Trimdaleのモバイル的こころ
オフィスをそのまま持って歩けたら最高!(MS製品のことじゃないよ)
毎週大阪へ二泊三日の出張を3年間続けたことがあります。今から10年以上前の話になります。
往復六時間の新幹線とホテルでの一人の時間。最初は、新幹線では週刊誌を読んだり爆睡したりホテルでは
関西弁のテレビを何気なくつけて過ごしたりしていました。
しかし、この時間をどう過ごすかによって東京での仕事の遅れをカバーし深夜までのしょーもない残業、休日はひたすら寝て過ごす悪循環を断ち切ることができるんだと分かりました。
私は、人のスケジュールに文句をつけるだけしか出来なくなったプログラマー、SEのなれの果て。
プロジェクト管理といえば聞こえは良いのですが物創りをするだけの集中力を年とともに発揮できなくなってしまったなれの果てだったわけです。
それでも時代はバブルを登りつづける勢いでこんな人間にも忙しい仕事を廻してくれていました。
文豪Mini5Hは、素晴らしかった。
プリンター付きのラップトップパソコンが10万円そこそこで買える。ある雑誌にOSのCPMがそのまま使えるワープロがあることを知り即購入しました。5Kgはあったでしょうか。でも出張には欠かさずもって歩きました。新幹線は、どうしても1列目に座りたいため指定ではなく自由席、そこには3刀の特殊なコンセントがありそこに差し込む「新幹線どこでもテーブルタップ」などと言うものを自作し、電源をちょっぴり拝借して3時間。なぜかこの時間ものすごく集中できプログラムが書ける。(^^)
なんとこのワープロCPMが素で動くためWord Masterなるエディターが使え、さらにCIS-COBOLというCOBOLコンパイラが動いてしまうのでした。私は、この集中できる時間を使ってプログラムを書きさらにデバッグまでこなしていました。
PC雑誌から執筆依頼が
そんなに忙しいときばかりではありませんでしたから時には夕食後ホテルの一室で文豪ミニ5を有効に使うソフトを自作したりしました。出張先の大阪では毎週名刺が数枚は必ず増えていました。そうだこの機械で名刺データベースを作ろう。当時私はCPMで稼動するさまざまな言語をもっていました。しかしたまたま思い立ったときにCIS-COBOLしかなかったためワープロで動くCOBOLプログラム、しかも名刺管理ソフトを作ってしまいました。
それが面白いと言うことでPC雑誌に紹介され月刊誌への執筆活動が始まりましたが月に一度数ページを埋めることの大変さ出版社からの催促の電話、締め切りなどなどちょっぴり売れっ子作家の気分を味わわせていただいたわけです。
私はあまり使いませんでしたが北南昇氏による文豪ミニMS-DOS化も当時大変話題になりました。氏のおかげでMS-DOS OSの何たるかをじっくり学べて事、またメーカーの意図しない使い道を探ることの楽しさがのちのNECモバイル・ギアDOS化への好奇心につながりました。
ミニ5HからCarry Wordへ
文豪ミニ5も1年弱で進化しA4マガジンサイズのCarry Wordなどという洒落た機械が登場しました。発売日を待ちかね出張中の大阪日本橋で購入しました。88年5月のことでした。東芝の初代ダイナブックJ-3100SSの発売される1年前のことですがこの時すでに私にとって現在のノートパソコンとさして変わらない環境(と言っては言いすぎですが)を実現できていたのだと思います。エディターは動く、コンパイラーは走る、表計算はできるし、ワープロだし。(^^ゞ
三田寛子さんがコマーシャルしてましたねたしか。