敦煌

敦煌の敦は「大きな」煌は「盛ん」の意味。

敦煌の町は紀元111年、漢の武帝が都を置いたことから

始まった。当時は「沙州」と呼ばれ、シルクロードの軍事的

要衝のひとつだった。ここから西は漢民族からは「西域」と

名づけられた。

唐の時代になると世界に名高い莫高窟の建設が本格的に

なり、東西貿易の中継地点、文化の都として花開いた。現

在の敦煌は清代につくられた町だ。

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莫高窟。

敦煌から南東へ25キロメートル。鳴沙山の東の断崖に掘られた石窟。4世紀から約1000年の間に造られたこれら石窟は、その数約1000といわれる。インド仏教芸術を基礎としたこれら仏の顔は、たしかに時代を超えた異次元へと旅人を誘う。現在、492の窟が確認されており、旅行者はあらかじめ決められた約30の窟を見学することができる。

  ↑莫高窟の牌楼。   ↓大仏の入っている建物。 

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そこに広がる世界は実に多様で、西域を経てインドから仏教が移入した頃のもの、全盛期の中原風のもの、衰退・形式化した密教の時代に至るものと、石窟の一つ一つにその時代と文化が反映されている。壁画の題材からその時代の仏教思想がうかがえ、描写された風俗からはその時代の文化がわかる。支配民族が変われば壁画や仏像の姿はまるで変わってしまい、技術が芸術として花開き、ついには衰退していく様子もありありとわかる。1000年に及ぶ時の流れを感じる。

 

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左側四角いところ全部が窟の入り口。

 

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