どこまでも続く黄土色の地平線に澄み切った空。このシチュエーションだけで言えば、アラビアのロレンスにでもなった気分かもしれないが、目の前で繰り広げられている事態を鑑みれば、戦略家の出番はないことがわかる。
すでに戦闘が始まっているのだ。もはや後は、なるようにしかならないさ。
戦っているのは、我がSOS団が誇る万能選手の長門有希。そして長門が持てる力を存分に引き出して相手をしているのは──涼宮ハルヒ。
もはや一般人たる俺の出番は皆無だ。何故自分がここにいるのかさえ、疑問を感じる。下手をすれば、長門の足を引っ張っているだけなんじゃないだろうか?
やっぱり、妙な責任感を覚えずに傍観していればよかったのかもしれない……。
「二手に分かれたほうが良さそうですね」
そう提案してきた古泉の意見には、俺も賛成だ。
巨大カマドウマを撃退したその日。試験休みの間にすべて片を付けるなら、全員がぞろぞろそろって行動するのは効率が悪い。なにせあの異常空間の中でなら、古泉と長門のそれぞれが戦える。分担作業も可能というものだ。
「新幹線に乗らなければ行けないような場所は、僕が行きましょう。数は3人と少ないですが、移動に時間がかかってしまいますので……。北高生の5名は長門さんにお任せしてもよろしいですか?」
「わかった」
簡単に引き受ける長門だが、問題なく対処してくれるだろう。それにその分担なら、新幹線の代金だって『機関』のが必要経費として出してくれるだろうさ。
「それとメンバー割りですが……僕は朝比奈さんと行動しようと思います」
ちょっと待て。
「不服ですか?」
その割り振りで満足するヤツは、もうちょっと危機感を持つことをオススメするね。ええ、是非とも身の危険を感じてください、朝比奈さん。
俺は古泉を招き寄せて、朝比奈さんのために一言物申すことにした。
「おまえと朝比奈さんが2人で旅行というのは、釈然としないものがある」
「おや、僕と2人がよろしかったですか?」
それはそれで却下だ。
「それに、ただの旅行でないことは十分承知していると思いましたが。ご心配なく、朝比奈さんには傷一つ負わせるようなことはしません」
俺が心配しているのは、そういうことじゃないんだが……ええい、これ以上食い下がっても俺が滑稽なだけだ。
「それでは、試験休みの期間もそんなに長いわけではありません。朝比奈さん、すぐに出発しましょう」
「は、はい」
まるで愛娘が初めて旅行に出かけるのを見守る父親の気分だ。
「朝比奈さん、気をつけてくださいよ」
「はい。キョンくんと長門さんも、ケガをしないように気をつけてくださいね」
そういう意味での『気をつけて』ではないんだが……行ってしまう朝比奈さん(と、ついでに古泉)の後ろ姿を見守る気分は、切ない気分にさせるのに十分だった。
「…………」
じぃーっと眺める長門の突き刺さる視線で、ハッと我に返る。いかんいかん。
「ええと、北高の被害者はどこにいるんだ?」
「こっち」
俺は被害者の氏名を聞きたかったんだが、ま、長門は分かっているんだし聞くまでも
ないか。どうせ俺はただついて行くだけだし、一緒に行くのだって目覚めをよくしたいだけさ。長門なら、すぐに終わらせてくれるだろう。
思ったとおり、長門の仕事は迅速かつ的確だ。試験休みがまるまる潰れるんじゃないかと思っていたが、そんなものは杞憂で終わりそうだ。すでに4件の片が付いている。
それにしても、人それぞれ怖いと思うものは違うもんだが、蜘蛛や蛇など、巨大昆虫か爬虫類が恐怖の対象として上位にランクインしていることがわかった。確かに俺も……いや、まぁ俺の怖いもんなんて、どうでもいい話だ。
そして最後の1人。そいつの家の前までやってきて、俺は頭を抱えた。
「本当にここか?」
「ここ」
よりにもよって……最後は谷口の家じゃないか。あの野郎、なんだかんだ言ってSOS団のホームページをチェックしていたとは驚きだ。
その挙げ句、妙なことに巻き込まれるとは……級友として同情くらいはしてやろう。
「さっさと助けるか」
「…………」
それじゃ行こうか、というつもりで呟いたんだが、長門は無反応。ただ黙って谷口がいるであろう、部屋を凝視している。
「どうした?」
「……いえ」
努めて平然と……としか俺には見えなかったね。ほかのヤツならどうかわからんが、俺にしてみれば、長門は俺の問いかけで我に返ったような気がする。
それでも長門は、何事も無かったかのように谷口の家の中に入っていった。
幸いだったのは、谷口の両親が外出中だったことだ。鍵はかかっていたのだろうが、コンピ研の部長氏宅に入り込んだ時のように、長門が開けてくれた。
こうやって無断で人の家に入り込むのは気が引けるが、長門にとってはどうでもいいことらしい。谷口の部屋がどこなのかわかっているように二階に上がり、閉ざされたドアを開ける。
瞬間、世界ががらりと様変わりをした。まったくこいつは、俺の心の準備期間を与えちゃくれない。さすがに6回目となると慣れはしたがね。
「うかつ」
黄土色の地平線に澄み切った空の異常空間に入り込むなり、長門は珍しい自責の言葉を漏らした。
「敵対意識をもつ情報生命体の封鎖空間に引き込まれた」
俺の頭の中に浮かぶのはハテナマーク。見た限り、これまでとまったく同じように見えるのだが……。
「これまで遭遇した情報生命体の2,684,523倍の処理能力を有している」
「……すまん、わかるように説明してくれ」
長門は、正面を指さして一言。
「ラスボス」
そこにいたのは──黄色いカチューシャがトレードマークの、俺にとってはこの上なく迷惑なヤツだった。
「ハルヒ!? なんでアイツがここに?」
その疑問には答えず、いきなり長門の手が俺の腕を掴んだかと思うと、一気に数十メートルは跳躍した。と同時に、今まで立っていた足場が変化。無数の棘が生えている。あのままあそこに突っ立っていたら串刺しだったのは間違いない。
着地と同時に、俺は自然とハルヒがいた場所に目を向けていた。
いない──と頭が理解する直前、耳元で破裂音が響いた。何かが爆発しているわけではなく、空間そのものが圧縮されて弾けているような感じだ。まったく訳が分からないと思うが、俺だって目に見えない出来事なんだから訳が分からない。
逆に目に見えるものは、分かりやすくていいね。光の槍を手に、狂喜の笑みを浮かべるハルヒの姿。空間を切り裂いて出現し、俺の目前まで迫っている。
まったくもって良くない状況だ。
「うわっ」
槍に貫かれる──と思っていたが、その絶望的な衝撃は襲ってこなかった。思わず目を閉じた俺が再び見たものは、自らの手で槍を受け止めている長門の血まみれの手だった。「お、おい大丈夫か?」
「破損部分の再生は進行中。活動に支障はない。離れないで」
俺には目もくれず、長門が見ているのはそこに立つハルヒだ。けれどそれがハルヒ本人じゃないことは、もうわかっている。
あれがつまり、この空間の創造主であり、谷口がイメージする畏怖の対象ってわけだ。
そういやあいつは中学時代からのハルヒの知り合いだったな。怖いって思う気持ちは、なんとなくだが他人事じゃない気がする。
長門とハルヒ(もどき)は、互いに対峙したまま動かない。いや、口が動いている。まるでテープの20倍速みたいに長門が何かを唱えている。
どうやら最初の物理的攻防から一転、今度は情報レベルでの戦闘が繰り広げられているようだ。その証拠に、黄土色の地平線や澄み切った青空の所々がぐにゃりと歪み、歪んだかと思うと黄土色の世界に戻ろうとしている。
つまり、長門はこの空間とハルヒ(もどき)を、まとめて通常空間の情報に書き換えようとしているようだが……しばらくして、長門は呪文を唱えるのを止めた。
決着が付いた……とは思えない。世界は黄土色の風景が続いている。
「ど、どうなったんだ?」
「失敗」
おいおい、それってマズイんじゃないのか?
ハルヒ(もどき)はニヤリと笑っている。その容姿でそういう笑い方はやめてもらいたいもんだ。本当に悪党の親玉みたいに見えるぞ。
俺の胸の内に不安が広がると同時に、再びハルヒ(もどき)の物理攻撃が再開された。正面のみならず、背後や真上からも光の槍が降ってくる。そのすべては直前で弾かれているが、いつまで保つかはわからない。
「おい長門! どうすりゃいいんだ!?」
聞いたところで俺にできることなんて何もないが、せめて楽観できる情報は提供してもらいたいとこだ。
「敵性体の情報処理能力はネットワーク上で独自領域を形成し、今なお進化を続け、現時点であたしの処理能力を上回っている。穴は開けたが、あたし1人では無理」
目の前でミサイルが炸裂しているような状況で淡々と語られても、心休まることはできそうにない。おまけにもたらされる現状は最悪なものとなれば、首をくくりたくなるってもんだ。
「なんともならん、ってことか?」
「方法はある」
「だったら、それをすぐにしてくれ!」
叫ぶ俺に向かって、長門は何か物言いたげに視線を向ける。心内を代弁するなら、「ホントにいいのか?」ってとこだろうが、表情は能面のまま。どっちにしろ、今の状況よりはマシになるんだったら何でもいいんだが……。
「まさか、おまえ自身がどうにかなっちまう方法じゃないだろうな? そういうのだったら別の手にしてくれ」
「自らの意志で有機形態での活動停止行動は禁止されている」
砕いて言えば、自殺できないってことだよな?
「じゃあ、安心だ。それでいいだろ」
まるで目の前で花火が炸裂しているかのように、ハルヒ(もどき)の槍が長門のシールドで弾かれている中、長門はしばし俺を見つめたあと、はっきりと聞き取れる言葉でこういった。
「パーソナルネーム朝倉涼子の情報再結合を一時的に申請する」
……なんだって?
「許可したのは、あなた」
その刹那、世界のすべてが光り輝いたかと思うと、砂のようになって落ちていく。足下さえも、どこへ落ちていくかもわからない闇の中へ吸い込まれるように散って消える。
俺は変化した景色よりも、長門へ目を向けていた。その口元は通常のスピードで動いている。
そして、そんな長門の背後には、制服姿の女が1人。
忘れようったって、なかなか忘れられる姿じゃない。清楚そうなロングヘアーに細い四肢。しなやかな指は、今回はごついアーミーナイフを持っているわけではなく、長門の肩に手を置いて、長門と同じように口を動かしている。
何を言っているのか、残念ながら俺には聞き取れなかった。読心術の心得もないんでね、意味を推測することさえできないさ。
けれどそんな2人を見て、俺は「歌ってるようだな」と思った。思わず見とれるくらいにね。朝倉の肩を持つわけではないが、対照的なこの2人が手を組めば、あらゆる意味で無敵だろう。
だからなのか、あれだけ長門が苦戦したハルヒ(もどき)が砂人形のようにサラサラと崩れて消えていく様を見ても、驚きはしなかった。
通常空間に戻った谷口の部屋は、そりゃあ混沌としていた。そんなところに朝倉と長門がそろっているのは、部屋主にとって今後二度と訪れることのない奇跡だろうが、あいにく、ひっくり返ったカエルみたいに動かず、せっかくの奇跡を体験できず終いだ。
こいつが目を覚ましたり、親が帰ってくる前に俺と長門、そして朝倉は谷口家をあとにした。その間、黙って着いてくる朝倉が不気味に感じたのは言うまでもない。いつナイフを突きつけられるかわかったもんじゃないからな。
「もうこの辺りでいいんじゃない?」
人気が途絶えた道路の真ん中で、不意に朝倉が口を開いた。
そう言った朝倉は、間違いなく俺の知っている朝倉だった。状況を鑑みるに長門が今目の前にいる朝倉を呼び出したみたいだが、その中身は俺を殺してハルヒの変化を狙っていた朝倉に違いない。
「なぁに、その顔? もしかして、私は見た目だけだと思ってた?」
実を言えば、その通りだ。長門が朝倉を呼び出したのだから、俺に危害を加えたあの朝倉とは見た目が同じだけかと思っていたが……どうやら違ったらしい。
「あなたを殺して涼宮さんの出方を見るのは、今でもいい方法だと思ってるのよ。でも安心して。今はあなたに危害を加えることはしないから」
「信じられないな」
「だって、ここには長門さんがいるもの。それに、ほら」
くすくすと鈴の音のような笑いを漏らす朝倉は、自分の足下を指さした。その場所から、以前と同じように結晶化している。
「一時的な情報の再結合だから、すぐに消えちゃうの。安心した?」
「ああ」
「私も安心した」
ニコニコと微笑みながら、訳の分からないことを言う。
「あなたが長門さんと仲よくしていて。あのとき殺すことに失敗したのが、結果的にはいい方向に進んだみたいだね」
いいに決まってるだろう。殺されそうになったこっちの身にもなってくれ。
「そういう意味じゃないんだけどな。言語での情報伝達にはやっぱり齟齬が生まれちゃうのかな? ま、仕方ないか」
もう、その姿は光に包まれて今にもかき消えようとしている。
「なんだっていいさ。俺は出来れば、おまえとは二度と会いたくない」
できる限り渋い表情で言ったつもりだが、朝倉には通じなかったらしい。
「うん、それ無理」
無邪気そのものの笑顔を残して、朝倉は消えた。
「朝倉涼子は」
珍しく、俺が何かを聞こうとする前に長門の方から口を開いてくれた。
「あたし自身に外的あるいは内的欠損が生じて活動不能に陥った際に、あたしに変わって涼宮ハルヒを観測するのが本来の役目。先に起こった異常動作は想定外」
「あいつは急進派の手先じゃなかったのか?」
「そう。でもあらゆる派閥は表面的には手を結んでいる。対有機生命体コンタクト用インターフェースの単体活動は特例を除いて厳禁。メインとバックアップが存在する。バックアップはメインの意志に従うのが通例」
高度な情報生命体と言っても、やってることは政治の派閥闘争と同じか。互いの出方を牽制し合うためのツーマンセル制度なんだろう。けれど急進派に属する朝倉は独断専行の挙げ句に失敗したわけだ。
情報統合思念体の中の急進派は、今じゃ肩身の狭い思いをしているんだろう。それがいいことなのか、悪いことなのか、俺ごとき凡人にはあずかり知らぬ話だ。
「あたしがメイン、朝倉涼子はバックアップ。そのため、朝倉涼子の情報を再結合するか否かの判断はあたしに一任されている」
「さっきの朝倉は、また俺の前に現れそうなことを言ってたが……また呼び出さなきゃならないようなことでもあるのか?」
「ない……とも限らない」
いつもは断言的な物言いをする長門にしては、珍しく歯切れの悪い言い方だ。不安になるじゃないか。
「でも」
と、長門は言葉を続ける。
「朝倉涼子があなたに再び危害を加えることがあっても問題ない」
長門は、感情の色をまったく見せない漆黒の双眸を俺に向けて、断言した。
「必ず守る」
その言葉に、俺はどう返事を返すべきだろうと迷った。ありきたりの感謝の言葉じゃ、長門の一言に対する礼になってない気がしたからだ。
俺が返答に困っていると、長門はふいっと顔を背けて、音もなく歩き出す。その小さな後ろ姿を見て、「ああ、そうか」と思う。
俺は、確かにおまえに守られるだけの無力な男かもしれない。それは認めるさ。
でももし、そんな俺でもおまえの役に立つことがあれば、足りない頭をフル稼働させて手を差し伸べるさ。
それが、仲間ってもんだろ?
こうして件のカマドウマ事件の後始末はすべて終了した。地方に飛んだ古泉と朝比奈さんも厄介な目にあったらしいが、それはまた別の話。今の俺の懸案事項は、二度目の朝倉消失時にあいつが残した言葉の方だ。
二度と会いたくないと言った俺に、朝倉は「無理」と言った。つまり、最低もう一度、俺はあいつと面を付き合わせることになる可能性が高い。
なぁ〜んてことを、このときの俺は深く考えていなかった。長門の言葉があったから、というのもあるが──。
それが12月の改変された世界でのこととは、夢にも思わなかったからな。
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