相対論とは何か?

What is the Theory of Relativity?
Albert Einstein (1919)
in "Out of my Later Years"(Citadel Press)
(訳 片山泰男 Sep.23 2014)

タイムズ紙に相対論について何か書くことのあなたの同僚からの依頼に私は喜んで応じる。学問の人々との古い実際の関係の悲しい挫折の後、 英国の天文と物理学者に対する私の喜びと感謝の気持を表す機会を歓迎する。あなた方の敵国の地に戦争中に完成し出版されたひとつの理論の 暗示の検証のために、あなた方の科学機関が費用を惜しまずに、高名な科学者が多くの時間を費し問題を起こしただろうことは、全体として、 あなた方の国の科学的仕事への偉大で誇らしい伝統と共にあることである。太陽の重力場による光線への影響の研究がたとえ純粋に客観的な事項 であるとしても、私は英国の同僚への彼らの仕事に対して私の個人的な謝意を控えることはできない; なぜなら、それなしに私は私の理論の最も 重要な含意が検証されることを生きてみることは決してなかったからである。

我々は、物理のなかに多くの種類の理論を識別することができる。それらの殆どは構成的である。それらが試みるのは、比較的、単純な式の計画 から開始してそれを材料として、より複雑な現象の絵を作り上げることである。こうして、ガスの力学理論は、探索して、機械的、熱的、拡散的 な過程を分子運動に還元した。すなわち、分子運動という仮説からそれらを組み上げるためである。我々が自然過程のある群を理解に成功したと いうとき、それは、問題の過程をカバーする構成的な理論を見出したということを意味する。

この、理論の最も重要なクラスとともに、2番目の"原理-理論"と私が呼ぶだろうものがある。これらは、構成的でなく分析的な方法を用いる。 それらの基礎をなす要素と出発点は、仮説的構成でなく実験的発見で、自然過程の一般的な特性、諸原理を実験的に発見する。それら個別の過程 又はそれらの理論的再現が満たすべき数学的に定式化された批判基準を引き起こす。こうして熱力学の科学は、必要な結合関係を推論するための、 分析手段によって探索し、個別の事象が満たすべき一般的な経験事実から、永久運動が不可能であることを演繹する。

構成的な理論の特長は、完全性、適用性、および、明解性であり、原理-理論のそれは、論理の完結性と土台の安全性とである。

相対性の理論は、後者のクラスに属する。何かの性質を掴むためには、ひとは何よりもそれが基づく原理に詳しくなることが必要である。 しかしこれらに進む前に、私は、相対性の理論がふたつの違う話、特殊相対論と一般相対論からなる建築に似ることを見なくてはならない。 特殊相対論は、その上に一般相対論がなりたち、重力を例外として全ての物理現象に適用される;一般相対論は、重力の法則と自然の他の力との 関係を用意する。

もちろん、古代ギリシャの日々から、物体の運動を記述するには、それの運動が参照されるもうひとつの物体が必要である。乗物の運動は地表を 参照して考慮される。惑星のそれは、見える恒星の全体である。物理で事象が空間的に参照される物体は、座標系と呼ばれる。例えばガリレオと ニュートンの運動法則は座標系を助けとして定式化される。

座標系の運動状態は、しかし、任意に選んでよいのではない。もし力学法則が有効であるためには (それは回転と加速があってはならない)。 力学で許される座標系は、"慣性系"と呼ばれる。慣性系の運動状態は、力学に従って、自然によって単一に決定されるものではない。反対に、 次の定義はよく成立する:慣性系に対し相対的に、均一で直線的に運動する座標系は、同様に慣性系である。"相対性の特殊原理" によって、 この定義の発生が、いかなる自然事象をも、何であれ含むことを意味する:こうして、どの自然の一般法則も、座標系Cに関して有効であるものは、 それが Cに対して相対的に均一な平行運動をする座標系C'に関して立つとき、また有効でなければならない。

第2の原理は、その上に相対性の特殊理論がよって立つ "真空中の光の一定速度の原理"である。この原理は、真空中の光が常に明確に限定された (観測者又は光源の運動状態から独立した) 伝搬の速度をもつと仮定する。この原理のなかに物理が存在する保証は、クラーク・マックスウエルと ローレンツの達成した成功から湧き出したものである。

両方の上で述べた原理は、強く経験に支持されているが、論理的に調停できないように表われている。特殊相対論は、空間と時間の関係する法則 の教義(物理の見地から)の運動学、を修正することによって、それらを論理的に調停させることに成功した。与えられた座標系との関係なしに、 ふたつの事象の同時性をいうことが意味がないことと、測定装置の形と、時計が進む速度が、座標系に関してのそれらの運動状態に依存すること を明確にした。

しかし、古い物理、ガリレオとニュートンの運動法則は、示唆される相対的な運動学とは一致しない。後者からは、もし上記のふたつの原理が 現実に適用される場合、自然法則がみたすべき一般的な数学的条件が出された。これらに対して、物理は適応しなくてはならなかった。特に、 (急速に運動する) 質点の新しい運動法則に科学者は到達し、それは、電気的に帯電した粒子の場合に称賛されるほど確認された。特殊相対論の 最も重要な結論は、有形の系の慣性質量に関することだった。系の慣性質量は、必然的にそのエネルギー内容に依存すること、そしてこれは直に 慣性質量が単純に潜在的なエネルギーであることを導く。質量の保存原理はその独立性を失い、エネルギーのそれと融合した。

特殊相対論は、単純にクラーク・マックスウエルとローレンツの電気力学の系統的発展であった、それ自身を超えて指摘される、が。物理法則が 座標系の運動状態から独立することは、互いに関して均一な平行運動に制限されるべきだろうか? 何を自然は、我々の座標系とその運動状態に、 なすべきか? 自然を記述する目的に、我々によって導入される任意の座標系を使用させることが必要ならば、そのとき、その運動状態の選択は 無制限を条件とするべきである;法則は、この選択から全く独立であるべきである(相対性の一般原理)。

この相対性の一般原理の確立は、永く知られた経験的事実から、より容易になされた。すなわち、物体の重量と慣性が同じ定数で制御されている ことである(慣性と重力質量の等価性)。ニュートン的な方法で、慣性系に対して、均一に回転している座標系を想像しよう。この系に関して自身 明示する遠心力は、ニュートンの教えに従えば、慣性の効果として見なされなくてはならない。しかし、これらの遠心力は、重力と正確に類似して、 物体の質量に正比例している。この場合、それは可能でないとすべきだろうか、座標系は静止しているとし、遠心力は重力であるとみなすことは? これは明かな視点に思えるが、古典力学はそれを禁止するのである。

この急ごしらえの考察の示唆することは、相対性の一般理論が重力の法則を供給しなければならないことであり、そして、そのアイデアの整合した 後処理は、我々の希望を正当化したのである。

しかし、道のりは、ひとが想像するよりも茨にみちていた、なぜなら、それはユークリッド幾何学の放棄を要求したからである。これはいわば、 空間に配置される剛体の従う法則が、ユークリッド幾何学によって空間的に記述された空間法則に完全には調和しないからである。これは、我々が "空間の曲率"、についていうとき意味するものである。それによって、基本的な概念である "直線"、"平面"などが、正確なそれらの意味を物理に おいて失う。

一般相対論のなかで、空間、時間の教義、または運動力学は、もはや、物理の残りと基本的独立性を示さない。物体の測地(幾何計量)的な振舞いと 時計の運動は、むしろ重力場に依存し、それらは今度は、物質によって作られている。

重力の新しい理論は、原理に関して、かなり、ニュートン理論から離れている。しかし、その実際の結果は、ニュートンの理論のそれに非常に近くに 同意する。そのため、いずれが経験に受け入られるかどうか区別するための批評基準を見出すことは難しい。そのような現在まで発見されたものは:ー

(1) 太陽をめぐる惑星軌道の楕円軸の回転において(水星の場合に確認された)。

(2) 重力場の差様による光線の弯曲において(英国の日蝕写真によって確認された)。

(3) かなりの大きさの星から我々に放射された光のスペクトル線の赤方偏移において(まだ未確認)。*1

理論の主要な注意点は、その論理的完全性にある。もし、それから引き出された結論のひとつが誤りと証明されるなら、それは放棄されなければ ならない;全体構造を壊さずにそれを修正することは不可能に見える。

しかし、無敵のニュートンの仕事が現実にこれ又は他のどの理論によっても取って代わられるとは、誰も想像させないでいよう。彼の偉大で澄んだ アイデアは、自然哲学の領域において、我々の全ての現代の概念的構造の基礎を作った、それらの唯一の重要さを、いつの時代も保持するだろう。

注意:あなた論文の私の生活と個人に関するいくつかの声明は、ライターの活発な想像力によるものです。ここにはまだ、もうひとつの相対性の 原理応用があります。読者の楽しみに:ー今日、ドイツでは私は"ドイツの召使い"として記述されました。そして、英国では"スイスのユダヤ人" として。私の運命は、"ベーテ、ノイア(bete noire)"(back beastの意味、大嫌い)の再現でしょうか。私は、反対に、ドイツでは、 "スイスのユダヤ人"、英国では、"ドイツの召使い"になるでしょう。

*1 編集者の注意:この批評基準はそののち確認された。