Sakana かえる娘
梅雨だったので、カエルと雨ガッパかやはりと思って。

/// お話 ///
彼女は両生駆逐艦『半割(はんざき)』の杉浦ツル子艦長。
これは両生駆逐艦特有の日課である、「水撒き」してる図です。

なぜ艦長で水撒きか、ここで一つ説明しなければなりますまい。
両生駆逐艦はその性質上、浮上航行時は午後の水撒きは欠かせないものです。表面塗装は主にソナー除けのおまじないの効いたものを使用しているので、乾燥によるクラックを防ぐため潤いを保つことが必須です。
そしてその水撒きの作業は、慣例上、艦長が行う特権を持っています。
もちろん現代においては、艦長一人が鑑全体を一人で潤すには時間がかかりすぎ、艦長の他の職務に障ってしまいます。そこで、艦長が自ら行う義務はもともとないので、時代とともに水兵が分担してやるものと変わっていきました。
ですがそこはソレ、両生艦乗りの矜持が艦長をして自ら水撒き作業に参加させるわけで、他の河童級両生駆逐艦でもやはり同じように艦長が水撒きしているのです。

さてもちろん彼女のような若い、しかも女性が両生駆逐艦とはいえ艦長となるのは非常にまれなパターンです。
なぜこのような仕儀に相成ったかと言えば、いろいろ事情があってと言ってしまえばそれまで、多くは彼女の家柄とある不幸な出来事に端を発します。
もともとこの艦は彼女とは縁もユカリもない艦でした、彼女は駆逐艦「榎茸(えのきだけ)」の士官として勤務していました。
そのころあるとき、清水港に帰港していた日本海艦隊の戦艦「新潟」の艦長でありツル子の母親である杉浦奈々子が、寄港地での交通事故のためこの世を去りました。
ゆくゆくは杉浦家の長子女が艦長を歴任する「新潟」をツル子も次ぐ予定であり、時は戦時の要たる時期でもありましたので悲嘆にくれておるわけにもいかず、杉浦家では「新潟」艦長の今後について親族郎党一同に集めて会議をおこないました。 
ですがさすがにまだ、ツル子には戦艦を任せられるだけの力は無しという意見が多勢を占めました。しかし杉浦家は他に3隻の権利を持ちそれぞれに家の者が座乗していましたが融通すること難しく、やはり艦長職の家柄である宇津井家、風間家などに相談するもよい答えが得られず、かといって戦艦一隻を訓練に明け暮れさせているのもそろそろなんだなあという時期に達しようかとしていました。
ちょうどそこへ「半割」が、ガーランド島大攻略のおりの損傷で魚雷敷設艦「関門」に曳航され本国へ戻ることになり、やはり代々「半割」艦長の家柄である和泉家からそれなりの条件と交換で「半割」艦長職を年限つきで譲り受け、ツル子が艦長となったものです。

これからツル子はナカミチ島奪還のワ作戦で艦長として大西洋第一五艦隊所属の「半割」を指揮しますが、「新潟」艦長に適任であるかを問われる試験期間でもあります。

ところでこの両生駆逐艦「半割」、どんな艦かと申しますと。
基準排水量は1,547t、速力37.2ノット、艦本式タービン2基2軸7万馬力、主要な兵装は前部に設けられた62センチ魚雷発射管(次発装填機能付き)4門、15センチ砲4門、ほか30ミリ機銃20挺などがあります。
半潜行が可能で、半潜行時は空気抵抗が極端に低下するので時速43.4ノットで航行可能、しかも潜水甲板の掃除がらくちんです。
また舷側のアーマーのしっとりとした肌触りがなんともいえません。

戻絵目次