無題

「待っている」
 と、わたしが発した言葉を最後に、彼等はわたしが起こした改変を正すために、わたしが狂うその時間へ跳躍した。
 残る、無音。
 残されたわたしは、来るべきその日まで時の狭間で眠り続ける二人の守人となり、起こるべきその日まで、この場にとどまり続けなければならない。
 どこへも行けず、どこへも行かず。これからの三年間、ただただ時を重ねる。
 それを、人ならば苦痛と思うかもしれない。けれどわたしは人ではなく、そのことに対して思う言葉は何もない。
 それが幸せか、あるいは不幸せか。
 どちらでもない。重要なのはその事実を知っているということだけで、それ以上も以下もない。ただ、未来を知るということは、その未来に束縛されることになる。わずかな差異も許されず、規定事項をただ淡々をクリアしていかなければならない責務を負うことになる。
 ──できるだろうか……?
 そう思う気持ちは、人の気持ち。人が抱くべき感情。けれどわたしは微塵も思わない。できるかできないかの選択肢は存在せず、ただひとつ、シンプルに『やることになる』と思うだけ。
 有機体という物質を得て、初めて得られる『時間』という流れは堅牢であり強固なものだと認識している。起こるべきことは必ず起こり、歴史の流れを変えようとしても、変えたと思うその出来事こそ、ひとつの時間の流れに組み込まれているプログラム。すべては必然であり、偶然など起こらない。
 だからわたしは、今この無意味に流れる時の流れに身を委ね、日々を諾々と過ごしている。彼等と再び邂逅するのは、三年後の北高にある文芸部の部室。そこでわたしはただ、本を読み、投げかけられるセリフに与えられた台本通りのセリフを返すのみ。それが、わたしの初めてのセリフとなり、初舞台となる。
 かつて、この惑星表面上に誕生したウィリアム・シェイクスピアは「人生とは、ただ歩き回るだけの影法師、哀れな役者のようなものだ。出番の時だけ舞台の上で、喜んで悲しみ、そして最後に消えてしまう」と言葉を残した。
 わたしには喜びも悲しみもないが、今のわたしに相応しい言葉だと判断する。出番が来るそのときまで、舞台のそでで演者の喜劇を見ていよう。


 その日は未来のわたしの記憶にも特筆すべき出来事はない、いつもと変わらぬ日常であるはずだった。このインターフェースの活動エネルギーを維持するための食料を調達し「そういえば」と思いついたのは、彼等と初めて出会うときに必要となる一冊の本を入手しておくこと。
 彼へのメッセージをしたためた栞を挟んでいた本は、なんというタイトルだっただろう。
 思い出せない。
 思い出せない?
 わたしが思い出せないということは、本そのものに深い意味はないと判断する。選ぶべき本はどれでもよく、ただ重要なのは本のサイズだろう。無数に並ぶ本棚の前、記憶にある本のサイズと同じものを手に取る。無作為に選んだこの本が、今のわたしの記憶にある未来のわたしが読んでいた本に違いない。
 ページをめくる。
 並ぶ文字の羅列。
 出だしの一行を読めば、途切れていたニューロンが再結合し、失われていたシナプスが再構築される。この本で間違いない。
 レジで会計を済ませ、初めて手に取るものの内容は熟知しているその本を、わたしは改めて読み進めることになる。決められた物語、わかっている結末。重要なのは内容ではなく、行為。本を読むという行為そのものに意味がある。
 ──ああ、そうか……
 今の閃きに、わたしは独りごちる。
 彼がわたしに尋ねた言葉。本を読むわたしに向かって問うたことに、わたしは「ユニーク」と答えた。
 確かにその通りだ。
 わたしは本の内容について答えたのではなく、わたし自身が行っている行為に対して返答したにすぎない。本を読む行為そのものを再現するだけの姿は、自分自身を見ても滑稽だ。
 今、わたしはそう閃いた。これで彼に問われたとき、わたしは自然な言葉として言うべきセリフを口にできる。
 やはり、今日この瞬間に「本を購入する」という行為にも意味はある。すべての行動には理由があり、その結果がわたしの知る未来へと繋がっている。
 齟齬はない。
 すべて決められた演出で舞台は動いている。
 でも。
 それなら。
 何故、今ここでわたしは足を止めるのか。目の前に見えるその姿に、つい物陰に隠れる。
 無意識の反応。その行動に意味はない……はず。
 人は、ただすれ違っただけの他者を永久に記憶に止めておくことはできない。どれほど強烈な印象を抱いていても、いずれ忘れてしまうもの。だから、今ここで彼とすれ違っても、彼はわたしを覚えているはずもなく、来るべき五月のあの日、文芸部の部室で出会う彼は、そこで初めてわたしと会ったと判断するだろう。
 だから、そのまますれ違うだけでよかった。何もせずにただ、横を通り過ぎればよかったにもかかわらず、わたしは物陰に隠れた。
 何故、わたしは隠れたのか。
 何故、彼の姿を直視できなかったのか。
 何故、無意味な行動を取るのか。
 そのすべてが、来るべき未来のために必要な、あらかじめ決められたエラー発生への布石なのかもしれない。わたしの自意識が理解できないだけで、このインターフェースに仕掛けられた予定調和の行為か。
 答えはない。あるのはただ、暗転する意識。
 幕間には、まだ早い。
 そう思う間もなく、意識が途切れた。


「気がついた?」
 と、目を覚ますわたしに言葉を投げかけてきたのは朝倉涼子。彼女の姿を目にとめて、それから周囲を見渡す。
 見慣れない天井。見慣れない壁。
 ここが自分の部屋ではなく、彼女の部屋であると認識して、体を起こす。鼻につく香りは彼女自身の残り香。わたしとは違う派閥から生み出され、わたしのバックアップとして存在する彼女は、わたしの影であり裏。
 いや。
 彼女が光であり表かもしれない。
 表裏など、主観でいくらでもすり替わる。誰が表と決めるのか、そのことに興味はないし、わたしが決めることでもない。
「驚いたわ。長門さん、町中で倒れているんですもの。まったく気づかないし、ここまで連れてくるの大変だったんだから」
「……そう」
 彼女の言葉はメモリに残す必要もなく、ただ聞き流しながら体を起こす。
 手は動く。足も動く。体のどこにも異常はない。異常があるとすれば、ただひとつ。わたしの行動。それだけがおかしい。
「……どうしたの? 何か……そうね、疲れているみたい」
 それは彼女の主観。
 わたしはわたし自身で疲れを感じてはいない。感じることもない。
 そもそもわたしや彼女には、疲弊するシステムは組み込まれていない。このインターフェースを構成する要素はあらゆる物質から置換し、再構成することができる。絶対真空の中でさえ誕生する素粒子のように、たとえ四肢を失ってもわたしが『わたし』という自意識のみさえあれば、周囲の大気元素からでも再構成することはできる。
 この世界は0と1の世界であり、その中間はない。
 あるか、ないか。
 朽ち行く過程であっても、そこに存在しさえすれば、それは1。
 存在した痕跡──記憶──さえ存在しなくなれば0。
 それがこの世界。存在するならば、いくらでも手を加えることができる。見た目が変わっていても、本質さえ理解していれば復元できる。疲弊という消滅へ至るカウントダウンを「なかったこと」にできる。
 だから、わたしに疲れなどという肉体的劣化は発生しない。
 それは朝倉涼子も同じこと。にもかかわらず、彼女はわたしを評して「疲れている」と判断した。
 狂っている、と思う。
 その思考はこの惑星表面上に誕生した知的有機生命体の理論に等しい。
 わたしは、わたしたちは人に似ただけのヒトであり、決して人にはなり得ない。けれど朝倉涼子の思考は、ヒトでありながら人と同じものだ。
 それを狂うと言わず、なんと言おう。
 だから彼女は消滅する。ゼロの存在になる。予定調和の中で起こす独断専行は、自身の消滅をもって償う。もちろんそのことを彼女は知らないし、それを知るわたしは彼女に告げることもない。
「ねぇ、長門さん。ひとつ、気になるんだけれど……あの日の七夕からずっと続くエマージェンシーモードは、何?」
 彼女の不意の問いかけに、わたしは自分の思考の海に潜る。そんな言葉を投げかけられた記憶はない。今のこのときも、彼女の言葉を記憶メモリに残していないのだから、未来の記憶を持つわたしが知らなくても当然だ。
「カギ」
 彼女の質問に答えるべき言葉は、その一言で事足りると判断。偽りを述べているわけでもなく、沈黙で返答を拒否したわけでもない。無言で返せば彼女は疑いを抱くが、そうでなければ困惑で終わる。
 彼女へ過剰な情報の提供は、今後の行動にわずかな齟齬を発生させる恐れもある。
 彼女は狂う。そして彼を殺そうとする。
 けれど彼女も知っている。わたしが、彼や涼宮ハルヒを守ることを。
 それを知った上での独断専行であり、おそらくそのときの彼女は、自らの行為が成功する確率を五分五分と判断するはずだ。
 分が悪い。
 一か八かの行動など、起こすべきではない。95%以下の勝率で行動を移すのは、勇気ではなく無謀だ。そう、わたしは判断している。
 それは彼女もそうであろうし、それでも彼女は行動を起こさなければならない理由がある。
 その理由を、わたしは知らない。知る必要もない。
 ただ、彼女はとても優秀。だから、一か八かの行動に出るよりも、わたしの部屋で時が来るまで眠り続ける彼等に標的を移すことがないように振る舞う必要がある。
「そう……」
 わたしの言葉に、彼女は何を思っただろう。言語で伝える情報には必ず齟齬が生まれ、正確な情報伝達は望めない。だから、彼女の言葉での問いかけに対するわたしの返答は、あの部屋で眠り続けるのが彼等であるとは判断できていない。
「長門さん、よくは分からないけれど……もし、あなたが疲れている原因があの襖の向こうにあるのなら、それにはそこまでの価値があるということなの? 自分を犠牲にしてまで」
 必要性を問うのであれば、ある、と答えるしかない。それがあらかじめ決められた歴史であり、この惑星表面上の表現を借りれば、それは運命だ。
 運命に逆らう意味はない。何かのアクションを起こすことで変わる未来などなく、すべては起こるべくして起こり、なるようになる。
「すべては、必然」
「三年間もの間、守り続けることが?」
「そう」
「なら」
 スッ……と、朝倉涼子の目が細くなる。その目は、何かに似ている。
「もし、あなたが守り続けることを放棄したら……未来は変わる?」
 ああ、そうか。
 その言葉で、わたしは思い至る。
 朝倉涼子もまた、何かを知っている。もしかすると、わたしと同じ未来を知っているのかもしれない。それだけの機能が彼女にもある。
 だから、未来を変える、などという妄言を口にする。
 彼女の崩壊はこの時点から始まっているようだ。わたしたちが与えられた役割から逸脱した行動など、取れるはずも取ろうと思う考えもない。巨大なシステムに組み込まれた歯車が回ることを拒否することができないように、自らの役割を放棄する考えなど思い至るはずもなく、にもかかわらず今の彼女にはその考えがある。
 いや。
 朝倉涼子が狂い始めているその言葉をわたしに告げることも、ひとつの必然だ。そうなることがあらかじめ決められている。
 もともと崩壊することが運命づけられて、彼女はここに存在している。彼女はわたしのバックアップとして存在し、徐々に狂い始め、そして消える。
 それが彼女の役割であり、その通りに彼女は動いている。
 狂ってなどいない。それが彼女が存在する理由であり、歴史の流れに組み込まれた役割だ。
 だから、彼女の問いかけに意味はない。答える必要もない。
 わたしは立ち上がり、玄関へ向かう。ここにいる理由はもう、ない。
 わたしは、大丈夫。
 果たさなければならない役割もわかっているし、わたし自身とて、狂い始める道を進まなければならない。十二月の、あの日を迎えるために。
「ありがとう」
 一時的な機能停止状態に陥ったわたしを運んでくれたあなたへの。感謝の言葉。
 わたしを気遣い、狂い始めた前兆を示してくれたあなたへの。
 もうすぐ消えるあなたへは──
 ──さようなら。


 それでも残る、彼女の言葉。
 朝倉涼子は、自身に待ち受ける未来を知っている。
 確証はない。ただ、そう思わせる行為を彼女は取っている。自己の消滅を回避する手段を模索している。それは、個として存在する以上、当然の考えであり、予見できている絶望的な未来を変えたいと思うのは自然な反応だ。
 人としてなら。
 けれど彼女は人ではない。情報統合思念体から切り離されて存在する、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースであり、彼女の役割はわたしとは違う。暴走し、独断専行の果てにわたしに消滅させられること。
 そのことで彼はわたしの言葉を真実と悟り、涼宮ハルヒを取り巻く世界を受け入れる。
 朝倉涼子の役割は、自らが消えることで彼に真実を認識させることにある。わたしのバックアップという立場は、タテマエでしかない。
 その未来を変えるわけにはいかない。だから、彼女は秩序ある狂気の果てに消滅しなければならない。未来を変えることなど、できない。
 でも。
 もし。
 未来を変える手段が、確実に変化する切っ掛けがあるのなら。
 わたしはどうするだろう。
 わたしは狂うこともなく、このまま涼宮ハルヒの監視を続けるだけでいいのだろうか。
 朝倉涼子も消えることなく、わたしのバックアップのまま存在し続けるのだろうか。
 変わる未来などない。
 変わった未来は、あらかじめ決められていた未来。その変化も歴史の流れに組み込まれていた出来事。
 魔が差す、という言葉がある。
 脆弱な自我に邪な思惑が取り憑く気の迷い。
 ひとつの境界線を踏み越えるためには、絶対的な切っ掛けが必要だ。
 人が他の生物を躊躇なく殺す理由は、生きるため。飼育した家畜を殺すのに躊躇う者などいないように、どれだけ愛情を注いでいても、そうしなければ自身が生きていけないという絶対的な理由がある限り、他の生物を殺すことでの後ろめたさは生じない。
 それを否定するつもりはない。否定する理由もない。
 わたしは今、来るべき自身の狂気を受け入れるために日々を諾々と過ごしている。予定調和の中での狂気を望んでいる。
 けれど。
 狂いたいと思う者などいない。朝倉涼子が自己の消滅を回避しようと思うように、わたしとて狂うことを回避できるのであればするべきだ。
 けれど歴史は、狂うわたしが存在することを証明している。
 必然の狂気がそこにある。
 それをわたしは、回避したいと思わないのか。
 ──思わないのだろう。
 何故思わないのか。
 ──回避などできないから。
 本当に?
 ──本当に?
 誰に対する問いかけなのか、問いかけの言葉に返すわたしの言葉は、霞んで消える。
 禁忌を犯すには、自我を守る絶対的な揺るぎない理由が必要だ。その理由があるのであれば、躊躇なく行動に移す。
 人も、禁忌たる殺人も絶対的な保護の下であれば躊躇なく行う。戦争という歴史がそれを証明している。
 そうだ。
 わたしが狂う未来を絶対的に回避できる手段があるのなら、わたしは躊躇いなくその道を選ぶべきだ。それが『わたし』というアイデンティティを守ることに繋がるのであれば、その道を選択しなければならない。
 自己を崩壊させる行為は禁止されている。そのように作られている。ならば自分自身を狂わせる未来を回避する絶対的な道があるのであれば、その道を選ばなければならない。
 その道は、ある。
 目の前に。
 閉じられた襖。
 この奥に眠る、彼等。
 来るべきその日を前にこの襖を開ければ、未来は確実に変わる。そして、変わるというのであれば、それはあらかじめ決まっていた歴史に違いない。
 その未来は、わたしが知らない未来。そもそもわたしには、この襖を開けることなど記憶にない。記憶にないのであれば、わたしはその行動を取ることを拒否している。
 でも、わたしは開けようとしている。
 それで未来が変わるのなら、今わたしが記憶している情報は偽りのもの? 偽りの情報を確かな未来として信じていた?
 そうだとすれば、わたしはすでに狂っている。
 自分の妄想を確固たる未来として信じて行動し、あり得ない出来事を真実だと思いこんで演じている、哀れで滑稽なピエロに他ならない。
 そうなら。
 もしそうなら。
 その役割に異を唱えるなら。
 この襖を開ければいい。
 開けてしまえ。
 そうすれば答えが出る。
 わたしの手が、無意識のうちに取っ手に触れる。
 ふと思い返すのは、朝倉涼子の目。
 ああ、そうか。
 あの目は何かに似ていると思った。あのとき、意識を失ったわたしを運んだ彼女が、自室で見せたあの細くなった目は……蛇のようだと思った。
 イヴを惑わす蛇のような目。禁断の果実を食べさせようとする誘惑。
 わたしはその誘惑に踊らされているだけなのだろうか。これが、彼女の遺した最後のトリガーか。その言葉に従って行動すれば、それもまた、わたしの異常性を証明する。
 どちらにしろ、狂っている。
 わたしは、記憶する未来でも、記憶にない未来を選択しても、狂うしかない。朝倉涼子が狂気の果てに消滅したように、わたしもまた、狂気を内包している。
 どうせ狂うのであれば、何も知らず、何も考えず、思うがままに行動した方がいい。
 記憶にない未来を選択し、今の自分がその責任を負う方がいい。
 だから。

 がらり。

 と。
 音を立てて、わたしは襖を開いた。


 かちかちと二〜三度瞬いて、蛍光灯が薄暗い室内を照らす。その光で、彼等は目を覚ました。
 今日は七月七日。あの日から、三年が経過している。
 約束の日、その日に解き放たれた時間凍結の空間は通常空間へ戻り、わたしはこの日から、内包する狂気という名のバグを処理することもなく、十二月を迎えなければならない。
 結局、わたしが襖を開けるのは七月七日のこの日だった。思い巡らすすべての考えは、あまりにも遅すぎた。
 まるでパンドラの箱だ。
 開け放たれた襖からは、わたしを狂わせるその瞬間まで、針を進ませる絶望と悔恨をまき散らしたのだ。もう、未来を変えることはない。やはり、未来は変えられない。
「ありがとよ、長門」
「別に、いい」
 有り体の言葉を述べる彼に、わたしもただ、言葉を返す。
 わたしの確定された狂気の未来は、彼に託そう。
 そう考え、わたしはふと、パンドラの箱の奥深くに最後まで残っていたのは、希望だったということを思い出した。