あなたは,中度のネット中毒傾向にあるようです。あなたはネット上の仮想空間と現実世界の狭間にいる,いわばボーダーともいえます。精神的にネットに依存したり,
過度のネット利用によって心身状態や日常生活に支障がでていませんか?
思い当たることがあれば,それを十分に意識してネット利用をコントロールできるように心がけてください。
【あなたはネット中毒度43%です】
と判定される。そんな事は無いと思うのだが………。やはり、自覚が不足しているのだろうか?
00/09/10
それにしても、一週間連続でバイトに休みを入れていると幸せである。懐の中はどんどん寒くなっていくにもかかわらず、非常に幸せな事この上ない。
しかし貧乏はいやだし働かずに居る事にも限度があるので、何処かで区切りをつけて働かねばならない。どこぞの共産主義国家と違って働けば見合った対価を貰えるのだから、
あまり文句ばっかり言っていても罰が当たると言う物。このらくちんな生活も来週で終わりで、再来週には大学が始まってしまう。社会人に比べればずっと楽なのだろうが、
それでもやはり少し憂鬱になる。
図書館で近頃覗く事が日課になっている「製鉄」のコーナーを覗くと、世界の鍋や鎌を比較対照して鍛冶屋に関して語っている本を見つける。しかも、この手の本としては割と面白い。
また最期まで読みきらねばならない本が増えてしまった………。
00/09/09
友人の好意によって、陸上自衛隊の富士総合火力演習を見に行くことに成る。チケットのあまりで親父を釣って運転士を頼み、遥か御殿場を目指す。ともかく御殿場は遠い。
なにせ、日の出前に出発しなければまともに見える席をとることができないのである。取り敢えず、始発電車より先に御殿場駅にたどり着く事を目標にして出発。
無事に座って見ることが出きる場所に席をとれたのだが、後から後からまるで沸くかのように人は増えて行く。スタンド席がほぼ満員になったのは、演習が始まる約二時間前。
結局、せきとりの為に三時間以上前から固いベンチに座りっぱなしに成る。デモンストレーションなのか、時々色々な兵器が出てきては(始まる前なのに)発砲していく。
きっと、開場前から居る人間に対するサービスなのであろう。
しかし難と言う迫力であろうか。発砲するたびに「空気が震える」のである。結構距離が離れているので、マズルフラッシュが見えてから一秒くらい経ってから砲声がする。
音がする事は判っていて身構える時間があるにもかかわらず、音がするたびに驚く、いや、むしろ「ビビる」。
対戦車ミサイルが割とゆっくり飛んで行く事や、対人指向性地雷が重砲もかくやという大音響を立てる事、例え百二十ミリでも戦車砲のほうが二百三ミリの重砲より発砲の音が大きい事など、
非常に勉強になった。空挺部隊の落下傘降下や低空でフライパスして行くF4EJなんかも普段では決して見れない物であるし、対戦車ヘリの二十ミリバルカン砲による機銃掃射は、
標的にされただけで当たらなくても死にそうなほど迫力があった。
あと、一部で大人気の爆導索ですが、あれ食らって無事なのは卑怯だと思います。大きさ的に殆ど変わらない物で地形が変わっていた気が………。
00/09/08
ふとした弾みに、妙に自分の気が大きくなっていることに気付く。普段なら滅多にやらないようなことを何の気無しに実行してしまっているのだ。
これは非常に怖いことである。いつもならやらないような事を平気でやってしまうと言うことは、本来掛かっていたはずの歯止めが外れ掛けていると言う事。
キ印と紙一重だと自覚がある人間にとっては恐怖すべき事以外の何者でもあるまい。
何が原因か考えてみる。答えはごく容易に見つけだすことが出来た。むしろ、自明であったと言うべきであろう。季節の変わり目だから。
多くの人間を狂気の渦の中に投げ込んできたこの季節は、普段どうと言うことのない人間ですら蝕んでしまうことがあるのだ。
ましてや、自分で危険だと思っているような人間が油断して良いわけがないではないか!!
とはいえ、対策法もあまりない。自覚していても浮ついた精神状態は必ず何かに悪影響を及ぼしており、自分の行動に悪影響が出るのは仕方がないことである。
しかし、何処かで何かやらかした後で我に返って後悔しても遅いし、後悔なんぞまっぴらごめんである。
取り敢えず、何か発言する前にいったん考えてから行動することにしようと決意する。しかし考えるは易し行うは難し、何処まで実行できる物か・・・・・・
あまり人に迷惑を掛けずに済むと良いなぁなどと、他力本願な事を考えてみる一日だった。
00/09/07
実は私は、大学の授業の中で「教職課程」を履修している。こう話すと、驚く人は結構いる。どう考えても人格的にゆがんでいる私に、
教員は不似合いだと言うことなのでであろう。よけいなお世話である。
で、現在「道徳教育の研究」と言う夏期休暇の特別授業を受けているのだが、授業の性質上ディスカッション形式を取ったことがあった。
私はごく普通に発言しているつもりでいたのだが、先生にあまり興奮するなと注意されてしまった。特に興奮していた自覚もなかったので、
「?」と言う感じだったのだが、ふと自分の手のひらを見てみたとき疑問は潮解した。
真っ赤なのである。鬱血して奇妙な模様が現れていたから。「真っ赤」と言う表現もおかしいかもしれない。手はがくがくと震え、
筆記用具を握っても、まともな字を綴ることも適わなくなっていた。ノートの上はさながら蚯蚓の行進である。
その上、しばらくすると眩暈と頭痛がし始めた。
これは不味い、それも非常に不味いと言うことで必死に気分を落ち着かせようとするが、そもそも気分が高揚していると言う自覚が無かったためか、
ともかく時間が掛かってしまった。おそらく、何にも気がつかないでこのまま血圧が上がっていたら健康上非常に宜しくない事態が発生していたであろう。
時々突発的に起こる胸部の痛みの原因もここら辺にあるに相違ない。
よく三国志などで「憤死」と言う死因が出てくるが、こうゆう風に血圧が上がり続けた結果起こった死因だったに違いない。
取り敢えず、ディスカッションの最中に憤死するなどという事態にならずに済んで安堵すべきなのであろうか?
ちなみに、同じ班の人に「凄い負けず嫌いだね。」と言われてしまった。思うに、完全に誤解されているようである・・・・・・。
00/09/06
久方ぶりの学校への道のりは、今までの様に暑くて不愉快ではなかった。朝から雨が降り続いていた事も理由ではあるのだろうが、それだけが理由と言う事はありえまい。涼しく、優しく吹きぬける風。
数日前までの粘度を持った空気とは違う。雨が降っている為に、ある程度の粘つきはやはり保っていたが。確実に夏の力は失われつつあるのだ。
何処と無く元気の無かった今年の蝉たちや夏の若葉を置き去りにして、夏は過ぎ去って行こうとしている。代わりにやってくるのは穏やかな秋と研ぎ澄まされた冬である。とここまで書いて思ったのだが、
近頃の冬はちっとも研ぎ澄まされていないような気がする。何処かしらぬるい、と言うより肌を刺すような寒さを感じる日が非常に少なくなってきているような気がする。