新しく書き直している途中です。そぐわない表現が多々ある気がして―。いつの日にか!

「はじめて」のモーニング娘。サイト

 現在における“ファン活動”には、以前では有り得なかったような大変な幅広さを認めることが出来ます。それは時代の革新に大きく結びついていますが、その一つとして言説が容易に共有されるという点が挙げられます。「現場系」や「在宅系」といった恣意的な判断基準を抜きにして、初心者な方でもモーニング娘。を楽しむ上でのツールの一つであるインターネット上で迷うことの無いように気が付いた点などをまとめました。至らないこともありますが参考にして頂ければ幸いです。

平謝り 2005.09.24

 あれだろ?閉鎖するんだろ早くしてしまえ的な視線を痛く浴びまして穴があったら地球の裏側へ抜け出したい気分ではございますけれども、重い腰をやっとこさ持ち上げまして、頭が空っぽになりそうな作業に一日のいくらかをつぎ込んでおります。ココではお載せしませんけれども、分かる人には分かる場所に絡むものではあります。乞うご期待(この期に及んで誰も期待してねえよ、と思う)。

 こう書いておけば自分の逃げ場がなくなる、とそういう次第。あれから3年が経とうとしています。

連休の宿題 2005.05.06

 この状況下で暇潰しと言っては何なのですが、以前調べていた娘。サイト更新状況の資料の一部を見付けたので、少しお遊びをしてみました。2002年から03年にかけての更新の割合の平均をとってみました

 これによれば、ファンサイトでは週末に更新が集まり木曜日前後に谷間となる傾向を、対してテキストサイト(日記サイト)にあっては平日により更新されている傾向を、それぞれ読み取ることもできるのではないかと思います。これらは非常に興味深いことであり、持てる力を集約して(いないことも多く見かけるが)更新しているであろうファンサイトでは時間のある週末に、日常と密接な関わりを持つテキサイでは会社学校娯楽以外の空いた時間を使って書き連ねられていく、というそれぞれのライフスタイル的な部分の発現がここにあるのではと推測することも不可能ではないと思われます。テキサイでは1月7日前後の冬休み明けに更新が集中したために歪な形になってしまってはいますが、それもまた一環であるとして受け取ったとしても不都合はなさそうです。



 とか何とか理屈をこね回してみたものの、数年前の出来事だったりとか、検算してみると結局は誤差の範囲内として片付けられなくもないとか、そういった訳であくまで参考に。お遊びです。

恥 2005.02.09

 何と情けない!いまだこの広大なるWorld Wide Webの片隅で今まさに息絶えようとしているこのサイトを今尚ご覧になっているという大変奇特な方々(失礼!)を見捨て、書き直しているとほざきながらも全くそんな作業さえ進まないどころか愛しのパソコン殿がお亡くなりになってしまったが故にこれ幸いとこれまで人生の無駄を多少なりとも費やしてしまったかもしれない(!)数年間を取り戻すべく全うなる人生を送ってしまったこの不覚をお詫び申し上げます。遺憾の意を表しつつも書き溜めていた関連無関連諸々のメモ走り書きを羅列してお茶を濁させて頂こうかと思いましたが、何のことはなくただ単に自己満足ではあるまいかと気が付きましてもうしばらく煮詰めてみようかと存じておる次第でアリマス。これからは年一回更新でいきます、なんて生存報告をそんなこと別のところでやれよみたいな雰囲気で今日も強かに否流されつつ生きているところでございます。兎に角そのうち何かやりますごめんなさい!

 追記:何とまあ全く更新していなかったのにも拘らずほぼモーニング娘。のアンテナに加えて下さっていたとは身に余る光栄、感涙の余りすき焼きしゃぶしゃぶ何でもござれとばかりに明日のランチを奮発させて頂くことに一人決めましたありがとう(●´ー`●)

半可通 2004.02.15

 娘。サイトとは社会構造の模倣と理解することが出来る。管理人と副管理人という役割を演ずることそれさえもその一部だ。現代社会には「役割を演じさせる制度」というものは数多く存在するが、社会と名のつく集団においてはそれは切っても切れない縁であり、娘。サイトもまた例外ではないようである。

 ◇

集団の参加基準に恣意性や非常識な点があっても、人間には集団にアイデンティティを感じ、メンバーに行為をいだく傾向があり、それは最少集団現象と呼ばれている。コイントスの結果で決められた色ラベル(青グループ)や、あるタイプの絵画に対する好みのために、自分の「集団」のメンバーを身びいきする。いずれも道理にかなったことにはみえないが、人はふだんからこのようなことをしている。人は、いったんある集団に割りあてられると、内集団のメンバーの中心特性が実際以上に自分と似ていて、外集団は実際以上に画一的で自分と似ていないと考えるようになる。*1

 自我を或る集団に置くのだと決心したとき、ファンサイトとしての自分やテキストサイトとしての自分が生まれると考えてみるとすれば、ファンサイトの外集団はテキストサイトであり、テキストサイトの外集団はファンサイトだ。そもそもファンサイトテキストサイトと述べること自体が集団的帰属を表すものである。少なくとも現在に於いて「〜サイト」と語ることは、形態を表すことよりも、帰属を表す言葉へと変化したと理解される。それはサイト群の構造化が急速に進んでしまったからであろうか。兎も角も既に娘。サイトは集団を維持する方向性が強化されているに他ならないと思えてくる。

 ファンサイトがテキストサイトへと雪崩れこむのもテキストサイトがファンサイトへと迎合するのも、一方では相対的な視点として見えるに過ぎない。ennbaiさんが述べられているように(*2)「ファンサイト化というのは、コミュニティに依存する部分が肥大してるとか、画像の乱発とかをさしているのでしょうか。そしてテキストサイト化というのは管理人さんの雑記が日記形式でトップに表示されたり、コラムを用意するサイトさんが拡大したことをさしている」とすれば、永きに渡って語りつづけられてきたこのテーマは、内側から語られる「侵食される」という恐怖感に怯えるそれに似たようなものなのかもしれない。

 今西錦司は自然学として“種社会”を主張した(*3)。曰く「認識可能な実在物であり、それ自身が主体性をもっている。種社会を構成しているそれぞれの種固体は、この種社会に対して帰属性をもち、つねに自分の属する種社会の維持存続に貢献している」(*4)という。そして、彼の考える三重構造である種個体・種社会・生物全体社会に対する、一般的な三重構造としての個体・個体群・群聚を批判し、「種社会が欠落しているために、種社会を構成要素として成り立つ生物全体社会もまた取り上げられていないのである。そもそも個体群という概念は、集団遺伝学あるいは実験生態学からの借りものであり、群聚というのは生態学からの借りものであって、こんなものをいくら並べてみたところで、その間に論理的なつながりのできてくるはずはない」(*5)とする。

 種社会について賛成するかしないかは別として、一つの考え方として大変に興味深い。こうも書いている。「その状態の中にあるのでなかったならばもはや個々の個体はその生存が保証されがたいというにおいては、同種の個体の集まりは単なる集まりではなくて共同生活なのである」(*6)と。さながらテキストサイトだ。

 ここで大胆に考えてみたい。もしかすると、テキストサイトは“種社会”的な思考構造を持つ社会であり、ファンサイトは“個体群”的な思考構造をもっているのではあるまいか。そして両者が交差しせめぎ合うがために、ファンサイト化であったりテキストサイト化であったりするような提起がなされるとは考えられないだろうか。つまり、学問的ではないモーヲタという世界に於いてもまた見事な学問的アプローチがなされている、と。村上隆が語る「海洋堂はただのオタクフィギュアアイティム創造集団と思われがちだが、どっこい、ジブリにも勝るとも劣らぬ『日本発見の旅』の行者である」(*7)というそれに近いかもしれない。

 「おのが民族の言葉を活字にして視る、という経験のなかったところにはナショナリズムはありえない」(*8)のだという。モーヲタがファンサイトテキストサイトというシステムを通じて活字を獲得できたのだとすれば、モーヲタにもナショナリズムが体現され、そのナショナリズムこそがこの話題に集約されるとも言える。ファンサイト化テキストサイト化という論理が持ち出される契機そのものが、どうやら認知的不協和(*9)としても説明できる可能性は高そうだ。

 「古き良き時代は過ぎ去ったのだ」と一言で片付ける事は簡単だ。しかし、それはあまりに安易な逃避でもある。究極的には、「ファンサイト―テキストサイト」の定義を導き出し比較化しようとする行為はつまり、彷徨いつづける自我の安住の地を求め続ける結果の「定義のための定義」に帰結しているのではないか。

 私はファンサイトに適していますか?
 私はテキストサイトに適していますか?

 暗にそう問い続けてはいないだろうか。(*10)



*1 パトリシア・ウォレス「インターネットの心理学」より120頁  「インターネット・ゲームにおける集団間競争」に関しての一節。インターネットに関して定番。
*2 http://d.hatena.ne.jp/ennbai/20031229#p1より  私信:これってあの日の話題を元にされている部分もあるのでしょうか。同席できなかったのが残念でならない。(そしてついでに)先日はどうも有難うございました!
*3 先に断っておくと、この方面にはかなり疎い。その上、半分眠りながらの斜め読みと来ればなおのこと危ない。趣旨を読み取る程度でお願いします。指摘もあればお願いします。
*4 「自然学の提唱」より 手っ取り早く手に入る中公クラシックス「生物の世界ほか」であれば266頁。
*5 「自然学の提唱」より267頁
*6 「生物の世界」より94頁
*7 「広告批評 02年9月号」より102頁 「オタク原理主義の出した答え」と題して
*8 マーシャル・マクルーハン「グーテンベルクの銀河系」より333頁  印刷の視覚的効力について述べられている。
*9 手触りは難解だが、gooから引くと「個人のもつ二つの情報の間に不一致が生じること。その際、不一致を低減する行動が起こる。例えば、愛煙家が喫煙は肺癌の原因になるという情報に接すると、それを否定するか禁煙するかによって不一致を低減しようとする類。」とある。日々実践しているといっても過言ではない。

*10 とまあ、こういった感じでwackyさんの他力本願日記(12/25)に乗じて最近考えていることなどを簡単にまとめてみようと思いました“が”、時間がないというかその方面へさける手間がなかなかなくって仕方がないので、カタチにならないうちに大した内容でもない下手文章を晒しあげておきます。文脈が繋がっていなかったり展開が無駄に早くてツッコミどころ多いですがご容赦。最終的にはやはりwackyさんの仰るように、ボーダーレスという一言に全てが表現されるような気がします。wackyさんへの反論ではないことも忘れず付け加え。

☆さあて、次はいつの日に更新できるのやら。どうも気の利いた警句を吐くことが第一義だと捉えられてしまっている感もままありますが、実際のところはそうではありませんからして、このようなへき地でありながらも見ていますよなんて声をかけて頂くその度ごとに大変に恐縮。しかしよく考えてみれば何をしたいのか自分でも良く分かっていないことに気付いて唖然としつつ、所謂在宅ヲタと呼ばれる身ではありますけれども床に頭をこすりつけんばかりにお礼を申し上げる次第であります!(●´ー`●)

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