寧波

 遣唐使の着いた港として日本と結びつきが深い古都。

寧波は長江三角州の東南に位置する海浜都市である。東は東海、北は杭州湾に面し、海岸

線は830kmに及ぶ。市の面積は9365Kuで、人口は530万人。もともと明州といったが、明

代に寧波と改名された。

 不老長寿の薬を求めて東の海へ旅立った徐福は、寧波の慈渓の港から日本に向けて出港

したという伝説が残っている。日本と寧波との関係は深く、遣唐使などの日本人留学生や僧侶

の多くは寧波を経由して中国各地へ旅立っていった。1404年に日明間で勘合貿易が正式に

開始されたが、勘合船はまず寧波に入港し朝廷の査証を受けた。1523年には、博多の大内

氏と堺の細川氏が貿易の主導権を巡って争った寧波の乱の舞台ともなった。

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天一閣

天一閣は、15611566年にかけて建設された現存する中国最古の蔵書処。中国古代史を研究するにあたって重要な文献ばかりが保管されている。もともとは兵部右侍朗の範欽という人の蔵書処であった。収められている蔵書は30万以上と膨大な量に上がる。

天一閣は建築物や庭園のレベルが高いことでも有名だ。北京故宮の文淵閣、円明園の文源閣、瀋陽故宮の文溯閣、杭州の文瀾閣はこの天一閣の様式を模して造られている。

 

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また、明州碑林には宋代から清代にかけての石碑が集められている。天一閣付近の北闘河は、昔の城の堀跡。

 

 

 

 

収められている蔵書。

 

 

 

 

 

 

 

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同上。

 

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