「佐為の日」
佐為人様
ヒカルはここのところひどく疲れていた。
風邪をひいて体調は最悪なのに、
対局やイベントの仕事が立て込んでいて、
休むこともままならない。
そんな体調だからだろうか、棋院からの帰り道
いつもは通り過ぎるケーキ屋の甘い香りにつられて、
つい足を止め、店の中へと誘われるように入って行った。
(そういえば今日は3月1日。佐為の日だな。)
以前、佐為に聞いたことがあった。
「佐為、お前誕生日いつなんだ?」
「え・・・誕生日?」
佐為は首をかしげて長い間考えていたが、
どうしても思い出せないようだった。
「ウーン・・・・思い出せませんねぇ・・・」
ヒカルはあきれた。
「なんだよ、お前、自分の誕生日も覚えてないのかよ」
「だって、千年ですよ、千年。
その間長いこと意識が朦朧としていたときもありましたもの・・・」
「居眠りしてたんだろ」
ヒカルはそう言って笑い飛ばした。
ヒカルはそれからしばらく考えて、言った。
「じゃあさ、オレがお前の誕生日決めてやるよ。
・・・そうだな・・・。佐為だから3月1日ってのはどう?」
佐為は苦笑しながら、
「なんだか適当な決め方ですねぇ」
ヒカルはプーッと頬を膨らませた。
「なんだよ、不満なのかよ」
佐為は首を横に振った。
「いいえ、不満じゃありませんよ。
春は好きな季節ですし。
冬の寒さが緩んで、次第に暖かくなって、
生き物が目覚め始める、とてもいい季節です。
ええ、気に入りました。私、その日を誕生日に決めます。」
佐為のその言葉にヒカルはニッコリ笑って頷いた。
それからは毎年3月1日には二人でお祝いをしようと約束した。
それなのに・・・・・
ヒカルはいまさらのように、
千年にも及ぶ長い孤独に耐えてきた佐為の
神の一手へのすさまじい執念を思い知らされた。
それをあきらめねばならないと知ったときの
無念や葛藤はいかばかりだっただろう。
ヒカルに対して嫉妬や恨みもあったろう。
それを思うと胸が痛む。
それだけに、佐為が千年もの間紡いできた
神の一手への思いを自分が次へと繋げていかねば、
という思いが強かった。
そんなことを考えながら、
店の中央でぼんやり立っていたヒカルは
客に押されてはっと我に帰った。
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ヒカルはイチゴのいっぱい乗った
生クリームたっぷりの特大のケーキを買って帰った。
行き先はもちろん平八さんちの蔵。
ヒカルは例の碁盤を持ち出し、
ケーキの乗ったテーブルの前に置いた。
「佐為、誕生日おめでとう。」
そうしてヒカルはケーキに立てた10本のろうそくに火をつけた。
一本が100年分だ。ヒカルはくすっと笑った。
ろうそくは蔵の中をほんのりと照らした。
幻想的な雰囲気の中にケーキの甘い香りが漂う。
ヒカルはイチゴと生クリームの混ざった甘い香りに
頭がくらくらした。
と、そのとき、どこからか風がつうと吹いて来て、
ろうそくの日を吹き消した。
蔵の中は闇に包まれた。
ふと気が付くとヒカルは色とりどりの草花が咲き乱れる暖かい空間に居た。
どこからか先ほどのケーキと似た甘い香りが漂ってきて、
その香りと共になつかしい声が聞こえた。
−ヒカル−
ヒカルがその声の方をあわてて振り向くと、
逢いたくてたまらなかった人がそこに立っていた。
「佐為っ!」
ヒカルはその胸に飛び込んだ。
「佐為っ!」
「ヒカル・・・」
佐為はヒカルの青ざめた頬を見つめ、震える肩を抱きしめた。
(・・・私が・・・ヒカルに背負わせてしまったもの・・・)
その重さを思うと心苦しくなる。
「佐為・・・」
ヒカルはやがて顔を上げ言った。
「佐為の日、おめでとう!」
そのときにはもういつもの明るいヒカルに戻っていた。
負っている荷の重さなど微塵も感じさせない。
「ありがとう、ヒカル」
佐為はヒカルを見つめて微笑んだ。
貴方はきっと、大丈夫ですね。
どんなに荷が重くても。きっと堪えてゆける。
あなたは神に選ばれし人。
私の千年の思いを、そしてあまねく碁打ち達の
あふれる思いを次の世代へと受け継いでゆく。
「行きなさい、塔矢と共に。
はるかなる、神の一手へと続く道を。」
ヒカルはこくんと力強く頷いた−
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「ヒカル、ヒカルっ!」
ヒカルは肩をぽんぽんと叩かれて目が覚めた。
「・・・あ・・・じいちゃん・・・」
碁盤にもたれたまま、いつの間にか眠ってしまったらしい。
「じいちゃんじゃないぞ。風邪気味だって言ってたおったのに、
余計悪くなるぞ。」
祖父はヒカルの体調を気遣い怒ったように言った。
ヒカルはウーンと背伸びをして
「大丈夫だよ、じいちゃん。風邪はもう治った。」
「そうか?」
祖父は軽く返事をした後、
「それにしても・・・・」
と、テーブルの上の特大のケーキを見て言った。
「このケーキ、いったいどうするつもりなんじゃ?」
〜終わり〜