「状況を説明するとですね」
古泉の話ではすぐにでも森さんが来てくれるそうだが、俺はその前に朝比奈さんに何が起こっているのかを説明することにした。話をすることでどれだけ危険に巻き込むかわからないが、あの状況で俺を助けてくれたのは朝比奈さんだ。そしてそれは未来からの指示ときている。
誰が朝比奈さんに指示を出しているのか知らない。が、俺の脳裏にちらつくのは朝比奈さん(大)の姿であり、仮に違ったとしても俺を狙撃した犯人は、タイミング良く俺を助けた朝比奈さんに不審を抱いていることだろう。
すなわち、どうして狙っているのを知っていたのか? あのタイミングなら回避できるわけがない。にもかかわらず、あの女は狙っているのを知っていたかのように標的を突き飛ばした。もしやあの女に計画がバレているんじゃないか──ま、そんなとこだろう。
となればだ。朝比奈さんが巻き込まれるのは、未来的な言い方をすれば規定事項なのだ。それなのに、当の本人は状況が飲み込めてないときている。
これほど危険なことはない。
この時間平面での朝比奈さんの家庭環境がどうなってるのか知らないが、家族ぐるみで未来からやってきてるとは思えない。おそらく一人暮らしをしているはずだ。俺の考えすぎで済めば笑い話で終わって「めでたしめでたし」ってことになるが、想定した最悪の事態が実現したらシャレにならない。俺の話を聞いて、卒倒しないことを祈るばかりだ。
「どうやら、俺は狙撃されたみたいなんです」
「そ……げき、ですか? え、狙撃? それって……」
「殺されかけたわけなんです」
「え……えええっ! きょ、きょきょ、キョンくんっ! た、大変じゃないですかぁぁっ! え、なんで? どうしてそんな……。大丈夫なんですか!?」
「朝比奈さんが突き飛ばしてくれたおかげで、無事にこうして生きてます」
「え? あっ、だからあの指示だったんですね? あたし、キョンくんを守ってたんですね」
「そうですよ。朝比奈さんは俺の命の恩人なんです。ありがとうございました」
「そっかぁ……あたしでも、お役に立てたんですね。キョンくんを助けることができたんですね。よかった……本当に」
心底安堵の吐息を漏らしながら「よかったぁ」と呟く朝比奈さんに、俺は感動すら覚えたね。
俺の身を案じていることにもそうだが、自分が取った行動に対しても喜んでいるじゃないか。
言っちゃなんだが、これまでの朝比奈さんは与えられた指示を忠実にこなすロボットだったわけだ。そんなもん、別に朝比奈さんじゃなくてもいい話で、それが朝比奈さん自身もわかっているから落ち込むときもあった。
けれどここ最近は、自分が行う行為で事態が好転するということがわかっているようだ。誘拐未遂事件のときも朝比奈さんじゃなければダメだったし、今回のことも朝比奈さんが突き飛ばしたからこそ、その後、俺は屋上出口の階段までのこのこ着いてきている。見ず知らずのヤツなら、突き飛ばされた時点でやり返しているからな。
まぁ、そんな朝比奈さんの喜びに水を差すようなことを言わなければならないのは、やや気が引ける。
「えっとですね、ひとつだけ問題がありまして。朝比奈さんが俺を助けたことで、もしかすると犯人に狙われちゃうんじゃないかなーってことなんですよ」
「どういうこと?」
「俺は平和な日本でいきなり狙撃されるような身に覚えがなくて、当然ながら犯人に心当たりなんてないんです。もちろん狙われていたって自覚すらありません。でも朝比奈さんはタイミング良く俺を助けてくれましたよね? だから、朝比奈さんも犯人に目を付けられちゃったんじゃないかなーと、そう思うわけです」
「なるほどぉ、キョンくん鋭いですね〜。まるで探偵小説の主人公さんみたいです」
…………朝比奈さん、もうちょっと真面目に聞いてもらえないですかね?
「ですから、一人でいるのは危ないと思うんですよ。朝比奈さん、一人暮らしですよね?」
「ええ、この時間平面ではそうですけど……キョンくん、ずっと一緒にいてくれるんですか?」
そりゃもう、朝比奈さんとなら一生添い遂げたいくらいですが、俺なんかが一緒にいたところで、犯人にとってはターゲットが二人そろってるオイシイ状況を作り出すだけになりそうです。だったら、二人別々に第三者の保護を求めた方がいい。
俺の方は古泉の『機関』に守ってもらうとして、朝比奈さんは……やっぱ、あの人しかいないよなぁ。
「朝比奈さんは、事が済むまで鶴屋さんのところにいてください」
「鶴屋さん……ですか? でも……鶴屋さんまで巻き込むことになるんじゃ……」
朝比奈さんは危惧するが、俺はそうでもない。前に古泉が、鶴屋家は『機関』のスポンサーであり、互いに不干渉の立場だと言っていた。逆を言えば、『機関』は命を狙われる非日常的な出来事から鶴屋家を万全の体制で守る義務があるんじゃないだろうか? 命を狙われることも含め、常識外の出来事が鶴屋家の人間に降りかかれば、それはもう『干渉している』ってことになる……と思う。
だから、朝比奈さんが鶴屋さんといる限り、そこへ何らかの脅威が降りかかろうとしても『機関』が阻止するはずだ。ハズレてたら困ったもんだが、今の俺にはそのくらいの安全策しか思い浮かばないのも事実。このの予想があたっていると賭けるしかない。
「お待たせいたしました」
頃合いを見計らっていたかのように、俺と朝比奈さんを迎えに森さんが現れた。その姿は、そりゃ校内に入って来るわけだから、夏や冬の合宿で俺の目を楽しませてくれたエプロンドレス姿ではない。OL風の、もっとわかりやすく言えば、朝比奈さん誘拐未遂事件の時と同じようなスーツスタイルだ。
「お怪我がなくて何よりです。外に車を待たせてありますので、参りましょう。周囲の安全は確保しております」
「すみません、わざわざ」
「貴方が襲われてしまったのは、こちらの不手際でもあります。お気になさらずに」
悠然と微笑む森さんの笑顔は、この上なく頼もしいものだった。
付き添われて校舎を出て、校門前に止まっている車の運転手席には新川さんの姿が見える。お馴染みで頼りになる顔ぶれに、俺はようやく、張っていた緊張が弛む思いを感じる。後部座席に朝比奈さんと一緒に並んで座って、今になってようやく膝が震え始めてきた。
「どちらに向かいましょう」
問う森さんの言葉に、俺は気を取り戻す。そうだ、まだ何も解決しちゃいない。それどころか雪だるま式で問題が山積みになってる。一気に解決できないなら、細々としたところから憂いを払うしかない。
「鶴屋さんのところへ」
「……かしこまりました」
一瞬の間があったが、森さんは俺ごときが思いつく考えを読み取ってくれたのか、鶴屋さんを巻き込もうとしている俺へ何も言わなかった。
移動中、車内は沈黙に包まれていた。朝比奈さんはソワソワと落ち着かないようで、森さんはおそらく古泉から事情を聞いているのか、問い質すような真似はしてこない。運転手の新川さんもそれにならい、黙々とハンドルを握っている。何も聞いてこないなら何も言うまい、ということで、俺も黙っていた。
ほどなく、見覚えのある古風で巨大な門が見えてきた。新川さんがドアを開けてくれて朝比奈さんが車を降り、続けて俺も降りようとしたが、それは朝比奈さんに止められた。
「大丈夫です、鶴屋さんにはあたしから事情を説明しますから。それと……キョンくん、言いそびれていたんですけど」
「何ですか?」
「長門さんが、何時になってもいいからマンションに来てほしいそうです」
長門が俺を呼び出し? しかも俺に直接じゃなく、朝比奈さんに伝言を頼んでまでの呼び出しだって?
「わかりました、これからちょっと向かってみます」
「はい。あの……無茶なこと、しないでくださいね」
無茶なことなんて、俺だってやりたくないですよ。でもですね、それは周囲の状況次第だと思うんですが──などとは、不安そうな表情の朝比奈さんにはとても言えたもんじゃない。
「危険なことなんて、俺だって嫌ですよ」
ウソでも、そう言うしかないだろ?
運転手の新川さんは俺と朝比奈さんの会話を聞いていたのか、どこへ向かうのか尋ねることなく車を走らせた。周囲の見覚えのある景色から、どうやら俺の家じゃなくて長門のマンションに向かってくれているらしい。
「俺を……狙った犯人に目星はついているんですか?」
朝比奈さんがいなくなり、森さんと新川さんの二人を前に沈黙に耐えきれなくなって、俺は尋ねた。
「残念ながら、まだ犯人の特定や目的は判明しておりません。ですが、奇妙な事実ならいくつか判明しております」
そう言った森さんは、単三の乾電池よりもやや細くて長い金属の物体を俺に差しだした。戦争ものの映画やドラマで見る、狙撃銃の弾丸だ。
「それが、貴方を狙った弾と同じものです。やや専門的な話をするならば、それは7.62mm NATO弾と申しまして、有名なところではアメリカ陸軍が正式採用しているレミントンM24狙撃銃などに使われている弾丸でございます」
どこで有名なのか知らないが、これまた大風呂敷を広げたもんだ。アメリカ陸軍が使ってる狙撃銃だって? まさか俺を狙ったのがアメリカで、国家規模の陰謀とか言い出すんじゃないだろうな?
「そうではございません。わかったこととは、貴方を狙った狙撃手の位置です」
「位置?」
「弾丸にごくありふれたものを使っているということは、使用した銃もありふれたものと考えられます。先ほど例に挙げたM24を使用したと考えるのが妥当でしょう。ですが、それだと貴方を撃ち抜くには向かいの校舎から、ということになります」
……なんだって?
「M24の有効射程距離は最大で800メートルです。校舎の外での800メートル圏内では、あの教室を打ち抜ける場所がありません。ですから、そういうことになります」
「つまり……犯人は校内にいた、ってことですか?」
「そうです。けれど、そこでまた問題が出てきます」
「なんですか?」
「誰も銃声を聞いていないということです。校内となると、隣の校舎からですから……100メートルもないでしょう。その距離なら、貴方にも聞こえると思うのですが、聞こえましたか?」
どうだろう? あのときはあまりにも突然のことで混乱してたってのがあるが……そうだな、俺が聞いたのはガラスが割れる音だけだったように思う。
「それともうひとつ。旋条痕というものをご存じでしょうか」
「なんですか、それ?」
「銃というのは弾丸の飛距離を伸ばすために銃身内が螺旋状になっており、発射される弾丸に旋回運動を与えることで直進性が高まります。そのため、弾丸には旋回させた跡が残るのです。この跡というのは、まったく同じ工場で同時期に作られた銃でも異なった跡が残るので、どの銃が使われたのかすぐにわかるようになっております。『機関』では、旋条痕から使用した銃の特定や誰が所持しているのか判別するデータがそろております。ですが、回収された弾丸には残された旋条痕と一致するデータが存在しません」
「それはつまり……」
「貴方は存在しない銃から発射された弾丸に命を狙われた、ということです」
そんなバカな。それなら俺は、いったい何で撃たれたって言うんだ? その旋条痕とやらが残っているなら銃で撃ったのは間違いなくて、けれどその銃が存在しない銃だと!? 何がなにやら、さっぱりわからん。
「ひとつ、提案なのですが」
頭を抱える俺に、森さんが諭すような声音で語りかけてくる。
「今回の出来事は、貴方の前に吉村美代子と同化した朝倉涼子が現れたことに端を発していると思われます。彼女の行方がわからないことは、古泉の報告でも聞いております。幸い、今の彼女は普通の人間と同じ。彼女の身柄確保を含め、あなたの周囲で起きている今回の出来事すべてを『機関』へ任せてみてはいかがでしょう」
是非もない。理由もわからず命を狙われて、それでも厄介事に首を突っ込むのはバカのすることだ。しかも事後処理は全部やってくれるというのなら、願ったり叶ったりってもんだ。もんなんだが……そうそうすんなり行くとは思えない。そう考える自分がうらめしい。
「自分の意思で手を引けるなら、ハルヒと関わりなんて持たないですよ……」
俺の精一杯の強がりに、森さんは微笑みを漏らしてから「心中お察しいたします」と慰めているのか呆れているのか分からないコメントを口にした。
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