涼宮ハルヒの邂逅

 その日のハルヒは、どこかおかしい素振りを見せていた。
 そう言うと誤解を与えそうだから、ひとつだけフォローを入れておこう。いつものハルヒは傍若無人で1人勝手に突っ走り、厄介事をSOS団に持ち込んで俺を含める団員全員が苦労する──そういうことを、俺は普通だと思っている。この認識に異論があるヤツは前に出ろ。俺の代わりにハルヒの面倒を見る役割を与えてやる。
 それはともかくとして。
 その日のハルヒは……世間一般の女子高生らしい素振りを見せていた。
 例えば、休み時間にクラスの女子たちと普通に話をしていたり、あるいはまじめに授業を受けていたり、さらには放課後にこんなことを言ってきた。
「ねぇ、キョン。今日の放課後、時間空いてる?」
 事もあろうに、あの涼宮ハルヒが俺に都合を聞いてきたのだ。
 おいおい、なんだよそれは? まさに青天の霹靂ってやつじゃないか。おまえにそんな態度を取られると、俺はどうすればいいか分からんぞ。
「ねぇ、どうなのよ?」
「あ、ああ、そうだな……それは部活が終わった後ってことか?」
「あ、そっか。うーん……そうね、大切な活動を中止するわけにもいかないか。終わってからにしましょ。忘れたら罰金よ!」
 おいおい、俺はただ「いつの放課後だ」と聞いただけなのに、いつの間におまえに付き合って時間を潰すことになっちまってるんだ?
 けどまぁ、そういうのがハルヒらしいってことだろう。そんな長時間でなけりゃ付き合ってやっても罰は当たらないさ。
 それにしても……あのハルヒがしっかりアポイントを取ってまで、いったい何を企んでいるのかね。俺は何かやらかしたかな? 思いつくことは何もないが……いやいや、もしかすると相談事とか? それこそありえないだろ。
 それなら……と、あれやこれを考えつつ古泉とゲームに興じていると、長門がパタリと本を閉じた。運命の時間になってしまった、というわけだ。
「それじゃキョン、下駄箱で待ってなさい」
 団長さま直々のお達しにより、俺は下駄箱で待つこととなった。古泉に「おや、デートですか?」などと聞かれたが、軽やかにスルーしておいたのは言うまでもない。
 しばらく下駄箱前でボーッとしていると、ハルヒがやってきた。
 ここで「待った〜♪」などと言ってくれば「おまえは誰だ?」と言い放てるのだが、そんなこともなく、代わりに口を開いて出てきた言葉は「ぼさっとしてないで、さっさと行きましょ」とのこと。やはりコイツは俺の知っているハルヒで間違いない。
「んで? 俺の貴重な青春時代の1ページを割いてまで、いったい何の用だ?」
 北高名物のハイキングコースを並んで歩きながら、俺の方から話を振ってみた。
「……あんたさ、中1の夏、何してたか覚えてる?」
 ややためらいがちに、ハルヒが口を開いた。
「なんの話だ?」
「いいから! 覚えてるのかって聞いてるの」
 わざわざ俺を呼び出して、意味不明なことを聞いてくる。そんな昔の話なんぞ、覚えているわけがない。
 おれが正直にそういうと、ハルヒは眉根にしわを寄せた。
「そうじゃなくて……ああ、もう! 中1の七夕の日、あんた何やってたの?」
 この瞬間湯沸かし器みたいにキレる性格はどうにかならんもんか?
 それはそうと、中1の七夕だって? 我が家では七夕に笹を出して織姫と彦星の再開を祝う習慣はないから、いつもと変わらない一日だった……というか、待て待て。なんでそんな話題を振ってくるんだ?
 俺はともかく、ハルヒにとっての中1の七夕と言えば……校庭ラクガキ事件の日じゃないか。そのことは新聞にも取りざたされた話だから、知っているヤツは多い。けれど、ハルヒ自身の口からそのことを言い出すのは皆無だ。
「中1の七夕なんて、いつもと変わらない1日に決まってるだろ。そういうおまえは、校庭にはた迷惑なラクガキしてたんだっけ?」
 その詳細を知ってはいるが言うわけにもいかない。誰でも知ってるような話で切り返したが、ハルヒは不意に立ち止まり、じーっと俺の顔を睨んでいる。
「…………」
「…………」
 ハルヒが黙り、俺も黙る。なんともいたたまれない沈黙に包まれて、かと言って俺から話しかける言葉も見つからずにいると。
「もういい」
 ふいっと背を向けて、1人早足で坂道を降りていく。その背中には妙な殺気が籠もっていて、とても並んで歩く気にはなれず、ただ後ろ姿を見えなくなるまで見送った。
 そんなことがあった前日、どうせ今日には元に戻ってるだろうと登校してみれば、ハルヒは学校に現れなかった。
 あいつが休むとは珍しい。これは別の王道パターン──ハルヒが海外に引っ越す──かと思ったが、朝のホームルームで担任の岡部からそういう話はなかった。むしろ、「涼宮は休みか?」などと言っていたから、病欠ってわけでもないようだ。純然たるサボリってことなんだが……そうだな、おかしな事態だ。
 あいつは授業中こそつまらなさそうにしているが、無断でサボるようなヤツじゃない。異常事態だってことさ。
 1限目が終わり、俺はすぐに9組の古泉のところへ向かった。ハルヒの精神分析専門家を自称するアイツなら、何かわかるかもしれん。
「え、登校していないのですか?」
 と思ったが、古泉も寝耳に水の話らしい。
「昨日から様子がおかしくてな。それで今日は不登校だろ? 何かあったのかと思ったんだが……おまえの様子を見るに、閉鎖空間もできちゃいないようだな」
「そうですね。ここ最近、僕のアルバイトも別方向の役目が多くて……おっと、これはあなたには関係ない話ですが。ともかく、今の涼宮さんは安定しているようです」
 おまえのアルバイトでの役目なんぞどーでもいいが、その話でハルヒがストレス貯めてたり、妙なことを企んでる訳じゃないことは把握した。
 しかし、まったく何もないわけじゃないだろう。
 これまでの出来事を思い返し……あんな物憂げなハルヒを見たことは、2回ほどある。 七夕とバレンタイン。
 あのときの様子とよく似ている。かといって、今はバレンタインって時期じゃない。もちろん七夕って日でもないが……しかし、あいつの方から七夕の話題を出したってことは、思い出さざるを得ないことがあった、ってことだろう。
 ジョン・スミスの名前を。


 時間的には昼休みか。そろそろ電話をしてもいい頃合いだろうと考え、ハルヒの携帯に電話をかけてみた。
 2〜3回ほど留守電サービスに繋がったが、その後にようやく繋がった。携帯からじゃなくて公衆電話からだからか、警戒したようだ。そりゃ俺も見知らぬ番号や携帯からかかってきた電話には出ないがね。
『あんた誰?』
 電話応対の定型文を使うようなヤツじゃないが、そういう態度はどうかと思うぞ。
「俺だ」
『あたしに「俺」って名前の知り合いいないんだけど? つーか、さっきからしつこいし。その声、もしかしてキョン? だったらふざけた真似はやめなさいよ』
「いや……ジョン・スミスだ」
『…………え?』
 この名前を口にするのも久しぶりだ。できることなら名乗りたくもなかったが、事情が事情だしな、仕方がない。対するハルヒも、俺が何を言ってるのか理解できていないようだった。それも仕方がない。
「なんつーか……久しぶりだな」
 我ながらマヌケな言葉とつくづく思う。毎日その顔を見ておいて「久しぶり」もなにもあったもんじゃない。
『あんた……ホントに、ジョン・スミス? じゃあ、やっぱりあの手紙もあんただったの?』
 それがハルヒの物憂げな気分の正体か。
 その手紙になんて書かれていたか聞き出すのは難しそうだが、わざわざ「ジョン・スミス」の名前を語っているということは、タチの悪いイタズラで済まされる話じゃない。
「その手紙になんて書いてあったかは知らないが、俺が出したものじゃないことは確かだな。今日、学校を休んでいるのもその手紙のせいか?」
『そうだけど……ちょっと待って。ジョン、なんであたしが学校休んでるの知ってるの?』
 しまった、余計なことを口走っちまった……。
『あんた、今学校にいるのね? そうなんでしょ! 今から行くからそこにいなさいよ、逃げたら死刑だからね!』
 言うだけ言って切っちまいやがった。やれやれ、これもまた規定事項ってヤツか? だとしたら……そうだな、ここで頼るべきは長門か。はぁ……まいったね。


 5限目の終了を告げる鐘の音とともに、教室のドアがぶっ壊れるほどの勢いで開かれた。そこに、鬼のような形相でハルヒが立っている。
 ハルヒは呆気に取られているクラスメイトと教師を一瞥し、ずかずかと教室の中に入り込んできたかと思えば、俺のネクタイをひねり上げてきた。
「行くわよ」
 声が低く落ち着いているだけに、逆に怖い。
 ずるずる引きずられて教室から出て行く俺を、哀れな生け贄を見るような目で見つめるクラスメイトの視線が痛かったのは言うまでもなく、教師すら見て見ぬふりをするとはどういう了見だ? 教育委員会に訴えてやろうか。
「協力しなさい」
 屋上へ出る扉の前。常時施錠されていてほとんど誰も来ないこの場所で、既視感を覚えるような事を言われた。前と違うのは、命を取られそうな殺気が籠もっているというところだろうか。
「いきなり学校にやってきたと思えば、何に協力しろって?」
「校内に、あたしらより3〜6歳年上の見慣れない男が一人、うろついてるはずよ。そいつを見つけて確保した上で、あたしの前に連行してきなさい」
 なんつーことを言い出すんだ、おまえは? そもそも校内に見慣れない男がうろちょろしてたら、誰かがすでに気づいてるだろうが。
「あんた、校内にいる教師の顔、全員覚えてる? 一人くらい見慣れないヤツがいたって、それらしい格好してれば紛れ込めるわ」
 まぁ……言われて見ればそうかもしれないな。部室にあった、過去の卒業アルバムに載っていた教員一覧は4ページに渡っていたわけだし。
「いい? 時間はないの。怪しいヤツを見かけたら、拉致って即座に連絡すること。次の授業なんかほっときなさい。それと、このことはSOS団全員に通達することも忘れないように! ところで……あんた、携帯忘れてないわよね?」
「それは持ってるが……」
「ちょっと貸しなさい」
 言うが早いか、ハルヒはいきなり俺の上着の内ポケットに手を突っ込むと、携帯電話を強奪しやがった。どうして俺はキーロックをかかけてないんだ、と最初に思った時点で何か間違ってる気がするのは、この際ほっとこう。
「……あんた、昼にあたしに電話した?」
 我が物のように俺の携帯をいじるハルヒは、どうやら着信履歴を真っ先にチェックしたらしい。こいつの旦那になるヤツはあれだ、履歴チェックは欠かさないようにしたほうがいいぞ。
 そういう俺はどうか、だって? 俺の場合、見られて困る相手に電話をしてるわけじゃないから、別に気にしないさ。
「かけたよ。おまえが学校に来ないのが気になったんだ。通じなかったが」
「ふーん、そっか」
 正直に話すと、それで興味を無くしたのかハルヒは携帯を投げ返した。
「それじゃ、キリキリ働きなさいよ!」
 そのまま猛烈な勢いで階段を駆け下りて行くハルヒを、俺はただ呆然と見送った。
 どうやらあの様子から察するに、あいつの頭の中では校内にジョン・スミスがいるってことになってるんだろう。
 それはあながち間違いではないが……捜す対象が俺らより3〜6歳ほど年上の男となると、まず見つかるわけがない。それは言うまでもなく、俺がジョン・スミスだからだ。
 そりゃまぁ、あいつが中1の七夕のとき、俺は北高の制服を着ていたし、事実高1だった。学年まで気づかなかったとして、制服を着ていることから3〜6歳ほど年上と思うのも仕方がないことだろう。
 しかしなぁ、かくいう張本人を目の前にして、そいつを捜せと言われても困るんだがなぁ……。捜すフリをして、ひとまず残りのメンツに話だけを通しておけばいいのかね?
 そんなことを考えていたら、突然俺の携帯が鳴り出した。ディスプレイを見れば、番号非通知。
 嫌な予感がくっきり色濃く脳裏を過ぎった。どんな色かと問われれば、黒というか闇色というか、そんな感じだ。
「……もしもし?」
『午後3時、旧館屋上に』
「は?」
 通話できたのは、たった一言。無味乾燥な物言いは、どこかで聞いたことのある声だった。けれど、記憶にあるその声とは何かが違う。
 どうやら、俺が思っている以上に厄介なことが起きてる。そんな予感を感じさせるには十分な通話内容だ。
「なにがどうなってるのかサッパリだが……」
 宇宙的、あるいは未来的、もしくは超能力的な厄介事に巻き込まれているのは間違いない。これがせめて、異世界的な異変でないことだけを心から願いたいが……何であれ、それでも俺を巻き込むのは勘弁してもらいたいね。


 困った事態というのは、ひとつ起こればドミノ倒しの要領で立て続けに起こる。俺はそのことを、涼宮ハルヒという人間災害から骨の髄に染み込むほど学んだ。
 それが今、まさに、この瞬間、立て続けに起こっているわけだ。
 ひとまず古泉には事情を説明して『機関』の人員の手配を頼んでおいた。長門にも協力要請を出しておいた。朝比奈さんは、申し訳ないが最初から巻き込んでいる。
 SOS団的に言えば、盤石のフォーメーションで挑んでいると言っても過言ではない。にもかかわらず、俺が危惧しているのは、俺自身が上手く立ち回れるかどうかについてだ。
 まいったね。「やるかやらないかより、出来るか出来ないかが問題だ」なんて格言があるのかどうかは知らないが、ここで本音を語ろう。声を大にしてだ。
 出来ません。無理です。勘弁してください。
「問題ない」
 心強いコメントだが、どこか投げやりなのは気のせいか?
「そもそも、本来の場所はここじゃなかったよな。公園だっけ?」
「些細なこと。重要なのは事実が現実になるかどうか。情報操作は得意」
 そういうもんなのかね。やっちまった……と思って、けっこうへこんでるんだが……。
「それならそれで長門よ、前にも言ったが……これ、もうちょっとマシな形にはできないか? かなり抵抗があるんだが……」
 手の中に収まっている黒光りする鉄の塊を、俺は腫れ物にでも触るような手つきで持て余していた。
「その形状がもっとも効率的。あなたが無理ならわたしがする」
「……すまん、さすがに俺には無理だ」
「そう」
 俺は手の中のもの──拳銃を長門に手渡した。自分がやるべきなのだろうが、いくらなんでもこんなものをハルヒに向けて、狙い通りに撃ち抜く芸当ができるほど、俺はキモが座った男じゃない。
「そろそろ時間」
 ふいっと視線をはずし、長門は目の前の扉に目を向ける。俺は時計を見る。朝比奈さんを見習って、電波時計にしているから狂いはない。
 時間は午後3時になる5分前。各教室では本日最後の授業が行われている真っ最中だ。普通なら、歩き回っている生徒なんているはずもない時間だが……目の前の扉が、もの凄い勢いで開いた。
「見つけたわ!」
 ドカン! と音を立てて、旧館屋上の扉が開かれた。
 そこに立っているのは、言うまでもなくハルヒ。その形相は、親の敵を見つけた仇敵と相対する西部劇のガンマンみたいな顔つきだ。
「あなたがジョン・スミスね! ふざけた名前で捜すのに苦労したわ。よくもまぁ、あたしが中1のころから今の今まで、逃げおおせたものね!」
「落ち着けよ。積もる話もあるだろうが、そういう場合じゃないんだ」
「どんな場合だっていうのよ! あたしはずっとあんたを捜してたわ。そのために北高にも来たし、SOS団まで作ったのに……あんたはずっと雲隠れしてて! どれもこれも全部あんたを捜すために、」
「おいおい、そうじゃないだろ」
 ハルヒの言葉を遮って、俺は言うべきことを口にする。
 SOS団、つまり『世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団』っ名称は、そりゃ確かに七夕のときの俺の一声をもじって付けたものかもしれない。そこにどんな思いが込められていたのかなんて、俺にはとっくに分かっている。
 だが、それはあくまでも切っ掛けにすぎない。今ここにいるハルヒがやってることは、何もジョン・スミスに会うためだけにやっていることではないはずだ。
「今、おまえはけっこう楽しんでるだろ? 俺と会えるならほかのすべてを捨ててもいいとは思ってないはずだ。目的と手段が入れ替わってることに、そろそろ気づいてもいいんじゃないのか?」
「何よそれ!? あたしは……」
「言いたいことは分かってるさ。ああ、悪いな」
 俺はちらりと時計を見る。そろそろ午後3時。時間だ。
「話は、ここまでだ」
 俺の言葉に合わせるように、長門は銃口をハルヒに向けて、一部の迷いもなく引き金を引いた。


 パシュン、と軽い音が響く。その音に胸騒ぎを覚えた俺は、階段を出来る限りの速さで駆け上った。
 そこで目にしたのは、倒れているハルヒと、スーツに身を包んだ一組の男女。その二人が何者かと考えるよりも先に、俺はハルヒに駆け寄っていた。
「ハルヒ! おい、しっかりしろ!」
 見た限り、ハルヒに外傷はない。微かに上下する胸は、ちゃんと息をしている証拠だ。ただ、いくら揺すっても、呼びかけても目を覚まそうとはしなかった。
「何者なんだ、おまえら!」
 今まで朝比奈さんが誘拐未遂の事件はあったが、よもやハルヒにまで手が伸びるとは思わなかった。思わないようにしていただけかもしれない。
 だとすれば、俺はなんてマヌケなんだろうな。事の起こりはすべてハルヒが発端だ。朝比奈さんや長門、古泉にちょっかいを出すよりも、ハルヒ自身に直接手を出してくるほうが効率的じゃないか。
 そして今、それが実行されている。俺は怒気をはらむ視線で目の前の二人組を睨み付けた。男の方は俺に背を向けて、女の方は音もなく歩み寄って膝を折る。
「眠らせただけ。それより、動かないで」
 まるでどこぞの社長秘書のような出で立ちで、ご丁寧に怪しさ倍増のサングラスまでかけたその女性が……あれ、この顔はどこかで見たことが……と、考えるよりも先に、それは起こった。
 大袈裟な変化があったわけではない。ただ、俺が駆け込んできた屋上へ通じる出入り口がなくなっている。場所こそ旧館の屋上ということに変わりはないが、目の前にはどこにでもいそうな大学生、あるいは社会人的な年代の男女数名が現れていた。
 いったい何時の間に、どこからやってきたのかさえ俺にはわからない。というか、そもそも今がどういう状況なのかもわからない。
「悪いが見ての通りだ。ここでドンパチやるのは構わないが……」
 ダークスーツに、こちらもサングラスをかけている男が、目の前の相手を前に口を開き、彼方の方向を指さした。
「鷹の目がここを狙っている」
 その瞬間、男と数名の男女のグループの間の地面が、パキン、と爆ぜる。まさか……とは思うが、もしかして今、どこぞから狙撃でもされてるんじゃないだろうな? 仮にそうだとしても、ここを狙い撃てる場所なんて、裏山の傾斜くらいだ。1キロくらい離れてるんじゃないのか?
「さらにここには、なが……こいつもいる。ジョン・スミスの名前を使ってハルヒを引っ張り出すのは悪い考えじゃないが、やめておけと忠告する。ちょっかいをかけるなら場所と時間を選んでもらいたいね」
 男とその敵対グループらしい連中とのにらみ合いがしばし続き──誰と言うわけでもなく舌打ちを漏らすと、連中は次々に屋上の柵を乗り越えて飛び降りていった。
「時空間転移を確認。この時空間から消失した」
「はぁ……やれやれ」
 深いため息をついて、男は腰が抜けたようにしゃがみ込む。
「大丈夫なのはわかっていたが、もうこんな役目は二度とやりたくないね。寿命が縮むぞ」
 疲れ果てたように愚痴をこぼすその男は……何故だろう、あり得ないほど親近感を感じる。この二人は……まさかとは思うが……けれど、そんなバカな話があってたまるか。
「みなさん、大丈夫ですかぁ〜?」
 がちゃりと音を立てて、いつの間にか下に戻っていた屋上のドアが開かれる。そこに現れた人影を見て、俺の疑念は確信に変わった。
 現れたその人は、俺が何度も会ってる朝比奈さん(大)だった。ここでこんな登場をするということは、規定事項っと思って間違いない。それはつまり、目の前の2人は俺が思っている通りでいいってことですね?
「ああ……いや、深くは聞かないでくれ。俺のこともだいたい分かってると思うが……そうだな、古泉が所属する『機関』の上の人間と思ってくれ」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ。なんだって!?」
「時間を自由に行き来できるなら、未来が過去において自由に動けるその時間帯での組織を作っていてもおかしくないだろ。そうでもしなきゃ、ハルヒは守れないんだ」
「ハルヒを……守る?」
「ちょっとキョンくん、喋りす……あ」
 朝比奈さん(大)は黒スーツの男に向かってそう言った。「あ」って漏らすことは、男の正体については禁則事項ではなく、ただ口止めしていただけなんだろう。もっともいくつになっていても朝比奈さんうっかり屋さんなんだ……が、今は有り難いね。それで確信が持てた。
 やっぱり、この二人は……未来の俺と長門なんだ。
「我ながらツッコミ大好きだな。禁則事項ってことにしておけよ。ただ、今回のことでわかったと思うが……まだまだハルヒ絡みの厄介事は続くってわけさ。同情するぜ」
 いやもう、頭が混乱してきたぞ。何がどうなってるのかしっかり説明してくれ。
「それは追々分かるだろ。ハルヒはもうちょっと寝てるだろうから、しっかり介抱してくれ。目が覚めたら今回の出来事は忘れてるはず……だよな?」
 未来の俺が隣の……たぶん、未来の長門に確認を取ると、微かに頷いた。
「ああ、あと古泉経由で森さんにも礼を言っといてくれ。さっきの狙撃はなかなかのもんだったしな。んじゃま、10年後に会おう」


 その後のことを少しだけ語ろう。
 屋上からの出入り口から出て行った3人の後を追うように、すぐに後を追ったが姿はなく……長門(大)に眠らされていたハルヒを保健室に運んだ俺は、未来からやってきていた俺たちについて憶測を巡らせた。
 今回の出来事は、直接的には今の俺やハルヒに関係のない事件かもしれない。むしろ未来の俺らに関わる事件が、たまたまこの時間軸に関わりがあったにすぎず、その騒動に巻き込まれただけのような気もする。
 この時間軸で事の詳細を正確に理解しているのは長門だけだろうが、親切に話してくれなさそうだ。何しろ、俺の未来に直接的に関わってくる話だしな。
 未来の俺は「古泉が所属する『機関』の上の人間」だと言った。つまり、俺は将来的には古泉と同じ『機関』の、それもトップクラスの立場になるかもしれない。下手をすると、『機関』の現時点でのトップは未来の俺……なんてことも、あの口ぶりでは十分にあり得そうだ。もしそうだとしたら、そんな未来を変えようと足掻くだろう。
 しかし未来の俺は、その現実を受け入れていた。そう決断しなければならない出来事が、今後起こり得るかもしれないが……そんなことは考えたくもない。
「……うん」
「よう、お目覚めか」
「あれ……キョン? あれ……あっ!」
 寝起きとは思えない勢いでハルヒは保健室のベッドから飛び起きた。こいつは低血圧とは無縁なんだろうな。
「ちょっとキョン、あの男はどこ行ったのよ!」
 俺の首を締め上げて、もの凄い勢いでまくし立てている。おいおい長門(大)よ、今回の騒動のことをハルヒは忘れてるんじゃないのか? どう見てもしっかりばっちり完璧に覚えているじゃないか。
「あ、あの男って誰のことだ!?」
「誰って、そりゃ……あれ? えーっと……」
 続く言葉が出てこないのか、ハルヒは肝心なところは覚えていないらしい。
「なぁ、ハルヒ。真面目に聞くから正直に答えて欲しいんだが」
「な、なによ……」
 いまだに俺の首を握りしめている──といっても力はまったく込められていなかったが──ハルヒの手を取り、俺は肝心なことを尋ねようと思った。
 それがたとえ、俺の思ってる通りでも違ったとしても、俺とハルヒの今の関係が崩れる類のものではない。ただ、俺の決心が鈍るかもしれない質問だ。
「おまえ、SOS団を何のために作った?」
「あんた何言ってるの? 最初に言ったでしょ。もう一回聞きたいの?」
「宇宙人や未来人や超能力者を探し出して一緒に遊ぶことか? 本当にそれだけか?」
 当初ならそのセリフで納得も……できやしないが、まぁ、ハルヒならありえそうだなと思って追求はしなかった。
 しかし、今日この日に至るまで経験したさまざまなことを鑑みて、ハルヒがただその理由のためだけにSOS団なんて作り出したとは、俺には到底思えない。SOS団の名称にしたってそうさ。
 ハルヒはただ、ジョン・スミスとの再会を願ってこの名前を付けたんじゃないのか?
 だからもし、ハルヒがジョン・スミスが俺と知ってしまえば……SOS団はその役目を終える。それが怖かった。もしそうなら、俺はこいつに「自分がジョン・スミスだ」などとは、とても言えやしない。
「……あんたが何を考えてるか、だいたい分かってるわ」
 キュッと俺の手を握り替えし、ハルヒが俺の予想とは違うことを言った。
「最近、みんなと一緒に遊ぶことが楽しくて、本来の結成目的がおざなりになって不安になってるんでしょ? でも安心しなさい。あたしはまだ、当初の目的を忘れていなんかいないわ! いつか、必ず、絶対に宇宙人や未来人や超能力者を見つけてやるんだから!」
「本当に……そうなのか?」
「はぁ? 当たり前でしょ!」
 語気を強めるハルヒだが、俺はまだ納得できない。
「しかしだな、SOS団の名称が……なんつーか……センスないなと思って」
「うっさいわね! 昔、変なヤツが言った言葉を借りて命名したのよ。あたしのセンスじゃないわ」
「そいつを捜すために、名前を借りたのか?」
「うーん、そりゃ捜したい気持ちはあるし、ちょっとは気になってるけど……ほら、昨日あんたに中1の七夕のときのこと聞いたでしょ? そのときに会ったヤツが言ってたセリフでさ。そいつ、なんかあんたに……そうね、ちょっと似てたかも。だからもしかして、あんたじゃないかって考えたわ。なんでそんなこと考えたのかしらね? あり得ないのに」
 あり得ないと思ってくれるのは有り難いが、事実その通りで、こいつの勘の鋭さにはとにかく呆れる。
「でも、それはあくまでも切っ掛け! そもそも、その男は自分で楽しいことしてるに決まってるわ。あたしも負けてられないから、名前を借りたのよ! いつかあたしの前にふらっと現れたときに『あんたより、あたしのほうが楽しいことしてる』って言ってやるためにね!」
 ああ……なんだ、そうなのか。はは、そういうことか。
 これが笑わずにいられるか。どうやら俺は、未来の自分と会って少し混乱していたらしい。よく考えれば、疑う余地なんでまるでないんだ。
 ハルヒはSOS団結成の理由を「宇宙人や未来人や超能力者を探し出して一緒に遊ぶこと」としているが、実際はそうじゃない。
 かといって、俺が邪推したように、ジョン・スミスを捜し出すためでもない。
 そりゃ、その両方もまったくのウソというわけではなく、心の片隅にちょっとはあったのだろう。だが、ハルヒの心を大半を占めているのは普通の高校生らしい、ただ純粋に「今のこの瞬間を思いっきり楽しみたい」って気持ちだけなんだ。
 ハルヒにちょっと桁外れのトンデモパワーがあって周りは騒いでいるが、本人は自分流の楽しみ方で青春を謳歌したいだけなんだ。
 それなら俺は、ハルヒ的青春の謳歌に付き合ってやるさ。今まで散々、周囲に迷惑をかけて面倒を巻き起こしてきた過去に比べれば、どれほどまともで健全なことか。
 それを未来的な策謀や、宇宙人的な思惑や、秘密結社的な陰謀で潰すのはあまりにも身勝手な話だ。だから俺は……そうか、だからなのか。未来の俺は、10年経ったそのときでも、SOS団のメンバーと一緒にハルヒを守ってるわけか。そのために、面倒なことに進んで首を突っ込んでいるのか。
 それこそ、上等じゃないか。願ったり叶ったりだ。
 もしかすると、今回の事件は俺にそう思わせるために必要な出来事だったのかもな。
「何よあんた、ニヤニヤとキモチワルイ顔しちゃって」
 予想以上の結論に至って満足していたのか、その喜びが顔に出ていたらしいが、気持ち悪いとはひどいな。
「なぁ、ハルヒ」
「なによ」
「これからも、一緒にいてやるぞ」
「え……と、キョン……それってつまり……」
 ……なんでそこで赤くなるんだ? どうして急に力を込めて手を握りしめてくるんだ?
「世間一般で言う……告白……のつもり?」
「は?」
 待て待て。なんでそういう……そういうことになるのか? もしかして俺、素で勘違いされるようなこと言ってたか? ここは一応、フォローしておくべきか……?
「……つまり、SOS団の一員として、なんだが……いだだだっ!」
 物の試しで言ってみたが、瞬く間にハルヒの顔が別の意味で赤くなった。つまり、照れ方向から怒り方向にシフトして顔が赤くなった……ように俺には見える。
「……いっぺん真面目に死刑にしてあげようかしらね?」
 ハルヒさん、リンゴを握りつぶすような握力で手を握らないでください。その鉄球みたいな頭で頭突きを繰り返さないでください。いや、マジで痛いって!
「あんたには言葉の重みってのを教えてあげるわ! 覚悟しときなさい!」
 妙なスイッチが入ったハルヒを、俺が止めることなんて出来るわけがない。そもそもこいつを守る必要が本当にあるのかどうかも悩むところだ。
 これから少なくとも10年は、こんなことが続くのか……やれやれ、困ったもんだ。困ったもんだが、それでも俺は、もう二度と冒頭に思ったセリフは口にしないつもりだ。
 そりゃそうさ。こんなハルヒの面倒を、今後10年は見守っていられるヤツなんて、俺以外の適任者がいるはずがない。 そうだろ?