endless date

 うだるような暑さが続く中、俺はサバンナに迷い込んだ北極熊のように背を丸めて雑踏の中を歩いていた。照り付ける太陽はアスファルトを直火に掛けたフライパンのように熱し、吹き出す汗はシャツを濡らすと同時に乾いていく。
 何故そんな暑さの中、外を出歩いているのかというと……何のことはない、我が家のクーラーがぶっ壊れたからだ。故に部屋の中は蒸し風呂のように熱気が籠もり、それなら見たかった映画を劇場で見つつ、暑さをやり過ごした方がマシだ。
 だから、俺はこの暑さから避難したかっただけなのだ。そのために駅前まで出てきたし、日々の活動で薄くなる財布の中身に鞭打って映画館へ向かおうとしていたのである。
 にもかかわらず……何故こいつが目の前にいるのか、理解に苦しむ。
「何? あたしの顔に何かついてる?」
 胡乱な目つきに気づいたのか、アイスカフェ俺をちゅごごごごとすすりながら、ハルヒが俺を鋭く睨んでくる。
 何故か避暑しに来たはずの俺は、町中で偶然見かけたハルヒに声をかけ、あまつさえ二人きりのティータイムを過ごすハメに陥っていた。
 理由はない。何故かしらんが、そうしなければという脅迫概念を受けていたからかもしれないし、声をかけるのが当たり前と思っていたからかもしれない。
「気にするな。麗しの団長さまと二人で過ごせる幸せを噛み締めているだけだ」
「へ……!? あ、あんた何バカなこと言ってるのよっ!」
 嫌味のつもりで言った台詞で、そんなに焦られてもな……。何か俺が悪いことをした気分になるじゃないか。
「だいたい、あんたが疲れてるっぽいから貴重な時間を割いてまで付き合ってるのよ。明日はみんなで花火大会に行くんだからね。わかってんの!?」
 真夏のイベントね……もう、イヤになるほど堪能してるじゃないか。それも、俺を苦しめるこの太陽の日差し以上の笑顔を浮かべてな。
 なんてことを考えていると、不意に古泉の「後ろから抱きしめて……」などという妄言が蘇る。アホらしい。
「ちょっとキョン、あんた本当に大丈夫? なんかいつものマヌケ面にアホ属性が追加された顔してるわ」
 おいこらハルヒ、さらりとヒドイこと言ってないか?
「この暑さに参ってるだけだ。気にするなよ」
「なんだ、夏バテ? だったらあたしが、元気になるスタミナ料理でも作ってあげましょうか? 団員の健康管理も、団長の役目だもんね」
 ヤモリの串焼きやスッポン鍋とか、中世の魔女でさえ作らなさそうな創作料理が出てきそうなので、謹んで辞退しよう。
「そんなことより、どこか行きたいところあるか? 家に帰ってもクーラーがぶっ壊れてて暑いだけだから、何だったら付き合ってやるぞ」
 これも別に他意はない。何も古泉の妄言にそそのかされたわけでもない。事実、家に帰ってもクーラーは故障中で暑いんだ。熱波がすべての元凶だな。
「えっ? あー……そ、そうね。うん、えっと」
 何をそんなに日和ってるんだ? おまえの方こそ、この暑さにやられちまってるんじゃないだろうな?
「何もないないのか? それなら、俺はこれから映画を見に行くつもりなんだが……一緒に行くか?」
「え、映画? そっか、映画か……。し、仕方ないわね。あんたの奢りってんなら、付き合ってやるわよ」
 俺が奢ること前提かよ。まったく、勘弁してくれ。
「あんたから誘ったんだから、当然でしょ! そうと決まったらほら、早く行くわよ!」
 俺のアイスコーヒーはまだ飲みかけだったにもかかわらず、ハルヒは手を取って立ち上がった。何をそんなにテンションが上がっているのか、さっぱりわからん。
 その後、ハルヒと見た映画はやっぱりというか、案の定、どこかで見たことのある内容だった。なんだか無駄に出費してしまった気がするが、それでも、ハルヒはそれなりに満足したようで、それで満足してくれれば……と切に願う次第である。

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 うだるような暑さが続く中、俺はサバンナに迷い込んだ北極熊のように背を丸めて雑踏の中を歩いていた。照り付ける太陽はアスファルトを直火に掛けたフライパンのように熱し、吹き出す汗はシャツを濡らすと同時に乾いていく。
 何故そんな暑さの中、外を出歩いているのかというと……何のことはない、妹が友だち連中を家に招き入れ、自由研究の課題に取りかかっているからだ。故に家の中は阿鼻叫喚の地獄絵図となり、子守なんぞしたくない俺は町の中に逃げ出した。
 だから、向かう場所はどこでもよかったし、できることなら日々のSOS団の活動で万年床のように薄くなった財布の負担にならない場所へ行きたかった。
 俺が避暑地に選んだ場所は、駅前にある図書館だ。ここなら無料だし、冷房も効いているし、静かで本を読むのもうたた寝をするのにも最適な場所との判断からのチョイスだ。
 案の定、中は涼しく静かで、のんびりとした時間が流れている。そしてその中に、見知った顔を見つけたのは、場所を考慮すれば、必然の出来事なのかもしれない。
「なんだ、長門もここにいたのか」
 俺が声をかけると、長門は本から顔を上げてわずかに首を傾けてから、再び本に視線を戻した。それが会釈だと気づくのに、要した時間は一分。
 もう少し分かりやすい挨拶をしてくれと思いつつ、こいつの読書を邪魔するのは、なんというか……瞑想する釈迦に声をかけるようで気が引ける。そもそも俺は避暑で訪れただけなので、これ以上話しかけることもあるまい。黙って適当に本を選ぶことにした。
 一冊の薄い小説を選んだ俺は、早速腰を落ち着けようと空いてる席を探して館内を見渡した。が、席はすでに満杯。意外なほど、人が多い。
 それもそうだ。
 今は夏休み、それもあと一週間で終わるはずの差し迫った時期だ。課題を片付けるつもりで、図書館に駆け込むヤツは少なくない。ま、俺の場合は課題を終わらせることを放棄しているが……などと考えていると、くいくいっ、と引っ張る力が袖に加わった。見れば、長門が洞穴のような目で俺を見ている。
「座って」
 と一言、今まで自分が座っていた席を指さしてそう言った。そこには長門の鞄が置いたままになっており、なるほど、俺に席取りをさせようってつもりらしい。
 ま、長門がそういう意思表示めいたことをするのは珍しいし、座る場所がなくてどうしようかと考えていた俺だ、あいつのお願いを聞いてやっても罰はあたるまい。
 長門が戻ってくるまでとは言え、腰を落ち着ける場所を得た俺は、せっかくなので手にした本を読み始める。選んだのはシャーロック・ホームズの本。一度は目を通したことがあるが、こうやって読むと懐かしさと新鮮みを覚えて面白い。
 そのせいだろうか、慎ましやかに体に付加が加わるまで、そのことに気づかなかった。何のことかと聞かれれば、傍目に見れば一目瞭然。長門が俺の横に座って、本を読んでいるだけのことだ。
 ただ、この椅子は長椅子とは言え、一人で座ることを前提に作られている。例え小柄な長門といえど、隣に座られれば密着することは必然だった。
「す、すまん。戻ってきてたのに気づかなかった」
 慌てて俺は立ち上がろうとした。したんだが、長門の手が立ち上がろうとした俺の腕に触れて、立ち上がることを許可してくれない。
「このままでいい」
 俺は驚いた。長門の方からそんなことを言ってくるとは想像していなかったから、この驚きもわかってもらえるだろう。けれど次に出た言葉は、俺をさらに驚愕させた。
「このままがいい」
 それは、はっきりとした自己主張。あまりの出来事に固まってしまった俺は、結局、長門と密着したまま長椅子に座り続けることになった。
 まいったな。俺は暑さを凌ぐために図書館へやってきたのに、妙に体が熱い。というか、すでに頭の中はいっぱいいっぱいだ。このままでは何か間違いでも犯しそうなので、俺はあえて長門に進言した。
「なぁ、長門。俺はこれから映画でも行こうと思ってるんだが、一緒に行くか?」
 そう問いかけると、長門は何か言いたげに俺をしばし見つめ、俺が困惑の表情を浮かべようかと思った頃合いにコクンと頷いた。何を言いたかったのか不明だが、もしかすると、このまま密着していたかった……なんてのは、俺の妄想だけで十分だな。
 その後、長門と見た映画は、この夏話題の映画と言われていたが、実際に見てみれば先読みできてしまうようなチープなものだった。それでも、一夏の思い出としては満足できる一時だったのは、否定はしないさ。

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 うだるような暑さが続く中、俺はサバンナに迷い込んだ北極熊のように背を丸めて雑踏の中を歩いていた。照り付ける太陽はアスファルトを直火に掛けたフライパンのように熱し、吹き出す汗はシャツを濡らすと同時に乾いていく。
 何故そんな暑さの中、外を出歩いているのかというと……何のことはない、母親からお中元の手続きをしてくるように言い渡されて、一人寂しく町中のデパートまで出かけるハメになったからである。連日ハルヒの我が侭に付き合って遊び歩いていたことが、よっぽど目に付いたようだ。
 だから、俺はさっさと雑用を済ませて冷房の効いた部屋の中に戻り、安穏とした一時を過ごしたかった。親からはお駄賃代わりに映画の無料チケットをもらったが、そんなものを見るつもりは、まったくない。
「あれ、キョンくん?」
 デパートの中、やや時季はずれのお中元の手続きを済ませた俺は、そこで神に感謝したいほどの偶然の出会いを果たした。清楚なワンピースにリボン付きの麦わら帽子をかぶった朝比奈さんが、そこにいたのである。
「朝比奈さんとこんなところで会うなんて奇遇ですね」
「あたし、時間があるときはデパートでお買い物をよくしてるんです。部室で使ってるお茶も、ここで買ってるんですよ」
 なるほど、それはいいことを聞いた。つまり、暇なときにここへ来れば朝比奈さんと遭遇する確率がかなり高い、ということか。まぁ、実際にはそんなストーカーじみたことをするつもりはないが。いやホントに。
「キョンくんは、何をしてたんですか?」
「ああ、俺は親からお中元の手続きをしてくるように言われて……ま、お使いみたいなもんですよ」
「お中元?」
 それが初めて聞く言葉であるかのように、朝比奈さんは首をかしげた。未来にはそういう習慣がなくなってるのかね?
「ええっと、お盆の時期にお世話になった人にものを送る、この国らしい風習です。本当はご先祖さまに供える日なんですけどね」
「へぇ〜、なるほどぉ。あ、それなら……」
 何を思いついたのか、朝比奈さんは自分の鞄の中から何かを探すようにごそごそしていたかと思うと、俺にマスコットの付いた携帯のストラップを差しだした。
「お中元です」
「え? いや、でも……」
「いいんです。キョンくんにはいつもお世話になってるし……それにほら」
 朝比奈さんは自分の携帯を取り出した。そこには、同じマスコットの別バージョンが付いた携帯ストラップがついている。
「デザインは違うけど、お揃いですよね」
 えへへと笑う朝比奈さんは、そりゃもう反則的なまでに可愛かった。それはたぶん、俺とお揃いの携帯ストラップだから笑っている──と、自己解釈しておこう。
「大事にしますよ。じゃあ、俺からも……」
 朝比奈さんには部室で毎日美味しいお茶を淹れてもらって、お世話になっているのだ。むしろ俺のほうから朝比奈さんにお中元を渡すのが道理というものだろう。
 とは言え、何も渡すものが無いことに気がついた。うーん、困ったな。今から何かを買いに行っても、朝比奈さんのことだ、恐縮して受け取ってくれないだろう。
 ……そうだ。
「朝比奈さん、このあと、時間はありますか?」
「え? ええ、あとはおうちに帰ろうと思っていたの。でも、どうして?」
「映画のチケットが一枚ありまして。でも一人で行くのは寂しくて、このまま帰ろうと思ってたんです。よければ、一緒に行きませんか?」
「あ、その映画、ちょっと見てみたいなぁって思ってたんです。でも、いいの?」
「もちろん、映画代も俺が出しますよ。俺からのお中元ですから」
「えっ……と、それじゃご一緒しちゃいます」
 ニッコリ微笑む朝比奈さんに、俺は内心でガッツポーズをとった。そしてこのときほど、映画のタダ券をくれた母親に感謝したことはない。
 その後、朝比奈さんと見た映画とは、この夏話題の冒険活劇もの。どうせなら甘いラブストーリーがよかった気もするが、あいにく財布の中身がピンチなのでタダ券を使わざるを得なかった。それでも、隣でハラハラドキドキしながら画面を見つめる朝比奈さんを盗み見るのは、映画の内容よりも楽しかった出来事だ。

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 うだるような暑さが続く中、俺はサバンナに迷い込んだ北極熊のように背を丸めて雑踏の中を歩いていた。照り付ける太陽はアスファルトを直火に掛けたフライパンのように熱し、吹き出す汗はシャツを濡らすと同時に乾いていく。
 何故そんな暑さの中、外を出歩いているのかというと……何のことはない、連日連夜、ハルヒに連れられて外を出歩いていたもんで、家の中でじっとしていることに耐えられなくなったからだ。
 だから、どうせなら一人で過ごせて、夏らしい俺だけの思い出を作れそうな場所ならどこでもよかった。こんな暑いのに、自分でも物好きだと思うがね。
「おんやぁ〜? もしかしなくてもキョンくんじゃないかっ」
 体力の消耗が激しいのでコンビニでアイスでも買おうかと思った矢先のこと、この炎天下にグロッキーすらせず、それどころか妙にテンションの高い声が降ってきた。
 振り返ると、ハルヒに負けないくらいの笑顔に八重歯がキュートな女性が、ぶんぶんと手を振っている。6月の野球大会のときに、朝比奈さんが連れてきた……たしか、鶴屋さんという先輩だ。
「あ、どもっす」
「あっはは〜、どもどもっ」
 挨拶をすると、鶴屋さんは快活のいいしゃべり方に溌剌とした歩き方で近寄ってきた。
「むむっ!? 察するに、コンビニで冷たいもんでも買おうとしてたのかい?」
 俺のぐでーっとした表情と、間近にあるコンビニを見比べて、夏バテとは無縁の表情で尋ねてくる。
「さすがに暑すぎですからね。あ、もしよければ何か奢りますよ」
「おおうっ、さっすがキョンくん! うんうん、みくるがいつも話題に出すだけのことはあるっさ。あまりの優しさに、おねーさんカンゲキしちゃったよっ!」
 いやいや、ちょっと待ってくださいよ。俺はただ、アイスなりジュースなり、その程度を奢るつもりだったんですが。
「あっはっは、わかってるっさ。それじゃ、お言葉に甘えちゃおっかなっ」
 結局、鶴屋さんが選んだのは100円にも満たないラクトアイスだった。まるで俺の懐事情を察してくれているかのような、チョイスに思わず感動してしまう。
「ところで、キョンくんは何してたんだい?」
 一緒に並んでアイスを食べながら、あてもなく歩いているとそんなことを聞かれた。
「いや、今日は暇だったもんで一人でどこか行こうかと思ってたんですよ。あまりの暑さに、このまま帰るつもりでしたけど」
「ほうほう、なるほどねぇ。そいならさ、あたしと映画でも見に行かないかい?」
 と言って、鶴屋さんは映画のチケットを二枚取り出した。この夏話題の、冒険活劇ものだ……ってあれ、これどこかで見た気がするんだが……? ふむ、気のせいか。
「でも、俺でいいんですか?」
「ホントはみくると行くつもりだったんだけどね〜。あの子、何か急用ができちゃったとかでフラれちゃったのさっ。キョンく〜ん、可哀想なおねーさんに付き合ってくれたって、罰はあたらないと思うよっ」
 そんな芝居がかったセリフで言われましてもね、こうなんていうか、グッと来るものは少ないと思いますよ。
「むむぅ、なにやらナマイキくんだなぁ〜。そんなこと言うと、映画に連れてってあげないよっ!」
 珍しく頬を膨らませる頼れる先輩の姿に、我知らず苦笑が漏れる。おそらく、これは別に俺を誘いたい口実というわけではないだろう。事実、朝比奈さんには急用が入ってしまったに違いない。ここで出会ったのが俺じゃなくて、ほかの顔見知りでも鶴屋さんのことだから、映画に誘っていただろう。
 もっとも、それが分かっているからと、わざわざ口に出すのは野暮ってもんだ。
「すいません、あまり女性から誘われる経験がないもんですから」
「またまたぁ〜、そんなこと言っても騙されなよっ。まっ、とりあえず行こっかね! ハルにゃんにはナイショにしといた方がいいのかな?」
 やれやれ、上手くやり返されたか。出来ることなら、ハルヒどころか誰にも口外して欲しくない気分ですね。
「そいじゃ、あたしとだけのヒミツだねっ!」
 にぱっと笑う鶴屋さんは、それはもうかなり魅力的だった。やはりこの人には夏がよく似合う。
 その後、鶴屋さんと見た映画とは、初めて見るはずなのにどこかで一度は見たことのある内容だった。それでも、面白かったことに違いはない。そして何より面白かったのは、隣に座る鶴谷さんが映画の内容に応じて表情を七変化させていたことだろう。

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 さて、最後にこれだけは話しておく。
 これまでダラダラと話してきた内容だが、実際に俺が覚えているのは、その中のひとつしかない。というのも、すべての体験は同じ日の同じ時間の出来事であり、つまるところハルヒが引き起こした『永遠に続く夏の二週間』に起こった、心温まるわけでも感動するオチがあるわけでもない、けれど俺は忘れたくなかったエピソードだ。
 何故俺がそれを知っているのかというと、夏休みが終わった部室で、暇つぶしに異なったシークエンスにどんなものがあったのかを長門に聞いたことで判明したからだ。
 自分の知らないところでSOS団に関わりある4人それぞれと二人きりで行動していたとは夢にも思わなかった。どうせだったらその記憶だけでも残しておいてほしかったものだが……ま、ハルヒのことだ。そんな親切な真似はしちゃくれないだろう。
 なので、紹介しているエピソードは申し訳ないが順不同で並べ立てている。正解や不正解なんぞあるわけでもないが、しいて言えば俺が覚えているシークエンスが、この歴史で正しいエピソードってことになると思われる。
 ──では、どれが正解なのか?
 なんてことを聞くのは野暮ってもんさ。せめて無駄に夏を繰り返した俺たちへのご褒美として、二人の秘密にさせてくれたっていいだろう?