私が観た映画 年間ベスト10 2005年〜


2005年
シンデレラマン
アメリカは生きる事の職人だ。ボクシングの練習シーンをほとんど見せていないので本番が生きる。映画は目で観るもの。中期のチャップリンが息づいている、愛すべき一本。字幕なしでも、きっと楽しめたに違いない。
RAY/レイ
ジェイミー・フォックスは、何処を探しても出て来ない。ただ本物の“レイ・チャールズ”がそこにいるだけだ。スパイク・リーなら主観的になり過ぎ、スコセッシ監督だともっと混沌としただろう。さすが、T・ハックフォード監督!
スターウォーズ・エピソード3〜シスの復讐
公開初日の朝一の回に、ドキドキしながら観に行きたくなる映画。ジョージ・ルーカスは、観客へのサービスをどの瞬間も絶対に忘れていない。ラスト、あの二つの太陽が出て来た時、思いがけず、涙があふれ出て来た。
セルラー
携帯電話の長所と短所をストーリー上の有効な小道具として、映画全体で、あます所なく使い、キム・ベイシンガーが生物の教師であるという設定も、見事に生きている。本当に最後の最後まで全く破綻がない快作。
皇帝ペンギン
立って歩くペンギンたちは人間そっくりというよりも、人間そのもの。極寒の中、24時間死と隣り合わせで、じっと身体を寄せ合って耐えている映像は、流血の戦争CG映画よりも遥かに残酷だ。可愛く、苦しく、力強い。
ヒトラー/最期の12日間
ヒトラーを演じるB・ガンツの神業。ゲッペルス夫人が、6人の我が子を睡眠薬で眠らせた後、毒薬入りカプセルを一人一人の口に押し込んで行くシーンの怖さ。 “終わりを描いた映画”として、歴史に残るに違いない。
香港国際警察
俳優が本当に身体を張って演じる凄さというは、最近のハリウッド映画がなくしたものの一つ。“絶対にお客さんをトコトン楽しませるんだ!”というサービス精神には、どんなJ・チェン嫌いだって脱帽せざるを得ないはず。
リチャード・ニクソン暗殺を企てた男
生きて行くという事は、段々と汚れて行くという事だ。エゴイズムの衝突、大小の不運、実に小さな行き違い…。そうやって、知らない内に徐々に落ちて行くマイナス思考の連鎖の怖さ。ショーン・ペンの“負の演技”の威力。
ある子供
ヤバい仕事をしているショボい男が赤ちゃんを売ってしまおうとする、暗く地味な内容だが、語り口はかつてのアンジェイ・ワイダ作品に似て、なかなか見せてくれる。ラストに待っている小さな救いを温かく受け入れたい。
10 さよなら、さよならハリウッド
 “インテリ版寅さん”とも言えるキャラクターを30年近くも演じているウディ・アレン。この安心感は他のどの映画でも味わえない。作品全体がハリウッドや映画批評、プロデューサー達への痛烈な皮肉とも取れる。

2006年

ユナイテッド93
搭乗から墜落までのリアルタイムな2時間。ハイジャック機に自分が乗っている様な錯覚に陥るタッチ。誰だって死にたくはないはず。自意識の肥大化は恐ろしい。テロリストを演じた4人の俳優が素晴らしい。

M:I:V
潤沢な制作費と、あらゆる層の観客を楽しませ納得させるノウハウを持ったアメリカ映画の“これでもか!”という圧倒的な力強さ。悪役=フィリップ・S・ホフマンの倣岸さが、映画全体の太い背骨となった。

ミュンヘン
ヒットマン物としての劇的興奮と同時に、人を殺し続けて行く人間の心と顔が変わって行く怖さ、終わりなき憎しみの連鎖のその先に潜む暗闇をもキチンと観客に提示している。賛否両論のラストを私は評価したい。

太陽
“子供みたいだ。誰かに似ているが、それが誰だか思い出せない”マッカーサーの台詞が人間天皇を言い当てている。静かだが緊迫感あふれる映像に、時折、ポカリと浮かぶユーモア。ソクーロフ監督の直感力。

武士の一分
前作より、全体的になめらか。山田洋次監督は、編集の段階で、“キムタクらしさ”を徹底的に排除して仕上げたという。敵役にも老朽化した殿様にも、“武士の一分”を持たせて温かい。ラストは泣いてしまった。

サラバンド
また、I・ベルイマン監督の新作が観られる幸せ。リブ・ウルマンが瞬間、うつむくだけでそこに劇的空間が生まれ、人と人との間に横たわる深遠な謎が提示される。映画自体が堂々としていて、大きな森みたいだ。

嫌われ松子の一生
遊び心あふれる映像の花火の連射は、キッチュでデコラティブで、果てしなく楽しい。不幸も、また楽し。この世の出来事は何もかもが茶番で、やはり悲劇も全て喜劇だったのか?松子は、幸せを“待つ子”だった。

プラダを着た悪魔
カリスマ編集長を演じるM・ストリープの貫禄。以前の、カメラが回った瞬間“私、何かしなくっちゃ!”という感じがなくなり、最早、厳しさも弱さも優しさも演じようとはしていない、ある境地に達している。

単騎、千里を走る
古い村、古い建物、かなり面倒な父子関係。74歳の高倉健が、最新機器のビデオカメラやデジカメを扱い、それが映画の中で効果的に作用している面白さ。中国の巨大な景色と少年・ヤンヤンの事を今も思い出す。

10

硫黄島からの手紙
 “銀残し”の様なくすんだ色調の画面が本来の色を帯びるのは、爆撃による炎の側に人間が近づいた時だけ。黒く汚れた日の丸の赤は、紛れもなく血の色だ。愚行の繰り返しを淡々と糾弾するイーストウッドの冷徹さ。


2007年
善き人のためのソナタ
“お前はインテリか? そうじゃないなら考えるのは上官に任せろ” 盗聴という恥ずべき行為を繰り返しながら、段々と人間性に目覚めて行く男。淡々と進むラスト15分の静けさにこの監督の品格が現れている。
デスプルーフinグランドハウス
タラちゃん作品の系譜で言うと、「ジャッキー・ブラウン」の破天荒さが上手く伸び、語り口の稚拙さが消えてなくなった感じ。後半の後半、カー・アクションの凄さ、切れ味の良さ…。思いもよらない快作だった。
愛の予感
全く会話のない2人の生活が映し出されるだけのスクリーンから目が離せないのは、ちょっとした動作や画面の変化が心の微妙な動きを表現しているから。この信号を見出せるか否かがこの世とあの世の分かれ道。
夕凪の街 桜の国
被爆した若い女達が黙々と身体を洗っている女湯。ケロイドの後が生々しい背中。誰も何も語らない。これほど一瞬で核兵器のむごさをくり抜いて見せた映画は観た事がない。娘のひと時の幸せと病気の対比が強烈。
ゾディアック
“俺を映画化して欲しい”と言っていた犯人が生きていたら、この映画を観るかもしれぬ。誠実に犯人を捜す主人公と同じく映画自体も誠実に物語を展開させるが、監督が素材に“取り憑かれて”いるのが面白い。
ロッキー・ザ・ファイナル
エイドリアンの兄・ポーリーは、もう一人のロッキーだ。60歳になったロッキーは、昔よりも講釈が多いが、ファイト・シーンは見せてくれる。もしも、あなたが映画ファンなら、きっと涙が止まらないだろう。
松ヶ根乱射事件
人間は全て、ねじれ歪み、時には何かを乱射したくなるもの。その深層心理に潜むケダモノを、なだめすかしながら何とか80年くらいの暇を潰して過ごして行く…それがこの人生というものの正体じゃないのか。
シッコ
“M・ムーアは、共産主義者だ”と言うアメリカ人も多いらしいが、相当ズレている。“資本主義である以上、ある程度の格差は仕方がない。だが、これはあまりにも極端で異常じゃないか?”と言っているのだ。
レミーのおいしいレストラン
アニメとは思えない美味しそうな料理たち、魅力的なパリの街並みと、心躍るような映像の連続…。料理上手なレミーが、レストランでは御法度のネズミだというパラドックスの面白さ。誰もが楽しめる快作だ。
10 グッド・シェパード
一切こけおどかしのない淡々とした演出に、“超大国のエゴ”や“争いを繰り返す人間の愚かさ”が浮き出て来る。何だか、この映画&冷戦時代そのものが巨大なブラック・ジョークにも思えて来るから不思議だ。