春の南欧記 1
旅に出る理由・・・
私にとって旅行に出る大きな一つの目的は非日常への旅ではないだろうか。
日々の営みの繰り返しや、人々が勝手につける私への評価、自分自身が作り 上げる物差し。それらは抵抗しがたいものがあり、時には自分が何をしたか
ったのか、自分らしさとは何か、そんなことすらわからなくなる。いつの間 にか自分で自分を縛って不自由にしてしまう。
旅行をしていると、自分の勘を頼りに歩き、その街の匂いを嗅ぎわけ溶け込 んでいく。
興味のままに足を進め、好きなものを見て味わう。 そんな事を繰り返していくうちに、五感は冴え渡り素の自分に戻っていくのだ。
つまり、本来の野生の自分と出会うのが私の旅でもある。
今回のおおざっぱなスケジュールはパリから入り、ミラノに行きそこから西に、
コートダジュールとプロバンスにそれぞれ数日滞在し、カルカッソンヌ とジローナあたりを経由したのちバルセロナから出る。
要するにパリからin、バルセロナからoutということだけは必須で、 あとは何も決めていないのであった。
パリの中心に着くには23時を過ぎるということは明らかだったので、 その日だけは日本から電話でホテルの予約を取っておいた。
ミラノからバルセロナ、特にコート・ダ・ジュール は私のオハコでもある。 何度となく来ている。しかしまだまだ行っていない場所があり、もう一度行き
たい場所もある。 プロバンスはそれに比べると、未知の世界だ。ニームやマルセイユくらいしか
行っていない。
春の南欧記 2
成田には出発の三時間前に到着。 チェックインカウンターへ。
荷物は機内に預けないために小型のトランクを一つだけにして手荷物扱いにし、パリで少しでも早く空港を出たかったのだが、今回は何故かカウ
ンターのお姉さんが渋る。 ・・・というか、半強制的に預けるように言われてしまった。
これにはちょっとがっかりだった。 今まで同じ型のトランクで、機内持ち込みで問題があったことはなかった
のにである。
さらに気掛かりだったのは、乗り換えがあるので、荷物の紛失の心配である。 その荷物の中に、機内で使いたいものや見たい資料などがあったのだが、
充分に手荷物に分けることが出来なかった。
SASの機内は最近乗った機種と比べて狭く、混んでいた。北欧の大きな
人達がたくさん乗っていたからそう思えたのかもしれない。だから、 荷物を預けて結果
的には助かったのである。 テレビは個々についていたが、見たい映画もそれほどなく、窓は閉められ
退屈な長い長い時間が始まった。
乗物が大好きな私だが、飛行機は苦手だ。自由に身動きが取れず、動いた ところで楽しくないからいやだ。
まずは機内に備え付けの雑誌を一通り見て、NYの穴場宿情報をメモしたり、 かっこいいデザインの家具をスケッチしてみたり・・・。
オスロのインテリアショップ、シン・ノルゲのwebアドレスをメモ。 アクアヴィットを使ったカクテル、名前はストックホルム・ブラッド・バス
(ストックホルムの大虐殺)の作り方もメモる。 ブルターニュ産のイワシの缶詰がおいしいとも書いてある。最低一年は涼し
い所に寝かせ、オリーブオイルが染み込むように一か月ごとひっくり返すと よいそう。
時折地上の様子をモニターでチェック。不安になるほどどこまでも続く雪景色。 そこに描かれている川や道は直線的であったり、蛇行していたり。ちょっとした
現代アートのよう。 次に地図をチェック。海岸線の入り組んだあたりだ。この地図をノートに写
し、 場所はスベルドロフスク・・・とメモる。まだまだモスクワにも行っていない。
当然機内食はおいしいものではなかったけれど、到着前に出されたスモークサ ーモン&トラウトはさすがに身が厚くおいしかった。
そして一番うれしかったのは食器である。 ファーストクラスなら、ロイヤルコペンハーゲン、ジョージ・ジェンセン、
ガラスはイッタラだったかコスタ・ボダだったか、いわゆる北欧ブランドなのだ そうだが、我がエコノミークラスはもちろん違うのだが、コーヒーカップは
プラスチックとは言え、大振りでシンプルな形がいい!カトラリーも仕上げは 荒っぽいが、やはり形はシンプルで美しく、ナイフまでもが金属製であったこと
がうれしい。そしてグラスはプラスチックとともに、ガラスも使っていて、 これは他の会社のビジネスクラスのものと一見似てはいるが、透明感がとても
きれい。帰りはこれをおみやげにさせてもらおうと密かに決めた。
どこのデザインが一番好きということもないのだが、今は北欧のデザインが 私の中で返り咲いている。この変らぬ
形、シンプルさ。材質の美しさ。透明感。
そんなまじめな機上の人を演じている自分に飽きたので、機内を探検して くることにした。棚には日本のnews
weekを発見。これを席に持ち帰り、 ブッシュやフセインの記事を読む。まだ戦争は始まっていなかったのであるが、
記事の量はとても多かった。
機内で困るのは、他の乗物ではすぐに眠ってしまうのに、飛行機だけは眠れない ことだ。しかたなくまた探検に行くと、スチュワーデスさんの部屋にたどり着く。
用もないのに入っていくのは変なので、とっさにカンパリソーダのおかわりを 頼んでいた。
席に戻ると後から両手いっぱいにキャンデーを持ったスカンジナビア人を発見! 母に、取ってくるよう命じた。母は手が小さく、さっきの人の片手分も取ってこ
なかったが上出来であった。
・・・ なぁ〜んて、こんなことをしながらやっとコペンハーゲンにたどりついたのだった。
コペンハーゲンは免税店も大きく専門店も多い。しかしさすがにここで買物は 出来ないので、帰りのための下見にとどめた。
咽が渇いたので、ユーロを使ってコーラを飲んだがかなり高額であった。 待合室に座ってふと目に入ったのが、夕焼けだった。次第に濃いピンクに染まり、
その後うすいピンクとブルーが混じりあう。闇の中に浮かんできたのは航路を示す
無数のライト。どちらも美しい。 パリ行きの飛行機はまたぐっとローカルな雰囲気である。パリに着く直前に機は斜めに旋回し、
思いきりパリの夜景が見えてきて、それはそれは美しく私達を迎えてくれた。
春の南欧記3
パリへは旅の中継点としておそらく一番多く訪れている都市に違いない。
しかし、空路から入るのは初めてなのである。
ホテルは北駅の近くにとってある。このまま夜行にでも乗り、すぐにでも 南に向かいたかったが、近ごろは夜行列車がめっきり減ってしまったのだ。
かつてユーレイルパスを持って自由に旅していた頃は、ホテルがみつからな ければ夜行で行けるところへ行けばいい・・・と楽天的に考えていたのだが
、今はそうもいかない。
今回日本から予約していったホテルは、何度か利用したことのある、安ホテルで ある。北駅付近には安ホテルがたくさんがたくさんあるので、他のホテルも
何度も利用しているが、おそらくここには3回以上来ているためかなつかしさが ある。ただし最後に来てからもう7〜8年は経っていると思う。
こんなホテルをふとなつかしく思えるのは、おそらく家族経営の独特の暖かさと 個性によるものだろう。そしてフランスパンの美味しさに目覚めさせてくれた
のもここのホテルの朝食のお陰なのだ。 ホテルに着いた時には23時を少し回っていた。
レセプションの初老の紳士は電話で予約した通り、きっちり部屋を用意して くれていた。
内装はきれいに明るくなっていて、暗い陰湿でさえあった雰囲気がなくなって いたのはちょっと期待外れだ。
定員二名のごとく小さなエレベーターには昔ながらの蛇腹の重い扉が付いていた。
部屋は小奇麗にしてあるし、狭いながらも全ての機能を満たしていた。
春の南欧記4
朝食はシンプルなコンチネンタルスタイル。
でも、私にとってはここのフランスパン がご馳走なのである。そうそう、この味!
まずは北駅に行き、ミラノまでの夜行列車(クシェット)を予約しに行った。 ところがその列車は満席だという。ではニースはではどうかというと、こちらも夜行は
いっぱいだと言う。 更に譲歩して午前中にパリを出る便は?と聞いてもそれもないと
いう。 今日ただ一つ取れるのは16:53発だけであることが解った。(昼間の便の場合、
必ずしも予約なしで乗れないことはないと思うが) 南仏に行くならマントンを起点にしたいと思っていたので、さらにそれに乗ると
マントンに着くには23:44分だ。それでも治安の悪いニースに夜着いてホテルを 探すより、思い切ってマントンに行ってしまおうと決め、目星をつけておいたホテル
に電話して、夜遅く着くと断りを入れて予約をとった。
これで中途半端なパリ観光を始めることにあいなった。 以前に母はパリに5日くらい滞在したことがあったが、その時は美術館めぐりにあけ
くれ、いわゆる観光をろくにしていない。私のせいだ。 では今日は思いきりオノボリさんコースに行くことにしよう。まずはモンマルトル
に行く。 サクレクール寺院からパリの街を見る。いつもポンピドーあたりから、この丘の上の
寺院を見ていたのが、今日は逆だ。
私もこのあたりに来るのは初めてで、下町っぽい 気取らないパリの街角にほっとした。そして似顔絵描きの集まるテアトル広場。
売り絵屋さんばかりでおもしろいものはないが、これこそパリ!の風景の一つなの
だろう。 ここから画家のゆかりの地など、地図を見ながら進む。見つからなくてもいいのだ。
通りは賑やかで一般の人が持ち寄った、おもちゃの市が立っていた。 商店はとても活気があり鋪道は人であふれていた。
下までだらだら下っていくとムーランルージュがあり、昼間の姿は情けないもの だった。
ピガールから地下鉄に乗り、コンコルドへ。ここにさえ母を連れていっていなかった。
(かろうじてエッフェル塔と凱旋門だけは行っていたらしいが。) ここに立つと、ああ、パリにいるんだなぁという実感がこみあげてくる。それを
もっと盛り上げるには、回りのみんなが食べている、生クリームがモリモリのワッフル
を食べたら更にいいだろうということで買ってみる。思ったより甘くなくおいしい。
エッフェル塔も見える。 空は快晴。 回りの建物がやけに立派に見える。さすがパリ!としか言いようがない。
そこからチュイルリー庭園を通らずにセーヌ川沿いをエッフェル塔とは逆の方向へ歩く。
川べりで日なたぼっこをする人、ハウスボートでパーティをする人、それぞれ思い思いに
パリの春を謳歌している。
オルセーを過ぎ、ルーブルあたりで今日の観光は時間切れだ。ここから地下鉄でホテルに
戻り、荷物をとってリヨン駅へ。
ホームは長く、18両編成で、私達の席は前の方だったのでかなり歩かされた。 TGVは快適だが、景色の流れが速すぎる。
春の南欧記5
マントンの目覚めは早かった。まだ時差ボケのせいもあるかもしれない。
早めに朝食を食べに階下へ。ここではクロワッサンがとてもおいしい。
午前中はマントンの街を探検することにした。 まず、わたしがかつてこの街に滞在したときに覚えたマルシェに行ったが、店の数は
極端に少なかった。今回泊まったホテルは以前のものとは違う。以前もここを起点
にして、『わが街マントン!』とか言っていたくせに、この街の記憶がこのマルシェと
海岸線しか記憶にないのだ。多分他の街に通っていたためだろう。
マントンはレモン祭りで有名な地だから、レモン産業が盛んである。まずはレモンの
香水を買い求める。Eau de Menton。そんな土産物店の並ぶ通りを過ぎると、スーパー
があったり、そこに暮らす人々の日常があった。そして海岸へ出た。
目に入ったのは、異質な建物、ジャン・コクトーミュージアム。海岸の小石を使って壁面
に 絵が描いてある。中に入ると1階は壁画があったりミュージアムショップがある。二階に
上がるとそこはまさにコートダジュール。
石の建物であり、窓も小さいのに、海をそのまま 感じ取ることが出来る。海が見える窓がそのまま作品の一部のよう。その手前にディスプレイ
してある陶器がその海と一体化して海風に吹かれているのだ。 もちろん静寂そのもの。波の音すら実際は聞こえない。
ここは元々海辺の要塞だったのだ。
早起きしたので時間は充分ある。ここからバスでモナコへ行くことにした。 ここは一度行けば充分だと思うのだが今回で3度目。(一度目以降はおつきあい) カジノの近くで降り、インフォメーションがあったのでバスの時刻表と地図をもらう。 このバスの時刻表はとても役にたった。 公園を抜けカジノを間近で見学。中には入らずにF1コースを歩き、宮殿のある丘の上まで 登る。けっこう距離がある。
春の南欧記6
海づたいに植物(サボテン)が植えられている公園がある。ここでしばらくサボテンを
スケッチして帰りは列車で帰ることにする。
今はどこでも自動販売の切符券売機があり、ここでは無人である。いったいどうやって買えばよいのか、
そこでさんざん機械をいじくり回し、やっとなんとなくやり方を体得。やっとのことで
キップを手にし、ホームに並んでいると、ラッシュ時なのか人が多い。多くはニース方面
に 行く人達だったが。そういえば今朝のテレビでストライキをやっているようなことを
言っていた。テレビは衛星とは言え、イタリア語放送はかなり入るが、英語放送が一局も
ないのである。写る絵を見ながらすべては想像するしかない。
マントンに着いて、明日のミラノ行きのチケットを買おうと売り場に行くと、案の定、明日まで
ストなので、それば『バッド・アイデア』だと言われ、翌々日に延期し、チケットを往復分購入した。
翌朝、バスの時刻表を見ていると、同じ場所を単純往復なら
片道料金の値段と同じだと書いてある。 これは安い。(しかしその後単純往復はなく、一度もその特典は受けられなかった)
まずニースに行ってみる。ここの健康靴屋には何度も買物に来た。今回も、のぞいてみたが、
欲しいものはなかったが、相変らず店があることを確認してうれしくなる。
海岸沿いの通り、プロムナード・デザングレ(イギリス人の遊歩道)を歩く。 ここのアメックスと、その隣にあるインフォメーションに行くためだ。
ニースを起点に どこか田舎っぽいところへ行ってみたかった。できれば春の花が咲いている場所へ。
それでインフォメーションで花を見たいと言うと、植物園を紹介されそうになり、
そうではなくて、カントリーサイドへ行きたいというと、ニースからプロバンス鉄道
という私鉄が出ていると言う。時刻表と路線図を渡された。 「どこで降りたらいいの?」
と聞くと、どこを降りてもきれいだと言う。
「おすすめの地は?」 と聞くと、二箇所の地名をマルで囲んでくれた。 これは期待できそうだ。
春の南欧記7
お昼はニースでゆっくり食べて、まだ時間があったので帰りの通
り道であるエズへ寄ること にした。マントンからニースへのバスはエズ駅を通過する。今朝もエズの駅の前の道を通
ってきたのだ。
ニースから乗ったバスは、朝と 同じコースではなくた、またまエズ村、つまり山の頂上に着いたのだ。(このあたりは
三通りのコースがあるらしい)
村の中をあてもなく歩く。頂上の熱帯庭園に登ってみた。 青い空に向って生えるサボテンと、眼下には青い海・・・
村のバス停からはマントンに直行するバスはなかった。下の駅のそばまでいかない
とバスも列車もない。 ひたすら下ることになったのだが、前に来た時は、40分くらいだと記憶していたのに、
けっこう急だったり足元が悪かったり、道のりも思ったより長かった。
エズに初めて来たのは7年前。ろくなガイドブックも持っていなかった私だが、 エズの駅は気になっていた。海の際にあり、まわりには何もない。
頂上へ行くには ニーチェの道という道がありそこを登っていけばよいということ。
その時は2月の終わりで、雨混じりの暗い日だった。こういう道は得意だった。 私はどんどん登っていった。疲れを感じることはなかった。
村やフレグランス工場 を見学した後、快調にもと来た道を下ったのだが、今回は母と一緒のせいかとても長く感じた。
マントンに着いた時には7時になっていた。 今日は疲れたのでバス停のそばの肉屋でお総菜やパテやチーズを買って夕食を簡単に
済ませることにした。飲み物や果物も隣のスーパーで購入して外に出ると、 『バンッ!』という音がした。
見ると直進車、左折車との三重衝突だった。幸いけが人もなくたいした事故では なかったが、渋滞となってしまった。
そこからホテルまでは5分程だったので部屋に帰ってさっき買ってきたものを 並べて、テレビを見ながら食事にする。英語放送がないので意味は察するしか ないのだが、数人のスタジオの人達が議論を戦わせている。おそらく戦争の 是非についてだろう。 ニュースではマスクをした人が病院のようなところにいる。東洋人だ。でも 日本人ではなさそう。もちろんそれがsarsについてのものだったといことは 帰国便の機内で知った。
春の南欧記8
マントン発 5:56マ Ventimiglia着 6:07
Ventimiglia発 7:00マミラノ着 10:50
今日はミラノへの買い出しだ。 この日だけは実務的な日なので簡単に書こう。
イタリアに入ると、アパートの窓にカラフルなPACEと書かれた旗を掲げて ある部屋がいくつも目に入った。
開戦まで24時間程度の頃だったと思う。
ミラノでは時間との勝負。この日だけは集中力で買物。
結果は時間切れ・・・ここまでの交通費を考えたら、惨敗という感じかな。 初めて行ったアウトレットは想像していたものと違って何も買うものなし。
結局ドゥオーモ界隈の店を回りコートとバッグ、セーターを一枚、他はこまごま したもの。
あ〜〜〜〜っ、負けた!
食事も時間がなかったが、かろうじて魚貝たっぷりのピザとシンプルなトマト のパスタだけ食べて、それ以上は食べられなかった。
19時には出発。
マントンに着いたのは今日も12時近く。
お疲れ様!
春の南欧記9
さあ、今日はニースからプロバンス鉄道に乗って田舎に行く日。
列車の本数はとても少ない。
午前中はニースの旧市街でうろうろして時間を潰すことにした。
この旧市街は、一度食事に来たことがあったが、ちゃんと歩くのは初めて だった。こんなところがあるなんて今まで知らなかった。
ニースと言えば駅の近辺と、海辺の通りを代表するような、観光の面しか知らなかったのだ。
こんなおもしろいところがあったなんて!
私の旅はけっこう肝心な所が抜けていることがある。
くまなく見るということも苦手である。 おかげで何度も楽しめるのだが・・・
このあたりはパリの下町にも残っていないような、古いフランスの香りがする。 おみやげ屋などはあまりなく、生活の匂いでいっぱいなのだ。
手作りの革の店に入ってみる。そこにいたおじさんの小銭入れは 使い込んでいて味がでている。おじさんが、
「この女性が革のスペシャリストだから・・・」
と紹介してくれたのが この店のオーナーであり、職人の中年の女性で、彼女から小銭入れを見せてもらい、
いくつか購入した。この女性も自分が使っているものを見せてくれ、それが もうボロボロなのだけど、これもまたすごい迫力。使えば使うほど味が
出てくる・・・そんな革製品の店だ。
歩いて行くとマルシェにぶつかる。 野菜やオリーブ、ハーブ類がカラフルで明るい太陽とよく似合う。
このあたりから、どんなに重い荷物でも担いで帰る!と決め、重い陶器類 もぼちぼち買い始めた。
アーモンド風味の菱形のお菓子、カリソンも売って いたので買ってみる。緑色はピスタチオ、茶色のコーティングはコーヒーの
味だった。
苺もおいしそうでつい何度か買ってしまったが、固くて種が大きく 甘さもなかった。時期が終わりかけているのだろう。
12時43分の列車に乗るために、お昼の食料、ニース名物ソッカ(ヒヨコ豆の粉を クレープ状に焼いたもの)や、ラタトゥイユとチーズをピザ生地に挟んで焼いたもの
など買い求め、バスで駅に向かった。 その駅はSNCFの駅から5分程の場所にあった。
すでに列車はホームに入っていた。 一昨日インフォメーションで教えてもらった2つの駅のうち、遠い方の駅の
名前を伝え、切符を買う。Meaillesという名の駅だった。
春の南欧記10
車両は2両。 すでに乗客は席に落ち着いている。
残っている席は進行方向とは逆向きなので、体が大きく恐そうな乗務員に この席は回転しないのか聞くと、定員が決まっていてそれは出来ないと言う。
最初はニースの街のはずれの商店や住宅の中を走る。 そして次第に広々した山あいに列車は入って行く。
下の方にはヴァール川が見える。 さっきの大きい乗務員さんが席に来て話し掛けてきた。
何か怒られるのかと身構えたが、 「あちらの席が空いたので移動したらどうですか?」
もう一つの車両を見ると、役半数の人が降りてしまい、4人掛けがあいていた。 親切な人だ。人は見かけによらない。
列車に揺られながら、先程買ったソッカなどを食べる。けっこういける。 もっとたくさん買えばよかった。
列車に揺られながら、地球の歩き方、南仏編をめくっていたら、この鉄道の ことがちゃんと書いてあった。
100年の歴史を誇ると書いてある。 なぁーんだ、特ダネ!だと思ったら・・・。
景色はしばらく変らなかったが、だんだん岩がゴロゴロした地域に来た。 アノットだ。ここはインフォメーションのお姉さんが教えてくれた場所の
一つでもある。 この駅と、その一つ手前の駅でかなりの観光客が降りてしまっていた。
列車はしばらく停まっている。 私達は心細くなって、急にこの駅で降りようと思いたち、荷物をまとめて
出口へ向う。 すると3人くらいの乗務員が寄って来て、
「あなたたちが降りる駅はまだ2つ先だ。」
と言う。検札の時、ちゃんと 見ているから知っているのだろう・・・
私はこの急な思いつきを説明なんてできない。動機もいいかげんだし。
粘ることなくスゴスゴと元の席に座る。
列車が走りだしてすぐ、さっきの乗務員さんが来て、
「 Meailles(私達が買った切符の行き先)は静かなところだからそこにいってみて、
そこでまた20分待てば上り列車が来るので、それに乗って戻ってアントルヴォー (アノットの一つ手前)で降りたらどうか。そこには終電が19時6分に来るから、
それに乗ってニースまで戻ればいい。アントルヴォーはきっと気に入ると思うよ。」
と、アドバイスしてくれた。この切符はそのまま使えるか聞くと、自分もその終電に
乗っているから大丈夫だとも言ってくれた。
案の定Meaillesで降りる乗客は私達以外はいなかった。
ただ、アノットで降りずにここまで来て良かったと思ったことは、アノットを境に
また景色が変って、頭に雪をいただいた山々が見えたのだ。ケーキのアイシングの
ようだ。
Meaillesの駅からもそれを眺めることが出来た。上の方を見ると、小さな村があっ
たがそこまで行ってみたら、それはそれでおもしろいのかもしれないが、やはり 今回は20分後に来る上り列車に乗ることにして、それまでの間ここでいい空気を吸う。
きっとハイキングをしたらいいだろうなぁ。
20分後、きっかりに上り列車は到着して、再び30分間揺られてアントルヴォーに戻ってきた。
ここは地球の歩き方にも地元の人の‘イチ押し’の場所だと書いてあった。
春の南欧記11
駅を降り、川まで歩くとそこには城塞の町、アントルヴォーの全貌がでぇ〜ん!
と目に入ってきた。
山に刻まれた頂上へのジグザグの道、十数メートルおきにある門。 これはすごいぞ!!
特ダネだ!(何が特ダネなんだか意味不明) この町に入るにはヴァール川を渡らなければならない。
橋がかかっていて、それは同時にこの村に入る門にほかならない。
このような静かな観光地にも必ずあるのはインフォメーション。 地図をもらって早速歩き出す。
観光地と言っても少人数の家族連れにたまに会う程度で、お土産屋はこの橋を 渡れば一つもない。静かに普通
の生活を営む人の場所なのだ。 私は小道(径)が大好きだ。都内でも小道があると必ず入っていく。
どんどん小道に引き込まれていくのだ。この道を行ったら何があるのだろう? つい、それを確かめたくなるのだ。
ヨーロッパには小道が多い。特に南欧には。
ここ、アントルヴォーはまさに小道好きにはたまらない場所だ。 そんな小道をあてもなく歩いていると、下から見えたジグザグの道の入口に出た。
母はここでスケッチをしながら待っていると言うので、一人で登ってみることにした。
その入口には無人の料金所があり、3ユーロと書いてあるのだが、何回入れてもお金が
戻ってきてしまう。 澄みきった空気にチャリーンという音が何度も響く。 故障中のようだ。
いくつもの門をくぐりながら登っていく途中、突然ものすごい激しい音が空に 響いた。見上げると黒っぽい戦闘機のよう。
こんな静かな空気を突然壊し、 平和な町の上空をかすめてどこに行くのだろうか。
ふと、その時頭によぎったのは、もしこの町で戦争が始まったら・・・という 想像だった。
おそらく実際この戦闘機は、イラク戦争と無関係ではあるまい。戦争当事者の 恐怖を感じた一瞬だった。
その後は何もなかったように、この町に静寂が戻った。
私はひたすら登り続けた。誰もいない。 こういった城塞はたいてい廃虚のようになって形も崩れているものが多いが、
ここはまだ割りと良い状態で残っている。 階段は壊れかけているけれど、上っていって部屋を覗いてみると、
生々しいほどの人の気配を感じる。今は落書きをされた壁が残るのみであるが。
下に降りると地下へ行く道がある。急な階段があるので降りてみると、結構深い。
もし一人でなかったらもっと奥に行ってみたかったが、かなり気味の悪い場所 だったのでやめておいた。
チャペルもあった。 ごくシンプルで、流木のようなクロスが祭壇に掲げられ、小さな窓には
ステンドグラスが施されている。ひととき、神聖な気持ちになる。
また外に出ると別の地下へ行く道を発見。ここも降りてみるが、まるでビル風の ような風が吹いている。恐くなって慌てて逃げてきた。
上では2組の家族連れに会った。みんなここで隠れんぼをしているみたいに、 出会っては、どこかに消えて行った。
一通りチェックをして気が済んだ私は、さっき来た道を走るようにして、 下の町へ降りていった。
ここでは地図もたいして役に立たない。気の向くままに歩きまわった。 するとだんだん楽しくなってきて、コーフンしてきた!
家の窓の形、壁のテクスチュアー、例えば最初は石で作り、次の年代で モルタルのようなものを塗る。それが部分的に剥がれる。
時間の流れも感じることができるし、それが美しくさえある。
帰ったらこの思い出を作品にしたいと思った。
そろそろ時間も迫ってきたので橋を渡り、俗世間に戻る。 終電にはアントルヴォーを勧めてくれた乗務員さんが乗っていたので
お礼を言った。
みんな親切でやさしい人なんだなぁ・・・・。
春の南欧記12(4月21日)
今日はマントンのホテルを出る日だ。5日泊まったことになる。 最後に海に行き、別
れを惜しむ。
海の塩加減は薄味と確認した。
今日はアルルを目指して移動する。 ニースで待ち時間が一時間あったので、いそいでアメックスに行き
現金をゲットして、更に5分程時間があったので、駅の近くのインターネット カフェでメールをチェック。戦争が始まったから注意するようにと
書いてある。どうやって注意をしたらよいのだろうか・・・。 返事を急いで書いて走って駅へ。
マルセイユでまた乗り換えのため、駅前の階段の上でブイヤベースの香り(?) 付き空気をちょっぴり吸う。
駅は混乱していて人がとても多い。自動小銃を持った兵士らしき人が何人も いた。
15時46分アルル着。 ここは街全体が城壁で囲まれている。駅から街に入る城門は崩れかけていた。
しかし、この中に入った途端、濃い空気を感じた。
そうだ!まさにゴッホがいた頃のアルルと変っていないのではないだろうか。 時間が止まっている。
まずホテルを探す。今回は地球の歩き方に載っているホテル。読んだ感じ はとても良かったのでろくに部屋も見ずに決めてしまったのだが、後でよく
見たらお化け屋敷のようなホテルだった。一泊だけなので気にしないことに して、すぐに外に出てみる。
この街全体もお化け屋敷っぽい情緒が漂っている。 荒々しいまでの情熱、いや、情念ががまだこの街全体に潜んでいるかのようだ。
歩きだすとすぐに古代闘技場が目の前に迫ってくる。なかなかの迫力だ。 今は闘牛場として使われているので、中へ入ると、ありきたりの
土ぼこりが舞うだけ場所で、古代的ではない。 見学者は上まで登ることができる。例によってイタリアの高校生ご一団が
にぎやかだったので、しばらく彼らが見学し終るのを待って、誰もいない 階上に上がってみる。
そこには闘技場の屋根の部分にあたるのだろうか、上部が弓なりにいくつも重なり合い、その
向こうには街全体が見える。やや陽も傾き始めた時だったので、薄いピンク 色に染まった街は、美しいことこのうえない。
降りて古代劇場の前を通る。ここは外から眺めるだけにして広場に出た。 更に歩くとローヌ川に出る。なぜだろう、フランスの川はどうして
女性的なのか。
反対方向に進むと大きな道に出る。そこにゴッホが書いた『夏の庭園』 があり、記念碑もある。
庭園から古代劇場の裏手が見え、その建築物のかけら である柱や飾りがごろごろと横たわっている。
ぶらぶらと街全体を歩いてみたが、さほど広くはなさそうだ。 私が見たかったものの一つに、ゴッホが描いた『夜のカフェテラス』
の題材となったカフェがある。まだ夜とは言えない明るさだったので、 先に食事をしてもう一度『カフェ・ヴァン・ゴッグ』を見学に行く。
たぶんわざと絵と同じように壁の色をミモザ色に塗ってくれているの だとは思うが、この絵に憧れる者としてはうれしい。
おそらくこの絵はオランダのクローラー・ミューラー美術館にあるのでは ないだろうか。
この絵ばかりでなく、どの絵を見てもやはりゴッホは偉大だと思う。 そんなわけで、私のプロバンス旅行とゴッホは切っても切り離せない関係となる。
ゴッホは1988年にここにやって来て、二年五か月過ごした後、自ら命を 断った。その間に残した名作の数々・・・。オランダ生まれの彼が、この
明るいプロバンスに来て、吸収した空気はさぞかし濃かったことだろう。 スペインが光と影の国だと言われるが、ここアルルもそんな色合いが
色濃く残っている。具体的にそれは何か?と聞かれても困るのだが、 街全体が醸し出すオーラのようなものなのだ。
すっかり暗くなって空はプルシャンブルーにコバルトを混ぜたような、 紺色なのにビビットな美しい色。
そんな空を見上げていると、母が
「ゴッホの絵のような空じゃない?!」
と言った。実にその通りだと思った。
春の南欧記13
今日は午後にはアヴィニョンに移動するが、それまではアルル観光の続きをする。
朝食は一階の日当たりのよい部屋でとる。ここの朝食は遅めで8時からと言われた。
早くマルシェに行きたい私達は8時きっかりに階下に降りていった。 すると、そこには誰もいない。お化けっぽい女主人がいないのだ。
声をかけるが 返事がないので奥の部屋を覗くと、朝だというのに暗い部屋にローソクが灯っている。
その暗い中にテレビのモニターが浮かび上がる。テレビは二台あって一つはホテルの
入口を写している。もうひとつのテレビには人の足の裏が写っている。 テレビに向って足を向け、人が寝ている気配もある。その人の足が写
っているのか、 はたまたテレビ放送の一画面なのか判断しかねた。 もしかしてこれはテレビではなく、カメラの方に足を向けて寝ている
女主人が写っているの?コ・コ・コワスギル!
・・・ と思ったら、表から 「ボンジュール!」 という声が聞こえた。 女主人だった。
彼女は『よくも見たな???』という顔をしたようにも見えた。 多分奥の部屋を覗いたことにニラミを効かせたのだと思うが、その後は
お互い何もなかったように普通に朝食済ませた。
ここではココアを頼んだら、ココアの粉のプラスチックの入れ物と 温めたミルクが出てきた。どのくらい粉を入れるか聞いて、大きな
スプーン一杯ミルクに入れて飲む。この粉は砂糖入りだが、ヴァンフォーテン よりおいしい!ので、後でスーパーで同じ製品を買って帰った。
日本で冷静に飲むと甘すぎるので、砂糖ナシのヴァンフォーテンとミックス して飲むと、苦味も加わって更においしい。
さっそくマルシェにでかける。ここのマルシェは規模も大きく多種多様 なものがあって楽しい。端から端までかなりの距離がある。
並んでいるのは、花、手作りの小物類、陶器、衣類、家具、鶏(生きた)、 オリーブ、乾燥ハーブや香辛料、サラミやお総菜、チーズやパン、布類に
家具までもある。
またもやここでもかさばる物や重い物など買ってしまう。 もうあとはどうにでもなれ・・・。
11時にはチェックアウトしに戻り、列車の出発までもう少しアルルの街を見るため、荷物を女主人に預ける。
ゴッホが入院した病院は今はカルチャースペースになっていて、庭は
ゴッホが描いたように花が植えられていた。
サン・トロフィーム教会のファサードは最近修復されたばかりのようで、 アルルの街には浮いてしまいそうに白い。
この地方で最も美しいファサードと言われている。
奥の回廊は、外の喧騒から逃れるのにはもってこいの場所。
石からじんわり 冷気が伝わり、ほてった心と体を鎮めてくれる。
春の南欧記14
アルルからアヴィニョンは18分で着く距離なのだが、列車の本数は
意外にも少ない。 今度はアヴィニョンにしばらく滞在して、ここを起点に小さな町や村を
回ることにする。
駅に着いた時のは17時59分。暗くならないうちにホテルを探さなくては! 駅を出ると大通
りがあって、それを渡ると城門がある。ここが街の入口だ。 アビニョンはアルルに比べて都会的だ。なのにしっかりとこの街の回りを
ぐるりと城壁が囲んでいて、それは全長4.3kmあるという。
さて、入口から真っすぐに伸びているのがメインストリートであり、 突き当たりのエリアに法王庁宮殿がある。その近くにアヴィニョンの橋の
歌で有名なサン・ベネゼ橋もある。
ホテルはアルルのほろ苦い経験を生かし、三軒回って比べてみる。 それぞれ部屋を見せてもらって最も気に入ったホテルにチェック・イン。
このホテルは外から見たら普通なのだが、内装は新しくしたばかりの ようで、清潔でとても素敵だ。部屋は広々しているし、天井には木の梁が
一本だけ通っている。壁はところどころ石がむき出しで、その回りは真っ白な 土壁みたいなテクスチュアー。ベッドカバーやカーテンは、趣味のよい
プロバンス模様。ちなみにトイレの便器も木で出来ていてちょっぴりほっとする。
そして値段も良心的だ。
外に出た時には薄暗くなっていたが、探検に出かけた。 メインストリートは人通りも多く、店がたくさんある。治安もよさそうだ。
突き当たりまで来るとそこは広場になっていて、ネオンをつけた回転木馬 があり、その回りには市庁舎やオペラ劇場があった。
そして右手の方に入っていくと、そこに法王庁宮殿がライトアップされて浮かび 上がった!
そのいきなりの大きさ、りっぱさに圧倒された。
こんなものがこんなところに!
この迫力は決して写真で伝えられるものではない。
法王庁は実際1309年から1377年まで7人のフランス人法王の時代に 使われていたらしい。
二人の趣味の違う法王が建てたものであるゆえ、 半分づつ様式が異なる。しかし、ここに法王がいた時代は、フランス王の
庇護を受け、法王庁は政治的腐敗と堕落に満ち、アヴィニョンの街そのもの は富と繁栄を享受したということだ。
アヴィニョンは第二のローマでもあったのだ。 今も漂う気品と都会的センスはその時代を受け継いでいるからなのかもしれない。
その法王庁の横に道がある。岩がそのまま残されて建築に生かされていて、 ワイルドだ。そこにもライトが当たっている。その道に引き込まれ、
他の観光客と地元の人が入り交じって、ひとつの方向につられて行くと、 そこはコンサートのホール(ライブハウス?)なのか、劇場なのかわからなかったが、
数十人の人達が並んでいた。そしてその中にガラス張りのバーがある。 出し物が始まる前に一杯飲んでいる人達だ。
並んでいる人達の服装は、カジュアルな人もいれば、ちょっぴりドレス アップした人もいる。こんなロマンチックな場所で一晩を過ごすなんて
ゆとりがあるなぁ。これがヨーロッパだなぁ・・・。
今日はホテルでのんびり食事をしようと、テイクアウトの店で買物をして 帰る。ちょうど食事ができるテーブルとランプもあり、心からくつろいで
ワインもいただく。
春の南欧記15
朝7時少し前にホテルを出て駅に向う。
今日は運河とアンティークの町 リル・シュル・ラ・ソルグに向う。
列車は二両編成だ。
朝は寒く靄がかかっていて、景色が縞模様になっている。 リル・シュル・ラ・ソルグまでは24分。
あっと言う間に着いてしまう。
わざわざ日曜日に来たのには理由がある。運河沿いのマルシェが 目当てだ。午前中はプロバンスの特産物の市、アンティーク市は
一日じゅうやっている。どちらにもとても興味がある。
駅を降りるといきなり川、そして運河。この町の名前を訳すと、 ソルグ川の島だそうで、ソルグ川の5本の支流とそれを結ぶ蜘蛛の
糸のような運河がいたるところにある。 そして水車がいくつもあり、水苔をたっぷりつけながら回って
いる。
運河を近くで覗いて見るととても澄んでいてきれいだ。水草が揺れている。 水面は静かな流れがあり、ところどころ渦を巻いていて見ていて飽きない。
いつの間にか、町の中心であろう教会前の広場に来ていた。 市がオープンするにはまだ早いのか、準備中の店がずらっと並んでいる。
まずはカフェに入って一服。
そして露店に沿って歩きだすと、運河に出た。
この運河沿いにも ずらりと店が出ていた。一つ一つゆっくり見て回る。
他の町と少しづつ違ってまた楽しい。
お店が途切れた頃、近くの別の運河沿いにはアンティークマーケットが 並んでいた。値段は手ごろであったが、あまり興味を引くものはなかった。
歩きながら、果物やフライドポテト(まわりがサクサク、中がしっとり、 ハーブ・ド・プロバンスがたっぷりまぶしてある。)やオレンジのケーキを
買い食い。明るい日差しと陽気な人々の中をそぞろ歩きは気持ちを ウキウキさせる。
午前中で特産物の市は終ってしまう。午後からはこの町にいくつもある アンティークショップ見学だ。この町の中にはアンティーク村と言って
アンティークショップが集まったエリアが7つほどあると言う。
それらで売られているものは比較的高く、どちらかというと、家具や エクステリア用品の大物が多く、とても手がでないし、持って帰れる
わけがない。もし、この近くに住んでいて、ここに車で買物に来たら 楽しいだろうなぁ。掘り出し物もありそうだ。
素焼きの陶器ばかりを扱っている店に入った。 大きさは20〜30cm前後。不思議な形をしている。
見ていると店の女性が 説明を始めた。 これらはすべてケーキの型なのだそうだ。
17〜18世紀のもので、例えば結婚式、誕生日など、行事に応じてデザインが 異なるのだ。なるほど・・・。
そろそろ歩き疲れたので帰ることにした。
アビニョンに帰ってもまだ明るかったので、また散歩に出る。
タンチュリエ通りは古い石畳がひかれた運河沿いの散歩道だ。 メインストリートとは別
世界。いにしえの人々の足音が聞こえてくる。
春の南欧記16
今日はバスでサン・レミ・ド・プロバンス、通称サンレミへ行く。
期待するものは田舎の風景とハイキング。
ここはノストラダムスが生まれた町でもあるが、それはあまり興味がない。 とりあえず地図をもらいにインフォメーションへ行く。
ここでもらった地図はとても見づらい。A3サイズの白黒のコピーをしたもので、 そのコピーの質の悪さもあり、イメージがつかみにくいのだ。
そして裏にはハイキングコースの内容が書いてある。もう一度表に ひっくり返すと、コースが地図に書き込まれているのだが、いくつもある上、
色も付いていないので、まるで謎の冒険の古地図みたい。
でも、これって貴重だなぁ。見にくいけれど、こんなたった一枚の紙切れに たくさんのインフォメーションが入っていて、これさえあれば、サンレミは
私のもの!?
インフォメーションの女性に、どのコースが花が見られるか聞くと、もう 花はそこここに、いくらでもあるという。
お昼はレストランもないだろうから、もう一回町に下りて、ハイキング用の 食料を調達。
オリーブのペーストが塗ってあるパンやチーズがたっぷり乗った パン、そしてケーキや果
物、水。
もう一度インフォメーションのある坂を通って上っていくと、そこから1.5km程に
古代遺跡があり、グラヌム遺跡がある。
そのあたりまで行ってハイキングの 道を探せばいいと、せっかくもらった地図はしまい込んでまっすぐ街道を歩く。
途中、オリーブ畑があり、その下にはたんぽぽが咲き、そして向こうには アルピューユ山脈が広がる。(写
真参照)
緑の絨毯がまぶしく、銀色のオリーブの葉が輝いている。 なんともすがすがしいことか。
更に上に行くと、ゴッホが入院した精神病院がある。やはりどこに行っても ゴッホがついて回る。
このサン・ポール・ド・モーゾール病院時代に描いた病室から見た風景、 糸杉やオリーブ畑。
糸杉はゴッホにエジプトのオベリスクを連想させ、ミストラルが吹くと、 糸杉が燃え盛る炎のようにざわめいて見えたという。
ゴッホはこの病院にいた約1年間で、150枚以上の油絵と、デッサンを100点 以上描いたということだ。
横道に入って病院を外から見学するにとどめ、再び街道に戻ると、そこには 古代遺跡の霊廟と凱旋門が待っている。
この遺跡は2000年ほど前のものにかかわらず、保存状態も良く、ここがグラヌムの
町の入口だったことを示している。
街道を挟んで左の方に行く道が、グラヌム 遺跡への横道である。
グラヌム遺跡の都市づくりは紀元前3世紀から始まったという。 初期の頃はギリシャの影響を受けていたが、その後ローマ人による征服や
シーザーなどの遠征により、次第にローマ化していったという。 隣接のミュージアムにあるカラフルな破片はその頃の物だろう。壁は一面
に ローマ風の模様や色が施されていたらしい。
しかし今はその面影を貼りあわせるしかない。
あとは自分の想像力でいかにでも再構築していいと思う。
遺跡の中に小さい小山のような丘のようなものがある。登ってみると、案外 高い。遺跡全体が見渡せるばかりでなく、アルピーユ山脈も迫ってくる。
そうだ、あそこに登ってみよう!
春の南欧記17
ここでさっきもらった地図を広げてみる。
そして博物館の女性に現在地など 聞いてみるが、彼女達も細かい道についてはわからない。
もう一度街道に戻り、このまま行けば、どこかハイキングコースに行ける だろうと楽観的に歩き始めた。
しかしなかなかそれらしきものはない。
このまま歩いても不安だったので、 目の前に現れた短い階段を上ってみた。その先はけもの道程度に、人が一人
がやっとすりぬけられるような道があったので、私はこれがきっとコースなのだと
解釈した。
標識も何もないから不安ではあったが。5分ほど登っていくと、 山あいの景色の良い場所に出た。
ちょうどお昼時だったので、ここでランチをとることにした。
ここには誰一人来ないし、動物さえもいないもよう。
ただあるのは峰々の 景色と青い空と太陽。
石の上に腰掛けると、小さな花が咲いている。 中でも一番多かったのはローズマリーだ。紫の色が場所によって微妙に
違う。
食事を終えると、私は母に、ちょっと上に行ってくるね・・・と告げて、 どんどん上へ上へと登っていった。
どうしてもたくさん上がりたい、でも、母が待っているので急がなくては ならない。だから、上だけを見て上がっていった。
途中には今自分が来た 道と似たような道もあるから、戻る時は気をつけねばと思った。こんな時、
人は枝を折るのだな。その代わりに私はデジカメで風景を写したらいいなあ なんて考えながら、止まることなく、更に上へ上へと行った。
小さな山なので急な道も多いがおもしろいように上がっていける。 いよいよてっぺんのような場所にきた。
かなり尖っているその上に立ちたかった のだ。
そこに立ち、ふと向こう側を見ると、山はそこから急に切り立っていて真下 には突然湖がある。
遥か下方にのどかに観光している家族連れが2〜3組、蟻のよう なサイズで見えた。
この景色は想像していなかったものだけに、うれしくなり、 これこそが特ダネ!だ!!!と胸が高鳴った。
そしてその証拠写真(?)を 写そうと、私は地べたにへばりつき、手だけを伸ばして湖を撮影した。
これが今回の私の旅のハイライトだ!
春の南欧記18
反対側の山々も美しい。この感動をしっかりデジカメに託した。
さあ、急いで母のいる場所に戻らなくてはいけない。
私はまた飛ぶようにして この特ダネをおみやげに、道なき道をどんどん下っていった。
しかし、下りは 一歩間違ったら谷底に落ちてしまいそう。かなり集中して下りていく。
すると似たような二股の道に来た。勘で一つを選び進む。すると 今度は道が丸太で阻まれている。こんな道を通
った覚えがない。
相変らず山々は涼しい顔をしているが、私は内心蒼白状態だ。
もう一度 戻って違う道に行く。これも違う。
そこで大きな声で、お〜〜〜い!と叫んでみる。 その声はむなしく岩山に吸収されるだけで一向に事情は変らない。
こんなところに来る人はめったにいないのだ。 その時頭によぎったのは遭難した私を探すヘリコプター。
まだ二時だというのにすでに孤独。
やっぱりデジカメで写真を撮っておくとか、 目印を付けておけばよかった。 こういう時は冷静になろう。
もう一度、戻って考えよう。 そんなことを2〜3度繰り返していくうちに、見覚えのある木を見つけた。
もしかしたら助かったかなと思ったら、そこからあっという間に目的の 場所が見えてきた。
ああ、神様ありがとう!!!
母は、「案外早かったじゃない。」と、のんきにしていた。 この特ダネ写真は後で見せて驚かそうと思って、私も特に何もなかった
ように、街道まで下っていった。
そして残りの時間はサンレミの町で過ごすことにした。
もと来た街道を歩いていきながら、もう一度地図をとりだすと、一つの ハイキングコースの入口がわかった。さらに歩いていくと、また別
の コースの入口も標識が出ているではないか。また来たら、今度はちゃんと ハイキングコースを歩こうこうと思う。
そのコースはちゃんと人が3人くらい横になっても歩けるほどの幅があり、 私が行った道とは明らかに違っていた。
サンレミの町に戻り、ぶらぶらする。こんな田舎町でもセンスが良く、 マルシェで売られているものよりずっと素敵な陶器専門店があった。
ここでレモン色のオリーブオイル入れとニンニク入れを買う。形も おおらかだけどセンスの良い職人が作ったものだと思う。
もうすでに いくつか重い物を買っている。こうなったら私は根性で持って帰る!
・・・と、いらぬところで意地を見せ、やけくそ半分で買う。
バスが来る時間までカフェでのんびりした。 思いきり満ち足りた一日であった。
春の南欧記19
バスでアヴィニョンに戻って、カルカッソンヌまでの時刻表を駅に調べに行く。 明日の移動のためだ。
窓口の女性はとても親切で感じよい。 時刻表をもらい、予約はしたほうがいいかと聞くと、パスだけ持って
ただ乗ればいいという、TGVではないのだからと。
ホテルにいったん荷物を置きに行き、もう一度アヴィニョンを少し 見ることにする。アヴィニョンには4泊したが、この街の見学は
毎日少しづつするのだ。
今日はそろそろさっぱりしたものが食べたいということで、インフォ メーションでチャイニーズレストランの場所を聞く。(チャイニーズが
さっぱりとした味かはわからないが) そして例のメインストリートを歩き、回転木馬のある広場から、
今日はサン・ベネゼ橋(アヴィニョン橋)に行ってみる。 城壁の小さな門から出ると、ローヌ川がゆったりと流れていて、
途中で切れて半分しかないこの橋が見えてきた。
途切れているのは、戦争や川の氾濫で何度も破壊され、その度に修復 されてきたが、17世紀以来修復が打ち切られたためだという。
ちょうど薄暗くなってとてもロマンチック。
アヴィニョンはいい街だなぁ。
ほどよい都会で、街の大きさもいい。まわりには素晴らしき田舎も たくさんある。こんなとこなら住んでもいいなぁ。
春の南欧記20
今日はカルカッソンヌまでの移動日。 お昼まではアヴィニョンをもう少し見てまわろう。
このホテルの朝食はオリーブ入りや、ケーキも付いていた。 テーブルクロスも食器もかわいいので、写
真を撮った。
飲み物が運ばれて 来るまでの時間に、今撮った写真で、要らないものを捨てようとカメラを
いじっていたら、なんと、いつの間にか、全部消去のボタンを押していた。 どこを触っても止まらない。慌ててバッテリーを出してやっと止まった。
すでに40枚くらいが消えていた。
そして私は大変なことに気が付いた。あの、昨日サンレミの山の上で撮った
湖の写真も全部消してしまったのだ!
あああああ〜〜〜〜〜 誰に見せることなく、すごい特ダネ、登頂の証拠写真が一瞬にして消えて
しまったのである。
この時のショックと言ったら・・・。
でも同時に気が付いた。 この写真がどのくらい重要なのかというのだ。
これがなくなっただけで、私の思い出まで消えてしまうわけではない。
こんな事でショックを受けている自分が情けない。
この時から再びサンレミへの思いがふくらみ、絶対もう一度同じ場所に 行ってみたいし、あの幻のハイキングコースにも次こそは行こうと
心に決めた。
また、メインストリートに出て、今日はそこから一本入った道づたいに、 また法王庁の方向を目指して歩いてみる。
この道にはジョセフ・ヴェルネ通りという名前が付いていて、さほど 広い道ではなく、店もそれぞれこじんまりしているのだが、国内外の
ブランドショップが並んでいる。その感じがとてもさりげなく控えめで 見過してしまいそうなくらいなのだ。まだ店は準備中のものが多いので
帰りにまたこの道を通って帰ろうと思い、ウインドーショッピングを 楽しんだ。
もう一度朝のサン・ベネゼ橋を見、法王庁広場に行き、階段を上って上から 広場を見渡す。広々として気持ちがいい。
さらに奥に行くと、ロジェ・ドン公園につながっていた。その高台の公園 からローヌ川を見ると、サン・ベネゼ橋がより素敵に見えた。
反対側には街も見渡せる。
気持ちがいいものだ。
またジョセフ・ヴェルネ通りを通る。知らないブランドもたくさんあるが、 かわいい服がけっこうある。そして歩いていて私の目が止まった先は、
ミラノで迷って買わなかったスーツケースだ。 本当はバルセロナにもあるのは知っていたので、そこで買おうとは
もくろんでいたのだが、店に入っていくと、積極的な店員さんによって 私は気が付いたらそれを購入していた。
行きは空っぽにしていったスーツケースも、例の買物で今はまんぱいとなり、 必要にも迫られていた。
そしてそろそろカルカッソンヌ行きの列車の時間も迫っていた。
春の南欧記20
カルカッソンヌは去年、兄夫婦がフランス政府観光局回りをした時に くっついていって、そこで見つけたパンフレットに魅かれて来たのだ。
ここまで来ると、もうスペインは近いし、かなり西に来たものだ。
そしてこの旅行が終盤に近づいてることも同時に示していた。
カルカッソンヌの駅の前に川が流れていて、ここからシテ、すなわち 城壁で囲まれた旧市街までは距離がある。
ホテルを探した後、すぐにシテに向う。
何しろここではシテがすべて なのだ。しかも、夕暮時、そしてライトアップされた夜が素敵なのだ。
親切なおばさんに道を教えてもらい、いよいよシテに渡る橋に出た。 ちょうどその頃、陽が沈みかけて、空が薄紫色になってきた。
その橋の向こうに、神々しく見えたのが、ヨーロッパ最大の城壁の街だ。
街全体が巨大な城のよう。 そしてこのオード川にかかる橋は情緒がある。
橋の上を照らす街頭が 数メートルおきに光って、ところどころで川や城壁を見渡せるバルコニー
が付いている。
川を渡りながら、正面を写真に写したり、振り返って来た道を写している うちに、シテ全体がライトアップされ、群青色の空に浮かんでいた。
中世の街なのに、まるでUHOが地球に下りてきたみたい。
門をくぐって城壁の中に入る。
実は城壁は19世紀に建て直されたもの だということだった。 ただし、中に入ってしまえば、そこはもう、長いこと時間が止まっている。
オレンジ色の街頭で照らし出された石畳。観光客は少ない。
ここで入ったレストランは、生演奏と歌を聞くことが出来る。 中は新旧のアンティークでいっぱい。トイレさえも骨董品だ。
地元の人と観光客も混じった構成で、それぞれ楽しんで食事を している。
こういう雰囲気が大好きな母は大満足の様子だ。
次の日、お昼近くまで時間があったので、またシテに行ってみる。 城壁を取り巻く緑の芝生(草?)が美しい。
城壁内には昨日の夜と違って観光客も多い。おみやげ物屋もいくつも ある。雰囲気が全然違う。
この街を訪れるなら、七難隠す夕暮れ時以降がいいと思う。
春の南欧記21
11:41 Carcassonne マ12:09 Narbonne
12:20 Narbonneマ 14:15 Portbou(スペイン)
14:23 Portbou マ15:28 Girona
これが今日の移動のスケジュールだ。 つまり、カルカッソンヌからジローナへ行くタイムテーブルだ。
2回の乗り換え時間が、それぞれ短いのが少々心配だった。 何しろ私は二個のスーツケースを持ってた。
ナルボーンでは、駅員さんに二度ほど場所を聞きながら、ホームに たどりついた。そこは通
常のホームのはずれにある、わかりにく場所だった。 これも2両編成で、1st classは一両のそのまた半分の半両のみ。
車内は落書き等ですさんだ感じがすらする。 その列車が少しであるが遅れたため、いそいでポートボウで乗り換えを
しなければならない。
ここはかつての国境の駅なので、ホームもフランス側とスペイン側では すこしズレていて、面
倒くさいのに、さらに検問があった。
私の場合はパスポートを差し出しただけで中も見なかったが、アラブ系の人は 特に念入りに調べられていた。
そんなこんなで、その検問を抜けるとスペイン側の駅なのだが、時間が もうほとんどなく、あわてていると、若い(20歳くらい)きれいな女性の駅員
さんが近づいてきて、バルセロナ方向(ジローナ)に行きたいのか聞かれ、 『そうです。』と答えると、向こう側のホームに止まっているのが、その列車
だからと言いながら、私の荷物を一つ持ってくれた。私は母の荷物も もう一個もって、三人で走ってホームに上がり、荷物を車内に詰め込んだ。
すでに列車は走りだす寸前で、彼女に『グラシャス!(ありがとう)』と言うと、
『デナーダ(どういたしまして)』とかえってきた。
ずっと今までmerciだったのに、今度はスペイン語へ切り換えだ。
南フランスの人達も親切でいい人ばかりだったけど、スペイン国境で 出会ったさわやかな駅員さんのおかげで、いよいよスペインに入ったなぁと深く
実感した。
マントンを出て以来、車窓から久し振りに海が見えた。
やっぱり海はいいなぁ。
その後は山だ。段々畑。葡萄の木も植わっている。 そして平地に出る。
麦の穂がきれいに並んで、風が吹くと、表面がゆらゆら揺れてなお美しい。
定刻通り、ジローナに着く。
春の南欧記22
ジローナを選んだのには深い意味はなかった。
単にバルセロナヘの路線上にあった街であったためだ。
同じ路線上にカダケスも あるが、ここは以前、バルセロナから足を伸ばしたことがある。
ジローナの駅はフランスにはなかった近代的な駅舎であった。 モダン過ぎてちょっぴり不満もあるが、これもスペインらしさの一つなのだろう。
ホームからエレベーターもエスカレーターもあるので、便利であり、駅の 中にはショッピングモールかと思われるかのように、店がある。
外観もシンプル。
駅で簡単な地図をもらう。 ここではインフォメーションを目指し、途中にホテルがあれば様子を見ようと
歩きだす。
かなりの都会だ。
カダケスのようなこじんまりした街を想像していただけに、 ちょっと後悔をしていた。
普通ならいやでも目に入ってくるはずのホテルが見あたらない。 新市街と旧市街を隔てる川に出た。そこを渡ったところにインフォメーション
はある。そこで地図と共に、お手製のホテルマップをもらった。そこにいくつか ホテルがリストアップしてある。
なるべくなら駅に近い方が帰りが楽なので、 駅にも5分くらい、旧市街にも5分くらいの立地条件で決める。
外装は回りの建物の中で目立たぬものだが、内装はきれいに、モダンに作り かえられていて、そのデザインされた部屋が気持ちが良い。
列車がジローナの駅に着く直前に、丘の上に大きい建物が見えていた。 (またここにもすごいものがありそうだ・・・)
まずその丘の上のすごいものを目指して、旧市街を歩く。
旧市街は川の向こうと違い、落ち着いていて並木のあるメインストリート、 山側に沿った道、その間にある小道という構成で、ここも部分的に城壁が
残っている。 橋の上に立つと、川の両岸に店や住宅が長屋のように連なっていて、
それぞれの建物はカラフルで、川の微妙な蛇行に合わせて見え隠れしている。 こんなところに住んで、いつも窓から水の流れを見るのもいいだろうなと思う。
例のすごいものとは、カテドラルである。 11世紀から18世紀の間に建てたれたものだそうで、正面
はバロック様式、 回廊と小塔はロマネスク、内部はゴシック洋式というミックススタイル。
中には天地創造のタピストリーがある。 今日は下見ということで、カテドラルの内部にちょっとだけ足を踏み入れる。
その空間に足を踏み入れただけで、そのスペースに圧倒された。 高い天井を見上げた。
春の南欧記23
さあ、お待ちかねのスペインだ。
故郷に帰ったような気分で、今日はバルを三軒はハシゴするぞぉ!
と意気込んで、まず一軒目は、オープンサンドがたくさん用意してある バルに入る。
ちょっと前までワイン党だったのに、マイブームはスペインのビールだ! スペインのビールは世界一おいしいなぁ・・・(・・・なんて、だぁれも言わ
ないけれど・・・)
その店は川べりにあり、窓は川にせり出した格好になっていて、とても 感じがよい。水の流れは人の心をやさしくなごます。
感じが良いからと言って、ここに落ち着くわけにはいかない。
次の店を 求めて外にでた。 しかし!ここジローナは極端にバルが少ない気がする。少なくとも
タパス(つまみ)が並んでいる店があまりない。普通はスペインの町角 ごとにあるバルだ。どんな田舎に行っても必ずあるバルだ。
私の探し方が悪いのか、地元の人が行くようなバルが見つからない。
時間は20時。まだ早いからか。 一度ホテルに帰り、出直すことにした。
22時過ぎれば人も出て 賑やかになるだろう。 ついでにフロントの女性にタパスの美味しいバルを地図を差し出して
聞くと、先程行ったバルの地域を教えてくれた。 やはりあのあたりがそうだったのか。
もう一度そのエリアに行った。先程のバルは大賑わいであったが、 まわりに気に入った店がない。とりあえずタパスが食べられそうな店に入る。
う〜〜〜ん、不味くはないが、この綺麗な作業は冷凍食品ではあるまいか? ここじゃない!私が求めているものは。
もう一度、おいしいタパスを求めて出直しだ!
しかし、すでにお腹は一杯。
あの陽気なスペイン人はどこに行ったのか。
人で溢れかえっているのは、カフェであった。お酒も飲めるが、つまみは 乾き物程度しかない。主流はケーキとかコーヒー。
三軒目はそんなカフェに入ることにした。
タパスの代わりにケーキ、ビールの代わりにカシス&レモンにした。 これも悪くはなかった。
つかの間の時間、スペイン人と共に空間を 共有し、満足してホテルに戻った。
のんびりテレビを見て、そろそろ寝ようかという時、外から変な物音が 聞こえてきた。火の用心の大合唱といった色。より高い音色だが。
ここはビルの6階だし、窓ガラスも厚いというのに聞こえてくるこの 音は何だろう。
下を見ると、最初は警官の姿が見え、音がだんだん大きくなると、そこに 150人くらいの人の行進があった。音は、何か小さい楽器のようなものを
叩いているためだった。 そしてその一団は、また次第に、音と共に遠のいていった。
私は勝手にこれは反戦のデモだと解釈した。
春の南欧記24
今日はのんびりジローナの街を歩いて過ごす。
今回の旅行で一番のんびりできた一日だったかもしれない。
いつも、どこか列車かバスに乗ってでかけていたから。
ホテルのそばに屋根付きの常設のメルカードを見つけた。 野菜、果物、チーズにハム、香辛料やオリーブといったお馴染みの
品が揃っている。ここでの私のお目当ては、この建物内にあるだろうと 見当をつけたバルである。
あった!あった!奥の方に地元の人、又は市場で働く人のための バルがあった。
朝からいきなりだが、目に入ったイイダコのオリーブオイル炒めとマッシュルーム
入りトルティーヤを注文。それにパン・コン・トマテ(パンにオリーブオイル、ガーリック
トマトを塗ったもの)をつけて出してくれた。カフェ・コン・レーチェ(ミルク入り
コーヒー)も貰う。これが今日の朝食だ。
イイダコは想像通りのおいしさ。ニンニクとパセリが利いている。 スペインのコーヒーは世界一おいしいなぁ。(イギリス以外、ヨーロッパじゅう
どこでもコーヒーはそれぞれおいしいが)・・・
やっとここで思い描いて いたものに近いタパスを食べることが出来た。
昨日、街を歩いていて、プチ・トランを見かけた。フランス語でプチ・トラン とは、小さな汽車という意味か、観光客用の列車で、町中をどこでも入っていく
列車の格好をしたバス(?)なのだ。これは南仏でも何回か見かけたが、乗って いる時間もなく、おもちゃの汽車に大人が乗るようで気恥ずかしく、横目で見る
のみだったが、母はこれに乗りたいと言う。(歩きたくなかったから!)
スペイン語でこれを何というのかわからなかったが、インフォメーションの おばさんに乗り方を聞いてみる。ついでにインターネットカフェの場所も。
そのプチトランは橋の上から30分毎に出発し、切符は運転手から買えばいいとの ことだった。
まだ時間がありそうだったので、先にインターネットカフェを探しに行く。 おばさんは地図に印をつけてくれた上、住所も書き込んでくれたが、一向に見つ
からない。 数人の人に聞いてみた。近所の人ならわかると思って聞くが見つからない。
そろそろプチ・トランが来そうだったので、ネットカフェ探しは後回しにして橋に戻ると、
あった、あった!おもちゃのような列車が。
私達以外に客はもう一組しかいなかった。 全部で3両あったと思う。
まずは新市街の方に出て、混雑した道路にもどんどん入っていく。
町外れまで来て今度はまたいったん橋に戻り、旧市街へ。
道が狭いので、 車が一時停車などしていると、渋滞になり、なかなか先へ進むのに時間がかかる。
そのうち、今度は急坂を昇っていく。そして急な曲がり角。 どんなとこにでも入っていく。乗ってみると、けっこう楽しい。
そして旧市街の裏の城壁の外にまで出ていき、郊外の景色も見えた。
これで3ユーロとは、お得なツアーだ。
もちろん走りながら、カタロニア語、スペイン語、英語の解説がつく。
春の南欧記25
さて、今のプチ・トランでもすぐ前を通った、例のカテドラルまでもう一度 歩いて行く。
『天地創造のタピストリー』を見るためだ。
カテドラルの奥に隣接する宝物殿の中にそれはある。
『天地創造のタピストリー』は一番奥の特別な場所にあった。 布が劣化するのを避けるためか、ごくわずかな明りによって照らされていた。
ガラスが手前にあるので近くで見ることができず、その後ろは壁になって いるので、後ろに下がって全体を眺めることも出来ないが、タピストリーに
描かれているモチーフを目をこらして見る。
それは12〜13世紀の刺繍だということで、カタロニア芸術の中でも傑作と されている。
伸び伸びした曲線、動物たちの生き生きとした表情は子供の描いた絵の ように、見ていてとても楽しい。当然ここには宗教的なストーリーが
組み込まれているわけだが、色使い、草花や波などの自然物を図案化した模様、 細部にわたり、こっそり盗みたい要素がたくさんあった。
入口の売店に戻り、ポストカードなど見ようと思ったら、係のおばさんが、 回廊を見なさいと行って方向を指示してくれた。
言われるがままに進むと、そこにはロマネスクスタイルの回廊があった。
カテドラルを出る頃、ちょうどランチの時間だったので、その近くの 感じのよさそうなレストランに入る。
店のお兄さんは派手ではないがスタイリッシュな雰囲気で、メニューの 一つ一つを英語で説明してくれる。
最後のデザートの段になってやっと気が付いた。 豆乳のヨーグルトとオレンジとパンプキンのムース。
この店はベジタリアンレストランなのであった。 思えばヒジキ入りのピラフのようなものが出てきた。豆などを多用し、スープ
に入っていたひき肉もおそらく大豆で作られたものだろう。 それにしても、気が付くのが遅かった。もちろん
どの料理もおいしかったが。 そしてワインも・・・。
午後は城壁まわりの公園や、回教徒浴場の方に行くが、どうしてもその内部に 入る入口がみつからなかった。
そのあたりは工事中で整備しているようだった。
この旧市街も興味を魅かれる路地がたくさんあって楽しい。
メインストリートの方まで下りてきて、再びインターネットカフェを探す。 どうやらインフォメーションのおばさんが教えてくれた住所にはないし、
そこを示した地図の位置も間違っていることがわかった。
それでも聞いてまわっていると、親切な人が道の外まで出て、本屋の奥に インターネットが出来るカフェがあることを教えてくれた。
いよいよ見つけたはいいが、全く日本語のフォントが入っておらず、 勘を頼りに文字化けした場所をさぐってみるが、メールを勘で書いたが、後日メールはちゃんと届いていたのには驚いた。
夜はまたバルに繰り出すが、今度はメインストリートのなるべく 観光っぽくない店を選んだ。
そろそろ疲れも出てきたので、この日は一軒しか行けなかった。
春の南欧記26
朝は昨日みつけた市場に行き、そこでまた同じイイダコ、(何しろ メニューの幅が少ないのだ。)レバーの炒め物。昨日より多めのパン・コン・
トマテ、そしてカフェ・コン・レーチェ。
今日はこれからバルセロナに行き、そして明日の朝にはバルセロナから 東京に発つのだ。
ジローナからバルセロナまで24分。
この旅行始まって初めての雨が降った。
前の日にホテルを予約しなかったことが悔やまれた。 空港への出発は朝だし、なるべく楽に行きたいので、カタロニア広場の近くで
ホテルを探したが、fullだという。 あわててランブラスの方向に行き、探したが、エレベーターがないような
ホテルが多い。荷物さえなければそんなことは気にしないのだが。
やっと二階に部屋があるホテルを見つけた。 今回はバルセロナでは観光はしないつもりだ。
せいぜいランブラス通りを上から下まで歩けば良いと思う。 ホテルを探しているときから、目に付くのは、これぞスペインでしょ!
(カタロニアですけど)って言うほどのバルの数。それこそ星の数ほど ある。今日はもう、バル三昧であとは何もいらないのだ。
カタロニア広場からランブラスを下るとサン・ジュゼップ市場を通る。 ここは何回来ても楽しい。最後のおみやげの仕上げはここの食料だ。
果物はもう食べる時間がリミットだと言うのに、相変らず食べきれない程 買ってしまう。
季節外れは承知の上で葡萄もつい買ってしまう。
さらに坂を下ればコロンブスの塔。 初めてここに来た時、ものすごく嬉しかったことが甦る。
ここには思い出がいっぱいある。
いろいろな人と来たから、思い出もいろいろある。
港には船が停泊している。
いつか、ここから気まぐれな思いつきでマヨルカ島行きの船に乗ったっけ。 イギリスにいた最後の年の修学旅行。大好きなバルセロナに、なぜか同級生達
と行きたくなくて、一人でベルギーとオランダに行ってしまった。 後から何度それを後悔したことか。でも、後悔は航海という字に無理やり
変えてしまったけれど・・・。(強引???)
そして今日はこの旅の最終日に 最もふさわしい場所なのだ。
この街は見どころが多いし、ピカソやミロやガウディにも会える。
きっとそれだけじゃないんだ。
コロンブスが海の向こうを目指した地であるからか、この街全体に 港町独特の進取の気性があふれ、自由で闊達、可能性がいっぱい。
だからきっと最後の地に最もふさわしいのだ。
春の南欧記27(おまけ)
さて、この旅行記の冒頭に書いた言葉のように、この旅によって何か 私を変化させるものがあったのか。
答えはまだわからない。
たぶんまだこの先の旅に続くのだと思う。
今回の旅の大きな特徴は、『美術館に行かない旅』。
いつも美術館漬けになってしまい、時間を割いてしまうため、 今回はほとんど行かなかった。
それでも時間が足りない。
人間て欲張りな生き物だ。
ゆっくりするつもりで来たというのに・・・ 結果はいつものごとく、欲張りな旅行。
もっともっと奥に行ってみたくなる。あれもこれもとつい欲張ってしまう。 (貧乏性かな)
この旅行で知った自分は、欲の深い人間だっていうこと。
(おまけのおまけ)
カヴァイヨンのメロンはおいしいということで食べてみたが、 色も夕張メロンのようにオレンジ系で、値段は200〜300円 (小さいが)これは食べなきゃ損だ。
色鉛筆を買った。 アヴィニョンで買った。 重いので12色入り。 日本ではドイツ製とスイス製が主流で、実際、発色もきれいなのだが、 フランスの景色や色を再現しようとするなら、やはり名も無き ブランドでも、フランス製でなければならないと思った。
国によって礼儀って微妙に違うけれど、あらためてフランス人の
挨拶には感心させられた。 どこに行っても、まずあいさつ。 例えば、郵便局の窓口でも、バスに乗る時にでも。
もちろん、店に入る時も、街角で人に道を聞くときにも。 とにかく挨拶をきちんとしてから本題に入る。
まわりの国に比べて、特にそれが強いように感じられた。 イギリスでも、話し掛ける時に『ハロー』とは言うけれど、
フランスの方が、もっともっとご丁寧。
気持ちが良い国だと思った。