子猫の戯言
(仮設)

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00/04/20
 友人のHPを見てちょっと思う。この日記の目的が「閲覧者を不愉快にする」事であることを考えると、実の所目的を達していないんではないか、という、当然かつ嫌で嫌で仕方が無い現実を見せ付けられることになる。結局のところ、いかな素人であれ容易に使える様設計された物で、 いかに努力した所で、たいした価値は生まれないのと違うだろうか?
 ………無価値が何だというのだ。もともと自分に価値が無い事など自覚していたではないか。価値が無い人間が作り出すモノなど、所詮それが如何なる努力の賜物であっても無駄である。才能と努力は係数である。係数のどちらかが一に達していなければ、如何なる努力も無駄に終わる。 無駄だ無駄だ、どうせ全ては無駄なのだ!!なにが「努力は報われる」だ。いかに努力した所で結局力及ばぬ所へはたどり着けぬのだ!!己の能力の及ぶ限り努力せよ?では、どうしようもないほど基礎能力に不自由する人間はどうすれば良いのだ?
 暗然とした気分になりながら床につく。そして、繰り返す。また、無駄な努力を……それが私の存在意義だから。無駄だと判っていながら努力してしまう当たり、私はどうしようもない無能者である。
00/04/19
 昨日の晩、ちょっと考えられないようなミスをやりかける。即ち、「今日」、4/19に関する日記を書きかけたのである。未来に対する予言、それも作者が意図せずに予言した物がいかなる形で成就(もしくは大ハズレ)するか見たかった気もするが、 結局その文は消してしまった。消してしまってから後悔する。人間、全く同じ文章を作り上げる事は死ぬほどの努力を必要とする。(「猿がシェイクスピアをタイプする日」等と言う例は置いておいて、だ。)このごろ、タイプする事も面倒になりつつある私にとって、 ごく僅かであろうと文章を無駄にしてしまうなど…………。ああ、息をするのも面倒になってきた……。
 ああ、予言?完全に当たったよ。いつもどうりの退屈な一日で、変わったことは何も無かった………、てね。
00/04/18
 頼まれていた物(ゴミやガラクタと言う言葉の方が相応しいほど旧式化したパソコン部品)を郵便局から発送した帰り、その機械は其処に鎮座していた。有料粗大ゴミのシールで化粧されて。かつての憧れの機械、PC-9821 Ap3/U2だった。
 どうせ捨てる物ならば譲ってもらおう、そう考え交渉してみるが無しのつぶて。まあ、担当の方の「市役所に連絡してしまったから」という理由は、納得できない訳ではないのだが。かくして、哀れなつかしの機体は粗大ゴミ回収車にドナドナされて行ったのであった。南無〜。
00/04/17
 月曜日、今日は月曜日。陰鬱な一週間が始まり、週末までの短い絶望と悪夢の繰り返しの第一日目。この気だるさ、この倦怠感、慣れる事が可能なのであろうが決して慣れたりしたくない。どうあがいても不愉快な日常でも何時かはきっと出口も見つかるであろうと、無駄な慰めを心の中に抱きつつ寝床に向かう。 そう、一日は始まったのだ。それも私が寝床で安らぐよりも先に。
 己の愚かさと、時間の流れの速さを呪いつつ寝床へと急ぐ。これでは明日遅刻する事はまぬかれないであろう。
00/04/16
 久々の日曜日。妹が我が家唯一のPSで「テイルズ・オブ・うんたらかんたら」をやっていたので妹を強制排除、電源を入れっぱなしで「ジオンの系譜」とDiskを交換してみる。ところでこの「テイルズ・オブ・うんたらかんたら」、 マップ上でキャラクターに入力しない状態で長時間ほうって置くと勝手に会話するという、いささかはた迷惑な機能がついているのだが……。何が起こるかとそのままの状態で放置していると、 突然キシリア殿下の声で叫び出すヒロイン。何故ガトーの声で叫ばないのだ。何故あの名台詞を叫ば無いのだ!
 衝撃のあまり、狂った様に笑い出す妹。いまだにあの光景は鮮烈に焼き付いている。二頭身のキャラクターがジオンの云々と叫んでも説得力絶無の筈なのだが、それはそれでまた別の説得力があった。すなわち、俗に社会で「精神の安定性に不自由である」と言われている人々の言動その物なのである。 考えても見たまえ君、世界の滅亡を前にして、全世界を背負うて戦う事がいかなる重圧であるかを!!
 ……本来意図されていない場所で用意された笑いと言う物は,かくも性質の悪い物である。考えてみれば、日常生活の些細な失敗、特に他人のおおまじめな失敗が非常に滑稽なのは、ここら辺に理由があるのかもしれない。では、日がな一日笑われている私は、 一日中まじめに生きているのだろうか?謎である。
00/04/15
 久しぶりにTRPGのマスターをやる。実のところ、とんでもないポカミスをやるんじゃないかと心配で心配で仕方が無かったので、それなりの準備と言う物を行っておいた………のだが、戦闘のバランスが甘くなりすぎる。完全にデータを作っておかなかったゆえのミスとは言え、 やはり腕が落ちているのは間違いが無く、プレイヤーが退屈していないとしてもやはり悔しい。
 リプレイをあげながら恥ずかしさと気まずさに身悶えするあの日々が、また帰ってくる………。
00/04/14
 ああそうさ、サボったさ。悪かったな。憑かれてたんだよ、いろんな者に。等と絶対零度なギャグを一発。
 少々先輩に付き合わされ、定期券があるにも関わらず渋谷まで切符を買っていく事になる。寒い。ただでさえ寒い懐が更に寒くなる。しかし向こうには完全に悪意が無いことを考えると、もはや怒る気すら起きない。ああ、けだるい。 と、私の前を人間の形をした黒い何かが横切っていく。非常に化粧品くさい。なんとも不愉快である。幾ら取り繕ったところで、物事の本質は決して変化し得ない。幾ら外見を取り繕ってみても、 何か根本的な部分で勘違いを犯しているであろう事は、抗えない真実であり真理である。要約すれば、人種とは遺伝による物であり幾ら後天的に努力した所で手に入らないと言う事を理解できていない、只それだけの事なのだが。 そして、まるで京劇のような不思議な隈取り。これで不思議な踊りでも踊られた日にはMPを根こそぎ持って行かれそうなほど凄まじい格好である。気の弱い幼稚園児など、微笑みかけられただけで精神的外傷に終生苦しめられる事であろう。クトゥルーより性質が悪い。
 まあ、直接視線を向けると只でさえ脆弱性の高い視神経及び精神致命的悪影響を受けそうなので、わき目で観察する。その人間で無い生き物は、カバンの中に手を突っ込んでモシャモシャやると携帯電話を取り出した!! なんと言う事だ!!どう考えてもキャベツの方が知性的に見える彼らに携帯電話を使う知性があるとは!!自慢ではないが、私は自分のPHSの全機能を理解するのに半年かかった(説明書を読まないのだから当たり前)と言うのに。
 ふと、思う。私もまた彼女らと同類なのではないかと。己が何かを考えていると言う、甘い幻想に浸る為に、周囲から取り入れた思想を垂れ流し自分で考える事を捨ててしまっている類の人間と同じなのではないかと。しかし、すぐに否定する。この生理的嫌悪感、 これは私が自分で考え、自分で理由付けした物だ。無論取捨選択の結果でもあるはずだ。少なくとも、私の姿は彼女達ほどの生理的嫌悪感を撒き散らしはしないだろう。最も、好感を持つ人間がいるとも思えないが。
 御託はこれで終わりにして、本音を一言。「ガングロのスベタの売笑婦どもおねぃさま方って、どう考えても人間じゃ無いよね?

サボリ、一時中断。体調不良だったんだよ!!

00/04/07
 いとけだるき事この上なし。いっそのこととっとと寝てしまおう。
00/04/06
 バイトの帰り道。最近見つけた、秋葉原へと続く道を歩く。そして歩道橋、件の私の大好きな景色のある場所に差し掛かる。通りかかって見ると、不思議な違和感を覚える。何も変わっていない、ペンキを塗り換えた気配も、誰かが綺麗に掃除して周った気配も無い。 何故だろう、そう思って歩道橋の階段を上る。
 その時ようやく気付く、桜が満開なのだ。灰色のコンクリートの箱に囲まれ薄汚い空気に痛めつけられながらも、あたりの空間の気配その物を変えてしまうほど強い存在感を放つその存在感。 しかし、その桜も、一週間と持たずに全て散ってしまう。そして、その桃色の花びらに占拠されている空間は、みずみずしい色の若葉に蹂躙される。
 春が来た。
00/04/05
 とにもかくにも、新入生歓迎会が終わる。疲れきった体を引き釣りながら家路につく帰り道。何も起こる訳が無いのだ、なのに何かに期待している自分。
 無論のこと、何も起こるわけが無いし起こっても困る。だのに、家に着いたときには何故か重い失望感が体を覆う。かなう訳が無いのだ、世界の破滅などと言う大それた願いが。
00/04/04
 敢えて言おう、滓であると……じゃなかった。私は自分以外の精神的なゆとりに欠ける人間、精神の安定性に欠ける人間が大嫌いである。自分が何時狂うかという深刻な恐怖心を抱いている人間が、何ゆえその一線を踏み越えて楽になった人間の尻拭いをせねばならない? そして、例え一時的にしろ人間から多くの自制心を奪い取るアルコール、これも大嫌いである。とくに、浴びるほど飲んで自らの理性を削りとって居る事を自慢する輩は大嫌いである。
 私は、勧誘員として既知外のようにふるまいはするが、機知外ではありません、あしからず。同類だと思われても困るし、普段はあそこまで乗りは良くありません。説得力絶無。
00/04/03
 さて、新入生諸君は永い春休みを如何お過ごしに成られましたか?長くいささか退屈に思われた春休みもこれで終わりです。大学生生活に不安を抱いていらっしゃる部分もあるのではないでしょうか?
 大丈夫。特に心配する必要はありません。多くの先人が通ってきた道なのですから。
 新入生諸君の洋々たる前途を祝して、偉大なる先人の言葉を景気付けとしておくらさせて頂きたいと思います。

 これは愚劣なる地球市民に放たれた裁きの鉄槌である。
 神の放ったメギドの火に、必ずや彼らは屈するであろう!!

Sieg Zion!! Sieg Zion!! Sieg Zion!!

 以上、ジオン公国初代総統、ギレン・ザビ閣下の、第一次ブリティッシュ作戦前に行われた演説の一部です。新入生諸君も、「邪魔する物は薙ぎ倒す」くらいの覚悟で頑張って下さい。御傾聴ありがとう御座いました。
00/04/02
 どうした自体か、とある人物のまねをする事に成る。私などには不釣合いなほど立派な独裁者の真似である。正直言って自信が無い。自信は無いがやらねば成らないのである。そして、私の演目のおかげで新入生は深刻な不安を覚える事であろう。 自分の前途と大学等に来てしまった自分の判断に。そう、君達の前途にあるのは大きな希望などでは断じて無い。さあ、入学おめでとう。
00/04/01
 ついつい手加減をしくじって、一人殺ってしまいました。周囲に迷惑を掛けたくないので永い旅に出ます。探しても絶対無駄なので探さないで下さい。灰色子猫を今まで見てやってくださいまして、まことにありがとう御座いました。 …………な〜んちて。
00/03/31
 会社でいいつけられた物を買いこんだ帰り、と言うか所持金が支払いにたるぎりぎりの金額しかなかった故なのだが、秋葉原から歩いて日本橋に戻る事を思い立つ。実のところ途中で第一勧銀を見つけてお金を下ろし、電車で会社まで帰るつもりだった。 しかし国鉄神田駅の下のボロい上にこ汚い高架の下で、駅を挟んで向こう側に遥か遠くで第一勧銀の看板が霞んで見えたとき、もはや電車に乗る事の利点が失われたと知る。何せ、その道を直進するだけで三越前、いつも通勤に使っている駅にたどり着けるのだ。 実際歩いてみても、あまり時間をかけずに会社まで帰りつける。
 仕事の帰り道、その道よりも一本太い道(私は道路の名前にあまり詳しくない。幹線であることは間違い無いのだが……)に沿って歩いてみた。見なれぬ光景、しかし、何処と無く落ち着く光景。不思議な概視観を覚えるのは何故であろう?
 一本の歩道橋の上を歩いていて気付く。見た事があるのだ、ただし、小説の中で。錆びた鉄骨、穢れた大気、そして人気が感じられないのに人のいる町並み。もう一度、カメラを忘れずにもう一度来よう。この景色が無くなる前に。
00/03/30
 突然某友人に、某魔王宅に呼び出される。とある物を貸して欲しいから持ってきて欲しいとの事。持っていってやったついでに、心の深い所に有る復讐リストの下の方に彼の名前もノミネート。つー訳で楽しみに待ってて下さい、 縄文寺猟先生。
00/03/29
 今日も、空は晴れ渡っている。いささか行きすぎたほどに青いその空は、明るすぎる照明を太陽から投げ下ろす。ここまで眩しいとろくに目を空けて歩く事が出来ない。結果、通行人との不幸な接触事故を起こす羽目に成る。顔に貼りつかせたよそ行きの笑顔で謝りつつ、 心の中ではどす黒い物を押さえ込む。てめえら、ちゃんと道見えてんだろうが。避けろよ、ボケ。押さえつければ押さえつけるほど、黒い物は動こうと暴れ出す。ここまで晴れていると爽快感など感じない。行き過ぎた晴天は、ただただ私の不快感を煽るばかリである。 今朝の天気予報も、雨。しかし電車に乗ってから気付く、傘をもってくるのを忘れてしまった事に。とたんに、何もかもどうでも良くなる。まあ、ひょっとしたら雨は降らないかもしれない。なにしろ、空はこんなに晴れているのだから。
 しかし、昼飯を買いに行ったときも燦然と輝いていた太陽は、夕刻に近づくに従って雲の薄絹に身を隠して行った。そして、雨。なんともやり切れない気分で、秋葉原の千石電商の三百円ビニール傘を購入する。無駄な出費だ。 そして、その気持ちはやがて確信に変わる。何故なら、雨は本降りに成らずにあがってしまったからである。何処にぶつければ良いのかも判らない、理不尽な怒りが内心を支配する。
 帰りの電車の中の混雑。傍若無人に振舞う腐れチーマー崩れ。何処からか漂ってくる、体臭を消す為の薬品と大衆が混ざった匂い。何もかもが気に触る。地下鉄のトンネルの中で燃料気化爆弾でも炸裂させたら、どれほど爽快な気分が楽しめるであろうか。
00/03/28
 今日は本当に良い天気だった。ちょうど良い青空、許容範囲の青空と日光。なんとも気持ちの良い日であり、どう考えても傘など不要に思える。天気予報は夜半から激しく雨が降ると不吉な予言を繰り返す。だからどうしたと言うのだ、 雨が幾ら降り注ごうとからっかぜが吹きすさぶ晩よりは遥かにマシであろう。大体、私は雨が好きなのだ、傘など差す必要は無い。そう思い、傘を意図的に家において出る。たかが天気予報、どうせ当たるまいとたかを括っていたのだった。
 そんな私をまるであざ笑うかのように、雨は土砂降りだった。
00/03/27
 何やら気の抜けた朝。寒い朝だと、冷たい牛乳を飲む気力も中々起きない。こんな事ではいかん、そう一念発起しコップ三杯約500mlを一気のみ。無論の事夏場ならばこの程度は何の事は無いし、今回も何の問題も無い筈であった。実際最初のうちは何の問題もなく、普通に出社。 しかし、バイト先についた後その異変は起こった、って言うより胃のほうが耐えられなかったらしく、猛烈な苦痛で会社内の床を文字通り転げまわる。おりしも、会社の上司の一人(バイトだからみんな上司だ!!わーいわーい。)が体調不良で途中退社していた。 社員の人は取り敢えず心配してくれ、多くの人が「家に帰ったら?」とのたまう。が、立つのがやっとの人間は家に帰れそうになく、会社に居ながらして午前半休を宣言。泣きたいほど喜劇的な状況が発生する。何の為に出社してるんだか……。牛乳だって、目を覚ます為に飲んだのだ。
 結局のところ、胃袋が耐えられるキャパシティー以上の物を押し付けた私の行為が、激しい胃痛と胃痛の薬と言う出費、それに午前半休という喜劇的悲劇を呼んだわけだ。人間、分を弁えない行動は厳に慎むべきだ。その「分を弁えない」が社会的な物であっても日常的な物であっても、 その責任が自分に帰属する物である事は間違い無いし、分を弁えていれば「無能ゆえ」人に迷惑を掛ける心配もだいぶ減る。さあ、みんなも慎ましやかに生きよう。特に其処のボンクラ首相殿。
00/03/26
 今日は給料日の翌日。
 恐ろしいまでに軽かった財布の中身が常態に復する。人間としてこんなにうれしい事があるであろうか?ある。それもいっぱい。大体において発想が貧困である。貨幣など、こと日本においてはただでさえ信用が無い政府が発行した紙幣が中心であり、 その貨幣の価値もまた、無いも同然の政府が無ければ価値を失ってしまう数字の書いた紙切れである。
 どうして、こんな物の為に働かなければならんのか良く判らん、と言う人間はいまい。貨幣経済とは、払った貨幣(より正確に言えば労働の対価として支払われた貨幣)に対してサービスや品物が提供されることが原則である。………おや?働かないで金をもらえる人間もいる? ああ、本当だ。政治屋って働いてる様に見えないよなぁ。ああ、私も政治家になりたい。マヌケで無能な上に品性に掛けた人間でも、問題無くできる職業だから。本来は違う筈でも、現実はそうだから良いのだ。


HP更新の為、一時中断。

00/03/19
 また、「日本の刀剣」展に行く羽目になる。
 大学の部活の先輩に自慢したところ(まあ、ほんの出来心だ)その先輩達に異常なまで素直ににうらやましがられてしまったため、案内せざるを得なくなったわけである。これだから善人は始末に追えない。完全な自業自得、しかも自己完結した自業自得である。
 まあ、何度見ても飽きるような代物ではないので、別に構わないと思い快諾する。展覧会展示物が代わる事はありえないし、特別な催し物が行われるでもない。それでも銀の刃は不思議な感情を呼び起こす。興奮と冷静さの入り混じったような不可思議な情動。 手に入れる事はあたわず、例えその望みがかなったとしても、手に入れるのに掛けた時間に倍する手を掛けねばすぐにも曇ってしまう美しさ。
 ふと気が付く。この世の中の物全てがそうなのではなかろうか?唯一の例外足る様に見える自然とて、時間の猛威に晒され絶え間無く破壊されながらも再生を繰り返し、ようやく姿を保ち得るのだ。代わりが幾らでもいるように見えながら、限度を超してしまえば非常に脆い。
 人間社会で例えるのならば、こうであろう。人間社会で一人の人間が死んでも、代わりの部品ががすぐにそこに嵌まり何の問題も無く社会は動いていく物である。しかし、その構成要素の半分が一斉に死のあぎとに捕らえられた時、正常に活動を維持し得るのは軍隊組織ぐらいのものである。 その軍隊であろうとも、五割の兵員喪失はこう分類される。「全滅」と。
 だが、社会に何の貢献もしていない部品が失われたところで、人々は何も気にしないであろう。無論社会にも影響は出ない。私が死んだとき、やはり社会は何の問題も無く動いていくのだろう、盛大な軋み声を上げながら。