又余談に流れてしまったけれど、ここからが本編。
セヴンストックは28日(土)と29日(日)開催された。一日目は北米地区を担当するマツダのアメリカ本部で行われ、翌日はそこから車で30分程の所に在るレーシングビートと云うチューナーが催しをする仕組み。
私は2日間もぶらぶら出来なかったので一日目(日程)だけにした。とにかく、朝9時半から駐車案内が始まるので、9時45分頃出向いた。あんなに車が集まるとは驚き。日本では横浜の大黒埠頭の7月7日のあれが有るが、これはそれ以上の台数だと目で見て感じた。微妙かもしれないので責任は取れないが、駐車できる敷地は大黒を遥かに凌ぐ。
自分に取って、この催しの目玉はロータリーエンジンを当初開発してた代表格と云える方とちょっぴりお話が出来た事。高田和夫氏(たかた・かずお氏)は高田婦人と初めてアメリカに旅行したらしくて、皆の前で最初からの形跡を見事に、そして簡潔に語って頂いた(11時半頃)。実は高田氏の和文を英文に訳していたのが小早川隆治氏だった。
名前を知らない人はNHKで放送されたあのプロジェクトXのヴィデオを是非とも観て欲しい。自分の記憶が正しければ、高田氏はロータリー47士の一人である。原爆で兄を亡くしながらもご存知東洋工業で新しいエンジン開発に懸命だった。廃墟と化した広島市で、悲しみの中只管広島市の再建を望んでいた色んな方々の一人が高田氏である。広島復興とロータリーエンジンは切っても切れない関係にあったと言っても過言ではないだろうか。
詳しい話は余り覚えていない上、自分はその当時を行き抜いた一人ではない。誤解を招く事は避けたいので、これ以上語れない。只言える事は、その当時強烈な形で自分の町を破壊され、家族等を奪われながらも懸命に広島の意地をいづれ日本だけでなく、世界に見せ付けたのは凄い事だと私は思う。あれから50年以上経過しているが、当人達に取っては今でも忘れられない悲劇かも知れない。ロータリーエンジンに情熱を注ぎ込んだその一人が、世界だけでなく、当時の敵国の子孫等の前でそのエンジンについて熱く語る事は容易な事だったのだろうか?それは判らないが、自分だったら非常に複雑な心境だったと思う。
ちょっと涙ぐんでしまう感じだが、お写真を撮らせてもらったので観て下さい。高田さん拍手有難う御座いました。78歳と聞いたけれど、力の漲る握力は年齢を裏切る凄さに感じた私だった。
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