お別れ・・・

 ぼくの名前はシーザー。血統書にのってるちゃんとした名前は “CAESAR OF RED HERO” です。 オスのゴールデン・レトリーバーです。

いまぼくは虹の橋にいます。 そばには弟のアレックスがいます。

いつものようにママのひざを枕にして眠っていると、急にあたりが明るくなって、遠くから「シー兄ちゃん」とアレックスが呼ぶ声がきこえるのです。 アレックスとはずいぶん会っていないので不思議な気持ちで、まわりを見まわすと、ぼくは緑の草原にいるのです。 でも声がするだけで、アレックスの姿はみえません。

ぽかぽかと暖かい日ざし。 遠くの丘までつづく草原。 鳥のさえずり。 せせらぎの音。 さっきまで、パパとママの部屋で眠っていたはずなのに、なぜ僕はこんなところにいるのだろうと不思議に思いました。
もっと不思議なのは、パパやママにささえられてもぜんぜん立てなかったのに、ぼくはしっかりと立っているのです。 ためしに歩いてみると、すいすい歩けます。 まさかと思いながら走ってみると、景色がどんどん後ろにとんでいきます。

ぼくはもう嬉しくて、夢中になってそこらじゅうを走りまわります。 しばらくしてふと我にかえって、あたりを見まわすと、明るい光の先にながい階段が空にむかってのびているではありませんか。 どうやらアレックスの声はその階段のずっと先の空のうえから聞こえてくるのです。

アレックスの声にさそわれて、ぼくは階段をのぼりはじめました。
さいしょの踊り場から下を見おろすと、さっきまでぼくがいた部屋で、ママがぼくをやさしく撫でながら泣いています。 下の居間では弟のビンゴやジュンやプーがケージの中で騒いでいます。 末っ娘のパティもケージから出たがっています。
“にいに” と “ねえね” はどこだろうと思いをめぐらすと、渋谷のオフィスの “にいに” も、シンガポールで働いている “ねえね” の姿も手にとるように見えるのです。

電話が鳴って、ママが 「10時50分に逝きました」 と応えています。 こんなに遠くにいるのに、「そうか…。 あいつよくがんばったね」 というパパの声がきこえてきます。
「あっ! そうか! ぼく死んだんだ。 それでママは泣いてるんだ」 と、ぼくはようやく気づきました。

そう気づくと、ぼくはアレックスの声がする方にむかってどんどん階段をのぼっていきました。
しばらくすると、七色に輝く橋が見えてきました。 その橋のたもとのひろい草原では、ありとあらゆる動物たちが楽しそうに遊んでいます。
すると、アレックスが 「シー兄ちゃ〜ん!」 と大声でさけびながら、目をかがやかせて一目散にかけてくるではありませんか! ふさふさの尻尾をうちふりながら! 「ん? ふさふさ?」 ビンゴにかじられてみすぼらしかった尻尾がふさふさにもどっています。
ぼくは嬉しくなって、アレックスにとびつきました。 アレックスはすぐに昔のようにぼくにマウントしようとしますが、もうそうはいきません。 しばらくガウガウごっこを楽しんだあとで、ぼくはアレックスに馬乗りになって兄の威厳をとりもどしました。

虹の橋からは地上の景色がすぐそこに見えます。
だからアレックスは、ぼくが去年の秋に痙攣の発作を起こしたこと、 寝たきりになったぼくをママが大切に看病してくれたこと、パパがぼくを抱いて階段をおりるときに腰をいためたこと、“にいに” が東松山からしょっちゅうお見舞いにきてくれたこと、“ねえね” はシンガポールから出張で帰ってくるたびに長い時間そばについていてくれたこと、パパとママがカートにのせて多摩川に花見につれていってくれたこと・・・、みんなみんな知っていました。

ぼくもいま、パパとママが早足で散歩して減量に挑戦していることも、それにいやいやビンゴ・ジュン・プー・パティがつきあっていることも、“にいに” がまたぞろ新しい車をほしがっていることも、“ねえね” のシンガポールのアパートが身の程知らずに豪華なことも、なにからなにまで手にとるように見ることができます。 そして、ときどき神様の目をぬすんでは、アレックスとふたりで地上にでかけて、パパのくれるパンをジュンからとりあげたり、ママの散歩の後押しをしたり、サーフィンをする “にいに” の横で泳いだり、“ねえね” の上におおいかぶさって寝たり・・・、家族みんなのそばにいることもできるのです。


ところで話は、ずいぶん昔にさかのぼりますが、ぼくがパパとママにはじめてあったのは、いまから15年前の秋のことです。 ブリーダーさんの家で生まれたばかりのぼくが這い這いする姿を嬉しそうに見るやさしいまなざしを、きのうのことのように思いだします。

この14年間いろいろなことがありました。
5人目の家族としてみんなから可愛がられて幸せの絶頂にあったときに、とつぜんアレックスがやってきました。
「どうして? ぼくだけじゃだめなの?」
ぼくは、とても悲しくて辛くて、なにも食べられなくなってしまいました。 でも、アレックスは、やんちゃで人なつこくて、すぐにぼくはアレックスとなかよくなりました。 一緒にドッグスクールにもかよいました。
ふたりの得意技は、ボール遊びと水泳。 飽きっぽいアレックスが草むらにおきっぱなしにしたボールを回収するのはいつもぼくの役目。
夏の暑い日に多摩川で泳ぐのは最高! パパとママはいやがるけど冬の川遊びも楽しい思い出です。 浜名湖ではパパが沖に投げるボールの回収ごっこ。 塩水を飲みすぎて下痢ピーになりました。
でも、ボール遊びと水遊びの両方がどうじに楽しめる尾白川渓谷が一番! 毎年夏の清里旅行はいつまでもわすれません。

なんといっても、ぼくの自慢は、真冬の東京湾での水泳。
まして、フェリーボートから舷側を跳びこして海に飛びこんだとなると、世界広しといえども、そんな経験をした犬はぼくしかいないと思います。 もしいたらお目にかかりたいものです。
ママが、トイ・マンチェスター・テリアという犬種のちび犬を欲しがったことからそれは起こりました。 だからといってぼくはママを責めるつもりはありません。

トイ・マンチェスター・テリアの子犬(ビンゴ)をブリーダーさんから引きとっての帰り道。 木更津からのフェリーの上でそれは起こりました。 当時、アジリティのレッスンにかよっていたぼくは、ハードルをうまく跳びこえたときのパパの嬉しそうな笑顔をみるのが大好きでした。
フェリーにのると、ちょうど手ごろな手すりがあるではありませんか。
「よぉっし。これを跳んで、パパを喜ばしてやろう」 と思ったのが大間違い。
勇んで踏みきった瞬間、ぼくは間違いに気づきました。
跳びこえた先はなんと海! しかも水面まで5メートルはあろうかという大ジャンプ。 ドッボォ〜ン!
浮き上がってみると、パパとママをのせた船はどんどん遠ざかっていきます。 急いで追いかけましたが、ぼくの犬かきでは、追いつくはずもありません。
頭のよさでは自他ともにみとめるぼくのこと。 瞬間的に 「これはもと来た港にもどるべきだ」 と判断。 木更津にむかって泳ぎはじめました。
その頃パパは焦りに焦り、船長さんに船をとめてくれるように懇願。 でも返ってきたのは 「No!」 という返事。 むなしく車にもどってママにことの顛末を報告。 それを聞いたママは半狂乱。 ふたりでアッパーデッキに立って遠ざかるぼくを空しく見つめるばかり。
そのとき奇跡が! なんとフェリーが回頭したではありませんか!
フェリーの船長さんがあたりの船に無線で呼びかけてくれたおかげで、ぼくのそばには釣船が救助にきてくれました。 遠くに停泊したフェリーからは、パパが別の釣船に乗りうつってぼくのそばに・・・。
結局ぼくは1時間ほど寒中水泳を楽しんだあとで、釣船に助けあげられ、パパと一緒に川アまでの釣船の旅を楽しみました。 もちろん、ブルブルブルと塩水をパパにふりかけたことはいうまでもありません。

というような事件もあり、節操のないパパとママのおかげで、次から次へとウザったい弟犬や妹犬が家族に加わりましたが、それはそれで群れの楽しさを知ることにつながり、リーダーとしての才能に満ちあふれていることをみんなにわからせることもでき、思ったほど悪いものではありませんでした。

心ひそかに想っていたラッキーが、こともあろうにアレックスと結婚した話とか、まだまだ思い出話はつきませんが、つもる話はアレックスとゆっくり楽しむことにします。

僕の一生がどうだったかって? それは将来パパとママに虹の橋で再会したときにお話しします。
でも、ぼくもアレックスも 「待て」 は得意なので、パパとママはいつまでもずっとずっと、ビンゴやジュンやプーやパーを可愛がってあげてください。
それでは、パパ、ママ、にいに、ねえね。 “So long!”