清水先生の思い出

長期にわたり音楽コンクールの審査員や東京音大、武蔵野音大等で後進の指導にあたり
日本のチェロ会のために多大な貢献をされた清水勝雄先生がガンのため先月20日に亡くなりました。
享年78歳でベッドから起き上がることができなくなってもレッスンを続けていたそうです。
本日先生宅にお伺いし奥様にチェロにまつわるいろいろな話を伺ってきました。
また、APAでは特別会員にもなっていただいており、APA関係者では石川嘉一さんがかなり古くからの
お弟子さんで芸術祭のマネージメントを担当されているSTJapanの辻社長も門下生と聞いています。
私自身はチェロを始めたばかりの大学4年生のときボーイングやヴィブラートの基礎をやり直して
厳しく指導いただきました。先生は厳しい方ですが非常に熱意を持って気さくに指導されたため
アマチュア、プロを問わず常に弟子入りする生徒が続いていたようです。
私は実際にレッスンを受けていた期間は2年弱程度でしたがコンチェルトを弾くための技術を
一通り教えていただきました(実際に使いこなせるかどうかは?)
思い出としては師匠の演奏会の感想を聞かれて、こうしてほしいといと言うと次回にはそのとおり
弾いてくれたり、私がいち早く曲がったエンドピンを取り入れると先生も試されると言う具合で、
本当にフランクな方でレッスンに行かなくなってからも弟子の管理を任されていた奥様から案内が
来て先生の演奏をずっと聴くことができたことは大変すばらしいことでした。
2000年4月16日に喜寿コンサートを3曲のチェロ協奏曲で大成功を納めた後、地方を回られて
体調を崩し12月に入院して末期のガンと判明したそうです。その後も2001年に入って病院での
演奏を含め何度も演奏会に出演されベッドでご自分の演奏を見てご自身の体力に応じた演奏法を
常に研究されていたそうです。
昨年末までもたないと言われた先生が12月に病院でコンサートをされている年賀状を見て、私も
久しぶりにレッスンを受けようと今年に入って大曲の勉強を始めましたが間に合いませんでした。
ご冥福をお祈りいたします。




清水勝雄氏=チェリスト


 清水勝雄氏(しみず・かつお=チェリスト)20日、呼吸不全で死去。78歳。告別式は28日正午、東京都文京区大塚5の40の1護国寺桂昌殿。自宅は北区中里3の14の17。喪主は妻、佑子さん。

 天皇陛下が皇太子時代の1970年から25年以上にわたり、チェロの進講役を務めた。

(読売新聞2月20日)

 

天皇陛下:清水勝雄さんの死を悼み、チェロを演奏される 
2002.02.21
 天皇陛下のチェロの先生だったチェリストの清水勝雄さんが78歳で死去した20日の夜、天皇陛下は御所で皇后さまのピアノの伴奏に合わせて約1時間、チェロの演奏をしていたことが21日、分かった。側近は、指導を受けた清水さんの死を悼んで演奏したのではないかと話している。

 演奏は夕食後、御所の居間で両陛下だけで行われた。天皇陛下は70年から92年まで清水さんに400回以上にわたってチェロ演奏の指導を受け、皇太子時代は東宮御所で職員を交えて演奏会を開くなどしていた。しかし、即位後は公務が多くなり、こうした演奏会を開く機会はなく、時々、御所で一人あるいはピアノの皇后さまと演奏している程度だという。

 清水さんが亡くなったことはその日の午後、報告されており、両陛下は28日の葬儀に向けて生花を贈った。

[毎日新聞2月21日] ( 2002-02-21-20:26 )




チェロの「恩師」に捧ぐ、両陛下が「追悼演奏」



 天皇陛下のチェロの進講役だった清水勝雄さん(78)が亡くなった20日の夜、天皇、皇后両陛下が“追悼演奏”されていたことが21日、侍従の定例会見で明らかにされた。侍従によると、食後の約1時間にわたり、皇居・御所の居間から天皇陛下のチェロと皇后さまのピアノによる合奏が聞かれた、という。

 陛下は清水さんを「温厚で穏やかな人だった」としのび、20日夕には侍従を通じ「長い間教えて頂いたことを思い出しています」と家族にお悔やみの言葉を伝えられた。その際には、皇后さまからも「皇室にいい音楽をくださってありがとうございます」との言葉が添えられた。

 清水さんは陛下が皇太子時代の1970年から25年、計約430回のレッスンを受け持った。両陛下は一昨年4月、都内で開かれた清水さんの「喜寿記念3大チェロ協奏曲演奏会」を鑑賞されている。

(読売新聞2月21日19:33)