
第三回のテーマは「都会と田舎」です。「都会と田舎どちらが住み易いか」か らスタートしたいと思います。 田舎に小さな家でも建て住んでみたいという人達が増えています。自分で食べ る野菜くらいは自給自足し、晴れれば森を歩き、小川で魚をつり、山菜やキノ コをとり豊かな自然の中で悠々自適で暮らしたい。通信回線があればSOHO の仕事だってできる時代になりつつあります。 ただ段々高齢になった時、医療機関や買物にも不便な田舎暮らしが本当にでき るのかという不安があります。田舎の濃密なコミュイティはよそ者を受け入れ てくれるのか。また一介の旅行者としては良いところと思っても、住んでみる と風土、習慣などが違いすぎて、馴染めないとかいう心配もあります。 さて皆さんは「都会と田舎」どちらで、これからの人生を過ごしたいと思っ ておられますか。このMLにも地方の方がおられますが、地方の暮らし良さや 暮らし憎さについても議論してみたいと思います。
今月のテーマ「都会と田舎」ですが、都会と田舎の線引きはどこで決まるので しょう。例えば、鴨居は都会でしょうか。私にはどうも都会とも田舎とも思え ません。42年、父がここに分譲地を買ったので、ついてきた時は、赤土だら けで横浜線は単線でこんな田舎にはとても住めないと思っていました。が、住 めば都でなんとなく馴染んでしまいました。(因みに鴨居は緑区役所のある中 山の隣駅です)。一口に横浜といっても、ビルが林立する所もあれば、田圃も あるし、タヌキの出る所もあります。もし、田舎を故郷ととらえるなら、故郷 に勝るものはないでしょう。
金沢などに行くと、建物の洗練さといい、優雅な言葉使いのお年寄りなどに出 会うと、自分がひどく田舎者の感じがして、コンプレックスを抱きます。そう なると、いったい都会と田舎の定義は何をもって決めるのか分からなくなりま す。(徳田)
徳田さんの提起された、都会と田舎についての定義の件ですが、偶然にも、 オフのとき私の息子が「お父さんここは田舎なの都会なの」という質問を私に したのです。
私の答えは、「横浜は都会であり、ここは横浜の金沢区なので都会の中の郊外 :外れの方だよ」でした。(この答えで良かったのか悪かったのか。息子の 反応は「ふーん」でした。この質問の前提がありまして、いま住んでいる所は 栄区上郷なのですが、知る人ぞ知る 横浜の外れなのです。そして引越した6 年前に、訪ねて来た親戚が「随分田舎だね」と言ったのを聞いていたのです。 このテーマの定義が必要に思います。(都会とは何かも含め)「都会と田舎」 を言い換えて、「人口密集地と過疎地」としても何だか味気ないです。 (奥山)
横浜の緑区鴨居や栄区上郷は田舎ではないかという意見がでた。確かに個人 にとって都会と田舎のイメージはみな違うという基本的な問題提起があった。
二元論はこういう問題を孕んでいます。東京のど真ん中から人口密度が狸口 密度よりも低い所まで切れ目なく並んでいます。ここでは次のように定義したら どうでしょうか。
都会:人口密集地、製造業、サービス業など2次産業以上が主要な産業である 行政区域(市町村レベル)内。勤め人が住民の多数であり、通勤地獄を余儀な くされるところ。
田舎:人口過疎地、農業、林業、漁業などの1次産業が主要な産業である行政 区域内。1次産業従事者が住民の多数であり、古くからの住民コミュニティが 残っている所。くらいでどうでしょうか。都会のなかの田舎である我が鴨居は 以上の理由で都会に含めたいと思います。(多賀)
1次産業と2次産業以上といった産業構造からみた都会と田舎の定義案が示 された。
私は目黒で生まれて世田谷に引っ越しましたが、当時(環八ができる前)は世田 谷ってすごい田舎だなと思いました。それから社会人になって鵠沼海岸と中央 林間に住んで現在の鴨居。どこも田舎だと思っていましたが夫の田舎(故郷)の 香川県塩江町にいき、初めて(!)本当の田舎を経験しました。
私にとっての田舎の定義(多賀さんの定義に加えるとして)は
* 車がないと生活が不便な場所
* 向こう3件以外にも近所付き合いがある所 * 住人にお年寄りの割合が多い場所
* 夜は空が暗くなる場所 * お墓が墓地(霊園、お寺など)ではなく家のまわりなどにある
* トイレが水洗でなくても当たり前な場所(おまけにおおきな蜘蛛がいる)
近所つきあいがほとんど皆無の都会に育った私には田舎のおつきあいはアメリ カでの生活よりもっとカルチャーショックがありました。山のぼり、アウト ドアが好きなので遊びでたずねる自然が豊富という意味での田舎は好きですが、 生活するとなるとしり込みです。(峰松)
生活体験からのリアリティに富む田舎のイメージが提示されました。においや 雰囲気が迫ってくる気がします。本物の田舎ってすごいですね。
僕が田舎と思う場所の定義の一つに、「携帯電話の電波が届かないところ」と いうのがあります。こればっかりはあまりに端的で、しかも我々の努力だけじ ゃどうしようもないという意味でも、その指標になりうるのではないかと思っ てます。携帯電話に代表されるような、いわゆる「都会」の生活では普遍的な ものが存在しない場所、それが「田舎」だとおもいます。(石田)
携帯電話の電波が届かないところといった若者らしいメディアから見たユニー クな田舎論が示された。
我が夫は、自分の故郷、ここで、そのような生活をしていますよ。100坪程の 畑(あとは貸している)に、「私が、もう結構」と言うほど野菜を作り、我が 家の山では、梅や栗、柿が採れます。最近は、筍も生えてきました。昔は、そ の山で、松茸も採れていたようですが、今は、それはだめですが、ワラビなど の山菜も、近くで採れます。瀬戸内海のお魚は安くて美味しいですし、牛肉も 安くて美味しいです。JR駅は、我が家の斜め前で徒歩1分、電車で福山まで30 分、そして福山から新幹線は「ひかり号」に乗れます。福山には、「そごう」 「天満屋」と大きなデパートもあり、何でも揃っています。考えてみますと、 これほど住み易い田舎も少ないですね。でも、私には、合わないのです。 (藤田)
夫君が満足されている理想的な田舎暮らしでも、女性はやっぱり都会が好きと いった意見が出された。どうも田舎好き派は男性で都会好き派は女性に多いと いうことのようである。
今わたしたちは"都会と田舎"というテーマでもおしゃべりしています。この地 域情報という言葉で思ったのは田舎では地域情報は比較的身近に(有線放送と かローカル新聞の普及度合いなどのせいでしょうか?)アクセスできる環境に あるなということです。
ここ神奈川で神奈川新聞の購読割合がどのくらいか知りませんが、地方にいる と全国紙よりも地方新聞の方が購読割合が多いように感じます。郷土愛(??)と いう感覚も夫をみていると感じます。同じ郷土出身者、郷土の番組などに敏感 に反応しています。
でも東京出身の私にはその感覚はほとんど(高校野球で東京が勝てばちょっと はうれしい程度)ありません。(峰松)
地方のほうが地方へのこだわりが強いし、地方出身の男性は郷土愛が強いとい った意見がだされた。裏返すと都会人はコミュニティが希薄ということだろうか。
都会の魅力はそのエネルギーというのは良く分かります。エネルギーに溢れ好 奇心旺盛な若い人が都会にあこがれるのは良く分かります。古来から都会には 一流の文化人、芸術家、学者、金持ち、権力者、美男、美女が集まります。こ れをねらい詐欺師、強盗、すり、美人局、やくざ、乞食、田舎者などなども集 まってきます。こんな物に嫌気がさした熟年者が田舎に逃げ出すという構図で しょうか。ただ私が田舎暮らしと書いたのはモノトーンな田舎で静かに暮らし たいということではなく、あらゆる人工物と文明に守られた都会の温室暮らし を捨てて、自然の脅威にさらされてもう一度人間が忘れつつある本能や感覚を 呼び覚ましたいという積極的な気持ちからです。
どのように優れた登山者でも食料、テントなしで何日間も厳冬期の山中で生き 延びられません。アラスカの原野の小屋で一人で暮らした数日間が私の中で 大きな意味を持っている気がしています。(多賀)
田舎暮らしの魅力は決して、のどやかな暮らしへの憧れだけではなく、文明に どっぷり漬かって、野生の本能を失いつつあることへの反発であるといった意 見がだされた。確かに子供の時の野や森で遊んだことが多かった男性に田舎 への憧れが強いのは肯けます。
いま、ヘルマン・ヘッセの「わが心の故郷アルプス南麓の村」を読んでいます。 ヘッセはイタリア国境に近いスイスのテッスィーン州のモンタニョーラに19 19年(当時42才)から43年間住みこのエッセイを書いている。ヘッセの 本当の故郷はドイツ南部のカルフであるが、第一次大戦中平和主義的論説を 発表してドイツのジャーナリズムから「裏切り者」「売国奴」などと非難されそ の傷を癒すためにもスイスのテッスィーンを終の住処としたようである。ルガ ーノ湖の近くのこの村を擦り切れたズボンで歩いている詩人の文章からスイス の田舎の魅力が充分伝わってくる。ヘッセの水彩画も収録されている。枯れて しまったヘッセではなくツューリヒのレストランで会った若い女性に思いを寄 せたり村の祭りの若い男女の踊りや村の恋人達の別れなど艶やかな話や山の 中のカソリックの小さな教会や村の家々の石壁や漆喰壁の美しさ、モンテ・ロー ザやヴァリスの峰々やコモ湖の風景、拾ってきた栗やブラックベリーやキノコ の王様山鳥茸(Boletus edulis)のはなしなどが美しい文章で綴られている。 ああまたスイスに行きたくなりました。(多賀)
ヘッセのスイスの田舎暮らしの素晴らしさを書いた本までも引き合いに出し、 田舎派が田舎の魅力をアピールしていますが果たして都会派を納得させられ るか。
私は、家族で、昨年の夏、その四万十川を訪れ、自然が、そのまま、残ってい る光景を見て、感激しました。そして、今年の夏もまた、高知を訪れ、田舎の 良さを満喫したのです。確かに、高知県は、国道でも、舗装されていないとこ ろがあったり、また、林野率は、84%と全国で、最も高い所でもあります。 さらに、若者が、少なく、5人に一人が、65歳以上のお年寄りだそうです。しか し、その高知県からは、明治維新の時代に活躍した坂本竜馬や、三菱財閥を つくった岩崎弥太郎などの、すばらしい人材が、でています。(今年の夏に、その 岩崎弥太郎の生家も見てきました。)
つまり、何か、地方独特のバイタリティを持っているような気がします。そし て、今、2001年に向けた5年間の情報化計画を作成し、今年の11月には、 県全域にわたる基幹ネットワークの完成により、県内のどこでも、3分10円で 、専用線にアクセスできるようになったそうです。今後は、距離的に離れてい ても、地域住民にとって、コミュニティ作りにこのシステムの完成が、大変役 立つのでは、ないかと思います。したがって、過疎地域が、点在している高知 でも、情報化により、急速度で、距離のハンディがなくなり、より、住みやす い場所になると思います。私は、このような所に、住んでみたいと言うあこが れが、あります。やはり、これは、子供の頃、育った環境に左右されるのかも、 しれません。妻は、都会にもどるとホットするといっていますが、私は、 逆に 、田舎に行くと、心があらわれる感じがします。(矢田)
日本最後の清流「四万十川」の素晴らしさは田舎派の切り札。また田舎を逆手 にとって情報インフラを構築し田舎からの情報発信をしてがんばっていう高知 県の紹介があった。どこに住みたいかと行ったことはやはりサーモンが生まれ た川に帰るように子供の時育った環境によるのではないかといった意見は納得 させる。
明日香で「飛鳥藍染館」という施設を運営されておられる渡辺誠弥さんによる と京都の「みやび」に対して奈良の(特に飛鳥ですが)の「さとび」だそうで す。漢字では「人偏に里」と書いてあてておられますが、なかなか味わいのあ る漢字となります。実際にはそれほどとは思いますが、殺伐とした「砂漠」に 喩えられる都市文化には「牙」があって、秋の田の刈り穂の田舎文化には 「人」が入っているのは象徴的ではないでしょうか。
昔は田舎に移り住むのがいやで、奈良に転宅しても大阪まで電車で30分の所 でうろうろしていましたが、不惑が近づくにつれてだんだんとゆったりとした田舎 のリズムが性に合ってきました。(もちろん、現在住んでいるところが 「田舎」かという問題はありますが…。)それに多くの方もご指摘のとおり、 ネットワークの発達により、それほど情報の入手に不便を感じなくなったこと もその一因かもしれません。ただ、それ以上に個人的には「土の匂い」が妙に 懐かしいのです。田を耕したあとのむせ返るような土の匂いにそれこそ生命の 息吹を感じるくらいひかれます。こんな気持ち「都会」ではなかなか味わう事 ができませんね。年齢の所為でしょうか?!。(石井)
京都の「みやび」と奈良の「さとび」という渡辺誠弥さんの話が紹介された。 都市文化の「雅」には牙があり、明日香の田舎文化の「さとび」には人が入っ ているというのはなかなか含蓄のある話である。田舎の「土の匂い」が好きと いうのもやはり男性の意見というのは面白い。
私は平城京や平安京のあの整然とした都の造りは中国に習ったものでしょう がそれ以降の、整然としない都市計画と異質のものという気がします。あの整 然とした文化はどうして消えてしまったのでしょうか。いつも外国の街造りをみ る度に日本の街が(都会も田舎も)ごたごたしているのを感じます。日本人は そういう街が好きだとおもいます。
グレゴリー・クラーク氏によれば、「場」を中心にしたゴキブリ文化であり、 イメージでいえば、「暖か」で「ギッシリ詰まっている」というのですが、本 当でしょうか。何か我々が「外国人と日本人」で議論してきた内容にも近い気 がします。(多賀)
平城京や平安京のあの整然とした都の造りは今では伝統が消えてしまい、グレ ゴリー・クラーク氏に「場」を中心にしたゴキブリ文化と言わしめたのはなぜ だろうか。「暖か」で「ギッシリ詰まっている」赤チョウチンに象徴される文 化を好むのは男性が多いようである。ヨーロッパの都市が好きな女性は文化が 違うのであろうか。
忘年会の帰りに、横浜線はどちらが上りか、下りかという話から、東京が上り というのもおかしい。京に上る、東下りというから江戸時代は京都が上りだっ た。外国には列車の上り、下りはあるのだろうかといった話をしながら帰りま した。 「大都会(八王子)発から田舎へ(横浜)」という本を見つけました。大穂耕 一郎氏(八王子在住の著者)によると横浜線で東神奈川を始点、八王子行き を下りとするのはおかしいというのです。理由は
1)八王子は標高100mで東神奈川は海面に近い。低い所が下りである。
2)八王子は中央線のあずさ、かいじ等すべての特急が止まるが、東神奈川 は各駅しか止まらない。
3)どう見ても八王子の方が東神奈川より都会である。
4)東神奈川止りなのになぜ横浜線か。
というこじつけのような、納得できるような八王子サポータの主張です。東神 奈川止りのくせに横浜線とは大口(おおぐち)菊名(きくな)と悪口を言われ ている、わが愛すべき横浜線は田圃や畑をはしる田園列車です。 ところで外国でも上り下りはあるのでしょうか。英語には上り(an up train) 下り(a down train)とありますが、ヨーロッパの時刻表にはありません。横 浜線でももめるのですから、あのプライドの高い国々でこれをやったら戦争に なります。(多賀)
上りと下りという日本独特の呼び方からして、東京が上で地方が下という構図 が浮かんでくる。上り、下りにこだわっている人もいるという紹介があった。
新聞で住みたいところベスト1に横浜市が選ばれていました。確かに言葉の イメージはいいけれど・・・・・都会の割には緑も海もあるといったところで しょうか。(峰松)
定年後住みたいまちの順位は
1)横浜市、2)札幌市、3)福岡市、4)神戸市、5)京都市、6)仙台市 7)鎌倉市、8)ハワイ市、9)名古屋市、10)世田谷区、11)静岡市 12)東京都、12)大阪市、14)浜松市、15)松山市、16)小田原市 16)北九州市、19)北海道、19)伊東市、19)大津市、22)長野県 24)軽井沢市、24)金沢市、24)三島市、24)広島市、28)浦和市 28)館山市、28)川崎市、28)藤沢市、28)奈良市、28)宝塚市
A)定年後に暮らす場所を自由に選ぶ際に重視する条件
B)定年後に暮らす場所を決める際の重視する条件
AとBは理想と現実で少し条件が異なります。Aは「自然がゆたか」「気候が よい」がほぼ同数の1,2番、Bは「住み慣れている」が1番です。 理想派の男はAで考え、現実派の女はBで考えているとすると納得できます。 先日も友人夫妻と同じ事が話題になりました。男が自然を求めるのは「男のほ うが厳しい現実を生きていて自然に癒しを求めている」「男の子は野外で遊び、 女の子は屋内で遊んだ」「男は昔狩猟をやった遺伝子のなごり」などいろいろ 話しあいました。(多賀)
横浜市が総合点111でダントツとっぷ。2位の札幌市が総合点70点。とり あえず横浜が一番で良かったというのが率直な感想である。そして横浜を離れ ず夫婦円満に暮らしますかというのが結論であろうか。
(編集責任者 多賀)
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