大都会の真ん中を縦横に駆けめぐる東京マラソンが、2007年2月18日、冷たい雨の中、3万人の参加者の熱気に包まれて開催されました。東京都心の交通を7時間にわたって止めるこの大会は開催前から賛否両論あり、今回限りかも、という憶測も飛び交い、10万人近くの応募者から抽選で運良く参加の機会に恵まれました。
東京見物をしながら都心の大通りを走れる機会など滅多にないので、抽選に漏れたマラソン仲間からは「いいな、いいな」と何回もメールが来ました。初めての東京マラソンにうきうきしていたのはよかったのですが、前回のホノルルマラソンから2ヶ月という調整期間は、やはり短すぎました。
ホノルル後、1月はじめから走り始めたのですが、少し走ると足が痛くなり、いたい場所をかばうと別の場所が痛くなるという案配で、前日のゼッケン受け取り時も右足の甲が痛くて足を引きずる状況で、最後まで走りきれるか、かなり不安でした。また、今年の冬は暖かく練習にはよかったのですが、当日の雨の予想もかなり不安でした。
前日の夕方から降り始めた冷たい雨が朝もやまず、100円ショップで買った雨合羽をきて荷物預けトラックに向かいましたが、都庁前の道は身動きできないほどの人でごった返していました。
やっとの思いで、荷物を預けましたが、もはや配布予定だったポンチョはなく、強まる雨にカッパを買ってきて本当によかったと思いました。人並みに押されながらやっと最後尾の整列エリアKにつき、整列をしました。あとからまだどんどん人が来てスタートまでのおよそ1時間半は身動きもできませんでした。
9時10分に号砲がなりスタートでしたが、号砲も聞こえず、列が何となく動きだして出発を知りました。大勢のランナーが「都知事?!」と手を振りながらスタートラインを踏んで行きました。私がスタートしたのは号砲から16分後の9時26分でした。号砲とともに華やかに紙吹雪がまってトップランナーがダッシュしていく様子はあとからテレビで見て知りました。
スタート後は道も広く、前のランナーにつっかかったり、後ろから押されたりすることもなくスムーズに走ることができました。雨にもかかわらず沿道はすでに応援の人たちで一杯でした。歌舞伎町の入り口では六大学の応援団が太鼓にあわせ景気よく応援をしてくれていました。
どこでカッパを脱ごうか考えましたが、3km位で雨がはれそうだったのでカッパを脱いで走路員に片付けてもらいました。早めにトイレにいこうと思いましたがトイレはどこも長蛇の列でした。
しばらく順調に走り、皇居が見えてきました。皇居の北側、東側をまわり日比谷公園にでると見物の人たちが歩道からはみ出すほどでした。ここから南に品川へ向かいました。芝公園でトイレに5、6人並んでいるのが見え、出てきたランナーに待ち時間を聞くと7,8分というので、その最後尾に並ぶことにしました。ところがその列は左に曲がっており、その先になんと20人ほど並んでいるのが見えたのは並び始めてから7,8分も過ぎた後でした。しまった、選択をあやまった、と思いましたが、すでに10分近く過ぎてしまい、この先も込んでいることが予想されたのであきらめて並ぶことにしました。うらめしいことに、並んでいる間に雨脚が強くなりすっかり体も冷えてしまいました。カッパをぬがなければよかったと後悔しましたが、後の祭りです。
公園の職印の方が親切に誘導、整理をしてくれ、無事、走路に戻ったときには20分がたっていました。走路にでてあたりを見回すと、反対車線は品川で折り返してきたランナーで一杯でしたが、自分の周りはすでに人影もまばらで、なんと「制限解除」と書いたパトカーとその後ろにはとバスがついているではありませんか。関門での時間制限と制限に間に合わなかったランナーを収容するバスであると気づき、さすがにあわてました。まだ15kmの品川までたどり着いていないのにここで捕まっては大変、と必死にスピードをあげて、前の集団の中に入ることを目指しました。
15kmの関門を通過し、品川で折り返して少したったところでさっきのパトカーが関門を閉鎖しているのが見えました。ああ、よかった。とりあえず、セーフです。しかし、スピードアップの影響で17kmあたりから左膝が痛くなり始めリタイアしたい誘惑に駆られ始めました。昨日、「初めてフルマラソンを走る友人にアドバイスはないか」と聞かれ、「中間点以降は足も体も痛くなるが、こらえさえすれば誰でも完走できる」といいはなってしまったことを思い出しました。
両足義足のランナーが松葉杖をつきながら走っていました。それをみて、足が痛いではない、まだ中間点にもきていないし、ここでやめてはとんでもない、いよいよまで我慢しなくては、と気を取り直しました。
 |
日比谷公園にもどり、銀座を通って日本橋に向かいました。この地はかつて祖父が弁護士事務所を構えていた場所です。心の中で「おじいちゃん、浅草まで行ってきます!」とつぶやき、浅草の雷門に向かいました。途中、水天宮、合羽橋、蔵前、と電車では通るものの地理関係がよくわかっていなかった地名を見ながら、「ここにきたことある」、「こういう位置関係だったのだ」、とひとりで納得しながら浅草を目指しました。
浅草の雷門周辺は太鼓の催し物もあり大変賑やかでした。雷門をぐるりと回り、歌舞伎座の前をとおり、30km地点を通過して、銀座まで行けば35km、先が見える距離ですが、ここらあたりが一番苦しいところでした。30kmからは自分の時計を何度も見ましたが、壊れたのかと疑うほど全然進んでいないように思えました。給食所も私が通ったときはすでに、バナナも、パンも、人形焼きもありませんでした。しかし、沿道の応援の人たちがあちこちであめなどをランナーに配っていました。私も「これであと5kmは走れるよ」と声をかけてもらいながらチョコレートをいただきました。銀座まで来ると冷たい雨もすっかりはれていました。あと一息、あと1時間、と自分に言い聞かせ、お台場に向かいました。橋の上り下りの先に、お台場の観覧車が小さく見えてきました。ここらあたりまでくると立ち止まって足を伸ばしているランナーも多くなってきました。あと5km、あと3km、あと2kmと残りを数えながらゴールのビッグサイトを目指しました。ホノルルの時は40kmを過ぎた時点で残りの時間を計算し、スピードを上げることができましたが、今回は走り続けることが精一杯でした。ピンクのゴールの門をくぐると「おめでとうございます」とボランティアの人が完走メダルをかける声と、「ありがとうございました」と返すランナーの声で満ちあふれていました。
今回のマラソンは3回の中では一番つらかったですが、悪条件のなか、こらえて走りきることができ、こらえてよかったと思いました。大会を支えてくださった多くの方や雨の中、沿道で応援してくれた多くの方々の親切に感謝の気持ちで一杯です。多くの方々と励まし、励まされ、冷たい雨とは対照的に心温まる1日でした。
|