2000年まとめ
Date 2001.2.7


年が明けて1ヶ月が経ち今更な感じですが、とりあえず2000年を振り返って見ようと思ってこのコラムを書いてます。

まず2月。年明け最初の代表試合はカールズバーグカップでした。日本はメキシコに1−0で負け、香港選抜にPKで辛くも勝利し3位を手にしています。 そしてすぐにアジアカップ予選。ここではシンガポール、ブルネイ、マカオと対戦し3試合合計で15得点&失点0で全勝。まぁ、言葉は悪いかも知れませんが“格下”ですから・・・。

次に3月。中国とキリンビバレッジサッカー2000で対戦。結果はスコアレスドロー。A代表の調子は悪かったが、五輪代表の親善試合ではニュージーランドを相手に4−0と一蹴。

4月にはソウルに赴いて韓国との親善試合が1試合あっただけ。この試合で韓国が退場者を出しながらも1−0で負けてしまいマスコミによる“得点力不足”が爆発(笑)。

5月には目立った活動が無く、6月へ。そうハッサン2世カップです。現世界王者フランス相手にPKまで持ち込む接戦。そしてなんと言っても西沢&森島のセレッソコンビの大ブレイク。マスコミもこぞってべた褒め(笑)。個人的に2000年ベストマッチ。ジャマイカにも98年フランスワールドカップの借りを返して4国中3位。続くキリンカップではボリビアに勝つがスロバキアの高い壁を崩せず単独優勝はならず。

7月、8月はオリンピックへの準備期間。キリンチャレンジ2000ではUAEを相手に五輪をベースにした代表で勝利。トルシエもオーバーエージ枠を誰にするか悩んだでしょう(笑)。

9月はオリンピック本番。直前の親善試合2戦とも勝利し弾みをつけシドニーへ。グループリーグ第1戦では驚異的な身体能力を見せつけた南アフリカに高原の2点で勝利。第2戦ではいい形の攻めを繰り返しスロバキアを2−1で下す。予定ではこの時点で決勝トーナメント進出が確定しているはずだったがブラジルが南アフリカに負けたため混戦に。そして第3戦のブラジル戦。“マイアミの奇跡”の再現はならず1−0で惜敗。しかしブラジル相手にイイ試合を見せてくれ、スロバキアも南アフリカを下したので日本は2位でグループリーグを抜けることができました。 そして疑惑(?)の決勝トーナメント第1戦対アメリカ戦。延長でも勝負が決まらずPK戦へ。日本の4本目、中田英寿が蹴ったボールは右ポストにはじかれ・・・アメリカは5本全部を決め勝利はアメリカの手に。多くのひとが本山の投入を望み、そうしなかったトルシエに対し疑問を感じた試合でしょう。別の意味で個人的にベストマッチ其の2。

10月にはJOMOカップ(vsJリーグ外国人選抜+R・バッジオ)、パリ・サンジェルマンとの親善試合と消化し、アジアカップへ。準々決勝まで快勝を続け、準決勝対中国、決勝対サウジアラビアと厳しい2試合で勝利を手にし見事アジアの王者に輝いた。この中田英寿抜きの日本代表を引っ張っていったのは名波でした。イタリアで得たものがあったのでしょう。今までの名波とは“何か”が大きく変わっていました。

12月には2000年の締めくくりとして日本の永遠のライバル、韓国との対戦。韓国が退場者を出しながらも1−1のドロー。アン・ジョンファンの個人技とホン・ミョンボの守備の巧さが目立った試合でした。


ざぁーっと2000年の出来事を振り返ってみましたが、何かコラムじゃないですね(汗)。まぁ、書きたいことを書いていくという方針なんで勘弁してください。今年は欧州遠征が頻繁に行われるようで代表の試合が多く楽しみが増えそうです。




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