Bridal

「ここはカメラ屋……というよりも写真屋ですか」
 文芸部部室から半ば強引に連れ出された古泉一樹がたどり着いた場所は、大手のカメラメーカーが運営を委託しているような店とは違い、建物の造りも古風な個人経営の写真屋だった。
 店先に飾られた人物写真や風景写真は、店主の写真好きが高じて店を開いた……そんな雰囲気が漂っている。今ではひとつの街に一件あるかないかというその場所に彼を連れて来たのは──SOS団のメンバーではなかった。
「さっすが古泉くんっ! いやぁ〜、物わかりがよくて助かるよっ!」
 はっはっはーっと笑いながら、こんなところまで古泉を連れてきた張本人の鶴屋は、いつものハイテンションを維持したまま、「じゃっ、行くよーっ」と宣言して写真屋の中に突撃していった。
 鶴屋がこの店にどんな用事があるのか、いまだに分からない。そもそもどうして自分がここへ連れてこられたのかさえも、疑問が残る。
 一樹は、ここへたどり着く経緯を改めて思い返していた。


 事の起こりは放課後の部室だった。
 その日はハルヒが厄介事を持ち込むわけでもなく、いつものようにみくるがメイド姿で給仕をし、有希が部室の傍らで百科事典のような本を読み、一樹とキョンがボードゲームに興じている……騒がしさよりも、珍しく静寂に包まれた平和な風景が広がっていた。
 そこへ、鶴屋がハルヒ顔負けの勢いでやってきたのだ。
「やっほー! みんな元気してるかなっ?」
 静寂を打ち破る勢いに、全員の視線がドアに向けられた。何事にも動じない有希の視線も向いたほどだから、それ以上言及する必要もないだろう。
「ややっ、今日はなんか平和だねぇ〜。あ、みくる〜、お茶はいいよっ! すぐ出ちゃうからっさ。ところでハルにゃん、ちょっといいにょろ?」
「え、あたし? なになに、どうしたの?」
「ふっふーん、実はさ……」
 ハルヒだけへの内緒話なのか、鶴屋は顔を近づけてなにやら耳打ちしている。その様は、どこかの大国の首脳陣が敵国に攻め込む算段をしているように見えて、キョンはイヤな予感がした。
「へぇ、それって面白そうね」
 ハルヒの顔に、100ワット笑顔が広がる。いや、まだ50ワットくらいか。
「でっしょーっ! でねでね……」
 さらに耳打ちをする鶴屋だが、ハルヒの顔から徐々に笑顔が消えていった。変わりに、赤信号もかくやというほど真っ赤になっている。
「えっ!? だめ、それはダメ! あたしパスするわ!」
「えぇ〜っ、どうしてもダメにょろ?」
「鶴屋さんの頼みでも、それだけは勘弁して!」
 そこでどうしてオレを見る、とキョンは思ったが、あえて気づかないことにした。触らぬ神に祟りなしだ。
「ん〜……それじゃ」
 ハルヒの傍らで、悪の作戦参謀が誰にこの指令を言い渡そうかと考えているように室内をぐるりと見渡してから、鶴屋の指先が1人を指した。
「古泉くん、ちょっと付き合ってくれっかなっ!?」
「え、僕ですか?」
 まさか自分が名指しで指名されるとは思っていなかったのか、一樹が笑顔ではなく驚きの表情を浮かべている。それはキョンにしても意外だった。こういうシチュエーションで貧乏くじを引くのは、どう考えてもキョンの役割だ。
「そそっ! なぁ〜に、悪いようにはしないっさー。ハルにゃん、古泉くん借りちゃっていいよねっ?」
「えぇー……」
 コンピ研へ有希のレンタルも渋ったように、SOS団の身柄さえも自分の所有物的意識が少なからずあるハルヒは、最初こそ難色を示したが、鶴屋の「だったらハルにゃん、やっぱやってくれっかいっ?」と笑顔で言われて、渋々首を縦に振った。
「そいじゃ行っくよーっ」
 手を掴まれ、有無を言わさぬ勢いで一樹はSOS団アジトから連れ出された。背後から、「土曜日の市内パトロールのミーティングするから必ず帰ってきなさいよ!」というハルヒの声を聞きながら。


 やはり、どこをどう思い返しても写真屋へ連れてこられた理由が語られていない。もしかすると鶴屋は、ハルヒに話をした時点で全員に意味が通っていると思いこんでいるのでは? とさえ思う。
「やあっ! ご主人、お待たせ様っ!」
 客足が途絶えている店内に、鶴屋のハツラツとした声が響く。カウンターでカメラの整備をしていた店主らしき老紳士が、その姿を見て目尻を下げていた。
「やあ、いらっしゃい。でも、本当にお願いしていいのかい?」
「モチのロンさぁっ! そいじゃ、ちょっくら衣装に着替えてくるよっ!」
 鶴屋に連れられて、店内奥の撮影室のさらに奥にある衣装部屋らしきところまで連れてこられたときになってようやく、一樹は口を開くことができた。
「そろそろ説明していただけると有り難いのですが」
「うんっ!? あっ、ごっめーん。そういやなぁ〜んも言ってなかったねっ!」
 衣装部屋に押し込められる直前で、鶴屋も説明不足だったことに気づいてくれた。
「実はここ、あっしがちびっ子だったころからお世話になってるとこなんだよねっ! 七五三や入学式とかに写真取ってもらってるっさ。んでも、最近デジカメや携帯カメラとかの普及で、写真取りに来る人って少ないだろっ? んでんで、せめてもの恩返しに、店頭ディスプレイの写真モデルをやったるさーっ! ってことになったにょろよ」
 それでこの写真屋に来た理由はわかった。けれど、自分が連れてこられた理由が今ひとつ把握できない。
「1人よりも2人のほうが、目を引くってもんさっ! ほんとはハルにゃんとキョンくんに頼もうとも思ったんだけどね、断られちゃったよっ! ささっ、無駄話もなんだから、ちゃちゃーっと着替えて着替えてっ!」
 説明はここまでっ! と言いたげに話を切り上げて、一樹は衣装部屋に押し込まれた。そして、そこにある純白のタキシードを見て、ハルヒが真っ赤になって断った理由をすぐに理解した。


「さすがにあの衣装はやり過ぎの感もしますね」
 つつがなく店頭ディスプレイ用の写真撮影が終わった帰り道、一樹は苦笑に近い笑顔を浮かべていた。
 よりにもよって、鶴屋がチョイスした衣装はウェディングドレスだったものだから、苦笑を浮かべるのも仕方がないというもの。けれど鶴屋曰く「人に見てもらうための写真だからね! インパクトがあったほうがいいっさ!」ということらしい。
 確かに、自分の姿は置いておくとして、鶴屋のウェディングドレス姿は筆舌に尽くしがたく、いつもの爛漫な笑顔とは違って自分の隣で慎ましやかに微笑む姿は、心奪われるものがあった。
 それは否定しようもない。
 店頭に飾られていれば、それを見た女性が「自分もこう撮ってもらいたい」と思って足を運びそうでもある。
 けれど、鶴屋の本当の狙いはそこではなさそうだ。
「本当は彼と涼宮さんであの衣装を着せたかったのでしょう? けれどさすがに、ウェディングドレスは抵抗があったみたいですね」
「あっはっは! さっすが古泉くん、勘がいいねぇ。いやいや、おねーさん感心しちゃうよっ!」
 快活に笑い、隠すつもりはないのか、あっけらかんと白状した。
「恐れ入ります。ですが、次に同じことをするのであれば、衣装についてはサプライズで仕込む方が妥当でしょう。何せ涼宮さんはああ見えて、こと恋愛に関しては奥手の様子ですので」
「なるほどー。さっすがSOS団の副団長だねっ! ハルにゃんのことをよくわかってるっさ! でも古泉くん、ひとつだけ忘れてないかい?」
 一樹よりも背が低い鶴屋は、覗き込むように見つめてくる。その表情にはいつもの笑顔はなく、どこかしら真面目な雰囲気さえ漂っていた。
「はて、何のことでしょう?」
「どうしてキョンくんとハルにゃんのために用意した衣装が、キミとあたしのサイズにピッタリだったのかな?」
 言われて一樹は言葉を失った。確かにその通りだ。自分とキョン、それに鶴屋とハルヒは衣装を流用できるほど体格が同じというわけではない。むしろ、あの衣装は自分と鶴屋のために用意されていたように思う。
「それは……」
「まっ、深く考えなくていいっさ!」
 にかっと歯を見せて笑う鶴屋は、そのまま背を向けて歩き出した。
 その後ろ姿を前に、一樹は肩をすくめる。今なら、キョンがハルヒの行動に対していつも呟いている口癖が自然とこぼれる理由もわかる。
 とりあえず……一樹は合宿での殺人劇のシナリオを考えるよりも難しい命題を前に、頭を抱える。
 ──どうすれば、部室に戻らずに鶴屋をお茶に誘えるか……
 キョンから、ハルヒに対する言い訳のひとつでも学んでおけばよかったと、少なからず後悔した。