やまのうちの個人ページです。
(写真をいずれ貼ろう)
生まれは東京で、東京と横浜(とカリフォルニア)にしか住んだことがありません。
あちこち住みましたが、自分が育ったところという感覚で選ぶと、新玉川線池尻大橋と
東横線中目黒の中間で、目黒区東山というところです。ここは巨大な団地があって、
そこから小学校、中学、高校と通いました。いずれも徒歩でした。
小学校は1学年が6クラスで、なぜか東大への進学率が高く、同期で10人以上東大に
入ったと思います。中学は1学年8クラスでした。(私の前の年は9クラスあった。)
今からは考えられないですね。
高校はいわゆる受験校でしたが、自由な雰囲気の学校だったので好き勝手なことをやっていました。
この頃の仲間達は今でも大切な友達です。
大学は結局工学部に行き、最終的にはコンピュータを専攻してしまいました。その時代は
まだ大型コンピュータが中心でとても貴重だったのですが、いろいろなコネを使って
使わせてもらっていました。パンチカードでFORTRAN言語を中心にして使っていたように
覚えています。今の人はパンチカードとかパンチテープとかは見たことあるのかな?
当時の一番の想い出は、プログラミングのバイトを盛んにやって、学生としては結構なお金を
もらったことです。今でこそ学生起業家も珍しくないですし、プログラミングのバイトもそこらに
たくさん転がっていますが、当時はいわゆるソフトウェアハウスに雇われて、契約先の大企業の近くに
泊り込みでプログラミングをしたものでした。考えてみると、ネットワークが無かったのですね。
大学院に進学したのですが、なんとなく他の世界が見たくなってUSの大学に行きました。
結局パロアルトの町に6年ほど住みました。今でもパロアルトは老後住みたい所の1つです。
物価は恐ろしく高いですが、北カリフォルニアの気候が好きなのと知的刺激が今でも
とても多いのが好きです。ぜいたくを言うようですが南カリフォルニアは住むにはすこし
のんびりしすぎているように思うのです。
この大学ではワークステーションやインターネット、LANベースの分散型システムなどを
実環境で使っているところを間近に見て(1980年ごろです)、その意味で(専門の研究だけでなく)
勉強させてもらいました。
就職と同じに東京へ戻って、そのままUSに戻ることなく住んでいます。勤め先では
いろいろな研究の傍ら、インターネットやLAN、ワークステーションをベースにした研究環境を
作ってきましたが、当初はずいぶん異端視されたものです。今ではすっかり当たり前に
なってしまいました。
むかしはずいぶんいろいろなことに手を出しました。
たとえば、アマチュア無線。子供の頃からラジオやオーディオを作ったりしていました。
結局2級まででやめてしまいましたが、USに居た時はExtra級を取り
KY6Rというコールサインで運用していました。日本に戻ってからはアパート住まいが
長かったのでやっていませんが、そろそろやりたければできるという環境になっています。
どういうわけか、アマチュア無線ではパケットやパソコンベースの話には興味無く、
HFでの交信ばかり興味があります。頭が古いのですね。
それから音楽。小さい頃からピアノを弾いていたので、一時はジャス、
特にオルガンに興味を持ちました。いまでも時々、C-3(B-3の教会モデル)を
いたずらすることがあります。練習は...
就職後の一時はダイビングに興味を持ち、あちこち旅行しました。タンク50本
ぐらいの時に結婚したので、それ以来やめています。(危ないといわれています)
最近はほとんど趣味に時間を使わなくなっていて、
週末は仕事か小学校サポートかに使っています。
これから足して行きます。