「もてなし」の認識の違い

1990年

       カリフォルニアの小学校に子供を通わせていたある日本人の駐在員の奥さんの体験談ですが、

「アメリカは日本と違って厳しい社会だと思うわ。日本人の思いやりのこころなんて理解できない国なのよね。」と切り出し、彼女のいやな体験を語ってくれました。その小学校では子供の親がいろいろな形で学校の活動を支援していて、親は交代で送り迎えの車のカープールをしたり、教室で先生の助手をしたり、遠足のときは先生の目がゆきどどかないので、数人づつの生徒を親が手分けして、引率したりします。彼女は日本から引っ越してきて直ぐだし、言葉も不自由だから当然なれるまで当番からはずされ、そういう親の仕事も免除されると思っていたのに、来て直ぐでも仕事をさせられる羽目になりました。「英語がへただから」と断ったのに、「大丈夫、あなたぐらい分かれば十分この仕事はできるわよ。」と押し切られたと言います。「日本じゃ言葉の不自由な外国人のお客さんに日本人と同じように仕事をするように要求したりはしないのにね。」とうらめしそうにつぶやきました。

       私も娘の中学で音楽の授業でオペラ鑑賞の予定があり、サンフランシスコの歴史的なあのオペラハウス(日米講和条約が結ばれた)に行くことになっていました。おりからの政府の財政難で、スクールバスが出せないとかで、学校からオペラハウスの送り迎えは親のボランテイアでまかなうことになりました。私もアメリカに引っ越して3ヶ月しかたっていなく、ドライブにも余りなれていなかったのに、送迎すればただでオペラ鑑賞ができるという特典があるのでつい応募しました。行きはよいよいで、帰りはラッシュに巻き込まれ道も良く知らなかったので、間違えながらやっと2時間以上遅刻で学校まで帰ってきました。音楽の先生は学校で待っていてくださったのですが、「ミセスタムラはダウンタウンでショッピングをしていたのですか?」と冗談で迎えてくだしました。でもお蔭で「椿姫」のオペラをオペラハウスで鑑賞できて、記念になりました。

       アメリカでは言葉があまりできないとか外国人だからとかは大して不利な条件とは見なされません。もともと移民の国ではそういう人ばかりいたのですから。そういう人も差別しないで、長くいるアメリカ人と同じ条件で、身内の仲間のように接するのがよいもてなしなのです。

       日本ではお客さまには家族と同じじゃなくお客様として、特別あつかいをしないと失礼当たります。アメリカでは家族と同等に扱うのはお客様の最高のもてなしなのです。
アメリカ人のホームパーテイはカジュアルなのが多く、突然の飛び入りの客などもあったりです。人数が
多いとセルフサービスで自分で冷蔵庫を開けてすきな飲物を勝手に出して飲んで頂戴といわれて、とまどいました。他人の家の冷蔵庫を勝手に開けるなんてと遠慮していたら、いらないのかと思われるだけで食べ物は何もあたりません。日本ではお客さんに自分で取りにいかせるなんて、失礼ですが、こちらでは遠慮する人が悪いのです。
アラブから来ていたESLクラスの移民の友達もアメリカ式には驚いたと言ってました。アラブでは日本式でやはりお客さんには飲物や食べ物はホストがサーブするそうです。
娘はアメリカの大学で寮生活をしていましたが、日本人の友達とアメリカ人の友達では部屋に遊びにやってきたときのあつかいを変えていると言ってました。
アメリカ人は来ても、特別もてなしをしなくても、勝手に部屋の冷蔵庫を開けて飲んでいいよというと飲みたい場合は自分でやるからほっておけばいい、ただし無断で人のベッドの上に寝転んだりするのでちょっとむっとすることもあるけれど、娘のほうはは今やっている宿題など続けられるし楽でいい。でも日本人の友達は遠慮して自分からは飲物など取らないから、こちらからどうぞといって、コップに入れてだしてあげないといけないので、いそがしいときなどはめんどうと言ってました。
娘にはアメリカ式のほうを気に入っているようでした。
遠慮は相手も日本人でこちらの心が分かっている人には通じるけれど、アメリカでは決して美徳とは考えられません。