子猫の戯言
(仮設)
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00/08/14
いつも目覚し時計代わりにCDをタイマーで掛けているのだが、前日入れっぱなしにしていた独逸第三帝國総統アドルフ・ヒットラー閣下の演説のCDで目がさめる。なんとも物々しい目覚めである。
なんと言う事は無く一日が過ぎて行く。人間暇を持て余すとろくな事をしないと昔から言うが、私はそれは違うと思う。人間、暇であれば暇であるほど怠惰に成って行くのだ。
退屈過ぎてゲーム機を引っ張り出してくるのも億劫になり、結局そのまま昼寝モードに突入して夜に成ってしまう。
文字通り何もしない一日。毎日こんな生活だとマズイだろうが、たまにはこんな日があっても面白いかもしれない。
00/08/13
聖戦終了。希望者が居れば戦場日記でも書きますが?
00/08/12
聖戦。
00/08/11
聖戦。
00/08/10
臨戦体制。
00/08/09
私は毎日仕事が終わった後、三越前にある勤務先から秋葉原まで歩いて通っているのだが、今日は自称「慈善団体」にえらく不愉快な目に会わされた。
そこは駅の脇に有る、秋葉原には珍しい食べ物屋が並んでいるガード下だった。狭い通路をふさぐ様に数人の署名集めをしている人間がたむろっていた。私は秋葉原では募金や署名には応じない事にしている。
何故なら、他にもっと適当な場所があるのにも関わらず彼らがそんな場所でしか活動できないという事は、彼らの規模ヤ勢力が著しく他集団に比べて劣っていると言う事を意味する物であるから。
少数派も尊重されるべき?では、彼らが本当に人通りの多い場所には出向けないぐらい後ろ暗いと言い換えても良いだろう。とある場所で自分がやってしまった署名に関するミスは、
いまだに私の心の中に大きく影を落としているのである。とにもかくにも、私は彼らを胡散臭いと判断した。だいたい、狭い路地で通行人に逃げる余地を無くして署名を募るなど、署名運動とは言うまい。
私は取り敢えず、目を合わせないように神田警察署辺りに水晶体の焦点を合わせ、早足で忌まわしいその封鎖線を突破しようと試みた。すかさず軌道を変え、私の進路をふさぐ署名集めの蛆虫ども。
おそらく、たかって囲めばどうにかなると思っているのであろうが、私は自称キチガイである。無論のことそんな物は無視して強行突破だ。
「邪魔だ。」
そう一喝して私は通りすぎた。まさか断られるどころかこんな敵対的反応に出会うとは思っても居なかったらしく、彼らは、呆然といていた様だった。しかし、当然であり且つ自業自得でも有る。
ボランティアとはボランティアであり、決して社会の全ての営みに対し優越性を抱きうる気高き自己犠牲精神の現出ではない。ましてや、「ボランティア」に過ぎないのだ。通行人に自らの思想を押しつけるなど、
何者にも許され得ない(もしくは民主主義国家に於いてはそうであるとされている)傲慢な行為である。彼ら葉何かを根本的に勘違いしていた様に、私は思う。
普段は快く諸君の自己満足に協力するような人間でも、余りに不愉快な行動を取る様であれば無視される。どころか疎まれる事も有るであろう。出来る事なら、
該当団体の方には猛反省していただきたい物である。
00/08/08
財布が出て来た。
私は産まれつきが間抜けでその上物忘れが激しい為、良く失せ物を出す。無くした事に気付いた時点で探し回るのだが、結局見つからずに終わってしまうことが非常に多い。
はっきりいって、落した物が出て来た事など生まれて始めてである。
出て来た事を聞いてひとしきり大喜びしてから、ふと考え込む。ひょっとして私はとてつもなく運の悪い人間なのではないであろうか?それも、今まで思っていたよりもずっと酷い。
考えれば考えるほど鬱に成るばかり。全く、良い事が有ったのに落ち込むなど、なんと馬鹿げた話であろうか……。
00/08/07
秋葉原で財布を落としてしまう。免許証から学生証から、何から何まで入っている財布だったので被害は甚大である。その上、落した直後に凄い雨が降り始めたため、
探しても探しても見つからない。哀れ私の財布は側溝に流れ込んでしまったのであろうか?
結局、びしょ濡れに成りつつ探したことは報われず、財布が無くなった分懐は確実に軽くなった。なんともついていない一日である。
00/08/02
ここの所暑い日が続いている。昼間の風は、もはや涼しさを運んでくる存在ではありえず、その風はドライヤーの熱風にも似て非常に不快。
こんな日は、清涼飲料水なしでは一日を過ごす事それ自体が艱難辛苦に感じられるどころか、下手をすれば命に関わるであろう。水分は人間の体を形作るもっとも重要な部分であるゆえ。
ところで、スーパーの飲料水売り場を回っていて、少しばかり嫌な物を発見してしまった。その製品は「海洋深層水」と言うご大層な名前で売られている品物である。
昨今の「環境ホルモンに恐怖する」流行から流行っているのであろうが、既に我々の体は汚染され尽くしているのである。具体的な影響を限定する為に、汚染されていない海の底から水を汲み出す。
その行為自体は無意味ではないであろうが、もっと重視されるべき対策があるはずである。例えば、身の回りで化学製品に頼る部分を減らすなど。
果たしてプラスチック製のペットボトルの中に詰められた水がいかほどの清浄さを持ち得るのか………。私ははなはだ疑問であると思うし、それ(即ち海洋深層水を汲み出すと言う行為)その物が、
海の生態系に対して知名的な影響を与える可能性だって有る。例えば、そのせいで深海に大量に「底にない筈の物質」が流れ込み生態系に大きな影響を出すなど。
新奇な物にすぐさま飛びつくべきではない。フレオンガスが我々に何をもたらしたか、もう一度考え直して見るべきではないであろうか?
00/08/01
ふと電車の中で思った事。というよりも、実体験そのものである。そう行った物が気に入らない人間は読み飛ばすか無視していただけると大変嬉しい。
私は、電車の車内でMDでポップミュージックを聞きながら漫画を読んでいた。これくらいなら誰でもあることで、特に気にするような事ではない。しかし、ふと歌の歌詞が気になってくる。
要約してしまえば「社会が狂ってるよー、でも俺は大丈夫さ、だから君もまともで居ようぜ。」みたいなごく普通の歌詞だった。ただ、作曲家の腕なのかそれともアーティストが非凡なのか、
歌詞にも曲にも一種独特の説得力があり、熱狂的なファンも多いのだそうだ。かなり刺激的で過激な歌詞でも有る。
ひるがえって、読んでいる漫画。これもまあ、「濃い」物であるのは間違い無い。とある18禁漫画雑誌の巻末に連載されていた物だが、背筋が痒くなるほどストレートなラブストーリーである。
こちらもまた、非常に多数の熱狂的ファンが居る事は容易に想像できる。
なんと言うギャップ!!私は思わず笑い出してしまった、それも殆ど満員の電車の車内で!大恥をかいた。
00/07/25
今日は神田界隈での異常に厳重な警備体制を見に行きたかったのだが、高井戸での仕事が忙しくていく事が出来なかった。まあ、仕方有るまい。
00/07/20
神田周辺の警戒体制がどんどん厳しいものに成っている。その厳しさたるやおもて通りの十字路一つに尽き警官が一人立っている始末。これでは巷の犯罪者の方々はさぞかし生活に困っている事であろう。
個人的には非常に良い事なんだけれども。
所で、教職課程の進路指導のレポートが今度はピンチなので(全く、いつでもレポートだ)今日はこのぐらいで。
00/07/19
遂に二千円札が登場する事とあい成った。センスのかけらも無いデザイン、書いてある首礼門に申し訳無くなるほどデザインがダサい。何から何まで最低である。
共産圏の紙幣ともタメが張れるんじゃなかろうか?腐ったピザの置き土産としては最凶クラスに位置する物の一つであろう。景気対策?それにしたってやり口は幾らでもあるであろう。
アメリカでは二十ドル札や二ドル札があると仰る、博学な御仁もいらっしゃるかもしれないが、当のアメリカで、このバラけた紙幣の単位が非常に不評である事はあまり知られていない。
いたずらに貨幣体系に混乱をもたらすだけである今回の措置は、はっきり言って地域振興券並みの愚策であろう。
某教団系列の方々は絶対にそんな事認めないだろうが。
今の日本における経済的な閉塞の少なくとも一部分は、上に立つべき人間の失策によって生じている。そして、その失策を追い隠すべく作られた紙幣が、
社会の木鐸足る事が誇りであるはずの新聞社によって褒め称えられる。いったい、何を考えていらっしゃるのだ?社会の木鐸たる新聞記者の方々は?
00/07/18
ごく普通の一日。特にやらねば成らない勉強も、努力の必要な試験科目は既に終了してしまったので遣る事が殆ど無い。
あると言えば教職課程のレポートが、十一枚ほど全く手付かずな事くらいで………これもその気になればどうにか成る類の代物である。
そんな訳で、久しぶりにSFCのゲームでもやろうとカートリッジを片っ端から取り出してくる。しかし、どのソフトもセーブデータが消えている。
かなりやり込んでから暫く放って置いたソフトなど悪夢のような状態に陥ってしまった。私は普通、ゲームを一度クリアする前に、起こせる限りイベントを起こしておくのを由としている。
だから未だクリアしていないのにセーブデータが消えたら、まだクリアしない状態でデーターが消えたら、スタート地点からもう一度最初からやり込みなおす、
と言う悪夢のような作業を行わなければならない。因みに、シューティングの技量なんかは良くリセットが掛かる。
はあ、まじめに勉強していればこんな気分には成らずに済んだに違いない……。
00/07/17
皆既月蝕の為か、月は赤かった。これを背景にしてマントをはためかせれば、それだけで赤く目が光りそうなくらい良い雰囲気が出ている。素晴らしく不吉である。
しかし、では家の周囲で炸裂しまくっている打ち上げ花火はいったい何なのであろうか?どうやら彼らも皆既月蝕を見に来ているらしいと言う事だけは、
それのみは浅学にしてさして知能指数も高くない私にも理解可能なのであるが、空その物を覆い尽くす勢いで打ち上げられる打ち上げ花火とその硝煙はいかにも天体観測には不釣合いであろう。
………お、近所のおじさんに怒られた…家の前に来やがった……!!手っ取り早く撃退しとかないと空が見えなくなると思った矢先、
今度は家の親父が怒鳴りに行く。ぶーたれる花火軍団。
だがこちらもわざわざ天体望遠鏡まで持ち出して観測しているのだから、妥協するわけには行かない。だいたい人の迷惑と言う物を考えないで花火をやろうと言う方が間違っているのだ。
結局無事に観測自体は終了する事が出来た。
00/07/13
人間が最も苦手な物に一番嫌な状況下で遭遇した場合、その人間はどのように反応するか?小説などによると人の反応はばらばらなのだが、自身で試してみたらどうなるか?
等と言う疑問はそれこそ怖気を振るう物であり、怖くて怖くてとても出ないが実践できる物ではない。誰かや状況に強制されるのでもなければ。
何故わざわざこんな事を書いているのかといえば………実際にそんな目に会ってしまったからである。うだうだと雑文を書き連ねていても仕方が無いので、
何があったのかとっとと説明させていただくとしよう。
そのとき、私はただ犬の散歩をしていた。ただただ犬を引き連れて夜道を歩いていただけだった。そうして幾らか道を歩いていたとき、何かが左足の脹脛に張り付いた。
私はそのとき、精神的に非常に無防備な状態で歩いていた。だから、反射的に脹脛に貼り付いた物の正体を見極めようとしてしまった。それは、体長三十センチ近くはあろうかという、
……長い虫だった。
その瞬間に私の精神は狂騒状態に陥っていた。陥っていたが、反応事態は至極冷静だった。取り敢えず、脹脛に貼りついた蟲を地面に叩き付けるまではパニックも起こさなかった。
地面に叩きつけたあと、突然の様にパニックは襲ってきた。何しろその状況が常日頃悩まされる悪夢と全く同じ物だったのだから、まあ仕方が無い。
飼い主の事を気でも違ったんじゃないかと心配そうに見つめる飼い犬に励まされどうにか家に帰りついたのだが、二度と同じ目に会いたくない体験であった。
しかし、一つ勉強に成った事がある。それは、人間がその恐怖とする対象にあってもその場でパニックを起こすわけではないと言う事である。
場合によっては危機を排除してからパニックに落ちる事もある。なら私はクトゥルーに対してショットガンをぶっ放した後狂うのだろうか?
00/07/06
レイチェル・カーソン女史の「沈黙の春」の文庫版を本屋で見つける。彼女は未だ自然保護運動その物が「反社会的」なものとみなされていた時代、
「自然保護」を叫ぶ事に漠然とした身の危険が伴う時代の、生粋の自然保護運動家であった。
グリーンピースだか何だかの半分テロリストの入った革命闘士のような人々や、訳の判らない哲学をもてあそび、
自然保護運動の為ならば林道の中に四輪駆動車で入り込み自然を破壊する事をも正統化してしまう御仁等とは根本的に違う、本物の尊敬すべき人物である。
当然の事というべきか、彼女の本は凄まじいまでの説得力、本物のみが持つ事が許された壮絶なまでの力を持ち合わせている。みなさん、これは夢物語ではありません。
皆さんの身の回りで起きている事のほんの一例に過ぎないのです………。彼女の本を読み進んで行くうち、彼女がその目で注視せざる得なかった恐ろしい光景が目の中に、
幾多の星霜を経、その光景を見た事の無い筈の私の目の中にありありと浮かんでくる。黒く焼け焦げた様に薬品に侵された雑草と、剥き出しになった地母神の地肌。
大地に転々と転がる小鳥や小動物達の屍骸。どれも、教科書の片隅や日常生活の片隅で見た事がある、現実の世界。
そして真に恐れるべき事には、これらの文章は十年以上前に書かれた物である事である。どれほど恐ろしい事でありどれほど危険に思えても決して我々には干渉できない、
時間と言う壁が我々と彼女の存在した時間を隔てている。例えばアメリカの五大湖の周辺では、湖底のヘドロをコンクリートで固める作業が進められているそうである。
そのまま泥を放置すれば、汚染状況は酷く成る事はあっても良く成る事はありえない。最悪の中でも少なくとも最善の物を選ぼうとする、実にアメリカ人らしい態度と言えよう。
PCBに汚染されたそれだけの汚泥を処理する技術は、現在の人間には未だに手の届かぬ物である。
ところで日本でこの手の問題が生じた場合、どのような対応をお役所は行うであろうか?それはさぞかしすばらしい物であろう………
少なくとも彼らは自分で責任をとる事だけはしない筈である。捧げられる贖罪羊。ひょっとしたらどッかの馬鹿首相が雄叫びを上げたり、そのせいで全てが御破算に成り、
そのせいでまたぞろ内閣が崩壊したりするかもしれない。つくづく自分の国が嫌になってくる瞬間である。
それにしても何故アメリカ人は自らの手で撒いた薬品で根絶されなかったんだろう?非常に気になるところである。
00/06/30
何やら不健康な咳。咽喉の奥でわだかまる微かな不快感。時にそれは大きくなり、また小さくなりもするが、消え去ってなくなる事は全く無い。不快感と、生理的嫌悪感、
そして倦怠感。何もかもから容赦無くやる気を奪い、何もかもに対して無意味さを引き立てる。
ホームの端に立たない様にしよう、まだ挽き肉になるには早すぎるから。あいた窓や屋上にも近づいてはいけない。今の季節の滑空は、例えどんなに短くとも快適であろう。
しかし、今のところそのわずかの快楽に引き換えるほど人生の意味は軽くなりきっていない…いや、どうだろうか?おまえは中学受験が終わった時死にたがっていたではないか、
何もかもを捨て去って人生に終止符を打つ快楽に、ただただ惰性と(これまた)倦怠を持って打ち勝っていただけではないか?
鬱の季節が始まったのだ、また。湿って重く不愉快な高温で、極彩色の黴と直接照らされるには痛すぎる太陽に支配された季節が。
00/06/25
祝!自民党大敗北!!
森"The Destroyer"首相が何を言う物か、今から楽しみで楽しみでしようがありません。
ただ、同じ位落選して欲しかったインターネットに優しくない衆議院議員・矢代英太が当選してしまった。これは良くない事です……。
00/06/24
こんなに腹が立ったのは久しぶりであった。
事の発端は、電車の中で酔っ払った大学生らしきグループが、後ろに立っていたご老人にガツガツリュックサックをぶつけていた事であった。
そのご老人は、暫くは我慢していたのだが、やがて我慢できなくなったらしく、「カバン、邪魔だよ。」と一言だけ注意した。彼の注意はどう考えても正当な物であった。
件の大学生グループは、本来なら非を認めるべきところ何をほざいたか?彼らは大声で「これだから酔っ払いは。」「相手にすんな、相手に。」
などと、さも当然であるかのようにのたまい、あまつさえ被害者である筈のご老人を罵って悪役に仕立て上げる事までやってのけたのだ。
当のご本人はもちろんの事、周囲の人間、とりわけ無関係な人間である筈の私の心の奥深い部分で暗い炎が勢い良く燃え上がるのに充分なほどに傲慢な、
言うなれば分不相応な発言であった。
その後、件の大学生グループは選挙の話をし始める。あのー、制限選挙復活させませんか?こんな馬鹿野郎ども思慮分別の足りない方に選挙権を渡すと言う事は、
キチガイに刃物民主主義と言う制度その物に対する再考を促す巨大な疵となっているような気がする。独裁国家で暮らしたいとは夢にも思わないし、
生き神様を崇め奉って某巨大教団の資金源になるのもごめんだが。
00/06/17
手短に。某所掲示板にて自分の騙りを発見。未だかつて見た事が無いほどの大馬鹿ヤロウである。だってなにせ、自称既知外を騙っているのだから。
そんなに機知外になりたいのかい…………って、騙りなんかやる奴は大方既知外に決まってるか。
いつのまにかカウント数が4000突破。誰だろう?踏んじゃった可哀想な人は。
00/06/14
今日は、かなり凄い物を見せ付けてもらった。いや、実際実行犯の人間には最大の敬意が払われるべきであろう。私の完敗である事は素直に認められねばならない事実である。
事の発端は、ファミレスに入ったときにとある友人(仮にマスターKとしておこう)がぽつねんと夕食を食していたことだった。
邪悪な事にかけては人後に落ちない、我らが親愛なる友人達は早速彼に対する嫌がらせについて相談し始めた。まあ、何か頼んでいない物を突然彼の卓に届けさせ、
彼を驚かせようという趣向である。無論の事、(若干名の例外は居たものの)みんな冗談で済ますつもりだった。
だが、彼の邪悪さは我々を大きく上回っていたのである。彼は我々の会話を聞いていたのかもしれないが、本当に実行してしまった事では我々に大きく勝っていた。
突然勘定は彼持ちでイチゴパフェが人数分届いたとき、我々は狼狽してしまい何も彼に対し有効な反撃〜例えば即座にチョコパフェを頼み返すと言うような〜
を行う事が出来なかった。彼は奇襲が成功したと見ると、軍事的原則に忠実にすばやく撤退して行った。
暫くして、友人の一人雲鷲みかんに電話が掛かってきた。「贈り物は気に入ってもらえたかね?」とだけ語って、返事を待たずに切られた電話は彼の高らかな勝利宣言であり、
同時に、飯に誘ったのに誰も来やがらないから一人で食いに行ったら後から来た上にごめんの一言も無しかこん畜生と言う呪詛の叫びでもあった。
無論の事、我々がどうお返しするかその場で作戦会議を開始したのは言うまでもない事だが。
00/06/10
とある個人的な事情で新宿経由で帰ることに成ったその道すがら、新宿駅に停車中の山手線の中に異様な風体をした3人の男たちが乗りこんできた。異様な図案、
世界史上類を見ない有名さを誇る石工組合の紋章に良く似たマークを中央にあしらい、その周囲には大きくアルファベットで「ガーディアンエンジェルス(俗に言うGA)」の文字。
今はやりの正義の味方で、繁華街などで自発的にパトロールを行い治安維持に当たるボランティア団体だ。
以前もお話したかもしれないが、私は正義を標榜する団体は大嫌い、と言うよりもむしろ憎悪に近い感情すら抱くに至っている。
そして彼らは、「善意」と「正義」の錦旗の元に行動する。好意的な目で見られる訳はないし些かの偏見が混じったのだとしても、私は敢えて断言する。
彼らの存在は平和から程遠い物であった。考えても見たまえ、何やら物騒な雰囲気を放つ迷彩カーゴパンツを着込みポケットを膨らませた筋骨隆々の男達、その強烈な威圧感。
其処に存在する事で治安を維持せんとするのなら、其処には公的機関として作られた警察と言う組織が存在している。かれらは、些か鈍重に見える部分も多いとは言え、
決して民間人のボランティアの助けは必要としていない筈である。ここは彼らの本部が置かれるアメリカではなく全く違う文化が存在する日本であり、
取り返しがつかないほど治安が悪化した結果、警察には介入し難くなってしまったNYやLAの某地域と(現在悪化しつつあるとは言え)
女性が一人で夜中に歩き回れる東京とは根本的に違う。
更に言わせてもらえば、例え正義の味方であろうとも電車のつり革で懸垂をするようないささか非常識きわまる正義の外人には、東京の正義を守るまえに
まずはてめえの頭の中身から叩き治して欲しい、という類の感想以外抱きようが無い。その上装備の不備もどうしようもない。示威行動を行う以上、
彼らは充分以上に暴力の対象となりうる筈である。彼らはTシャツ一枚で無慈悲なナイフの一撃に立ち向かうつもりの様だが、いったいどうやってであろうか?
渋谷の駅で、三人で隊伍(と言いきれるほどの規模は無いが)を組んで歩いていく彼らの姿に、限りなく独り善がりな傲慢を感じたのは私一人であろうか?
私の感想は不見識極まりないであろうか?彼らは、横で立っていた老婦人の不快感の表明である表情(そして他の多くの場所でも)が誰に向けられた物か、
考えて見た事があるのであろうか?
偽善は、決して嫌いな言葉ではない。しかし、何事も程度問題だ。
00/06/02
今日は、以前書きこんでいた催し物、好物標本の展示即売会の方に出向き、非常に大規模に散財してきた。ここの所、催し物その物が縮小化する傾向が非常に強かったのだが、
何ゆえか今回は往時の勢いを取り戻しつつあり、会場の面積も元の広さ(と言っても、巨大な特設会場と併設のちょっと大きめの部屋程度の広さの場所)に近づきつつあった。
おそらく、催し物事態がなくなる心配はあるまい。平日の朝早くから、あれだけの人間が歩き回っているのだから。
ただ、非常に気に成った事がある。それは、何処の店に言ってもお金の取り扱い、強いて言うなら財布のしまい場所についての注意をされた事であろうか。
やはりあまりメジャーではないとは言え無いイベントでも、それなりの人数の客足はあるわけで、会場内はかなりの混雑になっている。それなりに気を使うのは、
人間なら誰しも行うであろう防御行動であろう。誰だって自分のポケットの中を漁られる事潔しとはしまい?それを、其処彼処の店の人間が来る客来る客に注意を呼びかける。
やはり、何かあったとしか思えない。
耳と言うのは澄ましてみるもので、聞く気になれば(そして精神を集中できれば)それなりに離れた場所で交わされている会話でも聞き取ることは容易である。
そして人が耳打ちしているような事と言うのは大概にして、あまり楽しくない会話に分類される物が多い。この時の会話は、中々分類に困るたぐいの話だった。
聞いていて決して愉快になれる類の物でもなかったが。
話を要約すれば、「外国人による大規模なスリ団」が入り込んでいる為に現在場内は非常に危険である。本来なら放送をかけるべきなのだが、
警察が現在会場内で大規模に張り込んでいるので放送は出来ない、強いては危うそうな客には注意する様に気をつけてやって欲しい。そんな内容であった。
何やら外国人に対する人権侵害に関してやたら五月蝿い向きもいらっしゃるが、(そして確かにそれは存在するが)
そこにいる「不良」外国人のせいで日本人の「財産権」という基本的人権が蹂躙されていたりする。声高に「不良」
外国人の人権を叫ぶ前に、まずまともな人間の人権を考えて欲しい物だ。
会場のディーラーの多くは外国からいらした方で、当然の事ながら某国の方もいらっしゃる。その不貞の輩は本来(売り手にとっても買い手にとっても)楽しいはずの場所を、
些か窮屈で居心地の悪い物にしてしまっていた。非常に残念な事態であった。