上記の論文は、量子力学の原理に新しい形式を与えた^1。観測は通常の相互作用の特別な場合として扱われ、 それなしにきて行われる新しい又は異なる種類の過程のものでない。伝統的数学定式化は、そのよく知られた観測の確率についての仮説とともに、 新しい又はメタ量子力学の帰結として得られる。両方の定式化は、単純系だけでなく複雑系にも、場だけでなく粒子にも適用される。 両者は、物理的な系に対して数学的なモデルを適用する。新しい"相対的状態"の定式化のなかで、このモデルは、、線形の波動方程式に従う、 孤立系の状態関数に関係する。理論は、全ての可能な方法の全体性を扱うのに、この状態関数が、全体系のサブ系の状態関数の積和に分解可能 として扱う、そしてそれ以外ではない。例えば、与えられた4自由度 x1,x2,x3,x4,そして時間座標tをもつ系のなかで、一般的な状態は、ψ (x1,x2,x3,x4,t)として書ける。しかしながら、ψがどのサブ系(x1,x2,x3,x4の部分集合) のどの単一の状態も定義することはできない。 x1 と x3 を含むサブ系は、いわば、x2, x4 のサブ系にいう状態と独立に、状態 u(x1,x3,t) 状態 ということはできない。 言い換えれば、ψ が ψ = u(x1,x3,t) f(x2,x4,t) の式で書かれことを許すには、f又はuには通常、選択の余地はない。 最大限できることは、系の残りのある特定のサブ系の状態 f(x2,x4,t) に、相対的な状態 u_rel(x1,x3,t) をサブ系に関係づけることだけである。 系の残りのある特定の状態 f(x2,x4,t) に、相対的な状態 u_rel(x1,x3,t) をサブ系に関係づける方法は、ψ を積、それぞれが直交正規集合の要素と、 ひとつのサブ系に他のサブ系の対応する相対状態で構成する、積の重ね合わせに分解することを許すのである:
ψ = ∑ _i a_i f_i(x2,x4,t) u_rel f_i(x1,x3,t) ..............(1)
ここで、{f} は、正規直交集合である。関数 f_n がそれぞれの直交関数の属を構成しているように、相対状態の関数 u_rel f_n は、それぞれの 残りのサブ系の変数に依存性をもっている。
ひとつのサブ系が残りのサブ系の状態の、このユニークな関係性を言い表す他の言葉は、いわば、状態が相関をもつことである。 全ての可能な状態と相対状態への分解から起きる、これらの相関の全体性は、数学的モデルから読み解くことができる全てである。
そのモデルは、観測の場所をもつのに、孤立系のなかで実行される制限だけをもつ。観測の理論は、サブ系の間の相関の理論の特別な場合になる。
どのようにこの自然への数学的モデルが物理の現在の概念的構成に関係するか? 我々の結論は短く次のようにいえる:(1)"相対的状態"量子力学の概念的構成は、 量子力学の伝統的な"外部的観測"形式の概念的構成とは完全に異なっている。そして、(2) 新しい扱いからの帰結は、通常の分析からの帰結に対して、完全に 異質な事例に対応する。この文章の残りは、この帰結の対応だけでなく、この概念の完全な違いに対しても、ストレス探索をする。
古典物理の上に量子力学を見出す代わりに、"相対的状態"形式は、完全に異なる種類の物理モデルを使用する。この新しいモデルは、全てそれ自身の特性をもつ; 概念的に、自己充足的である;それ自身の解釈可能性を定義する;古典的な概念のどの参照もその定式化に必要としない。どう決定的に"相対的状態"形式化が古典的 概念に落ちるかを明確にするのは難しい。この段階の人の初期的不幸は、歴史上^3まれにあったことと一致できる:ニュートンが遠隔作用を何か実証的でないように記述 したとき;マックスウェルが場の理論では不自然な遠隔作用を何か自然な記述したとき;アインシュタインがどの座標系の偏愛された特性も否定したとき、物理測定 の全体の基礎づけが、一見、崩壊してみえた。そのなかでは時間の関数としての座標をもつ、ニュートン的な構想に従わず、そこでは確率が可能な測定の結果に必要 とされる、"外部観測"記述にも従わない、自然のモデルを人はどのように真剣に考察できるだろうか? 状態関数の代替的な分解を分析することだけであった。 (1)においてのように、分解は、それが何を意味するか、それをどう解釈するかを言わずに、ほとんどできる限り貧しく、表面的に理論的構造を定義するのである! 何者もこれに比較できるものは、物理学の残りのなかで引用できるものがない、一般相対性の原理が、全ての正則な座標系を等しく正当であるとすること以外には。 一般相対論においてと同じく、量子力学の相対的状態定式化は、観測の分析が物理的解釈において、鍵になる。
新旧の定式化の間には概念的な違いが沢山ある。いま、それらの対応について。上述の論文はその対応を詳細に詳しく示す。その対応の追跡は観測するサブ系と呼べる 何かを系が包含することを要求する。このサブ系は、研究中のひとつの粒子と衝突する粒子のようにまで単純化できる。この場合、対応は系が2つの粒子を含む相対的状態 定式化と、ひとつの粒子だけを観測する外部観測理論と、の間の原始的なレベルで起きる。ひとつの構成での対象粒子の固有関数と観測者粒子の相対的状態関数は、他の構成 の対象粒子の測定の多様に可能な相対的確率についてのよく知られた言明に、近く関係する。
より詳細な対応関係は、観測している系が記憶状態として記述できるほど十分に複雑であるとき、量子理論の2形式の間に追跡できる。この場合、通常の外部観測理論の 相補的な側面がもうひとつの方法、相対的な状態理論の、証拠になっていることを見ることができる。それらは、ひとつの系の同じ量についての継続的な観測の記憶状態と、 非可換な量への観測が挿入があることによる相関の程度の制限という言葉で表現される。この意味で、相対状態形式のなかで初めて人は、相補性への閉じた数学的モデルの 可能性をもつ。
相対的状態の理論によって、上述の論文のなかで、多重の観測の分析が、必要な測定間の整合性が外部的観測者形式にいかずに、既に得られたことを示している。 この状態を記述するのに、もし彼が望めば "明確な用語のなかで古典的な概念をつねに要求する通信" という言葉を使うことができる。しかしながら、実行されている その種の物理は、利用できる用語はそれ自身に一致しない;すなわち、用語はそれ自身を実行している物理の種類に従って適応しなげればならない。つまりは、 多重観測の問題は、相対的状態の理論のなかで、その理論に伝統的な理論を加えることなしに、それ自身を解決する。
それは、この短い探索が、量子理論の相対的状態形式に完全に明確な焦点を与えるだろうことを希望することに十分であろう。それが何かしないことをいうことで、人は どの程度でも目的にすることができる。それは、伝統的な外部的観測形式に取って代わることを探さない、そうではなくその定式化のために、新しい独立の基礎づけを与 えることを探索する。それは、スーパー観測者の概念を導入しない;それは、最初からその概念を拒否している。それは何が正しいハミルトニアンの関数形式であるかを どの与えられた系に対しても、処方箋を供給しない。それはまた、系の変数に渡って、孤立系の全体の状態関数の機能的依存に対していかなる予測もしない。 しかし、ラプラスの古典的宇宙に、ラプラスが未来の行動が予測できるとした、全ての粒子の初期位置と速度への、処方箋を供給しない。言葉を換えれば、相対的状態理論 は、物理の全ての問題に答えをする振りをしない。相対的状態の概念は、物理の基礎的な特性の全体的に新しい視野を要求する。もし人が孤立系の内部への量子力学のため の完全な数学的モデルを望むなら、この相対的状態形式から逃避することは可能とは思えない。エベレットの相対的状態の概念を離れては、自己充足的な概念系で手元に あって、一般相対論の宇宙のような閉じた系を量子化^4することによって、何を人は意味するかを説明できるものはない。