急、強弱、そういうアンチキュレーションも含めて。それと、化粧が嫌い。かつらが嫌い、もう羽二重も、あの髭付けると僕、かゆくてかゆくてね…。だから、役者をやらないで、撮影現場にいられた監督業というのが、凄く楽しかった。

岡 村 でもね…。 今、ちょっと思い出したんですが、映画「マルサの女」で、権藤っていう山崎努さん演じる脱税している悪い奴がいるんですね。
そこに査察が入るシーン、覚えていますか?  査察官の花村って役ですよ。
津 川

よく覚えているね。僕より覚えている。

岡 村 マルサの女=板倉亮子役が宮本信子さんで、なかなか何処に隠し金庫があるか判らない、とってもいいシーンがあるんです。伊丹監督が津川さんに“芸者にモテる査察官をやって下さい”って、撮影前におっしゃったらしいですけど、そこでね…。
「権藤さん、私ね、35万の月給取りですけどね、あんた、法律を破っちゃいけないな。あんたを尊敬しているけど、そこは尊敬できねえなぁ…」
って、こう、寄り掛かって言うシーンがあるんですよ。
僕、あれ見た時に、“これは、芸者にモテる査察官だ!”と思ったし、本当に心の底から、この役は津川さん以外にはあり得ないと思いました。
津 川

あり得るんでしょうけど。そう言って戴くのが、何よりの役者冥利ですよね。

岡 村 伊丹監督は、“俳優が映画作りの全てパートの中で、唯一、100点満点がないパートである。だから、俳優は褒めないとダメだ”って言っています。
監督の立場になられた今回は、その点どうでしょうか?
津 川 まさしくその通りでね。僕が監督をやって一番の長所は、役者がやり良い環境を作る事。これは僕が一番、上手いはずだと思っています。
だから、大抵、本番は1回でOK。伊丹さんの場合は、何回も何回も。それで、随分、懲りているからね。やればやるほど、ダメになって行くんですよ、役者って。
岡 村 そうですね。大体、TAKE1が良い場合が多いですよね。
津 川 TAKE1が、一番良いです。勝新太郎さんなんかもね、本番よりもテストの方が良いって言うんです。
岡 村 カメラを回す前ですか?
津 川 回す前。だから、僕はテストの回数も少なくする。本番→テストのリズムで本番行っちゃうというぐらい、ちょっと早め早めにやり、本番は1回でOKにする。
OKになったら、なるべく早く明るく間髪を入れずに“カットOK!”って言ってあげる、そうすると、次に対する弾みが出て来る。 
岡 村 凄く嬉しいんですよね、“OK!”って言われると。
島 岡 撮影現場の空気がね。
津 川 ホッとしてね。
そういう風に、撮影現場をリズミカルにしてね。映画もリズミカルにしたいけど、やっぱり、現場がリズミカルになるのが一番だね。今回の映画「寝ずの番」は、まるでハードボイルドの様に次々と人が死んで行って、そのお通夜を無礼にも面白可笑しく描こうっていう映画です。
大体、一番悲しい時に笑わそうというのが、落語家のスピリットなんです。
役者の場合はね、例えば、うちの親父が死んだ時に、“親父、親父〜…”って、僕が泣いている時に、兄貴が、“ちょっと来い!”って洗面所へ僕を連れて行って、 “鏡を見ろ”って言って、“今、お前、一番悲しい顔しているから、その悲しい目を覚えとけ”って言ったんですね。

 父親の死も演技の参考にした長門さん

岡 村 えーっ…。 凄い人ですね、長門裕之さんって。
津 川

落語家も、人の死に目の時に笑わせるというのが、逆にプライドなんだなぁって。

岡 村 僕、“ああ、この映画いいなぁ”って、最初に思ったのは、冒頭のシーンで、木村佳乃さんが自分の“おそそ(女性の局部)”を長門裕之さんに見せるために病室へ連れて来られた時に、奥さん役の富司純子さんが、台詞は無いんですけど、“堪忍え〜”って、自分の顔の前で合掌して、その手をちょっと曲げる所。
津 川 横に曲げるの。
岡 村 首をかしげて、“堪忍え〜”って言った瞬間、もう、全部持って行かれた、この映画に。
津 川 やっぱり、役者だねえ。そこを見ている所が凄いね。
富司さんの素敵な所ですよね。
岡 村 台詞がないの。いい映画って、何箇所か“持って行かれる”ポイントがあるんですよ。最初のあの富司さんのポーズで、“ああ、この映画は、もう本当に可愛い映画なんだな〜”って。
人間の可愛らしさが、全部出ている映画なんだなって思って観ていました。

導入部で、もう一箇所凄いのは、いよいよ、“おそそ”を病室で瀕死の病人に見せるっていう段になって、それまで病室にいた人を皆、外に出してしまうシーン。

岸部一徳さんだけは、“俺は息子やから、居る”って言う訳ね。

で、それに対して笹野高史さんが、“一番弟子やから、やっぱり僕が居る!”って言った時の岸部さんの台詞。“おそそと息子は、行ったり来たりの親戚みたいなもんやないか”って…。これって、究極の一言じゃないですか?
津 川 究極の一言で、あれはアドリブです。
岡 村 ええっ、岸部さんの? 凄いねえ。京都人ですね、あの人は。
津 川 ええ、あの人ね。“あー、なるほど”って思って、“それ、使いましょう”って言ったんだけど、みんな和気あいあいでね、ああいうアドリブがいっぱい出て来て、整理するのが大変だった。
島 岡 何処までが台本なのか、アドリブなのか、判らない感じでしたよ。
岡 村 だって、“おそそ”がないと息子もいないわけですよ。“おそそ”は大事ですよ〜。
じゃあ、津川さん、明日の放送で、放送コード、ギリギリの所まで行きませんか?頑張って、二人でちょっと、上手〜くね。
映画「寝ずの番」は、すごく笑える映画なんですけど、“人間って何だ?”という所にタッチしている作品だと思います。明日も、よろしくお願いします。
津川雅彦さん=マキノ雅彦監督でした。ありがとうございました。


 ※このホームページの『シネマでPON!』で、マキノ(津川)雅彦監督との対談映像がご覧頂けます。