「少し、お時間を拝借してもよろしいでしょうか?」
と、昼休みの教室でマンガ雑誌のページを漫然とめくっていた俺に、えらく丁寧な口調で話しかけてくる声があった。
少なくとも、俺の近しい友人知人関係で「おまえはどこのお嬢様だ?」とツッコミたくなる話し方をするヤツはいない。なので、声を聞いただけでは誰なのかわからなかった。
顔を上げると、そこには……見知った顔ではあるが、友人とは言えない人物が悠然と微笑んで立っている。声をかける相手を間違えているんじゃないかと思い、周囲をきょろきょろ見渡したが、間違いなく俺に話しかけているようだ。
「ええっと……俺、ですよね?」
「左様でございます。大変心苦しいのですが、諸事情に明るく、ご自身の利益抜きに行動していただけるのはあなただけ……と思い至ったもので」
「はぁ……」
回りくどい物言いは、この人のデフォなんだろう。俺は気が短いわけではないが、ハルヒのストレートな物言いに慣れてしまったせいか、どうせならスパーンと話してくれないもんか、と思ってしまう。
「お話というのは他でもありません、長門さんのことです」
まぁ、そうだろうとは思っていた。俺とこの人で共通できる話題と言えば、長門のことをおいて他にない。けれど、そっちから長門の話題を振られると、どーにも古泉から聞いた話を思い出して居心地の悪さを覚える。
「そういうわけではありません。長門さんの普段の生活がどうなのか、とても気になりましたので」
なるほどなるほど。ひとつだけ分かったのは、ちっとも先が見えない唐突な語り出しだってことだな。
「長門さんは、ご存じのようにスレンダーな方でしょう? しっかり食事をしているのか心配で心配で……」
「はぁ……?」
この人は、そういうところまで気にするのが仕事なのか? それも、長門のお目付役と言えば仕方のないこと……か?
「それで、どうなのでしょう? あなたは特に長門さんと親しいご友人ですし、プライベートなこともご存じなのではないでしょうか?」
「いや、そこまで何でも知ってるわけじゃないですが……でも、そうですね。あいつが食ってるのはコンビニの弁当かレトルトのカレーくらいじゃないんですかね?」
少なくとも、長門が食材から料理を作る姿は一度たりとも見たことがない。SOS団の合宿のときだって、ハルヒと朝比奈さんが積極的に動いて料理を作り、俺と古泉、そして長門は出てきた料理に舌鼓を打つだけだった。
2月に朝比奈さんが8日間だけやってきたときもレトルトだしな。ありゃ料理とは言えないだろ。
「やはりそうなのですね。困ったものです……正しい食生活は、わたくしたちにとっても重要であるのに」
そうなのか? 最悪、飲まず食わずでも生きていけそうな気がするんだが……まぁ、食事は摂らないよりはマシだと思うが。
「それで、大変恐縮なのですが……今日の放課後、少しわたくしとお付き合いしていただけないでしょうか? 長門さんに料理の手ほどきをしたいと思いまして」
「それはいいと思いますが……俺が一緒に、ですか?」
「はい。わたくしだけでは長門さんも警戒してしまいますので、あなたがいれば気も紛れるのではないではないかと」
「それは別に構いませんが……でも、何故に?」
「深い意味はございません。長門さんの健康管理も役割のうちですので」
それが本当かどうかは俺ごときが知る術もないが……ともかく、こうして俺は放課後に目的不明の対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース、喜緑江美里さんと長門のマンションに行くことになったわけだ。
とは言っても、俺はSOS団の活動が、喜緑さんは生徒会活動があるので、長門のンションに押しかけるにも夕方──それこそ日が暮れた時間になる。
喜緑さんからは「内緒にしていただけると、とても助かります」と言うことなので、俺は何事もなかったかのように過ごしていたわけだが。
「…………」
心なしか、長門の視線というか気配というか殺気というかなんというか、そんなものが俺に向けられているような気がしてならない。
長門は長門で、いつものようにいつもの如く、いつもの場所でいつものペースを保ったまま本を読んでいるだけだ。俺を見ているわけでもない。そして俺も、いつもと変わらず、古泉とゲームに興じている。
そうだな、気にしすぎだ。いくら長門だからと、俺が喜緑さんと約束していることに気づくわけがない。長門に睨まれている気がするのも、喜緑さんとの約束で些細ながら『隠し事をしている』という、ちょっとした後ろめたさがあるからさ。
パタリと長門が本を閉じる。それでこの日の活動は終了となり、それぞれ帰り支度を済ませて部室を後にした。
何事もなく一日が終わってホッとする……ところだが、今日の用事はこれからが本番だ。俺は誰と一緒に帰るわけでもなく、駅前のスーパーまでやってきた。何故スーパーなのか? それは、そこで喜緑さんと待ち合わせをしているからに他ならない。
「急なお願いにもかかわらず、ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ遅くなりまして」
そんな有り体な挨拶を交わし、そのままスーパーでお買い物になった。
買い物かごを手に、こうやって並んで歩いていると誤解されそうだが仕方あるまい。知り合いに遭遇しないことを切に願うだけだ。願うだけなのだが……それとは別に、買い物かごが、どんどん重くなるのはどういうわけだ?
「……えーっと、喜緑さん」
次々とかごの中に食材を詰め込む喜緑さんに、俺は不安になって声をかけた。肉や野菜のみならず、料理をしない俺には用途不明な調味料まで大量に放り込まれている。
「何を作るつもりなんですか?」
「コスタリカ料理にしようかと考えております」
ああ、なるほど、コスタリカ料理ですか……って、おい。コスタリカ? なにゆえコスタリカ? この人はホンジュラスといい、コスタリカといい、中米に何か深い思い入れでもあるんだろうか?
「なにか?」
ニコニコと微笑む喜緑さんに、俺は何を言うべきなんだろう。ただ……その笑顔、なんかちょっと怖いです……。
そもそも、俺にはコスタリカの料理について知識はまったくない。
当たり前だ。
日本においてかなりマイナーな料理に区分される料理について、多くを語れるのはよっぽど雑学に詳しいヤツか、コスタリカに住んでいたヤツのいずれかに違いない。
そして俺はそのどちらでもなく、某超能力少年に「特別何の力も持たない普通の人間」と言わしめた男だ。コスタリカ料理について朗々と語れる言葉を持っていないのは当たり前、さらに超高度な知性を持つ情報生命体から作られたアンドロイドを説得する言葉なんて、即座に口をついて出てくるわけがない。
本当にこれ全部使うのか? という食材を大量に買い込んだ喜緑さんの荷物持ちとして、俺は黙って後をついていくしかできなかった。
この日ばかりは、自転車を使っていて助かったと心から思いたい。大量に買い込んでるなーと思ったら、調理器具類もいつの間にか買い込んでいた。その量たるや、自転車にくくりつけて運んでもまだ思い。
そんな喜緑さんは俺に先に長門のマンションに行くように言いつけて、どこかへ行ってしまった。「買えなかった食材を調達してまいります」とのことだが、何故だろう、現地まで買い付けに行っている姿が脳裏をかすめた。手段や方法は考えたくもないね。
それはともかく。
大量の食材を手に長門の部屋の部屋番号を押してからベルボタンを押した。
『…………』
相変わらずの無言対応で困ったものだが、そういうものだから仕方がない。
「あー……俺なん」
『帰って』
おいおい、最後まで喋らせてくれよ。しかも第一声がそれか? まさか長門の口から拒否のセリフがでるとは……かといって、このまますごすごと引き下がることもできない。
今の俺の状況は、門前の虎に後門の狼って感じだ。下手に引き下がろうものなら、喜緑さんに怒られてしまう。何故かわからんが、ああいうタイプは怒らせないほうがいい気がするんだ。
なので、俺は必死になって弁解じみたことをインターフォンに向かって並べ立てた。
「そういうわけにも行かなくてだな。俺もちょっと困ってるわけで、できることなら入れてもらいたいんだが」
『嫌』
訪問販売でケンモホロロに追い返されるセールスマンの気分がちょいとばかり分かった気がする。初めて顔を会わせた時だって、愛想こそなかったが、ここまでの拒否反応は示していなかったじゃないか。
困ったな。これはどうしたもんか……。
「そうおっしゃらずに、中に入れていただけないかしら?」
ぅおぅっ! びっくりするじゃないか。いったい何時の間に現れたんですか、喜緑さん!?
『…………』
しばしの沈黙の後、インターフォンの通話が切れてエントランスの鍵がはずれた。はずれたのはいいんだが、もしかして長門、通話切る前に舌打ちしてなかったか?
「ささ、参りましょう」
俺は別の意味で参りそうですよ。
などとは言えず、俺は喜緑さんを盗み見た。手にはずいぶん薄汚れた袋が握られている。その袋に書かれている文字は……すまん、英語の成績さえ危うい俺に、スペイン語なんて読めるわけがない。
「俺の気のせいかもしれませんが、長門のやつ、嫌がってませんか?」
「それは気のせいですね」
即答ですか。笑顔で即答するとはさすがですね。
廊下を歩き、長門の部屋の前が見えてきたころには、玄関先でドアから右半分だけを見せている長門の姿があった。
ううむ、なんだろうあの視線は。あいにく俺は悪霊や妖怪の類に知り合いはいないが、そのときの俺に注がれる長門の視線は、四谷怪談のお岩さんだって可愛く見える代物なんじゃないかと思える、それはそれはステキな恨み節が込められている気がするんだ。
「今晩は、長門さん。その様子だと、わたくしたちが来た理由もわかってるようですね。お邪魔してもよろしいかしら?」
長門は喜緑さんをちらりと見て、再び俺を見て──気のせいでなければ、長門は今、初めてため息を漏らした……ような気がする。
部屋の中に引っ込んだ長門に続いて、喜緑さんが部屋の中に入る。そして俺はそのままおいとましようかと考えたが、長門が俺のベルトを引っ張って逃がさなかった。せめて12月に変革した世界でのおまえのように、恥じらいを持って引き留めてくれ。
長門の部屋に、唯一あいつのものだと言えるコタツの前に座る俺の今の気分は、眠ってる虎の口の中に頭を突っ込んでるようなものだった。落ち着かないのは落ち着かないんだが、その落ち着かない気分をさらにソワソワさせることが、ひとつだけある。
長門、喜緑さんが履いているウサギさんスリッパは、おまえが自分で買ったのか?
「長門さん、彼から話を聞きましたが、あまり食事に気を遣っておられないようですね?」
まるで自分の家のように台所に向かって買い込んだ食材その他を置いて戻ってきた喜緑さんが、まるで一人暮らしをしている娘の家にやってきた母親の口ぶりでしゃべり出した。
「よろしいですか? 食事というものは、有機体にとって欠かすことのできないものなのです。生命活動を維持するため、他の生物の命を取り込み糧とする行為は、それはそれは重要なものなのです。ですが、その行為そのものを当たり前のものと割り切り、漫然と食事をするというのは、我々の糧になるために犠牲となった食材に対して申し訳ないでしょう? ですからわたくし、有機体の命は極めて短く、刹那的なものであるにもかかわらず、それを奪ってなお一般的な味覚レベルにおいて劣っている味付けの料理を口にしたときは、それはそれは悲しくなってしまいます。ですが、食材の味を十二分に引き出した料理を口にしたときは、自然と笑みがこぼれるステキなものなのです。その喜びを知らずして、新たな進化の可能性を知ることが我々にできるでしょうか? できるわけがございません。わたくしはそこに、人類が不完全に有機生命体でありながら、急速な自律進化を経て、保有する情報を拡大させて進化できたのだと考えております。なので長門さん、料理をしましょう」
あ〜……なんと言うか、長門よ。喜緑さんはエラーが蓄積しちまっててバグってるんじゃないよな? 俺はここまで食事に関して饒舌なヤツは見たことないんだが……喜緑さんってこんな人だったのか?
そもそも、何が「なので」で「料理をしましょう」な話になるのか、誰でもいいから説明してくれないだろうか。
「夕飯は食べた」
喜緑さんの革命家の演説顔負けの言葉とは裏腹に、長門の返事は極めて短い。というかおまえ、喜緑さんがしゃべり出したと同時にカーペットの編み目数えてただろ?
そんな長門を見て、喜緑さんはふぅっとため息を吐いた。
「先ほど、お台所を拝見いたしましたが、積み上げられていたのはレトルトカレーの空き缶とコンビニ弁当の空箱ばかりではないですか。よろしいですか? そもそも食事というのは……」
「ええっと、とりあえず喜緑さん、俺らは長門に食事の大切さを説きに来たわけではないと思うんですが」
このままだと、再び食に対する熱い思いを語り出すと思った俺は仕方がないので止めに入った。あんな話を何度も聞かされちゃかなわないからな。
「そうでした。本来の目的を忘れてしまうところでしたわ」
少なくとも9割くらいは本来の目的を忘れていたと思うんだが、これ以上、話をこじらせても仕方がない。俺の胸の内にしまっておこう。
「長門さん、あなたに料理の楽しさを教えてさしあげます。キッチンに参りましょう」
にっこり微笑む喜緑さんと、無表情を貫く長門。その間に挟まれている俺。
妙な緊張感に包まれている気がするが、それは俺の気のせいだろう。気のせいに違いない。いやもう、深く考えるのがイヤになってきた。
長門は喜緑さんに向けていた顔をグググと動かして俺を見て、ギギギと動かして喜緑さんに視線を戻す。まるでデキの悪いブリキ人形のような動きだ。
そして、さらに時間は流れる。いったいその間に長門と喜緑さんの間でどんなテレパシーが交わされていたのか、俺には推し量ることもできない。
しばらくして長門は立ち上がって台所へと無言で向かい、その後に喜緑さんも微笑みながらついて行った。どうやら交渉が成立したらしい。俺が置いてけぼりを食らっているのは、見ての通りだ。
「そうそう」
と、台所に引っ込んだ喜緑さんが俺のことを思い出してくれたようだ。
「あなたはそこでごゆっくりなさってます? それとも、見学なさいます?」
そりゃもう、ここで暇を持てあますよりは見学でもしてたほうがマシってもんです。そもそも長門がまともに料理をするところなんて、なかなか見られるもんじゃない。前のときは、レトルトを温めてキャベツ丸ごと一個を千切りにしただけだしな。
台所へ向かうと、長門がエプロン姿で包丁を握りしめてボーッと立っていた。ああ、こういうキラーコックが出てくるC級ホラー映画があった気がするなぁ、などと思ったが、とてもそんなことは言えやしない。他の言い方をすれば、絵描き歌のかわいいコックさんとでもしておこうか。
見学に来たはいいが、あいにく俺に出来ることは何もない。テーブルに腰を下ろし、水回りで動き回る2人の対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースの後ろ姿をボーッと眺めることにした。
こういうシチュエーションはあれだ。男にとっては嬉しいシチュエーションなんだろうな。俺のために、というわけじゃないのが残念だが、それでも目の前で2人の女性が料理を作っているわけだ。これを眼福と言わず、なんと言おう。
いやはや、微笑ましい……な〜んてな。そんな生やさしいもんじゃないのが現実だ。
後ろ姿しか見てないから俺の主観になって申し訳ないが、少なくとも俺の目には、長門は無表情で包丁を振り回して肉や野菜を刻み、喜緑さんはニコニコと笑顔を浮かべながら鍋の前でぐつぐつと何かを煮込んでいるようにしか見えない。
……何故だろう、妙な怖さを感じるのは俺の気のせいだろうか?
この間、2人の間に会話なし。まぁ、俺には分からないテレパシーで会話してるのかもしれないが、例えそうだとしても、どんな舌戦が繰り広げられているのか? なんて考えたくもないね。考えるなら、出てくる料理について考えていた方が健全ってもんだろう。
なんだっけ? そうそう、コスタリカ料理と喜緑さんは言っていた。ならばコスタリカってのはどんな国だっけ? と俺は必死に頭の中で地理の教科書を紐解いていた。
確か……コスタリカと言えば、かつてスペイン領だったとこだ。おまけに世界各地から移民がやってきて、そこの料理と言われても世界各地の本格的なレストランがあるんじゃなかったかな。そんなとこの料理と言われても、当然ながらピンとこない。
「…………」
などと考えていると、長門が俺の前に揚げ物を差しだしてきた。
「お待たせして申し訳ありません。まずは前菜でも召し上がっていてください」
とは喜緑さんの弁。前菜ということは、コース料理にするつもりか? まさかこれ、食べたら虫歯が抜けて健康な歯が生えてきたり、眼球がしわしわになるくらい涙が流れて眠気スッキリしたりしないよな?
そもそも喜緑さん、長門に料理を教えるはずなのに、あなた1人で作ってませんか?
「えーっと、これなんですか?」
「Empanadaです」
日本語でOK。
「エンパナーダと言いまして、トウモロコシの粉や小麦粉で作った皮の中にお肉やお豆を入れて揚げたものですわ。そちらには煮卵を入れてあります」
なるほど、そういう食べ物ですか。それじゃ、まずは一口……なるほど、近い味としては揚げ餃子みたいな感じだな。ただ、中に煮卵が入っているもんで食感としては新鮮だ。 というか長門、何故俺をそんなに睨む?
「……ああ、食べるか?」
いつもより分かりやすく頷いた。さすが食欲旺盛な宇宙人。食い意地が張ってるのは相変わらずか。俺1人でちまちま食うのもつまらんし、食べかけで申し訳ないが箸でつまんで食べさせようとすると、皿の上に乗っかってるものを一瞬で食われた。
……これは、俺に食べさせられるのが恥ずかしかったから、という照れ隠しということにしておこう。
「お次はサラダですわ。Ensalada de Repolloです」
「えんさ……なんですか?」
「エンサラーダ・デ・レポージョ。キャベツの千切りにサイコロの形にカットしたトマト、フレッシュコリアンダー、絞りたてのレモンジュース、オリーブオイルを混ぜたもの。冷やせば日持ちする」
はぁ、なるほど。それでどうして長門がそこまで詳しく解説してくれているんだ? というか、もうすでに料理する気ないだろ?
こうなってくると、喜緑さんもノッて来たのか長門無視で1人勝手に料理を続けていた。この人の場合、出来上がった料理を食べるのが目的じゃなくて、作ることの方が重要なのだろう。そういう意味でも、長門とは正反対だ。
そして長門はというと、喜緑さんに代わって出される料理の解説をしつつ、俺と一緒になって飯を食っている。もはや作ることは放棄したらしい。まるで親鳥がエサを運んでくるのを待つヒナみたいだな。
次から次に出てくる料理を俺(と長門)は食べ続け、喜緑さんはとにかく作り続ける。途中から食うことに夢中になって、メニューのことなんて聞かなかったし、長門も黙々と食っていた。
それだけ美味かったということだ。コスタリカの料理なんて初めて食うが、なかなかマイルドな味わいで、ついつい箸がのびる。
そして何より特筆すべきことは、喜緑さんの後ろ姿だ。料理の邪魔にならないように髪を結い上げ、ポニーテールにした上で、鼻歌を口ずさんでいる。
素晴らしい。完璧だ。非の打ち所がないほどにパーフェクト。
当初の理由はどうあれ、ポニーテールの似合う女性で楽しそうに料理を作るような人を恋人にしたいもんだ。
「ぃっで!」
長門、椅子を引いたときに俺の足を轢いたのは狙ってやったのか? 理由は……まぁ、聞かないでおこう。
「それにしても喜緑さん、本当に料理上手ですね」
食後となり、お茶をすすりながら俺は素直な感想を述べた。食に対する熱い思いは伊達じゃないね。
「料理を作るのも楽しいですけれど、そう言っていただけると嬉しいものですね」
うふふと微笑みながら、喜緑さんは満足そうだ。いいね、うん。やはり女性はこういう一面がないとな、と思うと脳裏にハルヒの顔が浮かんだ。
何故だろう、ちょこっと泣きたくなった。
「今日の調理方法は長門さんも習得されたと思いますので、今後は長門さんに調理していただいてはいかがでしょう?」
「長門が? ただ横で食ってただけだと思うんですが……」
俺はちらりと無表情娘に視線を向けた。どこを見るわけでもなく、ずずずとお茶をすすっている。
「有機体である以上、個を尊重するために普段はそのようなことはありませんが、相互の許可があれば情報共有が可能ですので」
そりゃ便利なもんだなぁ……と思ったが、かといって長門が作ってくれるとはとても思えないんだが……改めて長門を見ると、今度は目が合った。
よし、無理だ。今日のごちそうは一夜の夢と思おう。それが一番……って長門さん、何で台所に立ってるんですか? 何を作り出してるんですか。
「はい」
そう言って長門が差しだしてきたのは、ひとつの皿に肉と黒豆入りのご飯とキャベツのサラダとフライドポテトが盛り込まれたものだった。
「えーっと……」
「カサード。コスタリカ風の定食」
そ、そうか。おまえが言うならそうなんだろうな。しかし俺、もう入らないぞ?
「食べて」
「…………」
長門、こわいよ長門。
喜緑さんも見てないで、助けてもらえないですかね?
「せっかく長門さんが作ってくださったのに、箸もつけないのは如何なものかと思いますけれど?」
微笑んで、しれっとそんなことを言う。何を楽しそうにしているのか、是非とも聞かせていただきたいですね。……この状況からうまく逃げられたらだけどな。
……ああ、食うよ。食いますとも。経緯はどうあれ、長門が作ってくれたんだからな。だからそんな、視殺できそうな目つきで睨まないでくれ。
翌日になっても、胃の中に詰め込まれた飯は消化しきれなかった。それでも完食した俺は、ホットドッグの大食い選手権でそこそこの成績を残せると確信したね。
「どうしたのあんた、臨月間際の妊婦さんみたいな顔してるわね」
いつも俺より先に教室に来ているハルヒが、俺のことをそう表現した。おまえは臨月間際の妊婦さんをそんなによく見るのか、とか、いつから産婆さんになったんだ、などとツッコミたいところだが、残念ながらそんな余裕はない。
「昨日、食い過ぎて胃もたれ起こしてるんだ」
朝の挨拶代わりに、昨日の出来事をついつい話題に出してしまった。その途端、ハルヒは時代劇の悪代官顔負けのいやぁ〜な笑みを浮かべた。
「へぇ、あんた、そんな楽しそうなことに巻き込まれて、あたしに何の相談もしなかったわけ?」
当たり前だ。おまえに話を振っていれば、長門の家がキッチンスタジアムになっちまうだろうが。これ以上、食い物を詰め込まれたらフォアグラが出来ちまうだろ。
「けどさ、喜緑さんって生徒会の人でしょ? なんで有希に料理なんて教えようって思ったわけ?」
「ん〜……遠い親戚なんだそうだ。なんだっけかな、父親の祖父の弟の妹の旦那さんの娘……だったかな?」
「それって全然他人じゃない?」
しまった、もっと近い血縁ってことにしときゃよかったかな。ハルヒに突っ込まれるとは、俺も落ちぶれたもんだ。
「でもまぁ、有希もあれよ。料理だったらあたしに任せればいいのに。あんたも大喜びのメニューがあるのにさ」
ハルヒの料理の腕前には疑いもないが、俺が大喜びのメニューには興味があるな。
「でもそれには、みくるちゃんの協力が必要なんだけど」
……何故だろう、俺は予知なんてできないが、ハルヒが次に言いそうなことが、なんとなく分かってしまった……が、それを真面目に言うとしたら、こいつは正真正銘のアホかもしれん。
「……試みに聞くが、どんな料理だ?」
得意満面で胸を張り、ハルヒはビシッとこう言った。
「女体盛りに決まってるじゃない!」
……やれやれだ。
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