ヒカ碁二次小説 《打ち上げ花火》

 ♪君がいた夏は遠い夢の中 空に消えてった打ち上げ花火

 オレは遠征先から戻る車の中でうとうとしながら
 カーラジオから聴こえてくる歌声に、懐かしい夏の一日を思い出していた。


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 「ヒカル〜早くぅ〜」

 佐為はこの日を心待ちにしていた。
 だからオレが学校から帰った後、麦茶を飲んだりして
 のんびりしているのを見て我慢できず、もどかし気に地団太を踏んだ。
 
 「早く行きましょうよ、ねぇ、ヒカルぅ」
 まったく、お茶ぐらい飲ませろよ、お前と違って暑いんだよ!オレは!
 と心の中で文句を言いながらもオレは重い腰を上げた。


 今日はうちから電車と徒歩で30分ほどの河原で花火大会が行われる日だ。
 河川敷には焼きとうもろこしやたこ焼きや金魚すくい、
 駄菓子屋の屋台などが並び、けっこうな人手となる。
 何日か前に届いたチラシを見て佐為が、オレに連れて行って欲しいとねだっていたのだ。
 
 
 道すがら佐為は眼を輝かせて言った。
 「花火大会なんて久しぶりです〜。そうですね〜ざっと140年ぶり・・・」
 軽い調子で大変なことを言ってのけるこの囲碁幽霊に半ば呆れながら
 それでも彼が喜ぶ顔を見るのはオレにとってもけっこう嬉しいことだった。

 オレはもう金魚すくいやヨーヨー釣りを楽しむような歳ではなくなっていた。
 わた飴やリンゴ飴、チョコバナナなんて甘すぎて食べたいと思わない。
 イカもあまり好きじゃないし。食べたいと思うのはたこ焼きくらいかな。
 でも高いんだよな。こういうとこのたこ焼きって。
 そのくせへたすりゃタコが入ってなかったりするし。ぼったくりだよな。 
 心の中でブツブツ言いながら・・・

 まあいいか。
 まだ日暮れまでには間があるし、
 屋台をぐるりと見て廻ってから花火を見にいけばちょうどいいだろう。
 それにしても・・・
 とオレは隣ではしゃぎまくっている囲碁幽霊をちらりと見て思った。

 (コイツ精神年齢いくつだよ?)
 
 佐為は半ば呆れ気味のオレに気付きもせず一人で盛り上がっていた。
 江戸に虎次郎と住んでいたころの花火や縁日の話を次から次へとまくし立てた。
 まぁ、140年ぶりだものな。無理もないか。
 オレは取り留めのない佐為の話をただフンフンと聞いてやっていた。

 
 そうこうしているうちにオレたちは屋台の灯りが見える場所までやってきていた。
 佐為は目を輝かせて歓声を上げた。
 
 「わあぁ〜、賑やかですねぇ〜」
 子供がいっぱい居ます〜と嬉しそうに言った。
 佐為はキョロキョロしながらオレに付いて歩いていたが、
 「あっ、ほら、子供が金魚すくいやってますよ」
 と子供達がずらりと取り囲む金魚すくいのプラ舟を覗き込んだ。

 「あ〜、だめですよ、そんなに深く水の中に入れちゃあ・・・」
 佐為ははらはらしながら子供の手元を見て言った。
 「ほら、あの子のように水面近くにいる金魚を狙うんです。
 そうしないとすぐに紙が破れてしまいますよ・・・」
 必死で助言するけれど聞こえる筈がない。
 言ってる側から先の子のポイの紙が破れた。
 「ほら〜、言わんこっちゃ無い」
 
 結局その子は金魚を一匹も獲れずに終わってしまった。
 ガッカリしている子を佐為は心配そうに見ていたが、
 金魚すくい屋のおじさんが袋に金魚を二匹入れて
 その子に持たせてやったのを見てホッと息を吐いた。

 「良かった・・・釣れなくてもちゃんと金魚は貰えるのですね・・・」
 「お前そんな事も知らなかったのか?お祭り初めてじゃないんだろ?」
 オレの問いかけに佐為はプーっと頬を膨らませた。
 「だって、140年ぶりですよ・・・そんなこと忘れていましたよ」


          


 都合のいいときだけ物忘れが激しくなるんだから・・・
 オレは呆れ顔で肩をすくめた。 
 そんなオレの思いなど知る由も無い、
 佐為はまた違うものに興味を持ったみたいでそっちの方へと飛んでいく。


 「ヒカルぅ〜」
 佐為の呼びかけにオレが顔を向けると、
 「ねえ、これなんですか?小さな丸いものがいっぱい水に浮かんでますけど・・・」
 佐為は首をかしげた。
 「虎次郎の時代にはこんなのは無かったですよ?」

 「ああ、これはスーパーボールだよ」
 「すうぱあぼおる?」
 さらに首をかしげる佐為にオレは思わずクスッと笑った。
 それから財布の中から小銭を出すと店の人に渡した。
 
 オレはお金と引き換えにポイを受け取ると
 中のスーパーボールをそれでヒョイっと器用に掬って見せた。
 佐為は目を丸くしながら言った。
 「ほぉ〜、金魚の代わりに小さいまりを掬うんですね・・・」

              

 大きいボールを2つと小さいボールを3つ掬ったところで紙が破れた。
 オレは掬ったボールを袋に入れてもらった。
 それから人ごみから少しはなれたところに行って
 スーパーボールを一つ袋から出すとポンッと地面に投げた。
 
 スーパーボールは佐為の目の前で勢い良く弾んだ。
 佐為はさっきよりもっと驚いて素っ頓狂な声をあげた。
 「わあぁぁ〜〜、すごい!どうしてこんなに弾むんです?
 中にアマガエルでも入っているのですか?」
 佐為の突拍子も無い発想にオレはげらげらと笑った。 
 「アマガエルだってこんなに大きく弾んだりしないだろ?」
 「・・・それもそうですね・・・フフフ・・・」
 佐為も笑って頭を掻いた。
 オレたちは腹を抱えて大笑いをした。

 
 それからいろんな食べ物や雑貨やおもちゃなどを売っている屋台をいくつか回った。
 佐為はそのたびに歓声を上げ手を叩いたりして大喜びだ。
 オレはつくづく佐為が人に見えなくてよかったと思った。恥ずかしいヤツだよまったく・・・。
 オレが呆れ顔で見ているのにも気付かず佐為ははしゃぎまくっていた。
 そう思いながらもオレは決して嫌な気分になってはいなかった。

 
 そのうちに佐為がふと気付いたように言った。
 「あ、そういえば・・・ヒカルどうして誰も誘わなかったんです?
 あかりちゃんでも誘ってあげればよかったのに・・・」
 オレは真っ赤になって抗議した。

 「バカ!女と一緒に花火なんか見に来れるかよ!」
 誰かに会ったりしたらどうするんだよ?」
 佐為は首をかしげた。
 「平安時代はヒカルの歳で普通に結婚したりしてましたけどねぇ・・・?」
 その言葉にオレはますます赤くなる。

 「12歳で結婚なんてありえねぇ!平安時代ってぶっ飛んでるよ!」
 プーッと頬を膨らませたオレが佐為のほうを見ると
 すでに何か他のものに心を奪われたようで眼を輝かせてそっちを見ていた。
 
 「どうしたんだよ?」
 オレは佐為の背中越しに覗き込んだ。
 それはわた飴の屋台だった。
 佐為は感動したようにじっとそれを見つめていた。
 
 「ヒカル〜、見てくださいよ〜。不思議です〜。
 四角いピンクの小さいツブツブをあの臼の真ん中に入れると
 綿のようなものが出てくるのですよっ」
 「わた飴だろ?別にめずらしくもなんともねえじゃん」

 「え〜っ、でもヒカルは気にならないのですか?
 あれがどういうしくみになっているのか」
 「だからだな、あれは粗目をあそこに入れると熱で溶けて飴になるんだよ。
 それを風で飛ばして・・・箸に巻きつけてるだけだろ?」
 「そうなんですか・・・」

 佐為は子供がフワフワしたわた飴を食べているのを見て指をくわえた。
 「わた飴・・・私も・・・食べてみたいなぁ・・・」
 それは無理な話だ。佐為は実体を持たない。
 碁石も持てなければ物だって食べられはしない。

 「・・・・・」

 オレはそんな佐為をしばらく見ていたが、やがてわた飴を一つ買った。
 そして佐為の顔の前に差し出す。
 「ほら、佐為、食えよ。あ〜ん・・・」
 佐為は目を丸くした。食べられるわけが無い。

 でもオレが案外真剣だということを悟った。
 佐為はにっこり微笑んで口をあけた。
 
 「あ〜ん・・・」

 それはもちろん、佐為の口には入らなかったけれど
 その甘さは彼の心に充分伝わった。

 「甘いです〜、ヒカル」

 「そ・・・そうか?わかるか?」
 「わかりますとも」

 「どれ・・・・」
 オレは一口食べて顔をしかめた。
 「甘い・・・」
 「でしょ?」

 佐為はフフフっと笑った。

 そばを通った人が何してるんだろう?とオレをジロジロ見た。
 それもそのはず、佐為はオレにしか見えない。
 まるで何も無い空間に向かってわた飴を差し出したり
 口をアーンとあけたり、ちょっとおかしいんじゃない?と思われても
 仕方が無いようなことをオレはしていたのだから。

 でもそのときはただ夢中だった。
 コイツを喜ばせたい。ただそれだけ。
 佐為と一緒に居ると何故かそんな気持ちになってしまう。
 佐為は笑った後少し切なげな目でポツリとつぶやいた。
 
 (ヒカルと一緒に本当にわた飴が食べられたらどんなに幸せなことでしょう)

 「バカ、何言ってんだよ!」
 オレは照れくさくてつい、そんな悪態をついてしまったけど
 今そのことを思い出すと涙が出そうになる。


 
            



 そのときだ。二人の耳にドーンと云う音が聞こえてきた。
 オレと佐為はハッとして空を見た。
 まだあまり暗くなっていない空に色の付いた煙が浮かんでいた。
 人を呼び込むための音だけの花火。

 「佐為、そろそろ行こうか。いい場所なくなっちゃうからさ」
 「はい、ヒカル。いよいよ花火ですね」
 佐為は嬉々としてそれに従った。
 
 河原の土手の一隅にシートを敷いて二人は座った。
 オレは、佐為の上に誰かが座ったりしないように
 アウトドア用のミニクッションをそこにおいて佐為の場所を確保した。
 佐為はヒカル、ありがとう、とつぶやきながらそこに座った。

 
 佐為と並んで座ったオレは黙って暗くなるのを待ちながら
 さっき佐為と話したことを考えていた。

 "どうして誰も誘わなかったのか"

 オレはワクワクしながら夕焼け空を見上げている平安幽霊をチラッと盗み見した。
 何故誰も誘わなかったのか・・・そんなの決まってる。
 オレ・・・オレは・・・

 誰にも邪魔されたくなかった。
 佐為と二人きりの静かな時間を。

 そりゃあ家でいつも一緒に居るから別にわざわざって気もしないでもない。
 でも家に佐為といるときはいつも碁を打ってる。
 碁を打つのは楽しいけど。佐為と打つのはことさら楽しいけど・・・。

 でも・・・
 こんな風にたまには碁から離れて二人で過ごす時間も欲しかった。
 だから佐為が花火を見にいきたいと言ったとき嬉しかった。
 
 佐為にとっては何よりも碁が一番。
 オレだってそうさ。
 だけどもっと大切なものもあるんだって感じ始めてる。
 それは・・・それは・・・


 そのとき、オレの視線に気付いて佐為が振り向いた。
 「どうしたのです?ヒカル」
 オレはハッと我に帰った。あわてて目をそらす。
 「なっ、なんでもないっ」
 佐為はなおも怪訝な顔でオレを見ていた。

 
 "ドーン"
 
 そんな二人の耳に打ち上げ花火の音が聞こえて来た。
 同時に空を見上げる。
 さっきまで夕焼けだった空はあっという間につるべを落としていった。
 
 紫紺に染まる空の彼方に赤や緑や黄色の大きな花が咲いた。
 ”ドーン”
 ”ドーン”
 ”パラパラパラパラ”
 少し遅れて音が響いた。

 「わあぁ〜、始まりましたね〜とっても綺麗です〜」
 佐為は目を輝かせて感激していた。
 そんな佐為を見てオレも思わず笑みがこぼれた。
 その顔が見たくてここへ連れて来たんだ。
 
 花火を見上げる佐為の横顔。
 薄闇の中花火から届く光に照らされて。
 幻想的でとても綺麗だ・・・
 夜空と佐為の黒紫の瞳の中で花火がいくつも浮かんでは消え
 消えては浮かび、そしてまた儚く消えてゆく。
 
 膝を抱えてオレはその二つの夜空を交互に見つめていた。
 そのときのオレにはまだわからなかった。
 オレたちはなぜ出会ったのか。
 なぜオレなのか。なぜ塔矢ではなくて、オレなのか。

 でも今はわかる。
 佐為がオレの元へ蘇ったわけが。
 オレの魂が佐為を呼んでいた。
 佐為の魂がオレを呼んでいた。
 二つの魂の共鳴。それが奇跡を生んだんだ。

 遥かなる時を越えてオレたちは出会った。
 オレの持つ何かと佐為の持つ何かが共鳴して奇跡は生まれた。
 あのときお前言ったよな。

 "あまねく神よ 感謝します"
 
 オレも今同じ言葉をつぶやく。
 
 ”あまねく神よ 感謝します。佐為に逢わせてくれて・・・感謝します”
 
 涙が・・・こぼれた。
 
 ”泣かないで、ヒカル・・・私は居ます。いつもあなたの側に”


 ○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○

  
 今、あのときと同じ時間、同じ場所にオレは居る。
 あのときと同じように隣にミニクッションを置いて。
 佐為はもうオレの目にも見えないけれど、佐為はいるんだ。
 オレは感じる。お前の息遣い。お前の気を。

 オレは今お前と一緒にこの花火を見つめてる。
 夜空に咲いてはかなく消える魂の叫びを余すところ無く見つめてる。
 いくつもの思いが重なって咲いたこの大輪の花たち。
 
 見ててくれ。
 オレもいつか咲かせてみせる。
 神の一手に届く大輪の打ち上げ花火を。

                              〜終わり〜