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名古屋ウィメンズマラソン
 2009年は新型インフルエンザの流行のため、海外への渡航を中止しましたので、2010年のホノルルマラソンを楽しみに練習に励んでいました。しかし、その年の1124日の昼休み、運動中に転倒して右手首を骨折してしまいました。近くの整形外科の院長先生に整復していただき手術はしないで済みましたが、8週間のギプス固定となり、12月のホノルルマラソンは急遽キャンセルせざるを得ませんでした。同行のみなさんに大変ご迷惑と心配をおかけし、自分でもがっくり落ち込んだ年末でした。

年が明けて2011年、ギプスもとれ、徐々に運動を始めたところ、311日の大震災で、日本中が運動どころではなくなりました。暑い夏がすぎ、少しずつ運動を再開していましたが、怪我をして迷惑をかけるのでもうフルマラソンはやめようと思っていたところ、マラソン仲間から「2012年の3月に名古屋で第1回のレディースマラソンが行われ、募集は15,000人、制限時間7時間1分、完走賞がティファニーの特製ペンダントよ」とお誘いがあり思わす景品につられて申し込みをしました。

今度は怪我をしないよう、走る距離も減らしトレーニング後のケアも十分注意して練習に励んできました。11月中旬のハーフマラソンは暑さとまだ十分走れていなかったので13km地点で足がつり、ここで怪我をしてはいけないとはじめての途中棄権をしました。12月にはいって涼しくなり調子も出てきた矢先、特に変わったことをしたわけでもなく、転んだわけでもないのにランニング中に急に右足が痛くて走れなくなり、歩いて帰ろうとしましたが、それも無理で電車にのって家に帰ってきました。しばらく運動しなければ直るのではないかと思い、連休や年末年始休みに入ったのでそのまま休養しました。痛みは少しずつ引いたものの、思ったより回復が遅く変だとは思いましたが、そんなものかという思いもあり、少しずつ歩いていました。1月中旬になり、マラソンまで2ヶ月となったのでいよいよ本格的に長い距離を走ろうと思っていたところ、その前に念のため整形外科受診をするよう周囲からすすめられました。そこで1月中旬の夕方、整形外科でレントゲンを撮っていただいたら、なんと右足第3中足骨の疲労骨折でした。完全に折れていました。そのときのショックは言いようがありません。「ショックだ、ショックだ」と言いながら整形外科の診察室の中を歩き回り、院長先生や看護師さんに苦笑いされる有様でした。一晩寝て気を落ち着け、2月はじめまで休み、1ヶ月あるので調整して完走を目指そうと決めました。焦る気持ちをおさえ、2月から少しずつ走り、311日のレース日を迎えました。2010年のホノルルマラソンは、初マラソンだったクリニックのマネージャーと一緒にゴールするつもりでしたがそれも叶わず、自分が行うつもりだった同行者のリーダーの役目もすべて彼女の肩にしょわせてしまったことが何とも申し訳なく、今度は最低でも半分まで、できれば一緒にゴールしたいという思いでした。

マラソン当日は朝から晴れ、名古屋特有といわれる風も無く絶好のコンディションでした。このマラソン大会はロンドンオリンピック女子マラソンの国内最終選考会だったため、普段テレビで見る有名選手も多く、その走りを間近で見られることも楽しみでした。女性ばかり1万人以上が名古屋ドームに整列し、震災の犠牲者への黙祷をして910分の号砲で選考会の選手からスタートしました。参加者が大勢だった割には順調にスタートし、TDJのユニフォームであるブルーの富士山のTシャツを着た私たち二人は、号砲から5分ほどでスタートできました。道幅も広く、足元もなめらかで走りやすいコースでした。とにかく骨折から直ったばかりの足を痛めず完走するため、最初から7分半前後のペースを守ってゆっくり順調に走りました。40分ほど走ったところで第一折り返しを戻ってきた尾崎好美選手、野口みずき選手などのトップ集団とすれ違いました。力強くあっという間に走り去っていきました。その後、17-18km走ったところで、尾崎好美選手と中里麗美選手が日本人トップ争いをし、後ろから野口みずき選手が迫ってくるところに出会えました。トップ選手の走りを間近で見たのははじめてだったので興奮しました。

トップ争いが過ぎさったあと、どこからか「新井先生、頑張って!」という声に気づき、あたりを見回すと、TDJで一緒に活動している青森の木村先生ご夫妻が沿道から応援してくださっていました。大勢のなかから良く見つけてくださったと、力を得ました。TDJのリーダーの南先生とは何回かすれ違い、そのたびに声をかけてもらい、またハーフにゴールしたTDJの井田先生に見送られ、中間点を過ぎました。普段はそのまま走るのですが、今回は完走のために慎重を期してアミノ酸、はちみつなど持ってきた補食をし、ストレッチをして、あと半分、と気合いをいれました。24kmあたりから右足がつりそうになったので梅干しを食べスピードを落とし足がつらないよう注意を払いながら名古屋城に向かって進みました。足がつりそうなのはなおって、また走れるようになりました。給食所ではバナナ、パン、ういろーなどが5km毎にあり、毎回食べていたら食べ過ぎました。25km過ぎで今回のマラソンを誘ってくれた仲間に追いつき、励ましながら名古屋城の脇を通り、30km地点で第二折り返しをもどりました。

ここまではほぼ4時間、練習通りに来ました。あと12km。しかし、かなりつらくなってきました。給水所、給食所の2.5kmを目標に走り続けましたが、35kmくらいでぽつぽつ雨が降りはじめ、38km地点ではあと4kmなのに、足がつりそうなんだか、具合が悪いんだか、どこかが痛いんだか全くわからなくなりました。ここまで一緒に走ってきたクリニックのマネージャーの彼女に、「先に行ってて」と言って歩くつもりになっていましたが、「せっかくここまで一緒にきたのだから一緒にゴールしますよ、頑張りましょう」と励まされ、なんとか走ったり歩いたり、沿道から「まだフォームいいよ、走れてるよ!」と声をかけられ、ようやくドームが見え、手をとりあってというより、手をひっぱってもらい、5時間43分で一緒にゴールしました。一緒にこの苦しさやつらかった時間を共有し、それらを共同作業で乗り越え一緒にゴールできた喜びはひとしおで涙がでました。私たちにとってクリニック10周年の思い出に残るうれしい出来事になりました。

マラソンはつらくても自分の足でゴールしなければならない自己との闘いですが、仲間に励まされ、おなじ苦しさや喜びを共有できる、この緩やかな連帯感が私は好きです。諦めなければ速くなくともゴールにたどり着けます。あんなに苦しくてつらかったのに、この喜びを味わうためまた日々の練習に励もうとしている自分がいます。これがマラソンの醍醐味なのでしょうか?もちろん、怪我をしないよう、これからも十分気をつけます。 
院長